歴史・人名

明治時代

   明治時代1868-1912?(--)追加
1868アメリカ合衆国憲法修正第14条(市民権法)(北米-アメリカ-)編集
1868キューバ反乱(~1878)(北米-アメリカ-)編集
1868明治維新です(北米-アメリカ-)編集
1868スペイン、共和政を主張する野党・軍・農民の運動でイサベル2世退位(欧州-ヨーロッパ-)編集
18681. 王政復古宣言。4. 宗義達(対馬藩主)朝鮮通交事務取扱となる。(日韓併合)(東アジア-朝鮮、大韓帝国日本-)編集
1868戊辰戦争、明治維新(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
1868近代(日本-日本-江戸時代明治時代)編集
1868薩藩官軍の先鋒となり江戸へ西郷・勝会談で江戸城接収(日本-日本-江戸時代明治時代)編集
1868鳥羽伏見の戦五箇条の御誓文戊辰戦争(日本-日本-江戸時代明治時代)編集
1868明治維新(日本-日本-江戸時代明治時代)編集
1868-10~
五稜郭の戦い(ごりょうかくのたたかい)(日本-日本-江戸時代明治時代)
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1868-1869
戊辰戦争(ぼしんせんそう)
薩摩藩、長州藩を中心とした明治政府と旧幕府との一連の戦い。
京都周辺からはじまり東日本全域で戦争となる。北海道の函館で旧幕府の榎本武揚(えのもとたけあき)が降伏する事によって終結する。(日本-日本-江戸時代明治時代)
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1868義達、藩兵を率いて大坂行在所に至り八幡の守衛に就く。京に上り、朝鮮通交につき建言。朝鮮国に政権が天皇に帰したことを通告。(対馬)(日本-日本-)編集
1868江戸時代明治時代(1868 - 1912)(日本-日本-)編集
1868明治維新(日本-日本-)編集
1868薩藩官軍の先鋒となり江戸へ 西郷・勝会談で江戸城接収(日本-日本-)編集
1868鳥羽伏見の戦 五箇条の御誓文 戊辰戦争(日本-日本-)編集
1868江戸時代明治時代-[1868年~1912年](日本-日本-江戸時代明治時代)編集
18681鳥羽・伏見の戦い(とばふしみのたたかい)
明治政府(西郷隆盛など)と旧幕府(新撰組:土方歳三など)の戦い。明治政府の勝利。(日本-日本-江戸時代明治時代)
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18681戊辰戦争始まる。(日本-日本-)編集
186813鳥羽伏見の戦い。徳川慶喜の本営大坂城を出発し鳥羽・伏見から京都へ進撃した幕府軍が新政府軍と衝突し敗走。戊辰戦争が始る(日本-日本-江戸時代明治時代)編集
1868119大久保利通が大阪遷都を建議(日本-日本-江戸時代明治時代)編集
1868120薩摩・長州・土佐・肥前の4藩主が版籍奉還を上奏(日本-日本-江戸時代明治時代)編集
1868120岡田啓介(生)(日本-日本-)編集
1868212徳川慶喜が幕府追討軍に恭順の意を示し、江戸城を出て上野寛永寺に移り謹慎(日本-日本-江戸時代明治時代)編集
18683五箇条の御誓文。(日本-日本-)編集
186836甲州勝沼の戦い
明治政府(板垣退助など)と旧幕府(新撰組「甲陽鎮撫隊(こうしゅうちんぶたい)」)との戦い。明治政府の勝利。(日本-日本-江戸時代明治時代)
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1868314「五箇条の御誓文」宣布。新政府の基本方針を示す(日本-日本-江戸時代明治時代)編集
1868314五箇条の御誓文(ごかじょうのごせいもん)-明治政府の基本方針(日本-日本-江戸時代明治時代)編集
1868315五榜の掲示(ごぼうのけいじ)-民衆に対する禁止令(日本-日本-江戸時代明治時代)編集
1868328神仏判然令公布神仏分離独立(日本-日本-江戸時代明治時代)編集
18684会津戦争
明治政府(板垣退助など)と旧幕府(白虎隊など)の戦い。明治政府の勝利。~09(日本-日本-江戸時代明治時代)
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1868411江戸城無血開城(えどじょうむけつかいじょう)
西郷隆盛(明治政府)と勝海舟(旧幕府)の会談により江戸城を明治政府へ明け渡す。(日本-日本-江戸時代明治時代)
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1868419宇都宮城の戦い
明治政府(香川敬三など)と旧幕府(土方歳三など)の戦い。明治政府の勝利。(日本-日本-江戸時代明治時代)
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1868421政体書の公布
三職制に変わる太政官制。太政官七官制(太政官と七官(議政官・行政官・神祇官・会計官・軍務官・外国官・刑法官)による三権分立)。(日本-日本-江戸時代明治時代)
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1868425新選組の近藤勇が処刑される(日本-日本-江戸時代明治時代)編集
18685北越戦争
明治政府(山縣有朋など)と旧幕府(河井継之助など)の戦い。明治政府の勝利。~07(日本-日本-江戸時代明治時代)
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18685太政官札(だじょうかんさつ)の発行-期間限定の紙幣(日本-日本-江戸時代明治時代)編集
186853奥羽越列藩同盟-陸奥・出羽・越後の諸藩同盟(日本-日本-江戸時代明治時代)編集
1868515上野戦争
