歴史・人名

ローマの大火

ローマの大火

(64年)
 64年の7/19、古代ローマ帝国治世時にローマ大火が起こります。この時に時のローマ皇帝ネロははこの火災に際して、的確な処置を行い、陣頭で救助指揮をとったといわれ、被害が広がらないよう真剣に対処しました。しかし、火災後のローマ再建で後に記すような広大な黄金宮殿建造を行ったこともあり、市民の間ではネロの命によって放火されたとの説が流れたのです。こうした風評に対してネロは当時の新興宗教であったキリスト教の信徒300人を放火犯として処刑しました。この処刑がローマ帝国による最初のキリスト教の弾圧とされています。

 かくしてキリスト教世界におけるネロのイメージを大きくマイナスに持っていく要因になります。しかし、このローマ大火時のキリスト教徒の処刑は当時の普通のローマ人はこの事を歓迎していますし後の歴史家タキトゥースもローマ伝統の多神教を否定するキリスト教に対して嫌悪感を抱いておりこのことに関してはネロに同調する意見でした。

 確かにネロは現代でも暴君の代表として言われます。このキリスト教への処刑と実母アグリッピナの殺害と女性関係や芸人になろうとしたことや過度な芸術やスポーツでののめり込みと言う奇行がそう言われる原因のようです。しかし、母のことは彼女がネロの政治への介入をしたことが遠因にあるので単純にネロだけを責められないでしょう。まあもっともこのために内部で醜い権力抗争が生じたと言うマイナス面もありますが。

 ただ、ネロが自決した後にネロは非常に繊細だったため、ローマ市民はネロに対して同情を示し、墓にはいつも花や供物が絶えなかったと言われています。 また、ネロには友人が多かったと言われその中には後に皇帝になった人もいたといいます。どうもそう考えると当時はネロをそんなに暴君と考えられてはいなかったのではと言えるのです。誰が暴君の墓参りに進んでいくでしょうか。

 考えて見るとどうもネロの暴君という後世の評判は後にヨーロッパ全体に広まったキリスト教側による部分が大きいのかなと思えます。本人の奇行と近親者に恵まれなかった不運もありますが彼は不当な評価を受けている悲運な人物と言えましょう。

ローマ皇帝ネロとキリスト教徒

  ローマ帝国は続く、パンとサーカスがある限り
西暦64年、イエス・キリスト降臨の完成から三十年近く経っていた。パウロとペテロは、ローマでもイエス・キリストを宣べ伝えていた。彼らは、すでに60歳を超え、老境にあった。

皇帝ネロがローマ大火の火付け犯と断定するはずのキリスト教徒は、事前に放たれた密偵による調査報告により、軍隊が一網打尽に捕縛できる状態にあった。キリスト教徒は、集会を執拗に妨害するユダヤ人に対しては警戒していたが、異邦人には大して警戒はしていなかった。密偵らは、キリスト教徒の情報を金で買った。大物の情報には、銀貨30枚を与えた。

皇帝ネロはローマを焼き、数日間炎上した大都市の光景を吟じて堪能した後、ただちに放火犯探索を命じ、速やかな治安回復を図った。放火犯は、秘密結社でローマは火で焼かれるというデマを吹聴したり、集会で血を飲むと噂されるキリスト教徒と断定された。そして、キリスト教徒捕縛命令は、時をうつさず実行され、逃亡の時間を与えなかった。

一方で皇帝は、市民に十分なパンとぶどう酒を供給した。市民の怒りは、皇帝が放火犯と断定したキリスト教徒に向けられた。皇帝は市民にキリスト教徒の極刑を約束し、急ぎその処刑の舞台を建造させた。またライオン、熊、猛牛なども集められた。これらは、事前のシナリオどおりに実行された。

すなわち、皇帝は
自らの詩のイメージのためローマが燃えつくされねばならないこと、
(焼け跡から新しいローマが誕生すること、)
そのため、犯人は大集団でなければならず、
その集団は反社会的であり、皇帝を神と認めない反ローマ的でなければならず、
その集団の名簿が作成済みでなければならず、
皇帝がその集団を犯人と断定した時は、軍隊によりただちに捕縛できねばならない、
というプランを側近の親衛隊長にたてさせた。

一方では、市民たちには十分なパンを与え、極悪人どもの処刑を演出して楽しませる必要がある。さすれば、偉大な都市ローマは皇帝によって再建され、危険集団は一掃され、市民はそれを確認して、社会正義と秩序が回復する、と考えた。皇帝は、これらの用意周到なプランに満足していた。

数ヶ月の後、数万人が収容可能な、巨大な仮設舞台が完成した。猛獣たちと共に何千人という数のキリスト教徒の老若男女が獄中から仮設舞台に移された。市民に処刑の日程が布告され、あらゆる階層の人々に招待状が配布された。招待券は、高額で取引されたりした。

市民は当初、なぜキリスト教徒の処刑を数ヶ月も遅らせるのかと怒っていたが、仮設舞台の大きさに驚き、猛獣たちのうなり声に驚いて、皇帝はいったいどのような罰を与えるつもりのかと楽しみにしだした。聞くところによれば、犯人たちが、集団で火あぶりや猛獣のえさになる歴史的光景を見られるとのことであった。料理付の処刑見物の用意が整った。

