江戸時代中期
江戸時代(1603 - 1868)(日本-日本-) | |||||
1680 | 5代将軍 徳川綱吉(--) | ||||
1680 | 綱吉、将軍となる 大老酒井忠清、罷免される(--) | ||||
1680 | ベルサイユ宮殿が完成(西欧-フランス-) | ||||
1680 | 1680庚申換局(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-) | ||||
1680 | 西人政権(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-) | ||||
1680 | 庚申換局.南人派が失脚し西人政権樹立.一党専制化始まる(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-) | ||||
1680 | 庚申換局(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-) | ||||
1680 | 酉人政権が成立(庚申換局)(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-) | ||||
1680 | 酉人政権が成立(庚申換局)(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-) | ||||
1680 | 5代将軍徳川綱吉(日本-日本-江戸時代) | ||||
1680 | 綱吉、将軍となる大老酒井忠清、罷免される(日本-日本-江戸時代) | ||||
1680 | 鹿児島大火(日本-日本-江戸時代) | ||||
1680 | 5代目将軍徳川綱吉(つなよし)1680-1709(日本-日本-江戸時代) | ||||
1680 | 徳川綱吉が5代目将軍になる(犬公方)(日本-日本-江戸時代) | ||||
1680 | 江戸時代中期(日本-日本-) | ||||
1680 | 8 | 19 | 後水尾天皇崩御。(政仁親王,三宮)(天皇(108代))<数え85歳>(日本-日本-江戸時代) | ||
1681 | 9/29天和(てんな)(1681.9.29-1683)(--) | ||||
1681 | 評定所規則を制定 塚田正俊大老となる(--) | ||||
1681 | ウィリアム・ペンのペンシルベニア植民地建設(北米-アメリカ-) | ||||
1681 | 評定所規則を制定塚田正俊大老となる(日本-日本-江戸時代) | ||||
1681 | 9 | 29 | 天和(てんな)(1681.9.29-1683)(日本-日本-江戸時代) | ||
1681 | 9 | 29 | 辛酉革命の為延宝から天和(てんな)に改元(日本-日本-江戸時代) | ||
1682 | 勘定吟味役設置 江戸大火(八百屋お七の火事)(--) | ||||
1682 | フィラデルフィア建設(北米-アメリカ-) | ||||
1682 | フランス人ラ・サール、ミシシッピ川を下り、流域をルイジアナと命名(北米-アメリカ、フランス-) | ||||
1682 | ロシア、ピョートル1世即位(~1725)、摂政政治始まる(欧州-ヨーロッパ-) | ||||
1682 | 勘定吟味役設置江戸大火(八百屋お七の火事)(日本-日本-江戸時代) | ||||
1682 | 銅商大坂屋久左衛門(2代)が隠居し久左衛門清浚(3代)が家督相続(日本-日本-江戸時代) | ||||
1682 | 井原西鶴(いはらさいかく)の浮世草子「好色一代男」ができる(日本-日本-江戸時代) | ||||
1682 | 7 | 16 | 江戸幕府が看板などに「天下一」の文字を使用することを禁止(日本-日本-江戸時代) | ||
1682 | 12 | 28 | 「八百屋お七」が自宅に放火(日本-日本-江戸時代) | ||
1683 | 清朝の支配 1683年、清の康煕帝は、台湾の鄭氏一族の内紛に乗じて遠征軍を送り、制圧した。ここにはじめて台湾は中国の領土として本土政権の統治を受けることとなった。<戴國煇『台湾-人間・歴史・心性-』1988岩波新書/伊藤潔『台湾四百年の歴史と展望』1993中公新書>(東アジア-台湾-) | ||||
1683 | 1683鄭氏政権崩壊。(東アジア-台湾-) | ||||
1683 | 1683西人が老論と少論に分裂(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-) | ||||
1683 | 西人が老論と少論に分裂(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-) | ||||
1683 | 武家諸法度に末期養子条項追加(日本-日本-江戸時代) | ||||
1683 | 八百屋お七が恋の為に放火をする(好色五人女など)(日本-日本-江戸時代) | ||||
1683 | 2 | 9 | 朝仁親王(東山天皇)が立太子(日本-日本-江戸時代) | ||
1683 | 9 | 22 | 姦通の罪で京都烏丸の大経師の妻おさんと手代茂兵衛が処刑。後に井原西鶴『好色五人女』巻三などの題材となる(日本-日本-江戸時代) | ||
1684 | 2/21貞享(じょうきょう)(1684.2.21-1687)(--) | ||||
1684 | 11/27(貞享元年10月21日)- 徳川吉宗、江戸幕府第八代征夷大将軍(--) | ||||
1684 | 清国時代(1684-1895)(東アジア-台湾-) | ||||
1684 | かつてはポルトガルつづいてオランダの植民地であった台湾が、清国の版図として正式に組み込まれたのは1684年のことであり、福建省や広東省から移ってきた漢族が原住民を追い払ってここに定住を開始したのはその後のことである。(東アジア-台湾-) | ||||
1684 | しかし、清国に組み入れられた1684年以来、台湾が人口に比して耕作可能な土地の豊富に存在する未開の地であることが大陸住民に次第に広く知られるようになった。この時点において、台湾の総人口は十数万人程度であり、一方、水稲耕作と砂糖黍栽培のために開墾すべく残された肥沃な土地が豊富にあった。華南沿海部、古来土地が希少で人口圧力の強かった福建省や広東省の貧農にとって台湾はきわめて魅力的なものだとみなされ、彼らのここへの大量移住を誘った。(東アジア-台湾-) | ||||
1684 | 漢族の台湾移住は清国政府によって促進されたものではない。その逆である。移住した漢族が定住して台湾を再び謀反の拠点とすることを清国政府は恐れ、移住者に対して出身地域の公官の同意を義務づけ、妻子の同行を禁じた。しかし、狭小な可耕地に過大な人口の圧力を加えられて零細化と絶糧化に悩まされた福建省南部や広東省東部の農民の、人口希薄で肥沃な亜熱帯台湾への移住衝動はやみがたく強く、渡航制限・禁止にもかかわらず移住者は増加の一途をたどった。(東アジア-台湾-) | ||||