明治政府(大村益次郎など)と旧幕府(彰義隊など)の戦い。明治政府の勝利。(日本-日本-江戸時代明治時代)
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1868518五稜郭の戦い。榎本武揚らが最後の拠点・五稜郭を開城し維新政府軍に降伏。戊辰戦争が終結し維新政府が全国を統一(日本-日本-江戸時代明治時代)編集
1868519明治政府が最初の政府紙幣・太政官札を発行(日本-日本-江戸時代明治時代)編集
1868625?明治政府が身分制度を再編。大名・公卿を「華族」、武士を「士」と「卒」、農・工・商を「平民」とする(日本-日本-江戸時代明治時代)編集
1868629東京・九段坂上に戊辰戦争以来の戦死者を祀る招魂社を造営。後に靖国神社に改称(日本-日本-江戸時代明治時代)編集
18687曽国藩、直隷総督就任(東アジア-清-)編集
18687江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔書-江戸を東京と改称する(日本-日本-江戸時代明治時代)編集
1868717詔勅により江戸を東亰[とうけい]に改称(日本-日本-江戸時代明治時代)編集
1868815明治政府が蝦夷地を「北海道」と改称する布告(日本-日本-江戸時代明治時代)編集
1868827京都御所で明治天皇の即位の大礼を挙行(日本-日本-江戸時代明治時代)編集
18689一世一元の詔-天皇一代につき元号は一つ
仙台藩・会津藩・庄内藩が明治政府に降伏する(日本-日本-江戸時代明治時代)
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18689明治改元。(日本-日本-)編集
186898明治(めいじ)(1868.9.8-1912)明治から一世一元となった。(日本-日本-江戸時代明治時代)編集
186898明治に改元(日本-日本-江戸時代明治時代)編集
186898明治(めいじ)(1868.9.8-1912)明治から一世一元となった。(日本-日本-)編集
1868920明治天皇が京都を出発し東京へ向かう(日本-日本-江戸時代明治時代)編集
18681013明治天皇が江戸城に入る。名称を東京城と改めて皇居とする(日本-日本-江戸時代明治時代)編集
1868128江戸幕府が沼津兵学校を創立(日本-日本-江戸時代明治時代)編集
18681215旧幕府軍の榎本武揚らが箱館(函館)で蝦夷地の領有を宣言し「蝦夷共和国」を発足(日本-日本-江戸時代明治時代)編集
18681223明治政府が富くじ興行禁止を布告(日本-日本-江戸時代明治時代)編集
1869スエズ運河が開通(アフリカ-アフリカ-)編集
1869アメリカで最初の大陸横断鉄道開通(北米-アメリカ-)編集
1869(11.)スエズ運河開通 工期10年(北米-アメリカ-)編集
1869アメリカで大陸横断鉄道開通(北米-アメリカ-)編集
1869年 アメリカ合衆国で最初の大陸横断鉄道が開通(北米-アメリカ-)編集
1869スエズ運河開通(北米-アメリカ-)編集
1869ドイツ、アイゼナハで社会民主労働者党結成(アイゼナハ派)(西欧-ドイツ-)編集
1869ロシアのメンデレーエフ、ドイツのマイヤー、それぞれ独立に周期律発見(西欧-ドイツ-)編集
1869ロシア、トルストイの「戦争と平和」完成(欧州-ヨーロッパ-)編集
1869バチカン公会議(~1870)(欧州-ヨーロッパ-)編集
1869ロシア、トルストイの「戦争と平和」完成(中欧-ロシア-)編集
18691. 樋口鉄四郎(対馬藩家老)を朝鮮へ派遣、「皇」「勅」書契問題おこる。(日韓併合)(東アジア-朝鮮、大韓帝国日本-)編集
1869版籍奉還官制改革(日本-日本-明治時代)編集
1869藩内寺院を全廃(日本-日本-明治時代)編集
1869東京~横浜間で電信(公衆電報)が開通する(日本-日本-明治時代)編集
1869義達、6月19日版籍奉還する。府中を厳原と改称。義達(重正)、厳原藩知事に任ぜられる。(対馬)(日本-日本-)編集
1869版籍奉還 官制改革(日本-日本-)編集
1869藩内寺院を全廃(日本-日本-)編集
18691薩長土肥四藩主、版籍奉還奏請。(日本-日本-)編集
18693東京奠都(とうきょうてんと)-首都を東京とする(日本-日本-明治時代)編集
18693東京奠都。二官八省制度。(日本-日本-)編集
186934第18代大統領ユリシーズ・シンプソン・グラント(-1877.03.03)(北米-アメリカ-)編集
186934第18代大統領 ユリシーズ・シンプソン・グラント( - 1877.03.03)(北米-アメリカ-)編集
1869328明治天皇が江戸城入場。事実上の遷都(日本-日本-明治時代)編集
18695明治政府(清水谷公考(しみずだにきんなる)など)と旧幕府(榎本武揚など)の戦い。明治政府が勝利して戊辰戦争の終結。(日本-日本-明治時代)編集
18695榎本武揚降伏。戊辰戦争終結(日本-日本-)編集
18696版籍奉還-諸大名の領地(版図)と領民(戸籍)を天皇に返上
四民平等-身分が華族・士族・(卒)・平民となる(日本-日本-明治時代)
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18696版籍奉還に勅許降る。(日本-日本-)編集
18697二官六省制
二官(神祇官・太政官)、六省(民部省・大蔵省・兵部省・刑部省・宮内省・外務省)となる。(日本-日本-明治時代)
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18698蝦夷を北海道と改称する(日本-日本-明治時代)編集
186911スエズ運河開通工期10年(北米-アメリカ-)編集
1869114総合学術誌「ネイチャー」が創刊(イギリス)。(西欧-イギリス-)編集
