歴史・人名

江戸時代

1603年(慶長8)徳川家康によって創設され,1867年(慶応3)徳川慶喜の大政奉還によって消滅するまで265年間つづいた武家政権。

政権の所在地が江戸の地であったため「江戸幕府」と呼び,また政権の主体が将軍たる徳川氏であったところから「徳川幕府」ともいう。
鎌倉時代室町時代につづき,武家政治上最も高度に整備された封建的統一政権である。

【成立過程】

徳川家康は,はじめ三河の一小大名として戦国争乱の世に出,桶狭間の戦い以後は織田信長と,信長の没後は、一時的対立はあったもののやがて豊臣秀吉と結んで、天下統一の事業に協力した。

この間、その所領も、本来の基盤である三河から東進し,遠江を押え,武田氏滅亡(1582)後はその旧領も併せ、「駿遠三甲信」五カ国の大領主となる。
小田原後北条氏の討滅(1590)後は、その旧領を秀吉から与えられて関東に移封,江戸を居城地とし,240万石の大大名に成長した。

また、五カ国所領時代の天正末期,家康は「五カ国総検地」を実施して領主権の強化をはかったが,後、北条氏滅亡後の関東移封により徳川家臣団は在地性を払拭させられ,近世大名へと脱皮していった。
関東入部後は,江戸周辺に「蔵入地」と「直属常備軍」を構成する小給家臣の知行地を配置し,万石以上の上級家臣42人は江戸から距たった諸城の城主として配置し,領国の外縁を固め、関東はこれ以後、長く徳川氏直接の権力基盤となった。

秀吉政権下の最有力大名となった家康は,秀吉の晩年には「五大老」の筆頭となり,その没後は、諸大名間の対立軋轢を巧みに利用してその地位を強化した。
秀吉腹心の部将石田三成は,家康の政治的地位の強化に強く反発して家康に決戦をいどんだが,関ヶ原の戦いにおいて東軍を率いた家康は,西軍を率いた三成を撃破し,覇権を確立した。

家康は、戦後の論功行賞のなかで、西軍に味方した大名の大規模な改易・減転封と東軍に味方した大名の増封,一門および譜代家臣の大名取立てなどを実施した。
こうして、徳川氏は全国を支配する統一政権であることを知らしめた。

しかし、なお一大名として豊臣氏は大坂城に残っていたし,豊臣恩顧の大名も残存していたため、1603年(慶長8)朝廷に奏請して征夷大将軍に就任,幕府を開いた。
これによって徳川の覇権は「私的権力」から「公的権力」に転化したものと認められるので,幕府の成立をこの時点とする説が一般的である。

家康は、将軍職にあること2年で,子の秀忠に将軍職をゆずり(1605)駿府に隠退したが、隠居後も、駿府において「大御所」として幕政を指導したため,幕府政治は駿府と江戸に分れて二元化した。
やがて大坂の役がおこり,豊臣氏が滅亡したことにより江戸幕府の全国支配が完成,翌年家康が没したため江戸・駿府の二元政治も解消した。

時代区分

1603-1605 初代 徳川家康
1605-1623 2代 徳川秀忠
1623-1651 3代 徳川家光
1651-1680 4代 徳川家綱
1680-1709 5代 徳川綱吉
1709-1712 6代 徳川家宣
1713-1716 7代 徳川家継
1716-1745 8代 徳川吉宗
1745-1760 9代 徳川家重
1760-1786 10代 徳川家治
1787-1837 11代 徳川家斉
1837-1853 12代 徳川家慶
1853-1858 13代 徳川家定
1858-1866 14代 徳川家茂
1866-1867 15代 徳川慶喜

江戸時代は、安土桃山時代と合わせて「近世」とも呼ばれている。
また,幕府・諸藩の二重支配による政治組織と,それを支える社会構造を統一し「幕藩体制」(幕藩制社会)ともいわれる。
したがって,普通は「江戸時代」と称した場合,政治史的視角から、政権の推移や政治機構の変化を中心に捉えていく傾向が強い。

始期は、徳川氏が覇権を確立した1600年(慶長5)関ヶ原の戦いとする見解もあるが,一般には徳川家康が幕府を開設した1603年(慶長8)とし,15代将軍慶喜が大政奉還した1867年(慶応3)を終期とする265年間をいう。

江戸時代時代区分は前・後期や幕藩体制の成立・解体期に分ける2分法,また前・中・後期や確立・展開・解体期の3分法が一般にとられているが,ここでは初・前・中・後・幕末期の5分法によることにする。

江戸時代初期

まず初期(慶長・元和)は、幕藩体制の土台ができた時期とみる。
江戸幕府の開設後,徳川家康は2年で将軍職を2代秀忠に譲り,江戸・駿府の二元政治により政権世襲の布石とし,1615年(元和1)大坂の役で豊臣氏を滅亡させると,大名統制を強化しながら「元和偃武」により全国支配を推し進めていった。

江戸時代初期の文化
江戸時代初期の産業
江戸時代初期の商業

江戸時代前期】

前期(寛永~寛文・延宝)は,3代家光から4代家綱にいたる幕藩体制の確立期である。

幕府は寛永10年代に集権的政治機構の整備を行い,外様大名の独立性を弱体化させることにより、「大名領知権」が将軍の全国支配権のなかに包摂する体制を整える。
また、幕府政治は,家康の死後3代家光の時代まで、戦国的な「武断政治」が行われ,大名・公家・寺社などに対してもきびしい統制が加えられ,1637年の島原の乱を経て、1639年の寛永十六年禁令にいたって「キリシタン禁圧」と「貿易独占」(長崎貿易)の体制が確立した。

こうして幕政の基礎が固まったことと,「武断政治」による不満の増大によって、4代将軍徳川家綱就任の時代から、幕府は儒教の「教化主義」にもとづく「文治政治」に転換した。(元禄時代)
そこで、小農経営を幕藩権力の基盤とする「近世村落体制」を確立し,領国の断行により幕府の長期政権への道を強化した。
また幕府は、その直轄地全体にわたって「寛文・延宝の検地」を実施し,農村支配の体制を固めた。
こうして17世紀後半に幕藩体制が確立した。

江戸時代中期】

中期(元禄~享保)は5代将軍徳川綱吉就任から8代将軍徳川吉宗就任にいたる幕藩体制の展開の時期である。

「天和の治」に始まる綱吉の治政は「元禄期」(元禄文化)を迎え、「文治政治」の性格を濃厚にし,6代将軍___の時代、新井白石の「正徳の治」にいたり最高潮に達した。
ここでは、従来の老臣門閥による「老中合議政治」から「将軍専制政治」への移行がみられ,将軍側近の「___」が実権を握りながら専制権の強化をはかり、6代家宣・7代家継の治政は、政策面では異なるが、基本的にはこれを継承した。

17世紀後半に確立した幕藩体制は繁栄をつづけたが、18世紀にはいると、商品経済の発展が農村にも波及し,農民の階層分化の進行,封建的農村構造の変質(本百姓経営の分解・農民の反抗激化・領主財政の窮乏)が始まり,こうした封建的危機によって幕府・諸藩に財政難が深刻になった。(江戸時代中期の社会)

つぎの8代将軍徳川吉宗就任の「享保の改革」は、財政再建を中心とし、30年に及ぶ,はじめての総合的改革が行われ、改革の前半では、農政中心に貢租体系の強化が図られたが,後半は、台頭する商品経済の発展のなかで、商業資本を利用し、「殖産興業」を重視せざるをえなかった。
だが、その政治路戦は「文治政治」の進展に伴う将軍権威の実質的成長であり,幕藩政治機構においても番方から役方の進出が顕著となり,封建官僚制の拡充・制度の整備・法典の編纂・刑罰の緩和など、元禄期に指向した政治体制の完結がはかられた。

幕政の行きづまりは、この後、次第に目に現れるようになり、享保の改革につづき寛政の改革・天保の改革においても財政改革を中心に打破がはかられたが、結局、根本的なたて直しはできなかった。

江戸時代後期】

後期(宝暦・天保)は幕藩体制の動揺・解体の時期である。
近世封建社会の経済的推移に基づく社会現象は,宝暦~天明期になると本格的危機の様相をおび始め、階級闘争は質的変化をとげながら激化し,年貢増徴の限界,都市物価問題,商品生産や流通の展開に伴う「地域的分業の深化」や「豪農の成立」がみられた。(江戸時代中期の社会)

老中田沼意次就任時代(田沼時代)の政策は、新田開発や国役普請による大規模工事の励行,株仲間の結成,蝦夷地開発計画,開国貿易計画など特権商人の力により経済発達の成果を吸収しながら幕府の財政規模を拡大していこうとしたもので,多分に近代日本の黎明を告げる側面をもっていた。
しかし,天明の大飢饉などの災害が,連続かつ集中的に発生し人災または政災的要素が加わると,この時期から解体過程に突入することになった。

幕府・諸藩の改革は封建危機の進行に対応するものであったが,老中松平定信による寛政の改革は、関東・東北地方の農村の荒廃から復興を急務としたが,文化・文政時代(化政文化)の関東中心の幕政改革も、封建危機への新たな対応を示すものであった。
幕府・諸藩の改革は年貢増徴方針のほか,農民的商品生産の発展に対処して,広く商人に依存しながら江戸の需要を確保し、物価の安定をはかろうとした。
老中水野忠邦が享保の改革・寛政の改革期への復帰を目ざして断行した天保の改革の政策の一つである「株仲間の解散」も,こうした考えの基底をなしていた。

