歴史・人名

明治時代2

   明治時代(--)追加
1877(7.9)第1回ウィンブルドン選手権(?7月19日)(北米-アメリカ-)編集
1877「妥協」によりアメリカ共和党のヘイズの当選確定し、ヘイズ、アメリカ第19代大統領に就任(~1881)(北米-アメリカ-)編集
1877アメリカ、南部より連邦軍隊撤退、再建時代終る(北米-アメリカ-)編集
1877アメリカで鉄道大ストライキ(北米-アメリカ-)編集
1877年トーマス・エジソン(30才)、蓄音機の実用化(商品化)(北米-アメリカ-)編集
1877アメリカのエジソンが蓄音機を発明(北米-アメリカ-)編集
1877アメリカのエジソンが蓄音機を発明(北米-アメリカ-)編集
1877イギリス、トランスバールの併合を宣言(西欧-イギリス-)編集
1877ビクトリア女王がインド女帝となる(南アジア-インド-)編集
1877イギリスがインド帝国をつくる(南アジア-インド、イギリス-)編集
1877ビクトリア女王がインド女帝となる(南アジア-インド、イギリス-)編集
1877イギリスがインド帝国をつくる(南アジア-インド、イギリス-)編集
1877露土戦争の勃発(~1878)(欧州-ヨーロッパ-)編集
1877第六次ロシア・トルコ戦争起こる(~1878)(欧州-ヨーロッパ-)編集
1877露土戦争の勃発(~1878)(中欧-ロシア、トルコ-)編集
18779. 花房義質代理公使を開港交渉のため朝鮮へ派遣、成功せず。(日韓併合)(東アジア-朝鮮、大韓帝国、日本-)編集
1877西南戦争1877(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
1877釜山に日本人居留地設置(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
1877城山陥落、西郷ら自刃(日本-日本-明治時代)編集
1877西南戦争(2月→9月)和宮死去(日本-日本-明治時代)編集
1877西南戦争-西郷隆盛を筆頭にした士族の反乱。政府の勝利(日本-日本-明治時代)編集
1877明治時代明治時代2(日本-日本-)編集
1877城山陥落、西郷ら自刃(日本-日本-)編集
1877西南戦争(2月→9月) 和宮死去(日本-日本-)編集
18772西南戦争(前参議・西郷隆盛、薩摩で蜂起)。(日本-日本-)編集
187734第19代大統領ラザフォード・バーチャード・ヘイズ(-1881.03.03)(北米-アメリカ-)編集
187734第19代大統領 ラザフォード・バーチャード・ヘイズ( - 1881.03.03)(北米-アメリカ-)編集
18774東京大学が設立する(日本-日本-明治時代)編集
18775木戸孝允病死。(日本-日本-)編集
18776片岡健吉が立志社建白(国会設立・立憲政体など)を提出するが却下(日本-日本-明治時代)編集
18776立志社建白。(日本-日本-)編集
18778第一回内国勧業博覧会が開催する(日本-日本-明治時代)編集
18779薩軍敗退、西郷自殺。西南戦争終結。最後の士族武装蜂起となる。(日本-日本-)編集
1878ドイツのビスマルク、社会主義者鎮圧法を制定(西欧-ドイツ-)編集
1878ロシア、「土地と自由」党結成(欧州-ヨーロッパ-)編集
1878サン・ステファノ条約で、ロシア・トルコ講和(欧州-ヨーロッパ-)編集
1878ベルリン会議でサン・ステファノ条約を修正し、ロシアの南下政策を阻止。セルビアモンテネグロ、ルーマニア完全独立達成(欧州-ヨーロッパ-)編集
18789. 朝鮮政府、釜山港輸出入品につき朝鮮商人に課税(12月廃止)。(日韓併合)(東アジア-朝鮮、大韓帝国、日本-)編集
1878大久保利通暗殺される(日本-日本-明治時代)編集
1878厳原中学校創立。(対馬)(日本-日本-)編集
1878大久保利通暗殺される(日本-日本-)編集
1878214廣田弘毅(生)(日本-日本-)編集
18783東京で電灯が点灯する(日本-日本-明治時代)編集
18785紀尾井坂の変(きおいざかのへん)-内務卿:大久保利通が暗殺(日本-日本-明治時代)編集
18785大久保利通暗殺。(日本-日本-)編集
18786東京株式取引所が開業する(日本-日本-明治時代)編集
18787郡制-郡区町村編制法
府県会規則-各府県に府県会を設置する(日本-日本-明治時代)
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18788竹橋事件-近衛兵による反乱(日本-日本-明治時代)編集
1878922吉田茂(生)(日本-日本-)編集
187812新彊省を新設(東アジア-清-)編集
187812陸軍省から独立して参謀本部が創立(日本-日本-明治時代)編集
187812参謀本部設置(統帥権独立の端緒)。(日本-日本-)編集
1879三帝同盟崩壊、独墺同盟成立(--)編集
1879エジソンが白熱電灯を発明(北米-アメリカ-)編集
1879アメリカのエジソン、炭素電球を発明(北米-アメリカ-)編集
1879白熱球、実用化へ(北米-アメリカ-)編集
1879エジソンが白熱電灯を発明(北米-アメリカ-)編集
1879硝石をめぐるチリ、ペルー、ボリビアの戦争始まる(~1884)(北米-アメリカ-)編集
1879エジソンが白熱電灯を発明(北米-アメリカ-)編集
1879硝石をめぐるチリ、ペルー、ボリビアの戦争始まる(~1884)(中南米-チリ、ペルー、ボリビア-)編集
1879ドイツ・オーストリア同盟成立(西欧-ドイツ-)編集
1879ドイツ、保護関税法成立(西欧-ドイツ-)編集
1879三帝同盟崩壊、独墺同盟成立(欧州-ヨーロッパ-)編集