1869114総合学術誌「ネイチャー」が創刊(イギリス)。(西欧-イギリス-)編集
1870アメリカでロックフェラー、スタンダード石油創設(北米-アメリカ-)編集
1870アメリカ合衆国憲法修正第15条(黒人選挙権)(北米-アメリカ-)編集
1870ガソリン自動車が発明される(北米-アメリカ-)編集
1870アメリカでロックフェラー、スタンダード石油創設(北米-アメリカ-)編集
1870アメリカ合衆国憲法修正第15条(黒人選挙権)(北米-アメリカ-)編集
1870フランス、セダン陥落。パリで暴動、第三共和政宣言(~1940)(西欧-フランス-)編集
1870フランス、第3共和制(西欧-フランス-)編集
1870普仏戦争勃発(~1871)(西欧-フランス-)編集
1870普仏戦争勃発(~1871)(ヨーロッパ-プロイセン、フランス-)編集
1870イタリア王国、ローマを併合(欧州-ヨーロッパ-)編集
18701. 佐田白茅を朝鮮へ派遣。10. 吉岡弘毅を朝鮮へ派遣。(日韓併合)(東アジア-朝鮮、大韓帝国日本-)編集
1870平民に苗字を許す(日本-日本-明治時代)編集
1870平民に苗字を許す(日本-日本-)編集
18701大教宣布-天皇を神格化して神道を国教にする詔(日本-日本-明治時代)編集
18702樺太開拓使-樺太開拓の官庁。(日本-日本-明治時代)編集
187041濱口雄幸(生)(日本-日本-)編集
18707李鴻章、直隷総督就任(東アジア-清-)編集
187010工部省(こうぶしょう)の設置(日本-日本-明治時代)編集
187012新律綱領(しんりつこうりょう)-刑法典(日本-日本-明治時代)編集
1871アメリカでインディアン、最後の抵抗戦争(~1886)(北米-アメリカ-)編集
1871アメリカのエジソン、印字電信機を発明(北米-アメリカ-)編集
1871ドイツ帝国、成立(~1918)(西欧-ドイツ-ドイツ)編集
1871ドイツ帝国成立。ウィルヘルム1世、皇帝即位(~1888)(西欧-ドイツ-)編集
1871ドイツ帝国憲法発布。ビスマルク、宰相となる(西欧-ドイツ-)編集
1871ドイツ、ビスマルクの教壇条項発布。文化闘争始まる(~1878)(西欧-ドイツ-)編集
1871ドイツ帝国、成立(~1918)(西欧-ドイツ-)編集
1871フランス、パリ・コミューン成立(西欧-フランス-)編集
1871フランス、ドイツに降伏、プロイセン・フランス戦争終わる(西欧-フランス-)編集
1871フランス、チエール大統領就任(西欧-フランス-)編集
1871パリ=コミューン成立(西欧-フランス-)編集
18711871琉球漂流民殺害の牡丹社事件起こる。(東アジア-台湾-)編集
1871日本植民地時代1874(東アジア-台湾-)編集
1871清国政府がその経営に積極的な姿勢を示すようになったのは、台湾島南部の牡丹社に漂着した琉球宮古島の漁民が台湾住民によって殺害されるという事件に端を発した1873年の日本台湾出兵以降のことであった。日本の出兵後の1884年にはフランスが澎湖島を占領するという事件がおこった。外的勢力に台湾を脅かされて、清国政府はようやくにして積極的な経営にのりだすことになったのである。清国政府は1884年に洋務運動の推進者李鴻章の部下劉銘伝を初代の台湾巡撫として派遣し、この地の統治の任にあたらせた。洋務派の劉は合理主義的な統治を求めて1885年に台湾を独立省とし、ここで台湾史上初の区画整理と人口調査を試みた。(東アジア-台湾-)編集
18716. アタリカ艦隊江華島攻撃(辛未洋擾)。9. 日清修好条規・通商章程調印。11. 岩倉具視らを欧米へ派遣。(日韓併合)(東アジア-朝鮮、大韓帝国日本-)編集
18711871年辛未洋擾、米軍、江華島で報復。朝鮮軍敗北も「賛国維持」で勝利と宣伝。(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
1871辛未洋擾、アメリカ艦隊、江華島へ侵攻(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
1871辛未洋擾.アメリカの艦隊が江華島に侵入,撃退(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
1871辛未洋擾、アメリカ艦隊、江華島へ侵攻(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
1871辛未洋擾国史年表(国史年表)(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
1871戸籍法改正廃藩置県金本位制(日本-日本-明治時代)編集
1871鹿児島県設置(日本-日本-明治時代)編集
1871宮古島島民遭難事件-宮古島の島民が遭難して台湾の住民に殺害(日本-日本-明治時代)編集
1871重正、知事の職を免ぜられる。廃藩置県。8月7日厳原藩を厳原県と改称。9月4日に伊万里県に合併。(対馬)(日本-日本-)編集
1871戸籍法改正 廃藩置県 金本位制(日本-日本-)編集
1871鹿児島県設置(日本-日本-)編集
18714壬申戸籍(じんしんこせき)の制定
前島密(まえじまひそか)により郵便制度が開始(日本-日本-明治時代)
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1871419武士のみに許されていた乗馬が一般でも許可される。(日本-日本-明治時代)編集
18715新貨条例-貨幣単位を円・銭・厘の十進法にする(以前は四進法)(日本-日本-明治時代)編集
187163天津で日清修好条規・通商章程調印(東アジア-清-)編集
18717廃藩置県-藩を廃止して県・府(初期は3府302県)とする
日清修好条規-日本と清との対等条約
太政官三院八省制
太政官と三院(正院・左院・右院)、八省(司法省・兵部省・大蔵省・外務省・宮内省・神祗省・工部省・文部省)からなる。(日本-日本-明治時代)