だが、内政の危機を示す百姓一揆の激化,封建支配の後退のうえに18世紀未からおきたロシア・イギリス・アメリカなど外国勢力の接近も加わり,天保の改革の時期、幕藩体制はついに構造的な危機におちいり,危機打開をめざす幕府・諸藩の模索のなかで藩政改革に成功した「西南雄藩」が幕末の政局に指導的役割を果たすようになり,幕府の専制権力は弱化して1867年(慶応3)にいたり倒壊する。

江戸時代末期】

幕末期(安政~慶応)は幕藩体制の崩壊期である。
1853年(嘉永6)黒船来航を契機とする鎖国から開国への転換は,長州・薩摩など西南雄藩を中心とする尊王攘夷運動を激化させ,さらに全国的な都市・農村の諸矛盾が顕在化するなかで1867年(慶応3)10月,15代慶喜による大政奉還が行われた。

江戸時代は、こうした政治・社会経済的推移とともに、文化・学問の発達も注目される。
まず、寛永期には、幕藩体制の成立と相まって、武芸や伝統文化が城下町を中心に武家社会に普及した(「寛永文化」),元禄期には上方中心に町人階級が台頭し,都文化(「元禄文化」)創造への基盤が形成された。
宝暦~天明期には江戸町人を中心に創造的活力がみられ(「宝天文化」),さらに文化・文政時代には町人・農民による庶民文化が成長し,地方文化の盛況をもたらした(「化政文化」)。
また、封建社会としての封建教学の発達の反面,宝暦以降にみられる国学・蘭学による新しい学問・思想・科学の発達が,封建権力に立ち向う民衆の動きのなかで,江戸時代の動揺をもたらす重要な要素になったことが特筆される。

【幕府と大名】

江戸幕府は全国を支配する中央政権であるが,その中心にある徳川氏自体は最大の一大名であり,諸国には地方領主としての諸大名(藩)が分封されていた。
したがって、幕府の権力維持のためには「大名統制」がもっとも重要であった。

このため武家諸法度を制定し,参勤交代制を定め,領地の石高を基準とする軍役負担の制度(石高制)を定めて諸大名に遵守させた。

また、関ヶ原の戦い以後、3代将軍家光の時代ころまでに有力外様大名の改易,全国的規模の大名の配置替えなどによって大名統制を強化した。
さらに、大名の所領は私領であることを否定され,将軍から恩給されるものとの考え方が一般化し,その証拠として、将軍の「花押」あるいは「朱印」を押した「領知判物・領知朱印状」が,領地の郡村名を記した「領知目録」を添えて下付された。
この証拠書類は、将軍の代替りごとに発給され,また大名の家督相続のときも将軍から「本領安堵の朱印状」が下付された。

このことは、全領土が将軍の統治権下にあり,諸大名はその統治権を分与・依託されるという原則と,この原則は将軍と各大名間に個別に結ばれる関係であることを示している。
この意味では将軍(幕府)は最大の大名であるとともに,諸大名の上に立つ君主であり,諸大名の藩内統治を監視・統制し,落度ありと認めた場合には領地没収,所領の移動を命じることができた。

【幕府の政治機構】

初期の政治機構は「庄屋したて」といわれたように簡素なもので,三河の松平氏時代の家政組織を必要に応じて充実・強化し,幕府の成立とともに公的政治組織に転化したものである。

その機構は3代将軍家光から4代将軍家綱の時代にかけて整備された。
役職は、大別して、行政担当の「役方」と軍事警衛担当の「番方」の両系統に分かれるが,就職には相互間に人事交流があり、固定したものではない。

行政上重要な役職は老中・若年寄・大目付・目付・寺社奉行・町奉行・勘定奉行,その他の諸奉行などで,老中の上に大老が置かれたが常置の職ではなく,江戸時代を通じて10人しか任命されていない。

最高首脳である老中・若年寄は江戸城中の御用部屋に出勤し政務をとったが,執務は「月番交代の合議制」が原則であった。

将軍と御用部屋のあいだの政務の取次ぎについては5代綱吉の代に「側用人」が設けられた。
江戸時代には「三権分立」が成立していないので,各役職はそれぞれ行政・司法・立法の各権を行使した。
最高の審理機関としては「評定所」があり,寺社奉行・町奉行・勘定奉行の3奉行,案件により「大目付」なども参加して,3奉行の管轄範囲をこえた訴訟の裁判や重要事件の裁決はここで行った。

全国に分布する幕府直轄領(天領)は勘定奉行支配下の郡代・代官が分担管轄し,地方の直轄都市にはそれぞれ町奉行が置かれた。これらの地方行政の役人を「遠国役人」という。

【幕府の経済的基礎】

江戸幕府の経済的基礎は第一には約700万石にのぼる幕府領(天領)で,これは全国の石高3000万石の約4分の1を占めた。
幕府領のうち約300万石は旗本領として分配されたから,代官が管轄する直轄領は約400万石である。
また土地のほかに佐渡・石見・但馬・摂津など重要な金銀山を直轄した。

また江戸のほかに都市手工業の中心地でもある京都,諸国物資の集散地である大坂,鎖国体制下唯一の貿易港であった長崎をはじめ,諸国に直轄都市を設けたことも重要である。
これらを通じて幕府は金貨・銀貨・銭の貨幣鋳造・発行権を独占し,また貿易においてもかならずしも直営ではないが強力な統制権を行使することができた。

江戸時代後期になると,江戸・大坂など都市の富商に多額の御用金を課すこともあった。

江戸時代の概観】

江戸時代は、日本の封建制が最高度に発展したこと,支配の中心的存在をなした幕府と藩の権力集中化が著しかったことから,中世の「分権的封建制」に対し「集権的封建制」の社会といわれ、後半にいたると、封建的危機が顕在化し、その解体過程から崩壊期に入るという見方がとられている。
しかし,他方では、江戸時代をもって,すでに日本の封建制が解体過程に入ったとする考え方や、封建制の再編成期とする捉え方もある。

江戸時代は、封建身分制を支柱として展開するとともに,ヨーロッパのフューダリズム国家の王権に比べると、「将軍」(幕府)の権力はきわめて集権的で強大であった。
そして、この「将軍」を頂点とした幕府諸藩の政治体制は,「兵農分離」と「石高制」「領国制」によって特質づけられている。
このうち「兵農分離」と「石高制」は,安土桃山時代、豊臣政権における太閤検地と刀狩に「身分法令」を主とする諸政策を基礎にしたものである。
そして幕府開設後の17世紀の前半,とくに寛永年間に、幕府の「職制の整備」と「鎖国の完成」によって対外方針も確定した。

しかし幕藩体制が確立するのは,全国的視野でみるとき,1661~80年(寛文・延宝期)という見解が一般にとられている。
この見解は、慶安の幕政改革をへて,「幕藩領の検地」によって小農民を主体に「村請制」を中心とした「近世村落」が全国的に成立し,「領主的土地所有」が確定したからである。

「鎖国制」は、対外的には、清成立に伴う、日本の華夷意識に支えられた国家主権の確立であり,幕藩体制を体制的に維持するための手段であった。
なお,島原の乱以降230年にわたって対外・対内戦がなく、平和なうちに展開しており,現代の日本社会の直接の原型は江戸時代に形成されたという見方もある。

江戸時代は「幕府領」(天領)「大名領」(藩領)「旗本領」「寺社領」および「皇室・公家領」の分割領有により支配されていたが,所領の大半を占める各大名は、個別領主権をもちながら、公儀権力である将軍を中心に集権的に編成されることにより,初めて領主支配が貫徹することになった。
大名領では、藩体制の確立に伴い、城下町の経済的位置が確定した17世紀後半以降江戸・大坂・京都の3都が中央市場の役割を果たすことによって商品流通が全国的に展開した。

また、社会構成は、封建的主従制を中核とした身分制にもとづいたが,大名や家臣の家,商人仲間,職人の組などにより構成され,人々は集団に属し規制を受けながら生活していた。
また,「領主=農民」を基本的関係に置き,「村」を財政基盤としながら,都市・商工業の発達,全国的商品流通により「町人文化」の発展が顕著であり,それだけに、封建官僚制に基づく幕府・諸藩の政治機構によって、周到に中央・地方行政が行われた時代である。