1879ロシア、ナロードニキの分裂。「人民の意志」党(テロリスト)の結成(欧州-ヨーロッパ-)編集
18794. 琉球藩廃止、沖縄県設置。6. 花房代理公使、朝鮮政府と開港交渉(仁川開港を断念)。(日韓併合)(東アジア-朝鮮、大韓帝国、日本-)編集
1879池錫永,種痘法実施(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
1879池錫永、種痘法実施国史年表(国史年表)(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
1879教育令制定琉球藩を沖縄県とする(日本-日本-明治時代)編集
1879第百四十七国立銀行設立(日本-日本-明治時代)編集
1879教育令制定 琉球藩を沖縄県とする(日本-日本-)編集
1879第百四十七国立銀行設立(日本-日本-)編集
18793琉球藩が沖縄県となる(日本-日本-明治時代)編集
187944日本、琉球を沖縄県とする(東アジア-清-)編集
187944日本、琉球藩を配して沖縄県を設置、5月20日、清は日本に抗議(東アジア-清-)編集
187912仏人ボアソナード、日本民法起草に着手(「民法出来て忠孝滅ぶ」と言われる)。(日本-日本-)編集
1880アメリカ、鉄道の大建設時代(~1890)(北米-アメリカ-)編集
1880アメリカで全国農民同盟組織される(北米-アメリカ-)編集
1880アイルランドに暴動起こる(欧州-ヨーロッパ-)編集
18804. 花房義質、弁理公使となる。5. 元山開港。米シュウフェルト提督釜山入港、国書奉呈拒否される。8. 金弘集来日。シュウフェルト天津着、以後李鴻章と朝鮮の通商条約締結交渉に入る。12. 花房弁理公使、朝鮮国王に国書奉呈。(日韓併合)(東アジア-朝鮮、大韓帝国、日本-)編集
1880県会議員選挙第一回県会(日本-日本-明治時代)編集
1880集会条例を公布(日本-日本-明治時代)編集
1880韓語学所を東京外国語学校(現在の東京外国語大学)に移管。(対馬)(日本-日本-)編集
1880県会議員選挙 第一回県会(日本-日本-)編集
1880集会条例を公布(日本-日本-)編集
18803国会期成同盟の結成(元:板垣退助の愛国社)(日本-日本-明治時代)編集
18803自由民権運動いよいよ盛んとなる。国会期成同盟成立。(日本-日本-)編集
188032米内光政(生)(日本-日本-)編集
1880322小磯國昭(生)(日本-日本-)編集
18804集会条例-自由民権運動の弾圧(日本-日本-明治時代)編集
18804集会条例制定。(日本-日本-)編集
18807刑法・治罪法制定。(日本-日本-)編集
18801028日本と、琉球問題に関する条約案を議定(東アジア-清-)編集
188011官営工場払下概則-官営模範工場の払い下げ(日本-日本-明治時代)編集
1881イリ条約(--)編集
1881イリ条約(--)編集
1881イリ条約(--)編集
1881ガーフィールドアメリカ第20代大統領暗殺される(北米-アメリカ-)編集
1881レセップス、パナマ運河起工(北米-アメリカ-)編集
1881ロシアで「ポグロム」と呼ばれるユダヤ人大虐殺事件が波状的に発生。ユダヤ人十数万人が犠牲になる。(イスラエルの歴史)(中東-イスラエル-)編集
1881三帝協商の結成(ドイツ、オーストリア、ロシア)(西欧-ドイツ、オーストリア、ロシア-)編集
1881三帝協商の結成(ドイツ、オーストリア、ロシア)(西欧-ドイツ、オーストリア、ロシア-)編集
1881フランス、チュニジアを保護国とする(西欧-フランス-)編集
1881ナロードニキ、アレクサンドル2世を暗殺。アレクサンドル3世即位(~1894)(欧州-ヨーロッパ-)編集
1881アイルランド土地法制定(欧州-ヨーロッパ-)編集
18811. 朝鮮統理機務衛門設置。2. 清露間にイリ条約調印。5. 朴定陽ら来日。11. 趙秉稿来日。(日韓併合)(東アジア-朝鮮、大韓帝国、日本-)編集
18811881年調査視察団(紳士遊覧団)、領選使派遣(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
1881日本へ紳士遊覧団および清国へ領選使派遣.開化政策を推進(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
1881紳士遊覧団および領選使派遣国史年表(国史年表)(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
1881自由党結成(日本-日本-明治時代)編集
1881-10-12
国会開設の詔-10年後(1890年)に国会を開設する公約(日本-日本-明治時代)
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1881-10-18
板垣退助が自由党(自由主義派)を結成する(日本-日本-明治時代)
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1881自由党結成(日本-日本-)編集
188134第20代大統領ジェームズ・アブラム・ガーフィールド(-1881.09.19)(北米-アメリカ-)編集
188134第20代大統領 ジェームズ・アブラム・ガーフィールド( - 1881.09.19)}&size(6){(北米-アメリカ-)編集
188134第20代大統領 ジェームズ・アブラム・ガーフィールド( - 1881.09.19)(北米-アメリカ-)編集
18814農商務省設立。松方正義大蔵卿のデフレ政策「松方財政」はじまる。(日本-日本-)編集