1684 | 1684台湾は清国領となり、福建省台湾府となる。(東アジア-台湾-) | ||||
1684 | 貞享(日本-日本-江戸時代) | ||||
1684 | 「貞享暦」を採用(日本-日本-江戸時代) | ||||
1684 | 2 | 21 | 天和から貞享(じょうきょう)に改元(日本-日本-江戸時代) | ||
1684 | 2.21 | 貞享(じょうきょう)(1684.2.21-1687)(日本-日本-江戸時代) | |||
1684 | 8 | 13 | 高岡八右衛門(阿仁銅山発見者)没(日本-日本-江戸時代) | ||
1684 | 11 | 27 | (貞享元年10月21日)-徳川吉宗、江戸幕府第八代征夷大将軍(--) | ||
1685 | イギリス、ジェームズ2世即位(~1688)(西欧-イギリス-) | ||||
1685 | ルイ14世、ナントの王令を廃止(欧州-ヨーロッパ-) | ||||
1685 | 生類憐みの令発布(日本-日本-江戸時代) | ||||
1685 | 生類憐れみの令(しょうるいあわれみのれい)-極端な動物愛護法-,1687(日本-日本-江戸時代) | ||||
1685 | 桟原の南に学校を建て、「小学校」と称し、子弟を教育。(対馬)(日本-日本-) | ||||
1685 | 2 | 22 | 第111代後西天皇崩御49歳(日本-日本-江戸時代) | ||
1685 | 7 | 14 | 江戸幕府が将軍通行の時の犬猫の繋留を禁止。初の「生類憐みの令」(日本-日本-江戸時代) | ||
1687 | ニュートンが「万有引力の法則」を発見(--) | ||||
1687 | 3/21第113代 東山天皇(--) | ||||
1687 | イギリスでニュートンの「プリンキピア」刊行(西欧-イギリス-) | ||||
1687 | イギリスのニュートンが「万有引力の法則」を発見(西欧-イギリス-) | ||||
1687 | ニュートン、『プリンキピア』を刊行し、運動の法則を記述(欧州-ヨーロッパ-) | ||||
1687 | 宮崎友禅・小袖模様を友禅染と称す(日本-日本-江戸時代) | ||||
1687 | 内藤平藩は不安定な経済状況が続き大坂屋仁兵衛から1300両を借りている。(日本-日本-江戸時代) | ||||
1687 | .03.21 | 第113代東山天皇(日本-日本-江戸時代) | |||
1687 | 1 | 28 | 将軍徳川綱吉の命により、犬だけだった「生類憐愍令[しょうるいあわれみのれい]」を牛馬・猫・魚介類にまで拡大(日本-日本-江戸時代) | ||
1687 | 3 | 21 | 第112代霊元天皇が退位し朝仁親王が第113代東山天皇として即位(日本-日本-江戸時代) | ||
1688 | 9/3元禄(げんろく)(1688.9.3-1703)(--) | ||||
1688 | 元禄時代(→1703) 柳沢吉保、側用人となる(--) | ||||
1688 | イギリスで名誉革命(西欧-イギリス-) | ||||
1688 | イギリスで名誉革命(西欧-イギリス-) | ||||
1688 | イギリスで名誉革命。ジェームズ2世亡命(西欧-イギリス-) | ||||
1688 | ルイ14世のプファルツ侵略〔プファルツ戦争〕(欧州-ヨーロッパ-) | ||||
1688 | 京畿道楊州で弥勒信仰者が漢城に侵攻しようとするが失敗(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-) | ||||
1688 | 元禄(日本-日本-江戸時代) | ||||
1688 | 京都に琉球唐物問屋を置く(日本-日本-江戸時代) | ||||
1688 | 元禄時代(→1703)柳沢吉保、側用人となる(日本-日本-江戸時代) | ||||
1688 | 8 | 11 | 松尾芭蕉が『更科紀行』の旅に出発(日本-日本-江戸時代) | ||
1688 | 9 | 3 | 元禄(げんろく)(1688.9.3-1703)(日本-日本-江戸時代) | ||
1688 | 9 | 30 | 貞享から元禄(げんろく)に改元(日本-日本-江戸時代) | ||
1688 | 11 | 12 | 江戸幕府5代将軍徳川綱吉が、納戸役・柳沢吉保を側用人に抜擢(日本-日本-江戸時代) | ||
1689 | ウィリアム王戦争(英・仏の植民地戦争)(--) | ||||
1689 | ネルチンスク条約(清とロシアが国境を画定)(--) | ||||
1689 | ネルチンスク条約~清とロシアが国境を画定 (--) | ||||
1689 | ロシアとネルチンスク条約締結(--) | ||||
1689 | イギリス・フランス植民地戦争始まる(~1697)。ボストン市民蜂起(北米-アメリカ、イギリス・フランス-) | ||||
1689 | イギリスで権利章典(西欧-イギリス-) | ||||
1689 | イギリスで権利章典が成立(西欧-イギリス-) | ||||
1689 | イギリス、権利章典の制定(西欧-イギリス-) | ||||
1689 | イギリス・フランス間の植民地戦争(ウィリアム王戦争)(西欧-イギリス、フランス-) | ||||
1689 | ピョートル大帝の単独統治始まる(欧州-ヨーロッパ-) | ||||
1689 | ネルチンスク条約~清とロシアが国境を画定(東アジア-清-) | ||||
1689 | 1689己巳換局(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-) | ||||
1689 | 己巳換局(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-) | ||||
1689 | 己已換局、西人政権が再び南人政権へ(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-) | ||||
1689 | 己已換局、西人政権が再び南人政権へ(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-) | ||||
1689 | 松尾芭蕉、「奥の細道」の旅にでる(日本-日本-江戸時代) | ||||
1689 | 雨森芳洲、対馬の儒学者として仕え朝鮮外交に活躍。(対馬)(日本-日本-) | ||||
1689 | 28 | 秋田阿仁三枚銅山の大坂屋手代彦兵衛歿、(日本-日本-江戸時代) | |||
1690 | イギリス、ジョン=ロックの「人間悟性論」「政治二論」出版(--) | ||||
1690 | イギリス、ジョン=ロック(1632-1704)の「人間悟性論」「政治二論」出版(西欧-イギリス-) | ||||
1690 | オランダの物理学者ホイヘンス(1629-1695)、ホイヘンスの原理を提唱(西欧-オランダ-) | ||||
1690 | 泉屋(住友)が本店・居宅ともに大坂長堀に移転(日本-日本-江戸時代) | ||||