江戸時代追加
16032121代将軍 徳川家康 征夷大将軍になる  (日本-慶長)編集
1603****安土桃山時代江戸時代(1603 - 1868)  (日本-江戸時代)編集
1603イギリスでシェークスピアのハムレット初演  (欧州-)編集
1603江戸時代(1603 - 1868)  (-)編集
1603徳川家康江戸幕府を開く  (日本-)編集
1603琉球使、鹿児島にくる  (日本-慶長)編集
1604フランスが東インド会社を設立   (欧州-)編集
1604義弘、苗代川の朴平意らに命じ、陶窯を築かせる  (日本-慶長)編集
1604糸割符法制定 東海・北陸など五街道に一里塚を築く  (日本-慶長)編集
16052代将軍 徳川秀忠  (日本-)編集
1605家康、征夷大将軍を辞し、秀忠、将軍に任命される  (日本-慶長)編集
1605忠恒、安南及び西洋渡海朱印状を受ける  (日本-慶長)編集
1606安南国使者来航、服部宗重国分梅木に煙草を試植  (日本-慶長)編集
1606江戸城本丸御殿なる 慶長通宝を鋳造し、永楽銭を廃止  (日本-慶長)編集
1606忠恒、家久と改名し、琉球征討を許される  (日本-慶長)編集
1607イギリスがジェームズタウンを建設  (北米-アメリカ)編集
1607家久、シャム渡海朱印状を受ける  (日本-慶長)編集
1607朝鮮使、初めて江戸に来る 了以、富士川の水路を開く  (日本-慶長)編集
1608フランスがケベックを建設  (北米-アメリカ)編集
1608伏見の銀座を京都に移し、大阪に銀座設置  (日本-慶長)編集
1609ドイツのケプラーが天体の三法則を発見   (欧州-)編集
1609ガリレイが天体望遠鏡を発明  (欧州-)編集
1609元禄文化  (-)編集
1609薩軍首里城に迫り、尚寧降る 家康琉球領知の黒印状を下付  (日本-慶長)編集
1609第二尚氏王統(薩摩藩支配1609 - 1872)  (-)編集
1609島津氏琉球征伐 金銀貨交換比率(金1両は銀50匁)  (日本-慶長)編集
1610スペインに通商を許可 姫路城なる  (日本-慶長)編集
1610上井里兼ら、琉球検地を終えて帰る  (日本-慶長)編集
1611慶長内検を開始  (日本-慶長)編集
1611中国商人に長崎での貿易を許可  (日本-慶長)編集
1612オランダがニューアムステルダムを建設  (北米-アメリカ)編集
1612幕府直轄領にキリスト教禁止令  (日本-慶長)編集
1613ロシアにロマノフ朝が成立  (欧州-)編集
1613大島奉行を置き、道之島(現奄美諸島)全体を管轄させる  (日本-慶長)編集
1613平戸にイギリス人の商館を許可  (日本-慶長)編集
1614慶長内検終わる  (日本-慶長)編集
1614女真のヌルハチが満州八旗を編成  (アジア-)編集
1614大坂冬の陣  (日本-慶長)編集
1615****豊臣家滅亡により  (日本-室町時代)編集
16151615 元和偃武  (-)編集
1615   (日本-元和)編集
1615スペインのセルバンテスの「ドン=キホーテ」完成  (欧州-)編集
1615713元和(げんな)(1615.7.13-1623)  (日本-元和)編集
1615化政文化  (-)編集
1615大坂夏の陣、豊臣氏滅亡  (日本-元和)編集
1616家康太政大臣 徳川家康死  (日本-元和)編集
1616清・愛新覚羅氏・・ 太祖  (中国-清)編集
1616清朝、成立、成立(1616~1912) (アジア-清)http://www.0o0d.com/img/flags/16/sincho.png編集
1616清(1616-1912) (アジア-中国)編集
1616太祖高皇帝(ヌルハチ(奴爾哈赤))  (アジア-清(後金))編集
1616徳之島奉行を置き、徳之島・沖永良部島・与論島を管轄  (日本-元和)編集
1617江戸吉原遊郭の開設許可  (日本-元和)編集
1617明で小説「金瓶梅詞話」出版  (アジア-中国/明)編集
1618ヨーロッパで三十年戦争勃発(~1648)  (欧州-)編集
1618外国船貿易港を長崎・平戸に制限  (日本-元和)編集
1618三十年戦争が始まる(~1648)   (-)編集
1619江戸城修築につき、材木3000本を幕府に収める  (日本-元和)編集
1619徳川頼宣を和歌山に移封(御三家成立) 箱根に関所設置  (日本-元和)編集
1620イギリスのメイフラワー号がプリマスに到着  (北米-アメリカ)編集
1620イギリスの清教徒がメイフラワー号で北米に移住   (欧州-)編集
1620桂離宮創設  (日本-元和)編集
1620光宗泰昌帝(朱常洛)   (アジア-中国/明)編集
1620秀忠の娘和子、女御となる(後の東福門院)  (日本-元和)編集
1620泰昌帝・即位 (アジア-中国/明)編集
1620明・朱氏・・ 泰昌帝  (アジア-中国/明)編集
1620明・朱氏・・ 天啓帝  (アジア-中国/明)編集
1620熹宗天啓帝(朱由校)   (アジア-中国/明)編集
1621このころイギリスでマニュファクチュア  (欧州-)編集
1621天啓帝・即位 -1627(アジア-中国/明)編集
1621オランダが西インド会社を設立   (欧州-)編集
1621大島・喜界島の検地着手  (日本-元和)編集
1622リスト教徒55人を長崎で処刑  (日本-元和)編集
16233代将軍 徳川家光(- 1651)  (日本-)編集
1623儀間親方真常・儀間村人を福建に派遣し、製糖法を伝習する  (日本-元和)編集
1624   (日本-寛永)編集
1624オランダが台湾を占領(~1661)   (欧州/アジア-オランダ/台湾)編集
162423寛永(かんえい)(1624.2.3-1643)  (日本-寛永)編集
1624スペイン人の来航を禁止  (日本-寛永)編集
1625僧天海、寛永寺を創設  (日本-寛永)編集
1626清・愛新覚羅氏・・ 太宗  (中国-清)編集
1626幕府、人身売買を禁止  (日本-寛永)編集
1627リスト教徒340人を長崎奉行処刑  (日本-寛永)編集
1627思宗崇禎帝(朱由檢)  (アジア-中国/明)編集
1627明・朱氏・・ 崇禎帝  (アジア-中国/明)編集
1628崇禎帝・即位 -1644(アジア-中国/明)編集
1628イギリスで「権利の請願」成立   (欧州-)編集
1628インドのシャー=ジャハン即位(ムガール帝国全盛)  (アジア-)編集
1628百姓の衣類に絹類を禁じ、木綿に限定  (日本-寛永)編集
1629118第108代 後水尾天皇  (日本-)編集
1629118第109代 明正天皇  (日本-)編集
1629江戸城普請につき角材500本を幕府に献納  (日本-寛永)編集
1629紫衣事件…大徳寺の僧、沢庵ら流される 女歌舞伎等禁止  (日本-寛永)編集
1630山田長政毒殺される  (日本-寛永)編集
1631朱印船の制を定める 海外渡航に老忠奉書必須とす  (日本-寛永)編集
1631貿易を拡張するため琉球在番奉行を置く  (日本-寛永)編集
1631李自成の乱   (-)編集
1632インドのシャー=ジャハンがタージ=マハルを造営(~1653)  (アジア-)編集
1632一向宗の改宗で日向高原その他諸所の門徒を処分  (日本-寛永)編集
1632諸士法度(旗本法度)制定 大目付設置  (日本-寛永)編集
1633ガリレイが宗教裁判をうける   (欧州-)編集
1633鎖国令…奉書船以外の海外渡航を禁ず 日本人帰国制限  (日本-寛永)編集
1634鎖国令…海外往来・通商制限  (日本-寛永)編集
1634明船の封内海陸に入るを禁ずる 藩債銀5000貫に及ぶ  (日本-寛永)編集
1635牛馬改を行い、牛馬札を交付して牛馬出銀を課する 宗門手札改の制を定める  (日本-寛永)編集
1635参勤交代制度確立。武家諸法度改正 鎖国令…渡航禁止  (日本-寛永)編集
1636鎖国令…ポルトガル人を長崎出島に移す  (日本-寛永)編集
1636太宗文皇帝(崇徳帝、天聡帝、ホンタイジ(皇太極))  (中国-清(後金))編集
1637フランスでデカルトの「方法序説」なる  (欧州-)編集
1637島原の乱(→1638)  (日本-寛永)編集
1637藩債銀181貫におよび、未済中知行給与の停止を令す  (日本-寛永)編集
1638リスト教厳禁  (日本-寛永)編集
1639鎖国令…ポルトガル船の来航禁止  (日本-寛永)編集
1639大島奉行を大島代官と改める  (日本-寛永)編集
1640宗門改役を設置  (日本-寛永)編集
1641永野金山を幕府に上納しようとする  (日本-寛永)編集
1641平戸のオランダ商館を長崎出島に移す(鎖国の完成)  (日本-寛永)編集
1642イギリスでピューリタン革命(~1649)   (欧州-イギリス)編集
1642イギリスで清教徒革命勃発(~1649)  (欧州-イギリス)編集
1642譜代大名にも参勤交代を命ず  (日本-寛永)編集
1642幕府、永野金山の上納を賞し今年中の採掘を許す  (日本-寛永)編集
1643103第110代 後光明天皇  (日本-)編集
1643フランス、ルイ14世の治世(~1715)   (欧州-フランス)編集
1643世祖章皇帝(順治帝、福臨)  (中国-清(後金))編集
1643清・愛新覚羅氏・・ 世祖・順治帝  (中国-清)編集
1643田畑永代売買禁止令  (日本-寛永)編集
1644   (日本-正保)編集
1644安宗弘光帝(朱由崧)   (日本-南明)編集
1644大順帝 張献忠  (中国-西)編集
