歴史・人名

縄文早期

● 早 期(そうき) 縄文文化の成立期(約7,000~1万年前)
 次が縄文文化の成立期としての「早期」である。約7,000~1万年前までの時代と推定される。この時期、一部の地域から順次、住様式としての竪穴住居が確立、初期的な縄文集落が形成された。
 土器型式であるが、まず関東地方に撚糸文土器様式が、続いて近畿・中部地方に押型文(おしがたもん)土器様式が、さらに九州地方南部と北海道東部でもそれぞれの地域的特色を持つ土器様式が成立した。
 東北地方はこれにやや遅れるが、早期中葉段階になると日計式(ひばかりしき)押型文土器様式が成立、まもなく次の貝殻沈線文(かいがらちんせんもん)土器様式に至って極めて密度の高い縄文社会が確立した。

   縄文早期(日本-日本-縄文時代)追加
   対馬の歴史(対馬)(日本-日本-)追加
   縄文前期(日本-日本-縄文時代)追加
-7000夏島貝塚(神奈川県)(-4000)(日本-日本-縄文時代)編集
● 早 期(そうき) 縄文文化の成立期(約7,000~1万年前)  次が縄文文化の成立期としての「早期」である。約7,000~1万年前までの時代と推定される。この時期、一部の地域から順次、住様式としての竪穴住居が確立、初期的な縄文集落が形成された。  土器型式であるが、まず関東地方に撚糸文土器様式が、続いて近畿・中部地方に押型文(おしがたもん)土器様式が、さらに九州地方南部と北海道東部でもそれぞれの地域的特色を持つ土器様式が成立した。  東北地方はこれにやや遅れるが、早期中葉段階になると日計式(ひばかりしき)押型文土器様式が成立、まもなく次の貝殻沈線文(かいがらちんせんもん)土器様式に至って極めて密度の高い縄文社会が確立した。(日本-日本-縄文時代)編集
-7000縄文草創期縄文早期(日本-日本-縄文時代)編集
-6800越高遺跡(上県町)(対馬)(日本-日本-)編集
-6700稲作(陸稲-りくとう)が中国(南部)から伝わる(日本-日本-縄文時代)編集
-6500メソポタミアでジャルモ朝が定住と農耕を開始。(中東-イラク-)編集
-6500トルコのチュタル・ヒュユクで農耕(中東-トルコ-)編集
-6500ニジェール河流域で農耕(アフリカ-ニジェール-)編集
-6500中国黄河流域で農耕(東アジア-中国-)編集
-6500中国長江流域で稲作(東アジア-中国-)編集
-6000南ロシア・ギリシャへ農耕が伝わる(西欧-ギリシャ-)編集
-6000貝塚時代[約6000年前-12世紀](日本-日本-縄文時代)編集
-5500青森県青森市にある1500年続いた日本最大の集落跡(三内丸山遺跡)(-4000)(日本-日本-縄文時代)編集
-5500山内丸山遺跡三内丸山遺跡は、今から約5500前~4000前の縄文時代の集落跡で、長期間にわたって定住生活が営まれていました。既に巨大な木造建築が行われていました。(日本-日本-)編集
-5000テワカンでトウモロコシ栽培(中南米-メキシコ-)編集
-5000新石器時代早期-5000-4000
櫛目文土器が広がるBC5000年頃
(東アジア-朝鮮-新石器時代早期)
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-4800黄河流域で彩陶文化(黄河文明、仰韶(ヤンシャオ)文化(前4800年ころ~前2300年ころ))(ブリタニカ)(東アジア-中国-)編集
-4500メソポタミアで灌漑農業の開始。(中東-イラク-)編集
-4500エジプトでも農耕が開始。(アフリカ-エジプト-)編集
-4500東欧へ農耕が伝わる(東欧-東欧-)編集
-4000台湾、初期の定住者(4000年頃前)(東アジア-台湾-)編集
-4000現代の台湾の先住民の先祖は4000年頃前に台湾に定住している。これらの先住民は遺伝的にはマレー人と関連し、母系ではポリネシア人と関連し、言語学者は彼らの言語をオーストロネシア語としている。台湾中でポリネシア人の先祖をたどることが可能であると思われている。
もともと、台湾にはアミ族やパイワン族などという先住民族が住んでいました。日本では高砂族といわれている人たちです。(東アジア-台湾-)
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-4000佐賀貝塚・吉田貝塚下層(峰町)・加藤遺跡(豊玉町)
気候が温暖化。船が登場
平底土器一般化
三内丸山遺跡(青森県)、大規模集落-2000(日本-日本-)
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-4000新石器時代(櫛目文土器時代/侯目文土器)-4000(もしくは-5000)-1000年
新石器時代前期-4000-3000
(東アジア-朝鮮-新石器時代前期)
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-4000縄文早期縄文前期(対馬)(日本-日本-)編集