1690 | ドイツ人ケンペル、オランダ商館医として来日(日本-日本、ドイツ-江戸時代) | ||||
1690 | 10 | 14 | 水戸藩の徳川光圀が病気を理由に政界から引退(日本-日本-江戸時代) | ||
1691 | 鹿児島大雨・洪水 沖永良部代官を置き、沖永良部・与論島を管轄させる(--) | ||||
1691 | 鹿児島大雨・洪水沖永良部代官を置き、沖永良部・与論島を管轄させる(日本-日本-江戸時代) | ||||
1691 | 住友友芳、別子銅山開発(日本-日本-江戸時代) | ||||
1691 | 別子銅山開坑(日本-日本-江戸時代) | ||||
1691 | 2 | 30 | 公慶上人による東大寺大仏の修理が完成(日本-日本-江戸時代) | ||
1691 | 5 | 9 | 江戸幕府が豪商・住友家に別子銅山の採掘を許可(日本-日本-江戸時代) | ||
1692 | 義倫封を継ぐ。(対馬)(日本-日本-) | ||||
1692 | 5 | 10 | 江戸幕府が江戸市中の富くじを禁止(日本-日本-江戸時代) | ||
1692 | 9 | 22 | 長崎出島に2年間滞在したドイツ人医師ケンペルが帰国。著書『日本誌』の中で初めて「鎖国」と表現(日本-日本-江戸時代) | ||
1693 | 井原西鶴死 「好色一代男」(1682刊)(--) | ||||
1693 | 鹿児島大雨・洪水、粥を施行する 喜界島代官を置く(--) | ||||
1693 | 井原西鶴死「好色一代男」(1682刊)(日本-日本-江戸時代) | ||||
1693 | 鹿児島大雨・洪水、粥を施行する喜界島代官を置く(日本-日本-江戸時代) | ||||
1693 | 8 | 10 | 井原西鶴歿(俳諧師,浮世草子作家『好色一代男』)<数え52歳>(日本-日本-江戸時代) | ||
1694 | 松尾芭蕉死 「奥の細道」(1693刊)(--) | ||||
1694 | 1694粛宗の治世に甲戌の獄起こる(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-) | ||||
1694 | 甲戌換局、西人が再び政権を掌握(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-) | ||||
1694 | 粛宗の治世に甲戌の獄起こる(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-) | ||||
1694 | 申戌換局.南人派が小論派除去に失敗して打撃を受ける(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-) | ||||
1694 | 甲戌換局、西人が再び政権を掌握(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-) | ||||
1694 | 松尾芭蕉死「奥の細道」(1693刊)(日本-日本-江戸時代) | ||||
1694 | 義倫が病死し、義方封を継ぐ。義方、幼少により、義真が再び国政を執る。(対馬)(日本-日本-) | ||||
1694 | 2 | 11 | 高田馬場の決闘。中山安兵衛(後の堀部安兵衛)が舅の菅野六左衛門の仇討ちを助っ人(日本-日本-江戸時代) | ||
1694 | 10 | 12 | 松尾芭蕉歿大坂御堂筋の旅宿花屋仁右衛門方で客死。「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」(日本-日本-江戸時代) | ||
1695 | 金銀貨の改鋳(日本-日本-江戸時代) | ||||
1696 | 安龍福,鬱陵島から日本人追放.独島(竹島)を朝鮮領土として主張(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-) | ||||
1696 | 安龍福、欝陵島から日本人を | ||||
1696 | 鹿児島大火、城内に延焼して本丸以下焼失(日本-日本-江戸時代) | ||||
1696 | 萩原重秀、勘定奉行となる(日本-日本-江戸時代) | ||||
1696 | 11 | 10 | 第109代明正天皇崩御74歳(日本-日本-江戸時代) | ||
1697 | 鹿児島大火、上町3分の2焼失 寛永寺本堂造営手伝い幕命(--) | ||||
1697 | プファルツ戦争の講和〔ライスワイク条約〕(欧州-ヨーロッパ-) | ||||
1697 | 義賊,張吉山の乱.反政府活動を続けるが最後まで逮捕されず(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-) | ||||
1697 | 鹿児島大火、上町3分の2焼失寛永寺本堂造営手伝い幕命(日本-日本-江戸時代) | ||||
1697 | 大阪堂島に米市場開設(日本-日本-江戸時代) | ||||
1698 | 柳沢吉保、城中上座(大老格)となる 江戸大火(--) | ||||
1698 | 柳沢吉保、城中上座(大老格)となる江戸大火(日本-日本-江戸時代) | ||||
1698 | 6 | 3 | 佐々介三郎歿(日本-日本-江戸時代) | ||
1699 | 植民地の輸出用毛織物生産禁止(毛織物条例)(北米-アメリカ-) | ||||
1699 | 鹿児島大火、上町3分の2焼失(日本-日本-江戸時代) | ||||
1699 | 11 | 11 | 牧野成央生誕(日本-日本-江戸時代) | ||
1700 | 北方戦争(~1721)(--) | ||||
1700 | 北方戦争(--) | ||||
1700 | スウェーデンとロシアなどとの間に大北方戦争始まる(~1721)(欧州-ヨーロッパ-) | ||||
1700 | 17世紀末 党派政争が次第に激しくなり、さまざまな、政策が打ち出され、王権の強化拡大策が試みられる。この頃、中国の清との間で領土問題が発生したり、日本との間では、鬱陵島やその周辺の島々の帰属問題が発生した。当時の江戸幕府は、鬱陵島を朝鮮の領土として承認する協定を締結した。現在、日韓で懸案の、竹島(独島)の帰属問題は、このときの協定内容に起因する争いである。(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-) | ||||
1700 | 17世紀この頃の朝鮮半島は中国の清による冊封体制の中にありました。(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-) | ||||
1700 | 17世紀前半清から攻撃を受け、朝鮮は清の属国となりました。朝鮮の朝貢物は女性(生口)(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-) | ||||