18817開拓使官有物払下げ事件-黒田清隆が官有物を格安で払い下げ(日本-日本-明治時代)編集
1881919第21代大統領チェスター・アラン・アーサー(-1885.03.03)(北米-アメリカ-)編集
1881919第21代大統領 チェスター・アラン・アーサー( - 1885.03.03)(北米-アメリカ-)編集
188110明治十四年の政変-伊藤博文が大隈重信を追放(日本-日本-明治時代)編集
188110国会開設の勅諭渙発。(日本-日本-)編集
188110明治十四年の政変(大蔵卿参議・大隈重信、廟堂を去る)(日本-日本-)編集
188110自由党結成(総理・板垣退助)。(日本-日本-)編集
18811021大蔵卿:松方正義による松方デフレの開始(日本-日本-明治時代)編集
1882フランスと南越が交戦(~1883)(アジア--)編集
1882朝鮮で壬午軍乱(アジア--)編集
1882墺独伊三国同盟(--)編集
1882墺独伊三国同盟(--)編集
1882コッホが結核菌を発見(--)編集
1882三国同盟の成立(ドイツ、オーストリア、イタリア)(--)編集
1882墺独伊三国同盟(--)編集
1882三国同盟の成立(ドイツ、オーストリア、イタリア)(-EU-)編集
1882アメリカでロックフェラーがスタンダード石油トラストを結成(北米-アメリカ-)編集
1882アメリカで中国人移民法成立(北米-アメリカ-)編集
1882アメリカのロックフェラー、スタンダード・オイル・トラストを組織(北米-アメリカ-)編集
1882アメリカでロックフェラーがスタンダード石油トラストを結成(北米-アメリカ-)編集
1882平等と自由を求める「ホバベイ・ジオン」や「ビールー」という団体に組織されたユダヤ移民の第一波がパレスチナに到着。(イスラエルの歴史)(中東-イスラエル-)編集
1882コッホが結核菌を発見(西欧-ドイツ-ドイツ)編集
1882ドイツ・オーストリア・イタリアの三国同盟成立(~1915)(西欧-ドイツ-)編集
1882ドイツの細菌学者コッホ、結核菌を発見(西欧-ドイツ-)編集
1882三国同盟の成立(ドイツ、オーストリア、イタリア)(西欧-ドイツ、オーストリア、イタリア-)編集
1882フランス、ゲードらの労働党成立(西欧-フランス-)編集
1882フランスと南越が交戦(~1883)(西欧-フランス-)編集
1882朝鮮で壬午軍乱(東アジア-朝鮮-)編集
18823. 金玉均来日(8月まで滞在)。5. 朝米修好通商条約調印。6. 朝英仁川条約調印(イギリス批准せず)。朝独修好通商条約調印(ドイツ批准せず)。7. 壬午軍乱おこる。8日朝修好条規続約・済物浦条約調印。清国軍、大院君を拉致、天津へ連行。9. 仁川開港。朝清商民水陸貿易章程調印。10. 朴泳孝・金玉均ら来日。12. 横浜正金銀行、朝鮮政府と17万円借款協定成立。ドイツ人ノレンドルフ朝鮮政府統理衛門に傭聘。(日韓併合)(東アジア-朝鮮、大韓帝国、日本-)編集
18821882大院君、開化政策の否定とする、壬午軍乱(軍内における棒給などの不満による暴動で、閔政権打倒される)起こる、朝米(朝英・朝独)修好通商条約の締結、清国は壬午軍乱を鎮圧し、ソウルに軍隊を駐留させ、朝中商民水陸貿易章程を締結する、清国による内政干渉がはじまる
壬午事変後の朝鮮
・朝清商民水陸貿易章程で経済的に属国化・馬建忠とメレンドルフが顧問に。閔妃はメレンドルフ(高宗側近)と組みロシアに色目。・・・清の不信。(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)
編集
18821882年米朝修好通称条約壬午事変(じんごじへん)壬午軍乱(じんごぐんらん)壬午事変というのは、朝鮮にて当時、政権を握っていた閔氏(びんし)人物が日本と友好であったが為、それに反発するグループがクーデターを起こした事件です。結局、これには日本軍、清軍が介入し鎮圧。この事件後、日本はソウルにおける日本軍の駐留権を認めさせ、清も朝鮮に対して軍隊を指導するなど内政干渉を強めていきます。ちなみに、この事件の後、それまで親日的であった閔氏は内政干渉を強める清よりへと傾いていきます。(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
18821882年大院君、復権。
壬午事変前の改革
閔氏政権vs金弘集・開化政策・清を見習う日本を見習う日本人顧問を呼んで新式訓練(別技軍)
壬午事変
・給与13ヶ月分に旧式軍人が激怒7月23日蜂起・金弘集ら事大党、日本公使館を焼くなどクーデター・大院君が担がれる・閔妃は女官に紛れ脱出→日本を見捨て清(袁世凱)を頼る(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)
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18821882年大院君、復権。
壬午事変前の改革
閔氏政権vs金弘集
・開化政策
・清を見習う日本を見習う日本人顧問を呼んで新式訓練(別技軍)
壬午事変
・給与13ヶ月分に旧式軍人が激怒7月23日蜂起
・金弘集ら事大党、日本公使館を焼くなどクーデター
大院君が担がれる
閔妃は女官に紛れ脱出→日本を見捨て清(袁世凱)を頼る(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)