1644幕府、明の救援要求を拒む  (日本-正保)編集
1644満州族の王朝。この時代は優秀な皇帝が多くいました。二代皇帝康煕帝の時代に始まり、その後雍正帝、乾隆帝と続く三代の皇帝が1世紀以上にわたる清朝の繁栄と平和をもたらしました。  しかし1790年代の後半から各地で続発する民衆反乱を皮切りに、清王朝の統制が利かなくなり、1840年のアヘン戦争で列強に徹底的に痛めつけられます。さらに1850年の太平天国の乱と続き、末代皇帝宣統帝(溥儀)の代・1912年、辛亥革命によって王朝時代の幕が下りました。 ~1912清 (中国-清)編集
16441216正保(しょうほう)(1644.12.16-1647)  (日本-正保)編集
1644順治帝・即位 -1661(中国-清)編集
1644明・朱氏・・ 弘光帝  (アジア-中国/明)編集
1644明が滅亡  (アジア-中国/明)編集
1644闖王 永昌帝(李自成)   (中国-順)編集
1645紹宗隆武帝(朱聿鍵)   (日本-南明)編集
1645清で弁髪・胡服を強制  (中国-清)編集
1645大小刀の寸法、髪・頬髯の制を定め、無頼者を追捕  (日本-正保)編集
1645明・朱氏・・ 隆武帝  (アジア-中国/明)編集
1646昭宗永暦帝(朱由榔)   (日本-南明)編集
1646日光例幣使始まる  (日本-正保)編集
1646明・朱氏・・ 永暦  (アジア-中国/明)編集
1646明・朱氏・・ 紹武帝  (アジア-中国/明)編集
1646明・朱氏・・ 魯王以海  (アジア-中国/明)編集
1646明の遺臣、鄭成功が挙兵  (アジア-中国/明)編集
1647酒井田柿右衛門、赤絵焼に成功  (日本-正保)編集
1648   (日本-慶安)編集
1648(ウエストファリア条約締結)  (欧州-)編集
1648三十年戦争終結  (欧州-)編集
1648私鋳銭を禁ず 田畑の永代売買を禁ず  (日本-慶安)編集
1648215慶安(けいあん)(1648.2.15-1651)  (日本-慶安)編集
1649イギリスのチャールズ1世処刑、共和制を宣言  (欧州-イギリス)編集
1649イギリスの王政が倒れ、クロンウェルの共和制が始まる(~1660)   (欧州-イギリス)編集
1649慶安御触書公布  (日本-慶安)編集
1649東郷重方を郡奉行に任じ、初めて郡座を建てる  (日本-慶安)編集
1650. 大雨で鹿児島城大破  (日本-慶安)編集
16514代将軍 徳川家綱  (日本-)編集
1651イギリスのクロムウェルが航海条例を発布  (欧州-)編集
1651イギリス航海条例   (欧州-)編集
1651慶安事件…由井正雪謀反  (日本-慶安)編集
1652918承応(じょうおう)(1652.9.18-1654)  (日本-承応)編集
1652   (日本-承応)編集
1652オランダがケープ植民地を建設  (アフリカ-)編集
1652承応事件…牢人、戸次庄左衛門らの老中殺害未遂事件  (日本-承応)編集
1652第1次英蘭戦争(~1654)  (欧州-)編集
1653フランスのパスカルが「パスカルの原理」を発見   (欧州-)編集
1653秤目の制を定める 東国は守隋氏の、西国は神氏の秤使用  (日本-承応)編集
1654玉川上水竣工 利根川付替を完成  (日本-承応)編集
16541128第111代 後西天皇  (日本-)編集
1655   (日本-明暦)編集
1655糸割符制を廃止し、長崎貿易を相対貿易とする  (日本-明暦)編集
1655413明暦(めいれき)(1655.4.13-1657)  (日本-明暦)編集
1656. 永野金山再開を許される  (日本-明暦)編集
1657江戸大火、江戸城本丸・二の丸焼失 「大日本史」編集着手  (日本-明暦)編集
1657産金500両を幕府に進納 内検丈量始まる  (日本-明暦)編集
1658   (日本-万治)編集
1658内検丈量終わる  (日本-万治)編集
1658723万治(まんじ)(1658.7.23-1660)  (日本-万治)編集
1659隠元、黄檗宗を伝える  (日本-万治)編集
1659加治木西別府川の用水工事に着手  (日本-万治)編集
1660イギリスのチャールズ2世が王政復古を宣言  (欧州-)編集
1660イギリスのボイルが「ボイルの法則」を発見   (欧州-)編集
1660イギリスの王政が復活  (欧州-)編集
1660芹ケ野金山を試掘して、永野金山の枝山とする  (日本-万治)編集
1660道中奉行を置く 江戸城の再興なる  (日本-万治)編集
1661   (日本-寛文)編集
1661フランスのルイ14世の親政が始まる ~絶対王政の最盛期   (欧州-)編集
1661清・愛新覚羅氏・・ 聖祖・康煕帝  (中国-清)編集
1661聖祖仁皇帝(康熙帝、玄燁)  (中国-清(後金))編集
1661425寛文(かんぶん)(1661.4.25-1672)  (日本-寛文)編集
1661康煕帝・即位 -1722(中国-清)編集
1661徳川綱重を甲府に、綱吉を館林に封ずる  (日本-寛文)編集
1662. 垂水の小田喜三次、阿波徳島より甘藷を垂水・市来に植栽  (日本-寛文)編集
1662康熙帝即位、所謂「三世の春」始まる  (アジア-中国)編集
1662明が滅亡   (-)編集
1663126第112代 霊元天皇  (日本-)編集
1663加治木西別府川の用水工事完成、新田高5000石開発  (日本-寛文)編集
1663殉死を禁止(武家諸法度改定)  (日本-寛文)編集
1664諸藩に宗門改めの専任を置くよう命ず  (日本-寛文)編集
1665諸宗寺院法度・諸社神主法度を制定 諸大名の人質廃止  (日本-寛文)編集
1665八木元信が谷山錫山を発見  (日本-寛文)編集
1666酒井忠清、大老となる 山鹿素行を赤穂に流す  (日本-寛文)編集
1667畿内・近江などの本田畑に煙草の栽培を禁ず  (日本-寛文)編集
1668長崎貿易の銀貨支払いを金貨に改める 井伊直弼、大老に  (日本-寛文)編集
1669オランダの画家レンブラント死去  (欧州-)編集
1669松前氏、蝦夷を平定  (日本-寛文)編集
1670ロシアでステンカ=ラージンの反乱、ドン=コサックの反乱  (欧州-)編集
1670高山の用水工事完成し、田高2000石を開発  (日本-寛文)編集
1670箱根用水竣工  (日本-寛文)編集
1671河村端軒、東周り航路開設  (日本-寛文)編集
1672河村端軒、西周り航路開設  (日本-寛文)編集
1672小根占の用水工事完成  (日本-寛文)編集
1673   (日本-延宝)編集
1673三藩の乱  (アジア-中国)編集
1673清で三藩の乱(~1681)  (中国-清)編集
1673中国で三藩の乱(~1681)   (アジア-中国)編集
1673921延宝(えんぽう)(1673.9.21-1680)  (日本-延宝)編集
1673分地制限令  (日本-延宝)編集
1674. 風水害あり飢饉となる  (日本-延宝)編集
1675イギリスのグリニッジ天文台設立   (欧州-)編集
1675伊奈忠易、小笠原諸島探検  (日本-延宝)編集
1678呉三桂  (アジア-中国/周)編集
1678呉世璠  (アジア-中国/周)編集
1679イギリス議会で人身保護法が成立   (欧州-)編集
1679出羽矢島騒動、越後騒動…越後高田城のお家騒動  (日本-延宝)編集
16805代将軍 徳川綱吉  (日本-)編集
1680ベルサイユ宮殿が完成   (-)編集
1680綱吉、将軍となる 大老酒井忠清、罷免される  (日本-延宝)編集
1680鹿児島大火  (日本-延宝)編集
1681   (日本-天和)編集
1681評定所規則を制定 塚田正俊大老となる  (日本-天和)編集
1681929天和(てんな)(1681.9.29-1683)  (日本-天和)編集
1682勘定吟味役設置 江戸大火(八百屋お七の火事)  (日本-天和)編集
1683武家諸法度に末期養子条項追加  (日本-天和)編集
1684   (日本-貞享)編集
1684「貞享暦」を採用  (日本-貞享)編集
16841127(貞享元年10月21日)- 徳川吉宗、江戸幕府第八代征夷大将軍  (-)編集
1684221貞享(じょうきょう)(1684.2.21-1687)  (日本-貞享)編集
1685生類憐みの令発布  (日本-貞享)編集
1687イギリスでニュートンの「プリンキピア」刊行  (欧州-)編集
1687321第113代 東山天皇  (日本-)編集
1687イギリスのニュートンが「万有引力の法則」を発見   (欧州-)編集
1687宮崎友禅・小袖模様を友禅染と称す  (日本-貞享)編集
1688   (日本-元禄)編集
1688イギリスで名誉革命   (欧州-)編集
168893元禄(げんろく)(1688.9.3-1703)  (日本-元禄)編集
1688京都に琉球唐物問屋を置く  (日本-元禄)編集
1688元禄時代(→1703) 柳沢吉保、側用人となる  (日本-元禄)編集
1689イギリス・フランス間の植民地戦争(ウィリアム王戦争)   (欧州-)編集
1689イギリスで権利章典  (欧州-)編集
1689イギリスで権利章典が成立  (欧州-)編集
1689ネルチンスク条約~清とロシアが国境を画定   (アジア-)編集
1689ロシアとネルチンスク条約締結  (アジア-中国)編集
1689松尾芭蕉、「奥の細道」の旅にでる  (日本-元禄)編集
1690イギリス、ジョン=ロックの「人間悟性論」「政治二論」出版  (欧州-)編集
1690ドイツ人ケンペル、オランダ商館医として来日  (日本-元禄)編集