1700 | 17世紀末党派政争が次第に激しくなり、さまざまな、政策が打ち出され、王権の強化拡大策が試みられる。この頃、中国の清との間で領土問題が発生したり、日本との間では、鬱陵島やその周辺の島々の帰属問題が発生した。当時の江戸幕府は、鬱陵島を朝鮮の領土として承認する協定を締結した。現在、日韓で懸案の、竹島(独島)の帰属問題は、このときの協定内容に起因する争いである。(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-) | ||||
1700 | 17世紀末党派政争が次第に激しくなり、さまざまな、政策が打ち出され、王権の強化拡大策が試みられる。この頃、中国の清との間で領土問題が発生したり、日本との間では、鬱陵島やその周辺の島々の帰属問題が発生した。当時の江戸幕府は、鬱陵島を朝鮮の領土として承認する協定を締結した。現在、日韓で懸案の、竹島(独島)の帰属問題は、このときの協定内容に起因する争いである。(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-) | ||||
1700 | 金銀銭の比価を定める(金1両=銀60匁=銭4貫文)(日本-日本-江戸時代) | ||||
1700 | 郷村帳・分限帳を幕府に提出し、10万石以上の格を公称する。対馬藩の貿易銀制限額が3万両に増額される。陶山訥庵の建議による全島の猪狩りが実施される。(対馬)(日本-日本-) | ||||
1701 | . 神殿金山を開掘する 谷山錫山薩摩藩直轄となる(--) | ||||
1701 | スペイン継承戦争(~1713)(--) | ||||
1701 | 17-18世紀北米植民地戦争 - 北米でのヨーロッパ諸国による覇権争い(北米-アメリカ-) | ||||
1701 | ウィリアム・ペン、自由憲章を制定、ペンシルベニアに一院制議会確立(北米-アメリカ-) | ||||
1701 | イギリス、王位継承法制定(旧教徒の王位継承権を排除)(西欧-イギリス-) | ||||
1701 | ドイツ、プロイセン王国成立(西欧-ドイツ-) | ||||
1701 | フランス・スペイン対イギリス・オーストリア・オランダの王位継承をめぐる戦争〔スペイン継承戦争〕(~1714)(欧州-フランス、スペイン、イギリス、オーストリア、オランダ-) | ||||
1701 | 19世紀まで 18世紀頃までの台湾は、中国本土の支配を受けた他、オランダやスペインの植民地であったりもしました。以前より、中国大陸から漢人が入植していましたが、清の時代になると、政府の政策もあり中国本土からの移住が一段と進みました。もともと台湾に居住していた先住民族(台湾では原住民と呼びます)は10民族あまりですが、いずれも少数民族であるため、人口の大半は漢人が占めるようになりました。 台湾に渡った漢人の出身地は福建省が多く、福建地方の言葉が、現在は台湾語と呼ばれ、広く使われています。また、北方からの漂流民である客家人も台湾に移住してきましたが、客家語を話します。 清の時代には、台湾にもその支配が及びましたが、大陸政権は中華思想の政権であり、中央との距離は遠いほど文明度が低くなるという思想により、台湾は小さな僻地の島に過ぎず、十分な統治を行いませんでした。そのため、近世以前の台湾は、混沌とした状態が長く続きました。(東アジア-台湾-) | ||||
1701 | .神殿金山を開掘する谷山錫山薩摩藩直轄となる(日本-日本-江戸時代) | ||||
1701 | 元禄赤穂事件(げんろくあこうじけん)-忠臣蔵(日本-日本-江戸時代) | ||||
1701 | 3 | 14 | 江戸城松の廊下で赤穂藩主・浅野長矩が高家・吉良義央に刃傷。長矩は即日切腹。赤穂事件(忠臣蔵)の発端(日本-日本-江戸時代) | ||
1701 | 4 | 19 | 赤穂城明け渡し(日本-日本-江戸時代) | ||
1701 | 12 | 6 | 徳川光圀歿(日本-日本-江戸時代) | ||
1701 | 12 | 17 | 慶仁親王(中御門天皇)生誕。(日本-日本-江戸時代) | ||
1702 | 北アメリカ植民地でイギリス・フランス/スペイン間にアン女王戦争(~1713)(イギリス勝利)(北米-アメリカ、イギリス、フランス、スペイン-) | ||||
1702 | 赤穂浪士の仇討ち(日本-日本-江戸時代) | ||||
1702 | 松尾芭蕉の俳諧・紀行文「奥の細道」ができる(日本-日本-江戸時代) | ||||
1703 | ロシアのピョートル1世、ペテルブルグ建設(欧州-ヨーロッパ-) | ||||
1703 | 近松門左衛門の人形浄瑠璃「曽根崎心中」ができる(日本-日本-江戸時代) | ||||
1703 | 朝鮮国訳使官使船、鰐浦沖で遭難し乗員112名全員死亡。(対馬)(日本-日本-) | ||||
1703 | 2 | 4 | 江戸幕府が赤穂浪士46名に切腹を命じる(日本-日本-江戸時代) | ||
1703 | 3 | 7 | 一宮巡りを始めて行った神道家橘三喜没(69)(日本-日本-江戸時代) | ||
1703 | 5 | 7 | 大坂・竹本座で近松門左衞門作の人形浄瑠璃『曽根崎心中』が初演(日本-日本-江戸時代) | ||
1703 | 11 | 23 | 元禄大地震。房総半島沖震源(M8.5)。東海道が全滅。(日本-日本-江戸時代) | ||
1704 | 3/13宝永(ほうえい)(1704.3.13-1710)(--) | ||||
1704 | イギリス軍、スペイン領ジブラルタルを占領(西欧-イギリス-) | ||||
1704 | 宝永(日本-日本-江戸時代) | ||||
1704 | 鹿児島城本丸など普請なる(日本-日本-江戸時代) | ||||
1704 | 3 | 13 | 前年11月の元禄大地震により、元禄から宝永に改元。(日本-日本-江戸時代) | ||
1704 | 3.13 | 宝永(ほうえい)(1704.3.13-1710)(日本-日本-江戸時代) | |||
1705 | お蔭参りで諸国の民、伊勢神宮参拝(日本-日本-江戸時代) | ||||
1705 | 山川・前田利右衛門琉球より甘藷をつたえる(日本-日本-江戸時代) | ||||
1706 | 宝字銀を鋳る(日本-日本-江戸時代) | ||||
1707 | 大ブリテン王国、成立(--) | ||||
1707 | 大ブリテン王国、成立(--) | ||||
1707 | グレート・ブリテン王国成立(イングランドとスコットランド合併)(西欧-イギリス-) | ||||
1707 | 大ブリテン王国、成立(欧州-ヨーロッパ-) | ||||
1707 | 田地質入禁止(日本-日本-江戸時代) | ||||
1707 | 牧野成央家督相続(日本-日本-江戸時代) | ||||
1707 | 宝永大噴火(ほうえいだいふんか)-富士山が噴火(日本-日本-江戸時代) | ||||
1707 | 7 | 12 | 長野・善光寺の大伽藍が完成(日本-日本-江戸時代) | ||
1707 | 8 | 11 | 「生類憐みの令」により、どじょう・うなぎ・鳥を扱う商売が禁止に(日本-日本-江戸時代) | ||