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1871714廃藩置県(日本-日本-明治時代)編集
18718解放令-えた・ひにんの廃止
散髪脱刀令-散髪と脱刀の自由(日本-日本-明治時代)
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18719田畑勝手作許可(でんぱたかってさくきょか)-田畑の自由作付(日本-日本-明治時代)編集
1871913日清修好条規(東アジア-清-)編集
187110岩倉具視を中心とする遣欧使節団派遣。(日本-日本-)編集
187111岩倉使節団-岩倉具視・大久保利通・木戸孝允らによる欧米使節団(日本-日本-明治時代)編集
18729. 花房義質を朝鮮へ派遣、朝鮮政府退去を要求。草梁倭館を接収、日本公館とする。(日韓併合)(東アジア-朝鮮、大韓帝国日本-)編集
1872天皇鹿児島臨幸士族の知行制廃止(日本-日本-明治時代)編集
1872東京・横浜間に鉄道開通徴兵制度公布(日本-日本-明治時代)編集
18725月29日佐賀県と称する。8月17日長崎県へ移管される。韓語学所を久田道光清寺に開設。(対馬)(日本-日本-)編集
1872天皇鹿児島臨幸 士族の知行制廃止(日本-日本-)編集
1872東京・横浜間に鉄道開通 徴兵制度公布(日本-日本-)編集
18722陸軍省・海軍省の設置
田畑永代売買禁止令の解除
福沢諭吉の「学問のすすめ」ができる(日本-日本-明治時代)
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18725東京招魂社(とうきょうしょうこんしゃ-靖国神社の前進)の本殿完成(日本-日本-明治時代)編集
18728学制-学校制度による義務教育(日本-日本-明治時代)編集
1872811幣原喜重郎(生)(日本-日本-)編集
18729新橋~横浜間で鉄道(蒸気機関車)が開業する
沖縄を琉球藩とする(日本-日本-明治時代)
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187210芸娼妓解放令(げいしょうぎかいほうれい)-遊女の人身売買禁止
群馬県富岡市に富岡製糸場(官営模範工場)が開業する
横浜でガス燈が点灯する(日本-日本-明治時代)
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187210太陽暦採用。(日本-日本-)編集
187211徴兵告諭-徴兵制度の告知
太陽暦を導入する(旧暦明治5年12月3日を明治6年1月1日とする)
国立銀行条例-国立銀行に関する条例(日本-日本-明治時代)
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1873アメリカに経済恐慌 - 世界的な構造不況(北米-アメリカ-)編集
1873イギリス、チリ硝石採掘開始(北米-アメリカ-)編集
1873イギリス 明暗を電気の強弱に変えて遠方に伝えるテレビジョンの開発始まる(テレビ)(西欧-イギリス-)編集
1873三帝同盟成立成立(ドイツ、オーストリア、ロシア)(西欧-ドイツ、オーストリア、ロシア-)編集
1873三帝同盟成立(ドイツ、オーストリア、ロシア)(西欧-ドイツ、オーストリア、ロシア-)編集
1873フランスと南越が交戦(~1874)(西欧-フランス-)編集
1873スペイン、共和革命でアマデオ1世退位、共和政成立(~1874)(欧州-ヨーロッパ-)編集
1873朝鮮で閔氏が政権を奪取(東アジア-朝鮮-)編集
1873朝鮮で閔氏が政権を奪取(東アジア-朝鮮-)編集
18738. 閣議、参議西郷隆盛の朝鮮派遣決定。10. 西郷の朝鮮派遣を無期延期、征韓派5参議下野(明治6年10月政変)。 12. 閔氏政権成立。(日韓併合)(東アジア-朝鮮、大韓帝国日本-)編集
1873大院君追放、閔妃を中心にした閔氏政権の成立》(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
18731873年大院君失脚により、閔一族の権勢。高宗、親政。
同族争いの歴史
輿宣大院君━┳━┃高宗━━━閔妃(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)
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18731873年(明治6年)征韓論争(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
1873大院君政権が倒れ、閔氏政権が成立(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
1873フランスと南越が交戦(~1874)(アジア-南越、フランス-)編集
1873征韓論西郷ら参議を辞任(日本-日本-明治時代)編集
1873第五国立銀行鹿児島支店開業(日本-日本-明治時代)編集
1873都城・美々津を廃止、鹿児島県に大隈国を併合(日本-日本-明治時代)編集
1873征韓論 西郷ら参議を辞任(日本-日本-)編集
1873第五国立銀行鹿児島支店開業(日本-日本-)編集
1873都城・美々津を廃止、鹿児島県に大隈国を併合(日本-日本-)編集
18731徴兵令-国民皆兵の理念。その後、一部で徴兵令反対一揆が発生
神武天皇即位紀元-皇紀(こうき)の制定(日本-日本-明治時代)
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18731徴兵制公布。(日本-日本-)編集
18732リスト教が解禁される(日本-日本-明治時代)編集
1873223同治新政(東アジア-清-)編集
18736改定律例-主に新律綱領(刑法典)の修正(日本-日本-明治時代)編集