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18821882年8月30日済物浦条約日本は軍艦5隻に陸軍一個大隊と海軍陸戦隊を載せ、仁川から一気にソウルまで駆け上がり、居留民保護。以下を朝鮮に認めさせる・謝罪・責任者処罰・賠償・公使館警備のための軍隊駐留(再発防止)(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
1882壬午軍乱(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
1882壬午軍乱(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
1882壬午軍乱.旧式軍隊への差別待遇に対する不満爆発(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
1882大院君、開化政策の否定とする、壬午軍乱(軍内における棒給などの不満による暴動で、閔政権打倒される)起こる、朝米(朝英・朝独)修好通商条約の締結、清国は壬午軍乱を鎮圧し、ソウルに軍隊を駐留させ、朝中商民水陸貿易章程を締結する、清国による内政干渉がはじまる
壬午事変後の朝鮮
・朝清商民水陸貿易章程で経済的に属国化
・馬建忠とメレンドルフが顧問に。閔妃はメレンドルフ(高宗側近)と組みロシアに色目。・・・清の不信。(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)
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1882米・英・独と通商条約締結.日本とロシアを牽制(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
1882壬午軍乱(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
1882壬午軍乱国史年表(国史年表)(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
1882米英独などアメリカ、イギリス、ドイツと通商条約締結国史年表(国史年表)(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
1882日本銀行条例布告(日本-日本-明治時代)編集
1882大阪紡績株式会社が設立する(現:東洋紡株式会社)(日本-日本-明治時代)編集
1882日本銀行条例布告(日本-日本-)編集
18821軍人勅諭-軍人の訓誡(くんかい)(日本-日本-明治時代)編集
18821井上馨、条約改正に着手。(日本-日本-)編集
18821日本銀行条例により日本銀行成立。(日本-日本-)編集
18823伊藤博文が憲法調査の為、渡欧する
福地源一郎らにより立憲帝政党(保守派)が結成。翌年解党する(日本-日本-明治時代)
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18823伊藤博文、憲法調査のため西園寺公望らと渡欧。(日本-日本-)編集
18823立憲改進党(総理・大隈重信)、立憲帝政党(総裁・福地桜痴)結成。(日本-日本-)編集
18824大隈重信が立憲改進党(立憲君主制派)を結成する
岐阜事件-板垣退助が襲撃される「板垣死すとも自由は死せず」(日本-日本-明治時代)
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18826新橋~日本橋間で馬車鉄道が開業する
集会条例の改正。弾圧の強化(日本-日本-明治時代)
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18827朝鮮国に壬午事変勃発。翌月、済物浦条約締結。(東アジア-朝鮮-)編集
18827壬午事変(じんごじへん)-李氏朝鮮で発生した襲撃事件(日本-日本-明治時代)編集
1882722朝鮮、壬午の変、日本の出兵に対抗し、8月7日、清も出兵(東アジア-清-)編集
1882723朝鮮、壬午の変(東アジア-清-)編集
188210日本銀行が開業する(日本-日本-明治時代)編集
188211福島事件-道路工事の反対運動で自由党:河野広中らが逮捕(日本-日本-明治時代)編集
1883ニーチェの「ツァラツストラはかく語りき」(~1891)(--)編集
1883ニーチェの「ツァラツストラはかく語りき」(~1891)(西欧-ドイツ-ドイツ)編集
1883フランスが南越を保護国化(西欧-フランス-)編集
1883フランスが南越を保護国化(東南アジア-ベトナム、フランス-フランス)編集
1883カール・マルクス没(1818~)(欧州-ヨーロッパ-)編集
18836. 金玉均来日、借款を求めるが交渉不成立(1884年5月帰国)。10. 駐清英国公使パークス、横浜駐在独領事ツァッペとともに漢城入京、メレンドルフと条約再交渉 11. 朝英修好通商条約・朝独修好通商条約調印 11. 清仏戦争はじまる。(日韓併合)(東アジア-朝鮮、大韓帝国、日本-)編集
1883元山学舎設立(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
1883太極旗使用(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
1883典圜局設置.貨幣発行(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
1883博文局設立.開化党,朝鮮初の近代的新聞「漢城旬報」発刊(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