1707 | 10 | 4 | 豊後地震。府内の天主、櫓、石垣、家中屋敷、町屋などが大破(藩史大事典)(日本-日本-江戸時代) | ||
1707 | 10 | 4 | 遠州・紀州灘で大地震(宝永の大地震)。M8.4で日本最大級の地震。死者2万人以上(日本-日本-江戸時代) | ||
1707 | 11 | 23 | 富士山の噴火が始る(日本-日本-江戸時代) | ||
1708 | 全国的に大同法施行.土地所有の程度により税を負担(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-) | ||||
1708 | 全国に大同法施行国史年表(国史年表)(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-) | ||||
1708 | 伊太利・教父シドッチ屋久島に上陸(日本-日本-江戸時代) | ||||
1708 | 宝永通宝を鋳る(日本-日本-江戸時代) | ||||
1708 | 2 | 16 | 慶仁親王(中御門天皇)が立太子(日本-日本-江戸時代) | ||
1709 | 6/21第114代 中御門天皇(--) | ||||
1709 | 6代将軍 徳川家宣(--) | ||||
1709 | ポルタバの戦いでピョートル大帝、スウェーデン軍を破る〔大北方戦争〕(欧州-ヨーロッパ-) | ||||
1709 | 6代将軍徳川家宣(日本-日本-江戸時代) | ||||
1709 | 新井白石を登用(日本-日本-江戸時代) | ||||
1709 | 正徳の治(しょうとくのち)-新井白石(朱子学者)、側用人:間部詮房(まなべあきふさ)による政治改革。生類憐れみの令の廃止や勘定吟味役(かんじょうぎんみやく)の再設置、正徳金銀の発行、1715年の海舶互市新例(かいはくごししんれい)で金銀の流出を防ぐなど改革を行ったが、幕府の根本的な改革とはならなかった。--1715(日本-日本-江戸時代) | ||||
1709 | 6代目将軍徳川家宣(いえのぶ)1709-1712(日本-日本-江戸時代) | ||||
1709 | 徳川家宣が6代目将軍となる(日本-日本-江戸時代) | ||||
1709 | .06.21 | 第114代中御門天皇(日本-日本-江戸時代) | |||
1709 | 1 | 20 | 江戸幕府将軍徳川綱吉の死後10日目で「生類憐れみの令」が廃止(日本-日本-江戸時代) | ||
1709 | 3 | 21 | 現存東大寺大仏殿の落慶法要(日本-日本-江戸時代) | ||
1709 | 6 | 21 | 第113代東山天皇が退位し、慶仁親王が第114代中御門天皇として即位(日本-日本-江戸時代) | ||
1709 | 12 | 17 | 第113代東山天皇崩御35歳(日本-日本-江戸時代) | ||
1710 | 清で『康煕字典』が完成(--) | ||||
1710 | フランスのベルサイユ宮殿が完成(西欧-フランス-) | ||||
1710 | 清で『康煕字典』が完成(東アジア-清-) | ||||
1710 | 金銀を改鋳(日本-日本-江戸時代) | ||||
1710 | 藩債34万5000両に達し、家老以下の役料を半減(日本-日本-江戸時代) | ||||
1711 | 4/25正徳(しょうとく)(1711.4.25-1715)(--) | ||||
1711 | 正徳(日本-日本-江戸時代) | ||||
1711 | 新井白石、朝鮮使の待遇を改める(日本-日本-江戸時代) | ||||
1711 | 4 | 25 | 中御門天皇の即位に伴い正徳[しょうとく/しやうとく]に改元(日本-日本-江戸時代) | ||
1711 | 4.25 | 正徳(しょうとく)(1711.4.25-1715)(日本-日本-江戸時代) | |||
1711 | 11 | 7 | 万石騒動。安房・北條藩27村の農民が年貢加増に反対し江戸に強訴。翌年領主・屋代忠位が所領没収に(日本-日本-江戸時代) | ||
1712 | 「以本年丁数為定額」の勅令(--) | ||||
1712 | ニューヨーク市で黒人暴動(北米-アメリカ-) | ||||
1712 | ルソー(1712-1778)(西欧-フランス-) | ||||
1712 | 1712白頭山に定界碑を建立(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-) | ||||
1712 | 清との領界を定める白頭山定界碑建立(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-) | ||||
1712 | 白頭山に定界碑を建立(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-) | ||||
1712 | 白頭山定界碑建立国史年表(国史年表)(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-) | ||||
1712 | 串木野沖に蛮船発見(日本-日本-江戸時代) | ||||
1712 | 江戸に大名火消し創設(日本-日本-江戸時代) | ||||
1713 | ユトレヒト条約(--) | ||||
1713 | ユトレヒト条約(--) | ||||
1713 | 7代将軍 徳川家継(--) | ||||
1713 | ユトレヒト条約で、イギリスがフランスからニューファンドランド、アカディア、ハドソン湾地方を獲得(北米-アメリカ、イギリス、フランス-) | ||||
1713 | アシエント条約(イギリスがスペイン領植民地への黒人奴隷輸入独占)(北米-アメリカ、スペイン、イギリス-) | ||||
1713 | ユトレヒト条約でイギリス、スペインよりジブラルタル・メノルカ島獲得(西欧-イギリス-) | ||||
1713 | 7代将軍徳川家継(日本-日本-江戸時代) | ||||
1713 | 諸国に養蚕・製紙を奨励(日本-日本-江戸時代) | ||||
1713 | 7代目将軍徳川家継(いえつぐ)1713-1716(日本-日本-江戸時代) | ||||
1713 | 徳川家継が7代目将軍となる(日本-日本-江戸時代) | ||||
1714 | イギリスのジョージ1世が即位し、ハノーバー朝が始まる(西欧-イギリス-) | ||||
1714 | イギリス、ハノーバー朝成立(~1901)(西欧-イギリス-) | ||||
1714 | ドイツのライプニッツ(1646-1716)、『単子論』成る(西欧-ドイツ-) | ||||
1714 | スペイン継承戦争終結。ドイツ・フランスの講和(西欧-フランス-) | ||||
1714 | ピョートル大帝、フィンランド制圧(欧州-ヨーロッパ-) | ||||
1714 | 密貿易を禁止(日本-日本-江戸時代) | ||||
1714 | 江島生島事件(えじまいくしまじけん)-月光院と天英院の権力争い(日本-日本-江戸時代) | ||||
