歴史・人名

ザクセン朝

ザクセン朝

フランク王国(ドイツ)のフランケン朝の次の王朝。962年から神聖ローマ皇帝となり、1024年まで4代続き、ザリエル朝が代わった。
 東フランク王国の王朝で、カロリング朝断絶後、フランケン朝に続いて919年に成立。ハインリヒ1世に始まり、彼は東方からのマジャール人の侵攻を撃退して領土を東方に拡げることに成功した。次のオットー1世(大帝)は、955年にレヒフェルトの戦いでマジャール人を破るなど、キリスト教世界の守護者としての使命を果たし、ドイツ王を称した。さらに961年にはローマに遠征してイタリア王となり、962年にローマ教皇からローマ皇帝の称号を与えられ(オットーの戴冠)た。これが、神聖ローマ帝国の起源とされている。
 ザクセン朝はその後、オットー2世(973~983)、オットー3世(996~1002)、ハインリヒ2世(1014~1024)と神聖ローマ皇帝が4代続いた。オットー朝とも言われる。ハインリヒ2世の妹は、ハンガリー王国イシュテヴァン1世の妃となった。しかしザクセン朝はハインリヒ2世までで断絶し、1024年にザーリアー朝に代わった。さらにシュタウフェン朝と続く。

768カール大帝
フランク王国の全盛期の王。ブリテン島を除く西ヨーロッパをほぼ勢力下に納め、800年にローマ皇帝の戴冠を受け、西ローマ帝国を継承した。このカールの戴冠はヨーロッパ世界の成立をいいしている。  フランク王国のカロリング朝の国王、カール1世(在位768~814年)。父のピピンに次いで即位し、フランク王国の全盛期を出現させた。ラテン語ではカルロス=マグヌス、フランス語ではシャルルマーニュと言われる。
領土の拡大
 カールは次々と周辺に遠征し、フランク王国の領土拡大。南方では774年にランゴバルド王国を征服、北イタリアを併合し、西方ではイベリア半島のイスラームと戦い、ピレネーを越えてエブロ川まで領土を広げ、スペイン辺境伯を設置した。東方ではドイツのザクセン人、バイエルンなどを従え、さらに796年にはパンノニア(現ハンガリー)に遠征軍を送り、アジア系のアヴァール人を討ち、その勢力を東方に拡張した。その最大領土は、大陸の西ヨーロッパほぼ全域に及んだ。
領土の経営
 その支配域の地方豪族を伯(コムス)に任命して行政を任せ、それを監督する役職として巡察使を派遣した。また多数の勅令(カピトゥラリア)を制定し、全国を統制した。晩年に王宮をアーヘン(現在はオランダ・ベルギーと国境を接するドイツ領。ドイツ語でアーヘンと言うが、当時はエクス=ラ=シャペルと言われた)においたが、生涯を通じ王国の各地を巡幸し続けた。
ローマ帝国皇帝の戴冠
 800年、ローマ教皇レオ3世からローマ帝国皇帝の冠を授けられ(カールの戴冠)、ローマ帝国の後継者であると同時に西ヨーロッパのキリスト教世界の守護者となり、それらとゲルマンの封建社会を結びつけた「ヨーロッパ世界」を出現させた。
文芸の保護
 また、ラテン文芸の復興に努め、アーヘンにアルクィンなどの学者を招いて「カロリング=ルネサンス」といわれた。 補足 カールの名前 フランク王国は現在のフランス、ドイツ、イタリアにまたがる国家であったので、カールの名もそれぞれで表記される。ドイツ語ではカール(Karl)だが、フランス語ではシャルル(Charle)、シュルルマーニュ(シャルル大帝、Charlemagne)、ラテン語ではカロルス(Carolus)、スペイン語ではカルロス(Carlos)となる。なお英語ではチャールズ、チャールズ大帝(Charles the Grate)となる。 (西欧-フランク王国-奈良時代)
772カール大帝、ザクセンと戦う(~804)(西欧-フランク王国-)
919ドイツ、ハインリヒ1世即位(~936)、ザクセン朝(~1024)成立(西欧-ドイツ-)
919ザクセン朝
フランク王国(ドイツ)のフランケン朝の次の王朝。962年から神聖ローマ皇帝となり、1024年まで4代続き、ザリエル朝が代わった。  東フランク王国の王朝で、カロリング朝断絶後、フランケン朝に続いて919年に成立。ハインリヒ1世に始まり、彼は東方からのマジャール人の侵攻を撃退して領土を東方に拡げることに成功した。次のオットー1世(大帝)は、955年にレヒフェルトの戦いでマジャール人を破るなど、キリスト教世界の守護者としての使命を果たし、ドイツ王を称した。さらに961年にはローマに遠征してイタリア王となり、962年にローマ教皇からローマ皇帝の称号を与えられ(オットーの戴冠)た。これが、神聖ローマ帝国の起源とされている。  ザクセン朝はその後、オットー2世(973~983)、オットー3世(996~1002)、ハインリヒ2世(1014~1024)と神聖ローマ皇帝が4代続いた。オットー朝とも言われる。ハインリヒ2世の妹は、ハンガリー王国イシュテヴァン1世の妃となった。しかしザクセン朝はハインリヒ2世までで断絶し、1024年にザーリアー朝に代わった。さらにシュタウフェン朝と続く。(西欧-ドイツ-)
1002ドイツ、ザクセン朝最後の王ハインリヒ2世、神聖ローマ皇帝に即位(~24)(西欧-ドイツ-)