1883「漢城旬報」発刊国史年表(国史年表)(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
1883曲圜局設置国史年表(国史年表)(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
1883元山学舎設立国史年表(国史年表)(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
1883大極旗使用国史年表(国史年表)(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
1883鹿鳴館落成天璋院死去(日本-日本-明治時代)編集
1883鹿鳴館落成 天璋院死去(日本-日本-)編集
188311鳩山一郎(生)(日本-日本-)編集
18833高田事件-自由党員らの弾圧事件(日本-日本-明治時代)編集
18837山縣有朋により官報が発行される(日本-日本-明治時代)編集
18837岩倉具視死没。(日本-日本-)編集
188311鹿鳴館落成、開館。(日本-日本-)編集
188312山県有朋、内務卿就任。(日本-日本-)編集
1884イギリス、フェビアン協会設立される(西欧-イギリス-)編集
1884イギリス、グラッドストーン内閣の第三次選挙法改正(西欧-イギリス-)編集
1884フランス、ワルデック・ルソー法成立(西欧-フランス-)編集
1884アフリカ分割に関するベルリン会議(~1885)(欧州-ヨーロッパ-)編集
1884清仏戦争(~1885)(東アジア-清-)編集
1884清仏戦争(~1885)(東アジア-清、フランス-)編集
1884朝鮮で甲申政変(東アジア-朝鮮-)編集
1884朝鮮で甲申政変(東アジア-朝鮮-)編集
18846. 朝伊修好通商条約調印 7. 朝露修好通商条約調印。日本公使館新築 12.4. 甲申政変おこる。朴泳孝・金玉均ら日本へ亡命。井上馨外務卿を特派全権大使として朝鮮へ派遣。(日韓併合)(東アジア-朝鮮、大韓帝国、日本-)編集
18841884朝露修好通商条約の締結、甲申政変(甲申事変)、開化派のクーデターは失敗に終わり、事大派の勝利となる(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
18841884年12月4日甲申事変(こうしんじへん)そして、そのすぐ後、甲申事変が起きます。これは、朝鮮にて清の影響力が強まる中、日本と組んで近代化を目指した方がいい!というグループがクーデターを起こすのです。もちろん彼らは自分達だけでは無理なので日本の軍にも期待しています。それに対して、閔氏は清に援軍を要請します。朝鮮の人々の中でも日本につくか?清につくか?で争いが頻発した時代ですね。しかし、日本も清も本気で戦争を始められる状態では当時なかった。1884年といえば清はベトナムをめぐって清仏戦争を起こしていて、日本も自由民権運動の真っ只中。そこで、両国間の間で天津条約(てんしんじょうやく)というのが結ばれます。これは、とりあえず、両国とも軍を朝鮮から軍を引き上げましょう。また、今後朝鮮への出兵する際には事前に通告をし合うことにしましょう。と約束事を設けたんですね。閔妃失脚も、清の力で復権。
甲申事変
金玉均、竹添進一郎日本公使館の協力を得て、閔氏政権に対して、クーデター
1.国王殿下の呼称の廃止皇帝陛下として独立国の君主として振る舞う事。2.清国に対して、朝貢の礼を廃止する事。3.内閣を廃し、税制を改め、宦官の制を廃する事。
など、14項目の政策を発表
清は、清仏戦争の敗北により、全力を朝鮮に。閔妃は、再び清を頼る。日本軍150対清国1500で銃撃戦。
清軍、日本公使館焼き討ち。市街で居留民虐殺。竹添、長崎へ脱出。金玉均、朴永孝も日本へ亡命。3日で、クーデター失敗。清は、大院君を送り出す。
甲申事変後の処理
閔妃の復讐・開化は要人の家族、凌遅刑・金玉均、暗殺団、組織
漢城条約(日本に対して)・謝罪・賠償金
事大主義強い方に付く、勝ちそうな方に付く。親清・親露・親日の見方はできない。(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)
編集
18841884年12月4日甲申事変(こうしんじへん)そして、そのすぐ後、甲申事変が起きます。これは、朝鮮にて清の影響力が強まる中、日本と組んで近代化を目指した方がいい!というグループがクーデターを起こすのです。もちろん彼らは自分達だけでは無理なので日本の軍にも期待しています。それに対して、閔氏は清に援軍を要請します。朝鮮の人々の中でも日本につくか?清につくか?で争いが頻発した時代ですね。しかし、日本も清も本気で戦争を始められる状態では当時なかった。1884年といえば清はベトナムをめぐって清仏戦争を起こしていて、日本も自由民権運動の真っ只中。そこで、両国間の間で天津条約(てんしんじょうやく)というのが結ばれます。これは、とりあえず、両国とも軍を朝鮮から軍を引き上げましょう。また、今後朝鮮への出兵する際には事前に通告をし合うことにしましょう。と約束事を設けたんですね。閔妃失脚も、清の力で復権。
甲申事変金玉均、竹添進一郎日本公使館の協力を得て、閔氏政権に対して、クーデター
1.国王殿下の呼称の廃止皇帝陛下として独立国の君主として振る舞う事。
2.清国に対して、朝貢の礼を廃止する事。
3.内閣を廃し、税制を改め、宦官の制を廃する事。
など、14項目の政策を発表清は、清仏戦争の敗北により、全力を朝鮮に。閔妃は、再び清を頼る。日本軍150対清国1500で銃撃戦。清軍、日本公使館焼き討ち。市街で居留民虐殺。竹添、長崎へ脱出。金玉均、朴永孝も日本へ亡命。3日で、クーデター失敗。清は、大院君を送り出す。