1714 | 全国的に寺子屋(読み・書き・そろばん)が広まる(18世紀初頭(日本-日本-江戸時代) | ||||
1715 | フランス、ルイ15世即位(~1774)(西欧-フランス-) | ||||
1715 | 長崎貿易新令発布(日本-日本-江戸時代) | ||||
1715 | 銅商大坂屋久左衛門清浚(3代)没。大坂屋甚之烝清胤が家督を相続(日本-日本-江戸時代) | ||||
1715 | 原田三郎右衛門が陶山訥庵の入手した甘藷の種の栽培に成功する。(対馬)(日本-日本-) | ||||
1716 | 6/22享保(きょうほ)(1716.6.22-1735)(--) | ||||
1716 | 8代将軍 徳川吉宗(--) | ||||
1716 | 享保の改革 (享保改革)(--) | ||||
1716 | ルイ15世、ジョン・ローにフランス総銀行・ルイジアナ会社の設立許可(西欧-フランス-) | ||||
1716 | 享保の改革1716(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-) | ||||
1716 | 享保(日本-日本-江戸時代) | ||||
1716 | 8代将軍徳川吉宗(日本-日本-江戸時代) | ||||
1716 | 享保の改革(享保改革)(日本-日本-江戸時代) | ||||
1716 | 霧島山爆発、田畑埋没(日本-日本-江戸時代) | ||||
1716 | 8代目将軍徳川吉宗(よしむね)1716-1745(日本-日本-江戸時代) | ||||
1716 | 徳川吉宗が8代目将軍となる(米将軍)(日本-日本-江戸時代) | ||||
1716 | 享保の改革(きょうほうのかいかく)-幕府財政再建の為の改革--45(日本-日本-江戸時代) | ||||
1716 | 6 | 22 | 享保に改元。1736年に元文に改元(日本-日本-江戸時代) | ||
1716 | 6.22 | 享保(きょうほ)(1716.6.22-1735)(日本-日本-江戸時代) | |||
1716 | 8 | 13 | 紀州藩主・徳川吉宗が江戸幕府8代将軍となる(日本-日本-江戸時代) | ||
1716 | 10 | 4 | 朱子学者・新井白石が自叙伝『折たく柴の記』を起筆(日本-日本-江戸時代) | ||
1717 | オーストリアとベネチア、トルコと戦う(西欧-イタリア-) | ||||
1717 | 大岡忠相(越前守)を江戸町奉行に登用(日本-日本-江戸時代) | ||||
1717 | 大岡忠相(おおおかただすけ-大岡越前)が江戸町奉行となる(日本-日本-江戸時代) | ||||
1717 | 久田村で陶器製造始まる。(対馬)(日本-日本-) | ||||
1717 | 2 | 3 | 徳川吉宗が普請奉行・大岡忠相を江戸南町奉行に抜擢。官職名を越前守に改める(日本-日本-江戸時代) | ||
1718 | スウェーデン王カール12世(在位1697~)戦死〔大北方戦争〕(欧州-ヨーロッパ-) | ||||
1718 | 江戸に町火消し編成(日本-日本-江戸時代) | ||||
1718 | 義誠封を継ぐ。(対馬)(日本-日本-) | ||||
1719 | イギリスの小説家デフォー(1660?-1731)、『ロビンソン・クルーソー』刊行(西欧-イギリス-) | ||||
1719 | 幕府、蝦夷松前氏に条約を与える(日本-日本-江戸時代) | ||||
1719 | 7 | 27 | 田沼意次生誕。(江戸幕府老中)[1788年歿](日本-日本-江戸時代) | ||
1720 | 広東に公行創設(--) | ||||
1720 | 広東に公行創設(--) | ||||
1720 | スペイン領植民地、エンコミエンダ制廃止、アシエンダ制に移行(北米-アメリカ-) | ||||
1720 | イギリス、南海泡沫会社(1711設立)の株暴落(南海泡沫事件)(西欧-イギリス-) | ||||
1720 | イタリアのビットリオ・アメデオ2世、サルデーニャ王を称す。サルデーニャ王国成立(欧州-ヨーロッパ-) | ||||
1720 | 宗教外の漢訳洋書輸入許可(日本-日本-江戸時代) | ||||
1720 | 1 | 1 | 照仁(桜町天皇)生誕(日本-日本-江戸時代) | ||
1720 | 8 | 6 | 江戸幕府が江戸町火消を「いろは47組」に再編成(日本-日本-江戸時代) | ||
1721 | 江戸大火 評定所に目安箱設置(--) | ||||
1721 | イギリス、ウォルポール内閣(責任内閣制度)成立(西欧-イギリス-) | ||||
1721 | ニスタット条約で大北方戦争終結(欧州-ヨーロッパ-) | ||||
1721 | 1721景宗の治世に、壬寅の獄起こる(~1722辛壬士禍)(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-) | ||||
1721 | 景宗の治世に、壬寅の獄起こる(~1722辛壬士禍)(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-) | ||||
1721 | 江戸大火評定所に目安箱設置(日本-日本-江戸時代) | ||||
1721 | 目安箱を設置する-庶民が将軍に直訴可能になる(日本-日本-江戸時代) | ||||
1721 | 8 | 2 | 徳川吉宗の命で江戸・評定所の門前に目安箱を設置(日本-日本-江戸時代) | ||
1722 | 世宗憲皇帝(雍正帝、胤禛)(--) | ||||
1722 | 清・愛新覚羅氏・・ 世宗・雍正帝(--) | ||||
1722 | 清・愛新覚羅氏・・世宗憲皇帝(雍正帝、胤禛)(東アジア-清-) | ||||
1722 | 上米の制を定める(日本-日本-江戸時代) | ||||
1722 | 定免法(じょうめんほう)-年貢の徴収方法の変更-上げ米の制-参勤交代(江戸滞在)の期間を短縮する代わりに米を支払う。各藩の財政が向上する事もあり1730年に廃止する。(日本-日本-江戸時代) | ||||
1722 | 12 | 4 | 江戸幕府が江戸の小石川薬園内に養生所を開設(日本-日本-江戸時代) | ||
1723 | 地丁銀の実施(--) | ||||
1723 | 雍正帝即位(--) | ||||
1723 | 雍正帝・即位 -1735(--) | ||||
1723 | アダム・スミス(1723-1790)(西欧-イギリス-) | ||||
1723 | 足高の制を定める(日本-日本-江戸時代) | ||||
1723 | 銅商大坂屋甚之烝清胤(4代)没(日本-日本-江戸時代) | ||||
1723 | 足高の制(たしだかのせい)-家格によらない人材登用(日本-日本-江戸時代) | ||||
1723 | 2 | 20 | 江戸幕府が男女の情死に厳しい規制。心中者の弔いを禁止、生き残りは殺人罪。心中事件を扱った狂言等の上演・出版も禁止(日本-日本-江戸時代) | ||