1691鹿児島大雨・洪水 沖永良部代官を置き、沖永良部・与論島を管轄させる  (日本-元禄)編集
1691住友友芳、別子銅山開発  (日本-元禄)編集
1693井原西鶴死 「好色一代男」(1682刊)  (日本-元禄)編集
1693鹿児島大雨・洪水、粥を施行する 喜界島代官を置く  (日本-元禄)編集
1694松尾芭蕉死 「奥の細道」(1693刊)  (日本-元禄)編集
1695金銀貨の改鋳  (日本-元禄)編集
1696鹿児島大火、城内に延焼して本丸以下焼失  (日本-元禄)編集
1696萩原重秀、勘定奉行となる  (日本-元禄)編集
1697鹿児島大火、上町3分の2焼失 寛永寺本堂造営手伝い幕命  (日本-元禄)編集
1697大阪堂島に米市場開設  (日本-元禄)編集
1698柳沢吉保、城中上座(大老格)となる 江戸大火  (日本-元禄)編集
1699鹿児島大火、上町3分の2焼失  (日本-元禄)編集
1700金銀銭の比価を定める(金1両=銀60匁=銭4貫文)  (日本-元禄)編集
1700北方戦争(~1721)   (-)編集
1701. 神殿金山を開掘する 谷山錫山薩摩藩直轄となる  (日本-元禄)編集
1701スペイン継承戦争(~1713)   (欧州-)編集
1702赤穂浪士の仇討ち  (日本-元禄)編集
1703鹿児島下町大火  (日本-元禄)編集
1704   (日本-宝永)編集
1704鹿児島城本丸など普請なる  (日本-寶永)編集
1704313宝永(ほうえい)(1704.3.13-1710)  (日本-宝永)編集
1705お蔭参りで諸国の民、伊勢神宮参拝  (日本-宝永)編集
1705山川・前田利右衛門琉球より甘藷をつたえる  (日本-寶永)編集
1706宝字銀を鋳る  (日本-寶永)編集
1707大ブリテン王国、成立   (欧州-)編集
1707田地質入禁止  (日本-寶永)編集
1708伊太利・教父シドッチ屋久島に上陸  (日本-寶永)編集
1708宝永通宝を鋳る  (日本-寶永)編集
17096代将軍 徳川家宣  (日本-)編集
1709621第114代 中御門天皇  (日本-)編集
1709新井白石を登用  (日本-寶永)編集
1710フランスのベルサイユ宮殿が完成  (欧州-)編集
1710金銀を改鋳  (日本-寶永)編集
1710清で『康煕字典』が完成   (-)編集
1710藩債34万5000両に達し、家老以下の役料を半減  (日本-寶永)編集
1711425正徳(しょうとく)(1711.4.25-1715)  (日本-正徳)編集
1711   (日本-正徳)編集
1711新井白石、朝鮮使の待遇を改める  (日本-正徳)編集
1712「以本年丁数為定額」の勅令  (アジア-中国)編集
1712串木野沖に蛮船発見  (日本-正徳)編集
1712江戸に大名火消し創設  (日本-正徳)編集
17137代将軍 徳川家継  (日本-)編集
1713ユトレヒト条約   (-)編集
1713諸国に養蚕・製紙を奨励  (日本-正徳)編集
1714イギリスのジョージ1世が即位し、ハノーバー朝が始まる   (欧州-)編集
1714密貿易を禁止  (日本-正徳)編集
1715長崎貿易新令発布  (日本-正徳)編集
17168代将軍 徳川吉宗  (日本-)編集
1716   (日本-享保)編集
1716622享保(きょうほ)(1716.6.22-1735)  (日本-享保)編集
1716享保の改革 (享保改革)  (日本-享保)編集
1716霧島山爆発、田畑埋没  (日本-享保)編集
1717大岡忠相(越前守)を江戸町奉行に登用  (日本-享保)編集
1718江戸に町火消し編成  (日本-享保)編集
1719幕府、蝦夷松前氏に条約を与える  (日本-享保)編集
1720広東に公行創設   (-)編集
1720宗教外の漢訳洋書輸入許可  (日本-享保)編集
1721江戸大火 評定所に目安箱設置  (日本-享保)編集
1722上米の制を定める  (日本-享保)編集
1722世宗憲皇帝(雍正帝、胤禛)  (中国-清(後金))編集
1722清・愛新覚羅氏・・ 世宗・雍正帝  (中国-清)編集
1723足高の制を定める  (日本-享保)編集
1723地丁銀の実施  (アジア-中国)編集
1723雍正帝即位  (アジア-中国)編集
1723雍正帝・即位 -1735(中国-清)編集
1724近松門左衛門死 「曽根崎心中」(1703初演)  (日本-享保)編集
1725新井白石没  (日本-享保)編集
1726イギリスのスウィフトが『ガリバー旅行記』を著す   (欧州-)編集
1726新田検地条目制定  (日本-享保)編集
1726幕府、薩摩以下15藩に令し、私販の清船を撃攘させる  (日本-享保)編集
1727. 川辺、田部田村万ノ瀬川堰堤および用水工事なる  (日本-享保)編集
1727キャフタ条約~清とロシアが国境を画定   (-)編集
1728このころ、清の景徳鎮の窯業が最盛期  (欧州-)編集
1728見沼代用水開通  (日本-享保)編集
1728清がチベットを征服   (-)編集
1728大口牛尾金山を試掘する  (日本-享保)編集
1729アヘン吸引の禁止  (アジア-中国)編集
1729将軍綱吉の養女竹姫、島津継豊の妻となる  (日本-享保)編集
1729石田梅巌、心学をとなえる  (日本-享保)編集
1730上げ米の制停止 参勤交代復旧  (日本-享保)編集
1732享保飢饉 西国、蝗(イナゴ)害による大凶作薩摩は甘藷があったため飢民はなし  (日本-享保)編集
1733米価騰貴し、江戸にうちこわしおこる  (日本-享保)編集
1734小石川薬園に甘藷を試植  (日本-享保)編集
1735高宗純皇帝(乾隆帝、弘暦)  (中国-清(後金))編集
1735321第115代 桜町天皇  (日本-)編集
1735清・愛新覚羅氏・・ 高宗・乾隆帝  (中国-清)編集
1735清の乾隆帝が即位   (-)編集
1735米価低落防止のため最低価額を公定  (日本-享保)編集
1736   (日本-元文)編集
1736乾隆帝即位  (アジア-中国)編集
1736正徳金銀を改鋳  (日本-元文)編集
1736大島・徳之島に天然痘流行  (日本-元文)編集
1736428元文(げんぶん)(1736.4.28-1740)  (日本-元文)編集
1736乾隆帝・即位 -1795(中国-清)編集
1738但馬生野銀山の鉱夫、給米増額の強訴  (日本-元文)編集
1739但馬生野に百姓一揆  (日本-元文)編集
1740オーストリア継承戦争(~1748)   (-)編集
1740吉宗の四男宗尹、一橋家をおこす  (日本-元文)編集
1741227寛保(かんぽ)(1741.2.27-1743)  (日本-寛保)編集
1741   (日本-寛保)編集
1741幕府、強訴・徒党・逃散仕置の規定を定める  (日本-寛保)編集
1742公事方御定書百個条を制定  (日本-寛保)編集
1744   (日本-延享)編集
1744御触書寛保集成を編纂 出畑永代売買の禁令緩和  (日本-延享)編集
1744221延享(えんきょう)(1744.2.21-1747)  (日本-延享)編集
17459代将軍 徳川家重  (日本-)編集
1745京都西陣 高機織仲間成立  (日本-延享)編集
1746長崎貿易制限強化  (日本-延享)編集
174752第116代 桃園天皇  (日本-)編集
1747アメリカのフランクリンが電気の概念を確立   (北米-アメリカ)編集
1748   (日本-寛延)編集
1748アーヘン和約  ( -)編集
1748フランス、モンテスキューの「法の精神」なる  (欧州-)編集
1748モンテスキューの『法の精神』なる   (-)編集
1748712寛延(かんえん)(1748.7.12-1750)  (日本-寛延)編集
1749熊本藩主細川重賢の改革始まる  (日本-寛延)編集
1750フランクリンが避雷針を発明   (北米-アメリカ)編集
1750幕府、強訴・徒党・逃散仕置を再び厳禁  (日本-寛延)編集
1751   (日本-宝暦)編集
17511027宝暦(ほうれき)(1751.10.27-1763)  (日本-宝暦)編集
1751徳川吉宗没  (日本-宝暦)編集
1752琉球使節来日、将軍引見 長州藩藩政改革始まる  (日本-宝暦)編集
1753幕府薩摩藩に木曽川改修工事を命ず(55年完成)  (日本-宝暦)編集
1754久留米藩で大一揆 美濃で群上一揆  (日本-宝暦)編集
1754木曽川治水工事着手 自刃者・病死者続出  (日本-宝暦)編集
1755. 木曽川治水工事完成 総奉行平田靭負自刃  (日本-宝暦)編集
1755藩債88万両余  (日本-宝暦)編集
1756イギリス・フランス植民地七年戦争(~1763)   (欧州-)編集
1756七年戦争(~1763)  (欧州-)編集
1756武田出雲死 「仮名手本忠臣蔵」(1748初演)  (日本-宝暦)編集
1757インドでプラッシーの戦い  (アジア-)編集
1757プラッシーの戦い   (-)編集
1758フランス、ケネーの「経済表」なる(重農主義)  (欧州-)編集
1758宝暦事件  (日本-宝暦)編集
1759山県大弐、「柳子新論」で幕政を批判  (日本-宝暦)編集
176010代将軍 徳川家治  (日本-)編集
1760イギリスの産業革命(~1840)   (欧州-)編集
1760このころ、イギリスで囲い込みがさかん  (欧州-)編集
1760江戸連日大火 会津藩、塩専売を開始  (日本-宝暦)編集
1761旗本・御家人の俸禄米を買い入れて米価調節をはかる  (日本-宝暦)編集