甲申事変後の処理
閔妃の復讐・開化は要人の家族、凌遅刑
・金玉均、暗殺団、組織漢城条約(日本に対して)
・謝罪
・賠償金
事大主義
強い方に付く、勝ちそうな方に付く。親清・親露・親日の見方はできない。(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)
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1884甲申政変(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
1884甲申政変.開化党による政変革命.清国軍の介入により3日天下に終わる(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
1884甲申政変(甲申事件)(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
1884朝露修好通商条約の締結、甲申政変(甲申事変)、開化派のクーデターは失敗に終わり、事大派の勝利となる(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
1884郵政局設置.近代的郵政事業を目指す(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
1884甲申政変(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
1884郵政局設置国史年表(国史年表)(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
1884甲申政変国史年表(国史年表)(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
1884群馬事件秩父事件(日本-日本-明治時代)編集
1884上下部総町村会(のちの対馬総町村組合)結成。(対馬)(日本-日本-)編集
1884群馬事件 秩父事件(日本-日本-)編集
18843宮中に制度取調局設置(長官・伊藤博文)。(日本-日本-)編集
18845群馬事件-自由党員と農民の襲撃事件(日本-日本-明治時代)編集
18847華族令公布。(日本-日本-)編集
1884821清仏戦争(~1885年4月)(東アジア-清-)編集
18849加波山事件-自由党員による県令暗殺未遂(日本-日本-明治時代)編集
1884925石橋湛山(生)(日本-日本-)編集
188410自由党が資金難や激化事件などにより解党する
秩父事件-農民による蜂起事件(日本-日本-明治時代)
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188410自由党解党。秩父事件。(日本-日本-)編集
188411甲申政変-李氏朝鮮内でのクーデター(日本-日本-明治時代)編集
188412朝鮮国内にて甲申事変。(東アジア-朝鮮-)編集
188412飯田事件-元自由党員による反乱計画(日本-日本-明治時代)編集
18841230東條英機(生)(日本-日本-)編集
1885アメリカで外国人労働契約法制定(外人契約移民禁止)(北米-アメリカ-)編集
1885東欧やイタリアからの新移民流入始まる(~1914)(北米-アメリカ-)編集
1885年ゴットリープ・ヴィルヘルム・ダイムラー(独)世界初のオートバイ(北米-アメリカ-)編集
1885カナダ太平洋鉄道完成(北米-アメリカ-)編集
1885東欧やイタリアからの新移民流入始まる(~1914)(北米-アメリカ-)編集
1885第1回インド国民会議を開催(南アジア-インド-インド)編集
1885第1回インド国民会議を開催(南アジア-インド-)編集
1885カナダ太平洋鉄道完成(北米-カナダ-)編集
1885フランスのパスツール、狂犬病ワクチンを初めて接種(西欧-フランス-)編集
1885フランスの作家ユゴー没(1802~)(西欧-フランス-)編集
18851885台湾、福建省から独立して台湾省に。(東アジア-台湾-)編集
18851. 漢城条約調印。竹添公使召還。呉大澂、漢城入京。3. 福沢諭吉「脱亜論」発表。4. 天津条約調印。4. イギリス海軍巨文島占拠。6. スベエル、ロシア軍人傭聘協定締結のため漢城入京。メレンドルフ解任。7. 榎本武揚駐清公使、李鴻章に日清共同朝鮮内政改革案を提示。日本守備隊・清国軍、朝鮮より撤退。9. 幽閉中の大院君赦免(10月帰国)。(日韓併合)(東アジア-朝鮮、大韓帝国、日本-)編集
1885日本と漢城条約の締結、英艦隊、巨文島を占領する、(日清間に天津条約の締結)(東アジア-朝鮮、日本、李氏朝鮮-)編集
18851885日本と漢城条約の締結、英艦隊、巨文島を占領する、(日清間に天津条約の締結)(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
18851885年4月天津条約・朝鮮より、両軍の撤兵・軍事顧問団不派遣・出兵前に事前通告の原則(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
18851885年巨文島事件(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
18851885年ロシアを後盾にしようとして失敗。(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
1885ソウル・仁川間電信開通(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