18736岩倉ら遣欧使節団帰朝。(日本-日本-)編集
18737地租改正
土地所有者は地租(土地の租税=地価の3%に当たる現金)を納入する。現在の固定資産税に継承される。(日本-日本-明治時代)
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187310明治六年政変
岩倉使節団(岩倉具視・大久保利通・木戸孝允・伊藤博文など)が欧米にいる際に留守政府(西郷隆盛・板垣退助・後藤象二郎・大隈重信・江藤新平など)では征韓論が高まっていた。岩倉具視らが帰国後、西郷隆盛の案に反対する。明治天皇は岩倉具視の案を採用した。その結果、西郷隆盛・板垣退助・後藤象二郎・江藤新平などは辞職する。(日本-日本-明治時代)
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187310征韓論争。(日本-日本-)編集
187310征韓派敗れ、西郷隆盛、板垣退助、江藤新平、副島種臣など連袂辞職(明治六年の政変)。(日本-日本-)編集
187311内務省を設置する(初代内務卿は大久保利通)(日本-日本-明治時代)編集
187311内務省設立(内務卿・大久保利通)。(日本-日本-)編集
1873123旧暦から新暦に変換(日本-日本-明治時代)編集
1874万国郵便連合の成立(--)編集
1874万国郵便連合の成立(欧州-ヨーロッパ-)編集
1874スペイン、アルフォンソ12世の王政復古(欧州-ヨーロッパ-)編集
1874ロシア、「ブ・ナロード」運動の最盛期(欧州-ヨーロッパ-)編集
1874台湾には1874年に日本が初めて出兵し、さらに日清戦争後の1895年、下関条約で日本に割譲され、以後1945年まで植民地支配が続いた。(東アジア-台湾-)編集
1874日本台湾出兵
1874年、日本の明治政府は、71年に起こった琉球王国の宮古島の漁民が台湾に漂着して、先住民に殺害されたことへの報復を口実に台湾出兵を実行した。これは近代日本の最初の海外派兵であったが、そのねらいは、琉球が日本に帰属する島であることを清朝に認めさせることにあった。清朝はすでに成立していた日清修好条規に反するとして抗議したが、当時はまだ洋務運動の最中で、近代装備の海軍を有していなかったので日本に対抗することが出来ず、イギリスの仲介で日本の出兵を認め、賠償金を支払って決着させた。結果として、清は琉球が日本領であることを認めることとなった。一方、台湾が清国領であることも確定したので、清朝は1885年に台湾省を設置、劉銘伝を初代巡撫として直接統治を開始した。清朝は台湾版洋務運動ともいうべき産業近代化を開始し、基隆(キールン)炭坑の開発、大陸との海底電線、鉄道の建設などを計画した。これらは保守派の抵抗で多くは挫折したが、十年後に始まる日本統治時代の開発を基礎づけるものであった。(東アジア-台湾-)
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18741874日本、台湾に出兵。(東アジア-台湾-)編集
1874台湾出兵(東アジア-台湾-)編集
18741874年、日本の明治政府が琉球漁民の殺害に対する報復を口実に台湾に出兵した。日本最初の海外派兵。(東アジア-台湾-)編集
18741871年、当時の琉球王国に属する宮古島の貢納船が台湾に漂着し、54名が台湾人の牡丹社という「生蕃」に殺害されるという事件が起こった。生蕃とは清朝の支配を受けていない先住民の少数民族を意味する。当時、琉球は日本と清の双方に朝貢する「両属」の国とされ、両国間でその帰属を巡って対立が生じ始めていた。明治政府はこの琉球島民遭難事件を琉球帰属問題に利用しようと考え、さっそく外務卿副島種臣が清政府に打診したところ、清朝の総理各国事務衙門(総理衙門)は、琉球は中国の属国であるからその島民は日本人ではないとし、台湾の生蕃については清朝の「化外の民」(統治範囲外の人々)であるから、関係がないと答えた。(東アジア-台湾-)編集
1874そこで明治政府は、琉球人は日本国民であり、生蕃にたいして清朝が処罰できないなら、自ら討伐するとして、1874年5月、陸軍中将西郷従道の指揮の下、3600名の台湾遠征軍を派遣した。遠征軍は牡丹社の頭領親子を殺害したが、マラリアで500人以上が死ぬという事態となった。清朝は、日清修好条規に定める領土の相互不可侵の項目に反するとして抗議したが、当時は洋務運動の最中で、近代装備の海軍を有していなかったので、開戦に踏み切れなかった。(東アジア-台湾-)編集
1874両国は、同年10月、北京駐在のイギリス公使ウェードの仲介によって妥協を成立させた。イギリス及び諸外国は、日本と清の戦争はアジアを不安定にし、貿易活動に障害となることを恐れたのであった。この妥協では、清国は日本の出兵を「義挙」と認め、賞金を50万両支払うという内容であった。その和解書の文面に「台湾の生蕃かつて日本国臣民らに対して妄りに害を加え」という一文があったので、明治政府は清朝が琉球を日本の一部であると認めた、と解釈し、琉球併合を推し進めることとなる。(東アジア-台湾-)編集
1874台湾出兵の意義(東アジア-台湾-)編集
18741874(明治7)年の日本台湾出兵は、近代日本の最初の海外出兵であった。当時日本では、西郷隆盛らが盛んに征韓論という朝鮮半島への出兵を主張していたが、大久保利通ら政府首脳は内治優先を主張して鋭く対立し、ついに西郷らの下野、そして1877(明治10)年の西南戦争という内戦に向かっていく。その一方で行われた台湾出兵は、琉球帰属問題という朝鮮問題と並ぶもう一つの領土問題の懸案だった。こちらに対しては内治派の大久保らも出兵を推進しており、明治政府の基本姿勢は翌75年の江華島事件とともに、対外膨張路線であったことが明らかである。そして台湾出兵は、琉球帰属問題の解決後の琉球処分(琉球併合)、さらにその後の台湾領有に向けての第一歩となった。(東アジア-台湾-)編集