処刑の第一日目、仮設舞台で飲み食いした市民たちは、獄吏たちによって荒々しく引き出された犯人たちを見て驚いた。人々は恐ろしい放火犯のイメージとはほど遠い、おだやかな老若男女の群れをそこに見た。空腹と猛獣のうなり声で泣き叫ぶ子供たちをかかえた女たちもいて、皆、憔悴しきってはいたが、彼らはおとなしくも毅然としていた。

やがて、広場に引き出された群れに、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」で始まる詩篇22をギリシャ語で賛美する声があがり、大合唱になった。羊の群れからはたちまち恐怖が消え、彼らは主の言葉を待ち望む体制に入った。一瞬の静寂のうちに、「子たちよ、あなたがたは今日、主イエス・キリストと共にパラダイスにいるであろう」という叫び声が聞こえた。

また、「イエスよ彼らの罪をお許しください。彼らは何をしているかわからずにいるのです」。という声があり、一斉に唱和する声があがった。すると、たちまち過酷な処刑が始まり、聖徒たちはおのおの祈りながら、眠りについていった。

公衆の面前で、賛美と祈りが整然と行われた仮設舞台は、いつの間にかキリスト教徒の礼拝の場になっていた。これまで隠れて行われていたキリスト教徒の礼拝が、今ローマ市民の前にその姿を現したのである。結果的に、皇帝を初め、何万というローマのあらゆる階層の人々がキリスト教徒の礼拝に立ち会ったのである。

観客たちは、すっかり興ざめた。処刑の見世物は数日間続き、捕縛された数千人全員が虐殺されたが、キリスト教徒が放火犯だと思うものは誰もいなくなった。ただ、皇帝の命令は取り消すことができないので、キリスト教徒がローマの放火犯であり、この世から除くべき反社会的集団という布告はそのまま残された。逮捕をまぬがれたキリスト教徒の礼拝は、以後、公にはなされず、秘密集会が徹底された。

集団処刑の見世物に招待された貴婦人たちの中に、「イエスよ、彼らの罪をお許しください。彼らは何をしているかわからずにいるのです」という声がして、夜の眠りを妨げられ、苦しめられる者たちが増えていた。彼女らのために、多くの医者が呼ばれた。その中の一人に年老いたギリシャ人の医者がいた。彼は、婦人たちの話をていねいに聞くことから始めた。そして、彼女らが聞いた「彼らの罪をお許しください」の言葉の意味を話してあげた。医者は、その言葉はイエスが十字架上で叫んだものであることから説きおこして、聖母マリヤのことも話してあげた。貴婦人たちは、不思議な医者の話に聞き入った。特に、聖母マリヤの処女受胎は感動的な話だった。そして、多くの貴婦人たちがイエスをキリストと信じた。

   1.ローマ帝国の貴婦人とルカ
   2.その後の獄吏たち

見世物の死刑執行を担当した獄吏らの精神状態は、更に深刻であった。多くの獄吏が心身の不調を訴えて、仕事を休んだのである。上司たちは、獄吏たちの異変を高官に報告し、対策を依頼した。すると、監獄に老医師と若い数名の供の者たちがやってきた。高官からの紹介ということだった。一行は、仕事を休んでいる人々の住所を聞き、彼らを訪問して回った。すると、ほどなくして、晴れ晴れとした顔つきの獄吏たちが次々に仕事に復帰した。上司たちは驚いたが、あえて何も問わず、高官にもお礼だけ申し述べた。高官も、何も聞かなかった。監獄さえ元に戻れば、あとはどうでも良いことであった。

皇帝は、ローマ大火の問題をキリスト教徒に押付けて、ほぼ根絶やしにできたし、一件落着したと考えていた。しかし、この事件によって、ローマのあらゆる階層にキリスト教の存在が知れ渡り、女性たちを中心に信徒が増え、壊滅的になったローマのキリスト教徒の数が回復していった。この事件は、キリスト教徒の社会的階層の分布に大きな変化をもたらした。

エルサレムの教会に、ローマ・キリスト教徒の壊滅とペテロとパウロの殉教が伝えられた。しかし、そこにルカの名前はなかった。パウロを初め教会の幹部たちは、ルカの存在を極秘にしていた。ルカは、集会には参加せず、ローマの市民権を持つ医者として活動していたのである。彼は、重い病を治す名医として、上流階級の医者たちにも一目置かれる存在になっていたのだった。

皇帝に上訴したパウロは、キリスト教徒の首謀者の一人として、皇帝に死罪を宣告され、斬首された。しかし、ルカの中にパウロは生きていた。ルカは、短い期間ではあったが、いつもパウロと共にいた。パウロの手紙の代筆も引き受けたことがあった。いつかパウロの考えは、ルカの考えと一致することが多くなっていた。しかし、ルカは自分を表には出さなかった。いつも「(神の)しもべ」を心がけていた。この静かな巨人を、イエス・キリストは愛し、祝福された。