1723 | 4 | 22 | 江戸幕府が、盗難捜索のため、江戸の質屋、古着屋、古鉄屋に組合結成を義務付け。(日本-日本-江戸時代) | ||
1723 | 8 | 15 | 江戸幕府が江戸市中に火の見櫓の設置令を発布(日本-日本-江戸時代) | ||
1724 | 近松門左衛門死 「曽根崎心中」(1703初演)(--) | ||||
1724 | 《英祖即位(在~1776)》(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-) | ||||
1724 | 近松門左衛門死「曽根崎心中」(1703初演)(日本-日本-江戸時代) | ||||
1725 | ピョートル1世(在位1682~)没、エカチェリーナ1世即位(~1727)(欧州-ヨーロッパ-) | ||||
1725 | ロシア、ベーリング海探検始まる(海峡発見は1728)(欧州-ヨーロッパ-) | ||||
1725 | 1725年蕩平策実施(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-) | ||||
1725 | 圧膝刑や死者に罪を追加して再度殺す刑罰を禁止(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-) | ||||
1725 | 蕩平策実施.党争の悪弊を正し,王権の伸張と不偏不党を図る(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-) | ||||
1725 | 老論政権成立(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-) | ||||
1725 | 蕩平策実施国史年表(国史年表)(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-) | ||||
1725 | 新井白石没(日本-日本-江戸時代) | ||||
1725 | 5 | 19 | 新井白石歿(69歳)(日本-日本-江戸時代) | ||
1726 | スウィフトが『ガリバー旅行記』を著す(--) | ||||
1726 | イギリスのスウィフトが『ガリバー旅行記』を著す(西欧-イギリス-) | ||||
1726 | イギリスのスウィフト(1667-1745)、『ガリバー旅行記』刊行(西欧-イギリス-) | ||||
1726 | 新田検地条目制定(日本-日本-江戸時代) | ||||
1726 | 幕府、薩摩以下15藩に令し、私販の清船を撃攘させる(日本-日本-江戸時代) | ||||
1726 | 京都伏見の大文字屋が大坂心斎橋に「松屋」を開き現金正札販売を始める。現大丸の前身である。(日本-日本-江戸時代) | ||||
1726 | 12 | 7 | 江戸幕府が、江戸市中の辻駕籠3千挺の制限を撤廃(日本-日本-江戸時代) | ||
1727 | キャフタ条約~清とロシアが国境を画定(--) | ||||
1727 | . 川辺、田部田村万ノ瀬川堰堤および用水工事なる(--) | ||||
1727 | ロシアからユダヤ人追放。(イスラエルの歴史)(中東-イスラエル-) | ||||
1727 | キャフタ条約~清とロシアが国境を画定(東アジア-清-) | ||||
1727 | 丁未換局、少論政権成立(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-) | ||||
1727 | 丁未換局、少論政権成立(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-) | ||||
1727 | .川辺、田部田村万ノ瀬川堰堤および用水工事なる(日本-日本-江戸時代) | ||||
1728 | 清がチベットを征服(--) | ||||
1728 | 清がチベットを征服(東アジア-チベット、清-) | ||||
1728 | このころ、清の景徳鎮の窯業が最盛期(欧州-ヨーロッパ-) | ||||
1728 | 1728李麟佐の乱(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-) | ||||
1728 | 李鱗佐の乱.政界から追放された過激派勢力が政権を奪取しようとする(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-) | ||||
1728 | 李麟佐の乱(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-) | ||||
1728 | 見沼代用水開通(日本-日本-江戸時代) | ||||
1728 | 大口牛尾金山を試掘する(日本-日本-江戸時代) | ||||
1728 | 平賀源内生誕(日本-日本-江戸時代) | ||||
1728 | 6 | 11 | 照仁(桜町天皇)立太子(日本-日本-江戸時代) | ||
1729 | アヘン吸引の禁止(--) | ||||
1729 | 三覆法制定.死刑囚への初審,再審,三審を認める(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-) | ||||
1729 | 将軍綱吉の養女竹姫、島津継豊の妻となる(日本-日本-江戸時代) | ||||
1729 | 石田梅巌、心学をとなえる(日本-日本-江戸時代) | ||||
1730 | 上げ米の制停止 参勤交代復旧(--) | ||||
1730 | ニューヨークに公認シナゴーグが建設される。(イスラエルの歴史)(中東-イスラエル-) | ||||
1730 | 上げ米の制停止参勤交代復旧(日本-日本-江戸時代) | ||||
1730 | 方熙封を継ぐ。1月20日夜半大地震発生。(対馬)(日本-日本-) | ||||
1732 | 享保飢饉 西国、蝗(イナゴ)害による大凶作薩摩は甘藷があったため飢民はなし(--) | ||||
1732 | 享保飢饉西国、蝗(イナゴ)害による大凶作薩摩は甘藷があったため飢民はなし(日本-日本-江戸時代) | ||||
1732 | 叡福寺(聖徳太子御廟守護寺)の金堂を再建(日本-日本-江戸時代) | ||||
1732 | 享保の大飢饉(きょうほうのだいききん)-打ちこわしが発生(日本-日本-江戸時代) | ||||
1732 | 府中大火。消失家屋1,299戸、寺院・神社31。幕府より米1万石の救援を受ける。義如封を継ぐ。(対馬)(日本-日本-) | ||||
1732 | 8 | 6 | 霊元天皇崩御。(識仁親王,高貴宮)(天皇(112代))<数え79歳>(日本-日本-江戸時代) | ||
1733 | イギリス政府、糖蜜法を制定(北米-アメリカ、イギリス-) | ||||
1733 | ジョージア植民地建設(イギリス植民地13州となる)(北米-アメリカ、イギリス-) | ||||