1874日本による台湾出兵(東アジア-台湾、日本-)編集
18745.~10. 日本軍、台湾出兵9. 日本公館長森山茂と東莱府使との閧に交渉開始合意。(日韓併合)(東アジア-朝鮮、大韓帝国日本-)編集
18741874年(明治7年)純宗、出産。高宗、妾に男子有り。(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
1874佐賀の乱(日本-日本-明治時代)編集
1874台湾征討に鹿児島徴募兵多数出兵私学校設立(日本-日本-明治時代)編集
1874日本が台湾に出兵(日本-日本-明治時代)編集
1874佐賀の乱(日本-日本-)編集
1874台湾征討に鹿児島徴募兵多数出兵 私学校設立(日本-日本-)編集
18741板垣退助らが愛国公党を設立。自由民権運動が開始する
民撰議院設立建白書-板垣退助・後藤象二郎らが国会設立を要望
警視庁が設立する(日本-日本-明治時代)
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18741民選議員設立の建白書提出。(日本-日本-)編集
18742佐賀の乱-江藤新平らによる反乱(首領・江藤新平)(日本-日本-明治時代)編集
18744板垣退助らが立志社を設立する(日本-日本-明治時代)編集
18744台湾出兵(日本-日本-)編集
187444日本台湾出兵(日本-日本-)編集
18745台湾出兵-宮古島島民遭難事件などの影響で出兵。日本の勝利(日本-日本-明治時代)編集
1874522台湾出兵(西郷従道軍3千名、台湾攻撃)(東アジア-台湾-)編集
1874522日本軍、台湾に上陸(日本-日本-)編集
187410屯田兵-北海道の開拓(日本-日本-明治時代)編集
18741031日清両国間互換条款琉球の日本帰属と日本国臣民へ、台湾全島の清国領有を国際的承認(東アジア-台湾-)編集
18741031日本台湾出兵につき、清は日本に50万両支払い、日本軍は台湾から撤退(日本-日本-)編集
1875アメリカ、ウィスキー汚職事件、グラント側近連座(北米-アメリカ-)編集
1875ドイツ、ドイツ社会主義労働者党(のちの社会民主党)結成、ゴータ綱領を採択(西欧-ドイツ-)編集
1875ボスニア・ヘルツェゴビナで対トルコ反乱(欧州-ヨーロッパ-)編集
1875清・愛新覚羅氏・・徳宗・光緒帝(東アジア-清-)編集
1875清の光緒帝即位、西太后が摂政(東アジア-清-)編集
1875光緒帝・即位 -1908(東アジア-清-)編集
1875清・愛新覚羅氏・・ 徳宗・光緒帝(東アジア-清-)編集
1875清の光緒帝即位、西太后が摂政(東アジア-清-)編集
1875徳宗景皇帝(光緒帝、載&#28233(-清(後金)-)編集
1875徳宗景皇帝(光緒帝、載湉)(東アジア-中国、清(後金)-清(後金))編集
18752. 森山茂理事官、釜山着任、朝鮮政府と意見対立(7月 金継運との会見拒否、9. 帰国)。(日韓併合)(東アジア-朝鮮、大韓帝国日本-)編集
18759. 「雲揚」、江華島・永宗島攻撃(江華島事件)。10. 参議木戸孝允、朝鮮政策につき意見書提出。12. 参議黒田清隆を朝鮮派遣全権大使に任命。(日韓併合)(東アジア-朝鮮、大韓帝国日本-)編集
18751875江華島事件(日本が朝鮮との国交通商を要求し武力示威した事件)(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
18751875年(明治8年)清に息子を王世子と認めてもらう。(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
18751875年(明治8年)日本軍と朝鮮軍との間で江華島事件(こうかとうじけん)がおきます。これは、日本軍が朝鮮付近の海を測量したのに対して朝鮮軍との間に衝突が起きたのですね。日本に媚びる。(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
1875江華島事件(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
1875江華島事件(日本が朝鮮との国交通商を要求し武力示威した事件)(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
1875江華島事件。雲揚号が江華島へ侵攻(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
1875日本の軍艦雲揚号江華島へ侵入.武力示威を展開.永宗島占拠(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
1875江華島事件。雲揚号が江華島へ侵攻(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
1875雲揚号事件国史年表(国史年表)(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
1875樺太・千島交換条約(日本-日本-明治時代)編集
1875旧藩札の処分完了(日本-日本-明治時代)編集
1875日本とロシアが樺太千島交換条約を締結(日本-日本-明治時代)編集
1875樺太・千島交換条約(日本-日本-)編集
1875旧藩札の処分完了(日本-日本-)編集
1875日本とロシアが樺太千島交換条約を締結(日本-日本-)編集
1875112同治帝崩御、光緒帝即位(東アジア-清-)編集
18752大阪会議-大久保利通・板垣退助・木戸孝允らの政府方針の会議
平民苗字必称義務令-平民の苗字の義務化
板垣退助が愛国社を設立する(日本-日本-明治時代)
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18754漸次立憲政体樹立の詔