1885巨文島事件.イギリス巨文島を占領,ポール・ハミルトンと命名(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
1885広恵院設立(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
1885培材学堂設立(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
1885巨文島事件国史年表(国史年表)(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
1885培材学堂設立国史年表(国史年表)(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
1885ソウル・仁川間電信開通国史年表(国史年表)(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
1885広恵院設立国史年表(国史年表)(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
1885県下8月以來コレラ大流行(日本-日本-明治時代)編集
1885内閣制度実施(日本-日本-明治時代)編集
1885県下8月以來コレラ大流行(日本-日本-)編集
1885内閣制度実施(日本-日本-)編集
18851井上馨・全権公使、甲申事変に関する漢城条約締結。(日本-日本-)編集
18853福沢諭吉が「脱亜論」を発表する(日本-日本-明治時代)編集
188534第22代大統領ステファン・グルーバー・クリーヴランド(-1889.03.03)(北米-アメリカ-)編集
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188534第22代大統領 ステファン・グルーバー・クリーヴランド( - 1889.03.03)(北米-アメリカ-)編集
18854清朝とのあいだに天津条約締結。(東アジア-清、日本-)編集
18854天津条約-日本と清との朝鮮に関する条約(日本-日本-明治時代)編集
1885418日清『天津条約』(東アジア-清-)編集
1885418日本と天津条約に調印、朝鮮を日中両国共同の「保護国」化(東アジア-清-)編集
18851012台湾省設置(東アジア-清-)編集
188511大阪事件-自由党員による国内改革計画(日本-日本-明治時代)編集
188512太政官制を廃止して内閣制度が発足。
初代内閣総理大臣は伊藤博文となる。閣僚は薩長土肥。(日本-日本-明治時代)
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188512太政官制廃止、内閣制度施行される。(日本-日本-)編集
188512第一次伊藤博文内閣発足。(日本-日本-)編集
18851222日本初の伊藤博文内閣(第一次)誕生(東アジア-清-)編集
18851222第1代首相伊藤博文①(~明21.4.30)(日本-日本-明治時代)編集
18851222第1代首相 伊藤博文①(~明21.4.30)}&size(6){(日本-日本-)編集
18851222第1代首相 伊藤博文①(~明21.4.30)(日本-日本-)編集
1886自由の女神像が完成する(北米-アメリカ-)編集
1886アメリカでヘイマーケット事件(北米-アメリカ-)編集
1886アメリカで鉄道ゼネスト。労働総同盟(AFL)成立(北米-アメリカ-)編集
1886アメリカのトムソン、電気熔接法を発明(北米-アメリカ-)編集
1886キューバ、奴隷制廃止(北米-アメリカ-)編集
1886年カール・ベンツ(独)とダイムラー(独)世界初の自動車生産を競う(北米-アメリカ-)編集
1886アパッチ戦争終わる(北米-アメリカ-)編集
1886アメリカでヘイマーケット事件(北米-アメリカ-)編集
1886アメリカで鉄道ゼネスト。労働総同盟(AFL)成立(北米-アメリカ-)編集
1886アメリカのトムソン、電気熔接法を発明(北米-アメリカ-)編集
1886キューバ、奴隷制廃止(北米-アメリカ-)編集
1886年 カール・ベンツ(独)とダイムラー(独) 世界初の自動車生産を競う(北米-アメリカ-)編集
1886イギリス、自由党分裂し、チェンバレン自由統一党を結成(西欧-イギリス-)編集
1886スペイン、アルフォンソ13世誕生とともに即位(~1941)(西欧-スペイン-)編集
1886イギリスがビルマを占領(西欧-ビルマ、イギリス-)編集
1886イギリスがビルマを占領(東アジア-ビルマ、イギリス-)編集
18866. 朝仏修好通商条約調印。(日韓併合)(東アジア-朝鮮、大韓帝国、日本-)編集
1886育英公院,梨花学堂設立(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
1886育英公院、梨花学堂設立国史年表(国史年表)(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
1886帝国大学令公布小学校令公布(日本-日本-明治時代)編集
1886厳原支庁を対馬島庁と改称。(対馬)(日本-日本-)編集
18869月大暴風、未曾有の疱瘡流行(日本-日本-)編集
1886帝国大学令公布 小学校令公布(日本-日本-)編集
18861北海道庁を設置する(日本-日本-明治時代)編集
18863帝国大学令-東京帝国大学(現:東京大学)など(日本-日本-明治時代)編集
18863森有礼文相、帝国大学令施行。(日本-日本-)編集