1762フランス、ルソーの「社会契約論」なる  (欧州-)編集
1762ルソーが『民約論』を著す   (-)編集
1762江戸芝藩邸・守殿ともに類焼し、幕府より2万両貸付  (日本-宝暦)編集
1762寺院への田畑寄進を禁止  (日本-宝暦)編集
1762727第117代 後桜町天皇  (日本-)編集
17635年間の格別緊縮を令する  (日本-宝暦)編集
1763パリの条約~英仏講和   (欧州-)編集
1763江戸神田に朝鮮人参座創設  (日本-宝暦)編集
1763七年戦争終結(パリ条約、フベルツスブルグ和約)  (欧州-)編集
1764   (日本-明和)編集
1764アメリカ、砂糖条例  (北米-アメリカ)編集
1764武蔵・下野に百姓一揆  (日本-明和)編集
176462明和(めいわ)(1764.6.2-1771)  (日本-明和)編集
1765イギリス、ワットが蒸気機関を改良  (欧州-)編集
1765イギリスのワットが蒸気機関を改良  (欧州-)編集
1765このころイギリスに産業革命   (-)編集
1765五匁銀新鋳 オランダ船からはじめて金銀銭を輸入  (日本-明和)編集
1767明和事件 田沼意次、側用人になる  (日本-明和)編集
17687年間の厳重倹約を達する  (日本-明和)編集
1768佐渡に一揆おこる  (日本-明和)編集
1769青木昆陽・賀茂真淵死  (日本-明和)編集
1770高札により、徒党・強訴・逃散の密告を奨励  (日本-明和)編集
17701124第118代 後桃園天皇  (日本-)編集
1771ロシア船、阿波などに漂着  (日本-明和)編集
17721116安永(あんえい)(1772.11.16-1780)  (日本-安永)編集
1772   (日本-安永)編集
1772プロシア・ロシア・オーストリア間で第一回ポーランド分割が始まる   (-)編集
1772田沼意次老中となる 江戸大火・大水害  (日本-安永)編集
1773アメリカ、ボストン茶会事件  (北米-アメリカ)編集
1773ボストン茶会事件   (-)編集
1773伊勢尾張水害 大原騒動 (飛騨の百姓一揆}  (日本-安永)編集
1774ドイツ、ゲーテの「若きウェルテルの悩み」なる  (欧州-)編集
1774杉田玄白らの「解体新書」なる  (日本-安永)編集
1775アメリカ独立戦争(~1783)   (北米-アメリカ)編集
1775再度の7年間倹約を令する  (日本-安永)編集
1775参勤供衆の員数を制限  (日本-安永)編集
1776アメリカ、独立宣言  (北米-アメリカ)編集
1776イギリス、アダム=スミスの「国富論」なる(自由放任主義)  (欧州-)編集
1776イギリスのアダム・スミスが『国富論』を著す   (欧州-)編集
1776朝鮮私貿易断絶のため、対馬藩に手当金給付  (日本-安永)編集
1777信濃に百姓一揆 三原山大噴火  (日本-安永)編集
1778ロシア船、国後島来て、松前氏に通商要求  (日本-安永)編集
17791125第119代 光格天皇  (日本-)編集
1779桜島噴火、死者150人余  (日本-安永)編集
1779松前藩、ロシア船の通商要求を拒否  (日本-安永)編集
1780大阪に銀座、江戸・京都・大阪に真鋳座解説  (日本-安永)編集
1780富山商人の売薬行商を禁止する 薬園署を設置  (日本-安永)編集
1781   (日本-天明)編集
178142天明(てんめい)(1781.4.2-1788)  (日本-天明)編集
1781ドイツ、カントの「純粋理性批判」なる  (欧州-)編集
1782「四庫全書」なる   (-)編集
1782印旙沼の開墾を開始  天明の大飢饉(→1787)  (日本-天明)編集
1783パリ条約(イギリスがアメリカの独立を承認)  (欧州/北米-イギリス/アメリカ)編集
1783外城郷士の称をやめ、郷士と称す  (日本-天明)編集
1783浅間山大噴火 田沼意次の子意知、若年寄になる  (日本-天明)編集
1784田沼意知、佐野政言に暗殺される  (日本-天明)編集
1785幕吏山口鉄五郎、蝦夷地調査に出発  (日本-天明)編集
1786水害・風害・田畑被害多く、死傷者を出す  (日本-天明)編集
1786田沼意次罷免  (日本-天明)編集
178711代将軍 徳川家斉  (日本-)編集
1787アメリカ憲法成立   (北米-アメリカ)編集
1787米価騰貴し、江戸・大阪の町民騒乱  (日本-天明)編集
1788老忠松平定信、将軍補佐となる  (日本-天明)編集
1789   (日本-寛政)編集
1789フランス革命   (欧州-)編集
1789棄捐令(旗本・御家人の負債免除) 倹約令5ケ年延長  (日本-寛政)編集
1789125寛政(かんせい)(1789.1.25-1800)  (日本-寛政)編集
1789430第1代大統領 ジョージ・ワシントン( - 1797.03.03)  (北米-アメリカ)編集
1789薩摩邸類焼(京都大火・皇居・二条城)  (日本-寛政)編集
17902年間人別・牛馬・船出銀賦課  (日本-寛政)編集
1790寛政異学の禁  (日本-寛政)編集
1791異国船渡来のさいの処置を指令  (日本-寛政)編集
1792フランス、第1次共和政  (欧州-)編集
1792ロシア使節ラクスマン、根室に来航  (日本-寛政)編集
1792薬園奉行を置く  (日本-寛政)編集
1793フランス、ルイ16世処刑、マリー=アントワネット処刑  (欧州-)編集
1793英国、マッカートニ派遣  (アジア-中国)編集
1793高山彦九郎自殺 林子平獄死  (日本-寛政)編集
1794フランス、ロベス=ピエール処刑  (欧州-)編集
1794倹約令10ケ年延長  (日本-寛政)編集
1795清・愛新覚羅氏・・ 仁宗・嘉慶帝  (中国-清)編集
1796嘉慶帝・即位 -1820(中国-清)編集
1796アヘン輸入の禁止  (アジア-中国)編集
1796ナポレオン戦争(~1815)  (欧州-)編集
1796英人ブロートン日本沿岸測量のため室蘭に来航  (日本-寛政)編集
1796嘉慶帝即位  (アジア-中国)編集
1796仁宗睿皇帝(嘉慶帝、顒琰)  (中国-清(後金))編集
1796清で白蓮教の乱(~1804)  (中国-清)編集
1796白蓮教徒の乱  (アジア-中国)編集
1796白蓮教徒の乱(~1804)   (-)編集
179734第2代大統領 ジョン・アダムズ( - 1801.03.03)  (北米-アメリカ)編集
1797山本正誼、島津国史を編纂 享和2年完成  (日本-寛政)編集
1797宝暦暦を廃し、寛政暦を使用  (日本-寛政)編集
1798本居宜長の「古事記伝」なる  (日本-寛政)編集
1799イタリアのボルタが電池を発明   (欧州-)編集
1799幕府、蝦夷地直営を開始  (日本-寛政)編集
1800伊能忠敬、蝦夷地を測量  (日本-寛政)編集
1800浜之市新田竣工  (日本-寛政)編集
1801   (日本-享和)編集
180125享和(きょうわ)(1801.2.5-1803)  (日本-享和)編集
180134第3代大統領 トマス・ジェファーソン( - 1809.03.03)  (北米-アメリカ)編集
1801白糖製造人を大島に派遣して白糖を試製させる  (日本-享和)編集
1801百姓・町人に対する名字・帯刀の許可禁止  (日本-享和)編集
1802ベトナムの阮朝が成立  (アジア-)編集
1802蝦夷奉行(のちの函館奉行)を創設  (日本-享和)編集
1803アーカンソー州、ルイジアナ購入でアメリカ合衆国の領土に  (北米-アメリカ/アーカンソー州)編集
1803アメリカ船、長崎にきたり通商を求む  (日本-享和)編集
1804   (日本-文化)編集
1804ナポレオン皇帝が即位   (欧州-)編集
1804211文化(ぶんか)(1804.2.11-1817)  (日本-文化)編集
1804フランス、ナポレオン法典の公布  (欧州-)編集
1804ロシア使節、長崎にきたり貿易を求む  (日本-文化)編集
1805斉宜、藩政改革の方針を示す  (日本-文化)編集
1805百姓の武芸稽古禁止  (日本-文化)編集
1806江戸芝の大火  (日本-文化)編集
1806鹿児島市田上川をつけかえて新川とする  (日本-文化)編集
1807函館奉行廃止 西蝦夷地を幕府直轄とする  (日本-文化)編集
18081222ベートーヴェンの交響曲第5番・第6番がウィーンで初演。   (-)編集
1808間宮林蔵、樺太を探検  (日本-文化)編集
1808秩父季保・樺山久言、自刃を命ぜられる  (日本-文化)編集
180934第4代大統領 ジェームズ・マディソン( - 1817.03.03)  (北米-アメリカ)編集
1809沖永良部・与論島旱魃  (日本-文化)編集
1809江戸伊勢町に米会所設立  (日本-文化)編集
1810伊能忠敬の領内測量着手  (日本-文化)編集
1810大坂の富商人14名に御用金賦課  (日本-文化)編集
1811イギリスでラッダイト運動が起こる  (欧州-)編集
1812ドイツ、ヘーゲルの「論理学」  (欧州-)編集
1812ナポレオンのロシア遠征   (欧州-)編集
1812ロシア船、高田屋嘉兵衛を国後沖合で捕らえる  (日本-文化)編集
1813ライプチヒの戦   (-)編集
1813倹約年限を7年間延長  (日本-文化)編集
1813信濃善光寺で打ち壊し  (日本-文化)編集
1814イギリスのスチブンソンが蒸気機関車を発明  (欧州-)編集