1733 | イギリスのジョン・ケイ、飛杼発明(西欧-イギリス-) | ||||
1733 | オーストリア・ロシア対フランス・スペイン・サルデーニャのポーランド継承戦争(~1735)(西欧-フランス-) | ||||
1733 | 米価騰貴し、江戸にうちこわしおこる(日本-日本-江戸時代) | ||||
1733 | 5 | 28 | 両国川開きで初の花火打上げ(日本-日本-江戸時代) | ||
1734 | モンテスキューの「ローマ人盛衰原因論」出版(ローマ)(西欧-イタリア、ローマ-) | ||||
1734 | 小石川薬園に甘藷を試植(日本-日本-江戸時代) | ||||
1734 | 府中再び大火。幕府より米1万石の救援を受ける。(対馬)(日本-日本-) | ||||
1735 | 3/21第115代 桜町天皇(--) | ||||
1735 | 高宗純皇帝(乾隆帝、弘暦)(--) | ||||
1735 | 清・愛新覚羅氏・・ 高宗・乾隆帝(--) | ||||
1735 | 清の乾隆帝が即位(--) | ||||
1735 | スウェーデンのリンネ、植物の分類法を提唱(欧州-ヨーロッパ-) | ||||
1735 | ウィーン仮条約(本条約は1738)で、ポーランド継承戦争終結(欧州-ヨーロッパ-) | ||||
1735 | 清・愛新覚羅氏・・高宗純皇帝(乾隆帝、弘暦)が即位(東アジア-中国、清(後金)-) | ||||
1735 | 米価低落防止のため最低価額を公定(日本-日本-江戸時代) | ||||
1735 | 3 | 21 | 第114代中御門天皇が退位し、照仁親王が第115代桜町天皇として即位(日本-日本-江戸時代) | ||
1736 | 4/28元文(げんぶん)(1736.4.28-1740)(--) | ||||
1736 | 乾隆帝即位(--) | ||||
1736 | 乾隆帝・即位 -1795(--) | ||||
1736 | ロシア・オーストリア、トルコに開戦(~1739)(欧州-ヨーロッパ-) | ||||
1736 | 元文(日本-日本-江戸時代) | ||||
1736 | 正徳金銀を改鋳(日本-日本-江戸時代) | ||||
1736 | 大島・徳之島に天然痘流行(日本-日本-江戸時代) | ||||
1736 | 4 | 28 | 桜町天皇の践祚に伴い享保から元文[げんぶん]に改元。(日本-日本-江戸時代) | ||
1736 | 4.28 | 元文(げんぶん)(1736.4.28-1740)(日本-日本-江戸時代) | |||
1737 | 4 | 11 | 第114代中御門天皇崩御37歳(日本-日本-江戸時代) | ||
1738 | 但馬生野銀山の鉱夫、給米増額の強訴(日本-日本-江戸時代) | ||||
1739 | イギリス、対スペイン植民地戦争開始(~1748)(西欧-イギリス-) | ||||
1739 | イギリスのヒューム(1711-1776)、『人性論』刊行(西欧-イギリス-) | ||||
1739 | 但馬生野に百姓一揆(日本-日本-江戸時代) | ||||
1740 | オーストリア継承戦争(~1748)(中欧-オーストリア-) | ||||
1740 | プロイセンのフリードリヒ2世即位(~1786)(欧州-ヨーロッパ-) | ||||
1740 | オーストリアのマリア・テレジア即位(~1780)(欧州-ヨーロッパ-) | ||||
1740 | オーストリア継承戦争(~1748)(欧州-ヨーロッパ-) | ||||
1740 | オーストリア・プロイセン間に第一次シュレージエン戦争(~1742)(欧州-ヨーロッパ-) | ||||
1740 | 吉宗の四男宗尹、一橋家をおこす(日本-日本-江戸時代) | ||||
1740 | 8 | 3 | 緋宮智子内親王生誕(後櫻町天皇)(日本-日本-江戸時代) | ||
1741 | 2/27寛保(かんぽ)(1741.2.27-1743)(--) | ||||
1741 | ロシア探検隊がアラスカ南部に上陸(北米-アメリカ-) | ||||
1741 | ロシア、スウェーデンと戦う(~1743)(欧州-ヨーロッパ-) | ||||
1741 | 寛保(日本-日本-江戸時代) | ||||
1741 | 幕府、強訴・徒党・逃散仕置の規定を定める(日本-日本-江戸時代) | ||||
1741 | 2 | 27 | 寛保(かんぽ)(1741.2.27-1743)(日本-日本-江戸時代) | ||
1741 | 2 | 27 | 元文から寛保(かんぽう)に改元。(日本-日本-江戸時代) | ||
1741 | 2 | 29 | 遐仁(桃園天皇)生誕(日本-日本-江戸時代) | ||
1742 | ブレスラウの和で、オーストリアのマリア・テレジア、プロイセンのシュレージエン領有承認(欧州-ヨーロッパ-) | ||||
1742 | 公事方御定書百個条を制定(日本-日本-江戸時代) | ||||
1742 | 公事方御定書(くじかたおさだめがき)-上下2巻で上は基本法令81条、下は御定書百箇条(おさだめがきひゃっかじょう)と呼ばれ主に判例。(日本-日本-江戸時代) | ||||
1743 | ロシアとスウェーデンの講和(欧州-ヨーロッパ-) | ||||
1744 | 2/21延享(えんきょう)(1744.2.21-1747)(--) | ||||
1744 | 御触書寛保集成を編纂 出畑永代売買の禁令緩和(--) | ||||
1744 | 北アメリカ植民地でイギリス・フランス間にジョージ王戦争(~1748)(西欧-イギリス-) | ||||
1744 | 第二次シュレージエン戦争(~1745)(欧州-ヨーロッパ-) | ||||
1744 | 延享(日本-日本-江戸時代) | ||||
1744 | 御触書寛保集成を編纂出畑永代売買の禁令緩和(日本-日本-江戸時代) | ||||
1744 | 2 | 21 | 寛保から延享(えんきょう)に改元(日本-日本-江戸時代) | ||
1744 | 2.21 | 延享(えんきょう)(1744.2.21-1747)(日本-日本-江戸時代) | |||
1744 | 12 | 8 | 江戸幕府が、偽虚無僧の取締令を発布(日本-日本-江戸時代) | ||
1745 | 9代将軍 徳川家重(--) | ||||
1745 | 京都西陣 高機織仲間成立(--) | ||||
1745 | ドレスデン和約で第二次シュレージエン戦争終結(欧州-ヨーロッパ-) | ||||
1745 | 9代将軍徳川家重(日本-日本-江戸時代) | ||||
1745 | 京都西陣高機織仲間成立(日本-日本-江戸時代) | ||||
1745 | 9代目将軍徳川家重(いえしげ)1745-1760(日本-日本-江戸時代) | ||||
1745 | 徳川家重が9代目将軍となる(日本-日本-江戸時代) | ||||
1745 | 江戸時代(1603 - 1868)(日本-日本-) | ||||
1745 | 江戸時代後期(日本-日本-) |