元老院・大審院・地方官会議を設置。漸次、政治を立憲政体にする。(日本-日本-明治時代)
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18754元老院、大審院設置。立憲政体樹立の詔渙発。(日本-日本-)編集
18755樺太・千島交換条約-日本とロシア帝国との領土交換(日本-日本、ロシア-明治時代)編集
18755ロシアとの間に千島樺太交換条約。(日本-日本、ロシア-)編集
187553左宗棠、欽差大臣に任じられ、新彊問題にあたる(東アジア-清-)編集
18756讒謗律(ざんぼうりつ)・新聞紙条例-言論弾圧を目的とした条例(日本-日本-明治時代)編集
18759江華島事件-日本李氏朝鮮との戦い。日本の勝利(日本-日本-明治時代)編集
18751124阿部信行(生)(日本-日本-)編集
1876アメリカ、ベルが電話機を発明、エジソンが蓄音機を発明(北米-アメリカ-)編集
1876メキシコでディアスの独裁政開始(~1911)(北米-アメリカ-)編集
1876年 2月14日 - グラハム・ベルが電話機を発明(北米-アメリカ-)編集
1876アメリカのベル、電話機を発明(北米-アメリカ-)編集
1876アメリカ、ベルが電話機を発明、エジソンが蓄音機を発明(北米-アメリカ-)編集
1876イギリスのビクトリア女王、インド女帝となる(南アジア-インド、イギリス-)編集
1876セルビア、モンテネグロ、対トルコ宣戦(欧州-ヨーロッパ-)編集
1876ロシア、コーカンド・ハン国を征服(欧州-ヨーロッパ-)編集
18761. 森有礼公使、李鴻章と会談。清国政府、朝鮮国王に開国を勧告。2. 黒田全権ら江華島に上陸(11日より交渉開始)。日朝修好条規調印(27日)。5. 第1回修信使(金騎秀)来日。8日朝修好条規付録、日本国人民貿易規則(通商章程)調印。(日韓併合)(東アジア-朝鮮、大韓帝国日本-)編集
1876日本と江華島条約(日朝修好条規)締結(東アジア-朝鮮、日本李氏朝鮮-)編集
18761876日朝修好条規を結ぶ、釜山など三港の開港と自由貿易、開港場の居留地、日本商民への領事裁判権の承認、日本貨幣の流通、輸出入品への関税免除など、参考:、(1880)日本公使の常駐、元山の開港、無関税規定の改定、(1883)仁川の開港(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
18761876年江華島条約江華島事件の翌年には、日本は朝鮮との間に不平等条約「日朝修好条規」を結ぶことに成功しました。この日朝修好条規により朝鮮は日本に対して釜山、元山、仁川を開港し、開港地には日本の居留地を設定しなければならず、領事裁判権を認め、関税自主権も失うことになります。これによって、日本人が朝鮮に渡って、米の流通を牛耳ってしまうんですね。そして、大量の穀物などが日本に輸入され、朝鮮では穀物の価格がどんどん高くなってしまう事態となります。1876年には、当時の開国派政権との間で、いわゆる江華島条約(日朝修好条規)を締結する。これに引き続いて、アメリカ、フランス、ロシアなどと、相次いで通商条約を結ぶことになる。(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
18761876年王朝内部の抗争は、絶えることなく続くが、一方で、徐々に迫ってくる諸外国に対しては、とうとう強硬な鎖国政策をとることとなる。だが、これが、後年、朝廷混乱に拍車をかけることになる。(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
18761876年(明治9年)日朝修好条規清の宗主権を否定両班でない階層は、親日派で近代化を目指す宮中で興宣大院君閔妃が権力争いを繰り返す日清の条約の後
※両班朝鮮の身分制度・・・千年にわたる、非人間的な身分制度
貴族・・・王族及びその縁者両班・・・特権階級併合前の李氏朝鮮末期、戸籍上の半数中人・・・官僚機構をになう専門職常民・・・多くが小作農、実質的な人権がない常奴の蔑称も七賎・・・賎民階層(商人、船夫、獄卒、逓夫、僧侶、白丁、巫女、李朝時代には妓生(きいせん))白丁は戸籍が無く、性も無い、その他いくつもの禁止事項が。奴婢・・・家畜同然で、他人に売買はされる存在。(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)
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18761876年(明治9年)日朝修好条規清の宗主権を否定両班でない階層は、親日派で近代化を目指す宮中で興宣大院君閔妃が権力争いを繰り返す日清の条約の後
※両班朝鮮の身分制度・・・千年にわたる、非人間的な身分制度
貴族・・・王族及びその縁者
両班・・・特権階級併合前の李氏朝鮮末期、戸籍上の半数
中人・・・官僚機構をになう専門職
常民・・・多くが小作農、実質的な人権がない常奴の蔑称も
七賎・・・賎民階層(商人、船夫、獄卒、逓夫、僧侶、白丁、巫女、李朝時代には妓生(きいせん))白丁は戸籍が無く、性も無い、その他いくつもの禁止事項が。
奴婢・・・家畜同然で、他人に売買はされる存在。(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)
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1876日朝修好条規締結1867(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