1814ナポレオンがエルバ島へ流される、ウイーン会議  (欧州-)編集
1814ナポレオン失脚、ウィーン会議開催   (欧州-)編集
1814滝沢馬琴「南総里美八犬伝」刊行しはじめる  (日本-文化)編集
1815ナポレオンのエルバ島脱出、ワーテルローの戦い、ナポレオンがセントヘレナ島へ流される  (欧州-)編集
1815ワーテルローの戦 ~ナポレオンがセント・ヘレナへ流される  (欧州-)編集
1815神聖同盟が成立   (-)編集
1816英国、アーマスト派遣  (アジア-中国)編集
1816美濃・伊勢など普請高割用金7万7664両を課せられる  徳之島母間村、百姓一揆 琉球飢饉、餓死者1563人  (日本-文化)編集
1816百姓の衣服、次第に贅沢となる  (日本-文化)編集
1817322第120代 仁孝天皇  (日本-)編集
1817イギリス船、浦賀に来航  (日本-文化)編集
181734第5代大統領 ジェームズ・モンロー( - 1825.03.03)  (北米-アメリカ)編集
1818   (日本-文政)編集
1818伊能忠敬死  (日本-文政)編集
1818422文政(ぶんせい)(1818.4.22-1829)  (日本-文政)編集
1819アーカンソー州、アメリカの準州となる  (北米-アメリカ/アーカンソー州)編集
1819イギリスがシンガポールを占領   (欧州-)編集
1819倹約年限を明年以後5年間年限延長 大島稀有の大風  (日本-文政)編集
1819塙保己一「群書類従」完成  (日本-文政)編集
1820清・愛新覚羅氏・・ 宣宗・道光帝  (中国-清)編集
1820宣宗成皇帝(道光帝、旻寧)  (中国-清(後金))編集
1821諸国、風水害 蝦夷地を松前氏に返還  (日本-文政)編集
1821道光帝即位  (アジア-中国)編集
1821道光帝・即位 -1850(中国-清)編集
1822ブラジルの独立宣言  (南米-ブラジル)編集
1822シャンポリオンがヒエログリフの解読を発表  (アジア-フランス)編集
1822鹿児島下町大火  (日本-文政)編集
1822小田原藩主大久保忠真、二宮尊徳を登用  (日本-文政)編集
1823アメリカの大統領モンローがモンロー宣言   (北米-アメリカ)編集
1823オランダ医師、シーボルト、長崎に着任  (日本-文政)編集
1823ベートーベンの「第9交響曲」なる  (欧州-ドイツ)編集
1824イギリス船員、常陸に上陸  関東・奥羽水害  (日本-文政)編集
1824イギリス捕鯨船宝島に上陸し、牧牛略奪事件を起こす  (日本-文政)編集
1825デカブリトスの乱  (欧州-ロシア)編集
1825ロシアでデカブリストの乱   (欧州-)編集
1825阿久根郷士、宇治におもむき製茶法を伝習す  (日本-文政)編集
182534第6代大統領 ジョン・クィンシー・アダムズ( - 1829.03.03)  (北米-アメリカ)編集
1825異国船打払令  (日本-文政)編集
1826重豪・斉彬らシーボルトと会談 喜界島甘藷不作  (日本-文政)編集
1827ドイツのオームが「オームの法則」を発表   (欧州-)編集
1827藩債500万両に及び、側用人調所広郷に財政改革を命じる  (日本-文政)編集
1827頼山陽「日本外史」を定信に呈する  (日本-文政)編集
1828シーボルト事件  (日本-文政)編集
1829桐野太兵衛、大隈・桜島・垂水に続き、頴娃・指宿で製糖を始める  (日本-文政)編集
182934第7代大統領 アンドリュー・ジャクソン( - 1837.03.03)  (北米-アメリカ)編集
1829江戸大火(巳丑の大火)  (日本-文政)編集
1830   (日本-天保)編集
1830121天保(てんぽう)(1830.12.1-1843)  (日本-天保)編集
1830ベルギーが独立   (欧州-)http://www.0o0d.com/img/flags/16/Belgium.png編集
1830フランス、7月革命  (欧州-)編集
1830伊勢お蔭参り流行  (日本-天保)編集
1830重豪・斉彬、調所広郷に朱印の書を付し、10年間に50万両貯蓄・古証文回収などを命ずる  (日本-天保)編集
1831防長一揆  (日本-天保)編集
1832イギリス、第1次選挙法改正  (欧州-)編集
1832イギリス船、次々と那覇に漂着  (日本-天保)編集
1832エジプトがトルコに宣戦(東方問題)  (アフリカ-)編集
1832天保二朱金鋳造  (日本-天保)編集
1833イギリス、工場法制定  (欧州-)編集
1833このころ、清でアヘン貿易が拡大  (中国-清)編集
1833雨害で大島凶作  (日本-天保)編集
1833天保の飢饉(→1839)  (日本-天保)編集
1834ドイツ関税同盟の実施  (欧州-)編集
1834英国東インド会社、中国貿易独占廃止  (アジア-中国)編集
1834水野忠那、老中となる  (日本-天保)編集
1834大島飢饉続き、救銀再び下付  (日本-天保)編集
1835225松方正義 (生)編集
1835アメリカのモールスが電信機を発明   (北米-アメリカ)編集
1835薩摩藩今和泉領主、島津忠剛長女一子(かつこ、後の篤姫)生まれる  (日本-天保)編集
1835美濃百姓一揆 天保銭を鋳造  (日本-天保)編集
1836甲斐・三河・陸奥の農民暴動  (日本-天保)編集
1836幕府へ謝恩として金10万両を納める  (日本-天保)編集
183712代将軍 徳川家慶  (日本-)編集
183734第8代大統領 マーティン・ヴァン・ビューレン( - 1841.03.03)  (北米-アメリカ)編集
1837イギリスのビクトリア女王即位(~1901)  (欧州-)編集
1837モリソン号事件  (日本-天保)編集
1837生田万の乱  (日本-天保)編集
1837大塩平八郎の乱  (日本-天保)編集
1838216大隈重信 (生)編集
1838422山縣有朋 (生)編集
1838イギリス、チャーチスト運動がおこる  (欧州-)編集
1838長州藩の村田清風、藩政改革に着手  (日本-天保)編集
1839イギリスにチャーチスト運動が起こる   (欧州-)編集
1839蛮社の獄…渡辺崋山・高野長英逮捕  (日本-天保)編集
183963林則徐の「虎門銷煙」(~25日)  (アジア-中国)編集
18401016黒田清隆 (生)編集
1840アヘン戦争(~1842)  (アジア-)編集
1840アンデルセンの「絵のない絵本」なる  (欧州-デンマーク)編集
1840621アヘン戦争始まる  (アジア-中国)編集
1840オランダ船入港し、アヘン戦争を報ず  (日本-天保)編集
1840財政改革ほぼ成功し、営繕用途500万両・藩庫金50万両貯蓄  (日本-天保)編集
1840清・イギリス間にアヘン戦争(~1842)   (中国-清)編集
184192伊藤博文 (生)編集
1841ドイツのマイヤーが「エネルギー保存の法則」を発見   (欧州-)編集
1841水野忠邦、改革に着手 株仲間の禁止  (日本-天保)編集
1841125穿鼻仮条約締結  (アジア-中国)編集
184134第9代大統領 ウィリアム・ヘンリー・ハリソン( - 1841.04.04)  (北米-アメリカ)編集
184146第10代大統領 ジョン・タイラー( - 1845.03.03)  (北米-アメリカ)編集
1841島津久風に洋式砲術を谷山塩屋で試験させる  (日本-天保)編集
1842異国船薪水令を下す 棄捐令  (日本-天保)編集
1842曾木川疎水工事着手・翌年完成  (日本-天保)編集
1842829南京条約締結、アヘン戦争の終結  (アジア-中国)編集
1842南京条約 →香港島をイギリスに割譲   (アジア-中国)編集
1843イギリス艦八重山に来たり測量、宮古島にも来航  (日本-天保)編集
1843上地令 平田篤胤死  (日本-天保)編集
1843108虎門条約締結  (アジア-中国)編集
1843水野忠那老中失脚 阿部正弘、老中首座となる  (日本-天保)編集
1844122弘化(こうか)(1844.12.2-1847)  (日本-弘化)編集
1844   (日本-弘化)編集
1844オランダ、国書を持つて開国を勧告  (日本-弘化)編集
1844フランス艦那覇に来たり、通信・貿易・布教を求める  (日本-弘化)編集
1844電信機が実用化される  (北米-アメリカ)編集
1845開国を拒絶  (日本-弘化)編集
184534第11代大統領 ジェームズ・ノックス・ポーク( - 1849.03.03)  (北米-アメリカ)編集
1845新上橋架設  (日本-弘化)編集
1846アメリカ、通商を要求、拒絶  (日本-弘化)編集
1846西田橋架設  (日本-弘化)編集
1846213第121代 孝明天皇  (日本-)編集
1846米墨(メキシコ)戦争はじまる(~1848)  (北米/南米-アメリカ/メキシコ)編集
18471128桂太郎 (生)編集
1847高麗橋架設  (日本-弘化)編集
1847相模・安房・上総の沿岸防備を強化  (日本-弘化)編集
1848228嘉永(かえい)(1848.2.28-1853)  (日本-嘉永)編集
1848   (日本-嘉永)編集
1848アメリカでゴールド=ラッシュ  (北米-アメリカ)編集
1848ドイツで三月革命  (欧州-ドイツ)編集
1848フランスで二月革命  (欧州-フランス)編集
1848マルクスとエンゲルスが「共産党宣言」を発表  (欧州-)編集
1848武之橋架設.  (日本-嘉永)編集
18491023西園寺公望 (生)編集
1849アメリカ艦長崎 イギリス艦浦賀に来る  (日本-嘉永)編集
184935第12代大統領 ザカリー・テーラー( - 1850.07.09)  (北米-アメリカ)編集
1849イギリスのリビングストンがアフリカを探検   (欧州-)編集
1849玉江橋架設  (日本-嘉永)編集
1850214清浦奎吾 (生)編集
1850洪秀全、広西省に挙兵   (-)編集
1850114洪秀全、拝上帝会を率いて金田村にて蜂起、太平天国へ  (アジア-中国)編集
1850225道光帝崩御  (アジア-中国)編集
185039咸豊帝即位  (アジア-中国)編集
185079第13代大統領 ミラード・フィルモア( - 1853.03.03)  (北米-アメリカ)編集
1850清・愛新覚羅氏・・ 文宗・咸豊帝  (中国-清)編集
1850天保山砲台完成  (日本-嘉永)編集
1850文宗顕皇帝(咸豊帝、奕詝)  (中国-清(後金))編集
1851十組問屋再興・株仲間の再興許可  (日本-嘉永)編集
1851常平倉を設置 島津斉彬薩摩藩主となる、製錬所を設ける  (日本-嘉永)編集
1851咸豊帝・即位 -1861(中国-清)編集
1851太平天国の乱(~1864)  (アジア-)編集
1851天王(洪秀全  (中国-太平天国)編集
18521015山本權兵衞 (生)編集
185225寺内正毅 (生)編集
1852アメリカ、ストウ夫人の「アンクル=トムの小屋」出版  (北米-アメリカ)編集
1852122ナポレオン3世がフランス皇帝に即位。   (欧州-)編集
1852フランス第2帝政(ルイ=ナポレオン)  (欧州-)編集
185313代将軍 徳川家定  (日本-嘉永)編集
1853イギリス・フランス・トルコがロシアと戦う(クリミア戦争 ~1856)   (欧州-)編集
1853日本へアメリカの使節ペリーが浦賀来航  (日本-嘉永)編集
1853クリミア戦争勃発(~1856)  (欧州-)編集
185318曽国藩、故郷湖南で募兵、湘軍の始まり  (アジア-中国)編集
1853319大平軍、南京占領。  (アジア-中国)編集
18533この年より捻軍の乱起こる(~1868年)  (アジア-中国)編集
185334第14代大統領 フランクリン・ピアース( - 1857.03.03)  (北米-アメリカ)編集
1853島津斉彬の養女篤姫、江戸薩摩藩邸に入る  (日本-嘉永)編集
1854727高橋是清 (生)編集
18541127安政(あんせい)(1854.11.27-1859)  (日本-安政)編集
18543雲南にて回教徒の乱(~1873年)  (アジア-中国)編集
1854   (日本-安政)編集
1854ペリー再来 日米・日英・日露和親条約  (日本-安政)編集
1854熔鉱炉竣工  (日本-安政)編集
1855420犬養毅 (生)編集
1855日仏・日蘭和親条約 安政の大地震…江戸大地震  (日本-安政)編集
1855430貴州にて苗族の乱(~1872年)  (アジア-中国)編集
185629原敬 (生)編集
1856108アロー号事件  (アジア-中国)編集
1856江戸築地に講武所を開設 篤姫家定の御台所となる  (日本-安政)編集
1856清、アロー戦争(~1860)  (中国-清)編集
1856229西林事件  (アジア-中国)編集
185692太平天国内訌始まる(~11月)  (アジア-中国)編集
185710新彊にて回教徒の乱(~1878年)  (アジア-中国)編集
1857インドでセポイの反乱(~1859)  (アジア-)編集
1857鹿児島市磯邸内にガス灯つく  (日本-安政)編集
1857初代アメリカ領事ハリスと下田条約締結  (日本-安政)編集
18571229英仏聯軍が広州を攻撃、第二次アヘン戦争  (アジア-中国)編集
185734第15代大統領 ジェームズ・ブキャナン( - 1861.03.03)  (北米-アメリカ)編集
18581027齋藤實 (生)編集
18581858 開国  (-)編集
185814代将軍 徳川家茂  (日本-安政)編集
1858インドのムガール帝国滅亡  (アジア-)編集
1858安政の大獄  (日本-安政)編集
1858井伊直弼、大老に就任  (日本-安政)編集
1858徳川家定死去  (日本-安政)編集
18581027セオドア・ルーズベルト、第26代アメリカ合衆国大統領(+ 1919年)   (-)編集
1858528アイグン条約  (アジア-中国)編集
18586列強と天津条約  (アジア-中国)編集
1858篤姫、天璋院と号す  (日本-安政)編集
1858幕府練習艦日本丸鹿児島に至る 島津斉彬急逝  (日本-安政)編集
1859イギリスのダーウィンが『種の起源』を著す   (欧州-)編集
1859吉田松陰ら死刑  (日本-安政)編集
1859西郷隆盛大島に流される  (日本-安政)編集
186013加藤高明 (生)編集
18601013英仏聯軍、北京占領。  (アジア-中国)編集
186010英仏と北京条約  (アジア-中国)編集
1860   (日本-万産)編集
1860英・仏連合軍が北京を占領  (-)編集
1860桜田門外の変・・・大老井伊直弼尊攘派に暗殺さる  (日本-万延)編集
1860桜田門外の変に有村冶左衛門参加  (日本-万延)編集
1860北京条約(英・仏・露)  (-)編集
1860洋務運動おこる(同治中興)   (-)編集
186011ロシアと北京条約  (アジア-中国)編集
1860318万延(まんえん)(1860.3.18)  (日本-万延)編集
1861222加藤友三郎 (生)編集
1861112祺祥政変、慈僖太后(西太后)が実権を握る。祺祥を同治に改める  (アジア-中国)編集
186112曽国藩、安慶に軍械所を設置、洋務運動  (アジア-中国)編集
1861219文久(ぶんきゅう)(1861.2.19-1863)  (日本-文久)編集
1861イタリア王国が建国される   (欧州-)編集
1861アメリカ南北戦争勃発(~1865)  (北米-アメリカ)編集
1861清・愛新覚羅氏・・ 穆宗・同治帝  (中国-清)編集
1861穆宗毅皇帝(同治帝、載淳)  (中国-清(後金))編集
1861毛利敬親公武合体を献議  (日本-文久)編集
186134第16代大統領 アブラハム・リンカーン( - 1865.04.15)  (北米-アメリカ)編集
1861822咸豊帝崩御  (アジア-中国)編集
1862このころ清で同治中興(洋務運動)  (中国-清)編集
1862ビスマルクがプロシアの宰相となる  (欧州-プロシア)編集
1862坂下門外の変・・・老中安藤信正尊攘派に暗殺さる  (日本-文久)編集
186222李鴻章、淮軍創設  (アジア-中国)編集
1862同治帝・即位 -1874(中国-清)編集
1862生麦事件  (日本-文久)編集
1862和宮、徳川家茂と婚儀  (日本-文久)編集
1863622田中義一 (生)編集
1863アメリカ大統領リンカーンが黒人奴隷解放宣言   (北米-アメリカ)編集
1863英国艦艇7隻鹿児島湾に来航  (日本-文久)編集
1863薩英戦争  (日本-文久)編集
186422元治(げんじ)(1864.2.2)  (日本-元治)編集
1864ロンドンで国際労働者協会(第一回インターナショナル)が結成される   (欧州-)編集
1864国際赤十字社の創設  (欧州-)編集
1864太平天国が崩壊  (アジア-)編集
1864第1インターナショナル結成(~1876)  (欧州-)編集
1864朝鮮で大院君が政権を掌握  (アジア-)編集
1864蛤御門の変 第一回長州征伐  (日本-元冶)編集
1864幼王(洪天貴福  (中国-太平天国)編集
186461洪秀全、死去  (アジア-中国)編集
1864719天京陥落、太平天国滅亡  (アジア-中国)編集
1865415第17代大統領 アンドリュー・ジョンソン( - 1869.03.03)  (北米-アメリカ)編集
186547慶応(けいおう)(1865.4.7-1867)  (日本-慶応)編集
1865オーストリアのメンデルが「遺伝の法則」を発見   (欧州-)編集
1865第二回長州征伐  (日本-慶応)編集
186625若槻禮次郎 (生)編集
186615代将軍 徳川慶喜  (日本-)編集
1866アメリカ、大西洋横断海底電線が完成  (北米-アメリカ)編集
1866薩長連合を約する 徳川家茂死去 慶喜が十五代将軍  (日本-慶応)編集
1866普墺戦争  (欧州-)編集
18671224鈴木貫太郎 (生)編集
1867928平沼騏一郎 (生)編集
186719第122代 明治天皇  (アジア-日本/明治)編集
1867アメリカがアラスカをロシアから買収  (北米-アメリカ)編集
1867スウェーデンのノーベルがダイナマイトを発明   (欧州-)編集
1867大政奉還 王政復古  (日本-慶応)編集
1868120岡田啓介 (生)編集
1868   (日本-近代)編集
1868明治?(1868 - 1912)  (-)編集
1868薩藩官軍の先鋒となり江戸へ 西郷・勝会談で江戸城接収  (アジア-日本/明治)編集
1868鳥羽伏見の戦 五箇条の御誓文 戊辰戦争  (アジア-日本/明治)編集
1868明治維新  (アジア-日本/明治)http://www.0o0d.com/img/flags/16/Japan.png編集
18681江戸時代明治時代(1868 - 1912)  (アジア-日本/明治)編集

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