1876王朝内部の抗争は、絶えることなく続くが、一方で、徐々に迫ってくる諸外国に対しては、とうとう強硬な鎖国政策をとることとなる。だが、これが、後年、朝廷混乱に拍車をかけることになる。しかし、やがて、1875年、日本軍は、開国を求めて、江華島に侵入し、1876年には、当時の開国派政権との間で、いわゆる江華島条約(日朝修好条規)を締結する。これに引き続いて、アメリカ、フランス、ロシアなどと、相次いで通商条約を結ぶことになる。(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
1876江華条約(日朝修好条規)調印。釜山港開港(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
1876日朝修好条規を結ぶ、釜山など三港の開港と自由貿易、開港場の居留地、日本商民への領事裁判権の承認、日本貨幣の流通、輸出入品への関税免除など、参考:、(1880)日本公使の常駐、元山の開港、無関税規定の改定、(1883)仁川の開港(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
1876江華条約(日朝修好条規)調印。釜山港開港(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
1876江華島条約を締結国史年表(国史年表)(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
1876大久保内務卿、大山県令に県政改革を迫り、県令応ぜず(日本-日本-明治時代)編集
1876日朝修好条規の締結(朝鮮の開国)(日本-日本-明治時代)編集
1876廃刀令(日本-日本-明治時代)編集
1876国立銀行条例の改正(日本-日本-明治時代)編集
1876大久保内務卿、大山県令に県政改革を迫り、県令応ぜず(日本-日本-)編集
1876日朝修好条規の締結(朝鮮の開国)(日本-日本-)編集
1876廃刀令(日本-日本-)編集
18762日朝修好条規-日本李氏朝鮮との条約(日本-日本、朝鮮-明治時代)編集
18762朝鮮国との間に日朝修好条規。(日本-日本、朝鮮-)編集
1876223林銑十郎(生)(日本-日本-)編集
1876226日朝修好条約(江華条約)調印(東アジア-清-)編集
18763廃刀令-帯刀禁止令。士族に強い不満が募る(日本-日本-明治時代)編集
1876328廃刀令公布(日本-日本-明治時代)編集
18766秩禄処分(ちつろくしょぶん)-華士族への秩禄支給の廃止(日本-日本-明治時代)編集
18768金禄公債証書発行条例-以前の秩禄受給者に金禄公債を発行する(日本-日本-明治時代)編集
18769元老院に国憲起草(憲法の草稿)の勅命が下る(日本-日本-明治時代)編集
187610神風連の乱・萩の乱・秋月の乱-武士の特権が失われ士族が反乱(日本-日本-明治時代)編集
187610神風連の乱、秋月の乱、萩の乱、相次いで起こる。(日本-日本-)編集
187612伊勢暴動-地租改正の反対一揆(日本-日本-明治時代)編集
1877アメリカのエジソンが蓄音機を発明(北米-アメリカ-)編集
1877(7.9)第1回ウィンブルドン選手権(?7月19日)(北米-アメリカ-)編集
1877「妥協」によりアメリカ共和党のヘイズの当選確定し、ヘイズ、アメリカ第19代大統領に就任(~1881)(北米-アメリカ-)編集
1877アメリカ、南部より連邦軍隊撤退、再建時代終る(北米-アメリカ-)編集
1877アメリカで鉄道大ストライキ(北米-アメリカ-)編集
1877年トーマス・エジソン(30才)、蓄音機の実用化(商品化)(北米-アメリカ-)編集
1877エジソンが蓄音機を発明(北米-アメリカ-)編集
1877アメリカのエジソンが蓄音機を発明(北米-アメリカ-)編集
1877イギリス、トランスバールの併合を宣言(西欧-イギリス-)編集
1877ビクトリア女王がインド女帝となる(南アジア-インド-)編集
1877イギリスがインド帝国をつくる(南アジア-インド、イギリス-)編集
1877ビクトリア女王がインド女帝となる(南アジア-インド、イギリス-)編集
1877イギリスがインド帝国をつくる(南アジア-インド、イギリス-)編集
1877露土戦争の勃発(~1878)(欧州-ヨーロッパ-)編集
1877第六次ロシア・トルコ戦争起こる(~1878)(欧州-ヨーロッパ-)編集
1877露土戦争の勃発(~1878)(中欧-ロシア、トルコ-)編集
18779. 花房義質代理公使を開港交渉のため朝鮮へ派遣、成功せず。(日韓併合)(東アジア-朝鮮、大韓帝国日本-)編集
1877西南戦争1877(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
1877釜山に日本人居留地設置(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
1877城山陥落、西郷ら自刃(日本-日本-明治時代)編集
1877西南戦争(2月→9月)和宮死去(日本-日本-明治時代)編集
1877西南戦争-西郷隆盛を筆頭にした士族の反乱。政府の勝利(日本-日本-明治時代)編集
1877城山陥落、西郷ら自刃(日本-日本-)編集
1877西南戦争(2月→9月) 和宮死去(日本-日本-)編集
18772西南戦争(前参議・西郷隆盛、薩摩で蜂起)。(日本-日本-)編集
1877明治時代1→明治時代2編集
187734第19代大統領 ラザフォード・バーチャード・ヘイズ( - 1881.03.03)(北米-アメリカ-)編集
18774東京大学が設立する(日本-日本-明治時代)編集
18775木戸孝允病死。(日本-日本-)編集
18776片岡健吉が立志社建白(国会設立・立憲政体など)を提出するが却下(日本-日本-明治時代)編集
18776立志社建白。(日本-日本-)編集
18778第一回内国勧業博覧会が開催する(日本-日本-明治時代)編集
18779薩軍敗退、西郷自殺。西南戦争終結。最後の士族武装蜂起となる。(日本-日本-)編集