18865井上馨外相、各国公使との間に第一回条約改正会議。(日本-日本-)編集
18866山梨県甲府市の雨宮製糸紡績場でストライキが起きる(日本-日本-明治時代)編集
18869大暴風、未曾有の疱瘡流行(日本-日本-明治時代)編集
18869大暴風、未曾有の疱瘡流行(日本-日本-)編集
188610ノルマントン号事件
イギリス船の海難事故。乗船していた日本人が全員死亡するが、イギリスの領事裁判権によって船長・船員の全員が無罪となる。
これにより日本国民は憤慨して不平等条約撤廃の声が高まる。(日本-日本-明治時代)
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188610ノルマントン号事件。(日本-日本-)編集
188610星亨らによる大同団結運動提唱。(日本-日本-)編集
1887アメリカ、ハワイからパール・ハーバー租借(北米-アメリカ-)編集
1887アメリカでドーズ法制定(北米-アメリカ-)編集
1887アメリカで州際通商法成立。鉄道業を規制(北米-アメリカ-)編集
1887アメリカでドーズ法制定(北米-アメリカ-)編集
1887アメリカで州際通商法成立。鉄道業を規制(北米-アメリカ-)編集
1887イギリス植民地会議の創設(西欧-イギリス-)編集
1887イギリス、植民地会議を開く(西欧-イギリス-)編集
1887イギリス植民地会議の創設(西欧-イギリス-)編集
1887フランス領インドシナ連邦の成立(アジア-インドシナ-フランス領インドシナ)編集
1887フランス領インドシナ連邦の成立(東アジア-インドシナ、フランス-)編集
1887ロシア・ドイツの二重保障条約(~1890)(西欧-ドイツ-)編集
1887フランス、ブーランジェ事件で第三共和政の危機(~1889)(西欧-フランス-)編集
1887清国の仲介により,巨文島よりイギリス軍撤退く(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
1887保安条例公布(日本-日本-明治時代)編集
1887-1889
大同団結運動
星亨(ほしとおる)・後藤象二郎による自由民権の統一運動(日本-日本-明治時代)
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1887片山哲(生)(日本-日本-)編集
1887保安条例公布(日本-日本-)編集
18874伊藤博文首相主催の鹿鳴館舞踏会。欧化主義批判により世論沸騰。(日本-日本-)編集
18876伊藤博文首相、伊東巳代治、金子堅太郎などとともに神奈川県夏島で憲法起草開始。(日本-日本-)編集
18877外務大臣:井上馨(いのうえかおる)が不平等条約の改正に失敗(日本-日本-明治時代)編集
188710三大事件建白運動
片岡健吉が政府に建白書(言論の自由・地租改正の軽減・不平等条約の改正)を提出する。(日本-日本-明治時代)
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188710後藤象二郎、大同団結運動推進のために丁亥倶楽部を結成。(日本-日本-)編集
18871115芦田均(生)(日本-日本-)編集
188712保安条例-自由民権運動の弾圧条例(日本-日本-明治時代)編集
188712保安条例公布。片岡健吉、尾崎行雄らが「皇居三里以内お構い(東京追放)」となる。(日本-日本-)編集
1887123東久邇宮稔彦王(生)(日本-日本-)編集
1888ブラジル、奴隷制廃止(ラテンアメリカの奴隷制終わる)(北米-アメリカ-)編集
1888ドイツ、トルコからアンカラ―ハイダルパシャ間の鉄道敷設権を得る(西欧-ドイツ-)編集
1888ドイツ、ウィルヘルム1世没(1797~)。ウィルヘルム2世即位(~1918)(西欧-ドイツ-)編集
1888ブラジル、奴隷制廃止(ラテンアメリカの奴隷制終わる)(中南米-ブラジル-)編集
1888ドイツでヴィルヘルム2世が即位し、国際政治が大変動。(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
1888市制・町村制公布(日本-日本-明治時代)編集
1888市制・町村制公布(日本-日本-)編集
1888.04.30第2代首相黒田清隆(~明22.10.25)(日本-日本-明治時代)編集
18884市制・町村制-市町村を定める
枢密院(すうみついん-天皇の最高諮問機関)が設置される(日本-日本-明治時代)
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18884枢密院官制公布。(日本-日本-)編集
18884伊藤博文、首相を辞任して枢密院議長に就任。後継内閣として黒田清隆組閣。(日本-日本-)編集
1888430第2代首相 黒田清隆(~明22.10.25)(日本-日本-)編集
18885枢密院開院式。(日本-日本-)編集
18885皇室典範、憲法諮詢の勅諭渙発される。(日本-日本-)編集
188811大隈外相は大審院に外国人判事を登庸するなどを骨子とする新通商条約案を各国公使に通告。(日本-日本-)編集
188811メキシコとの間に初の平等条約調印(大隈重信外相)。(日本-日本、メキシコ-)編集
188812山県有朋内相、地方制度調査のために渡欧。(日本-日本-)編集
1889第1回汎アメリカ会議(北米-アメリカ-)編集
1889第1回汎アメリカ会議開催(~1890)(ワシントン)(北米-アメリカ-)編集
1889ブラジルに無血革命、共和政成立(北米-アメリカ-)編集
1889第1回汎アメリカ会議開催(~1890)(ワシントン)(北米-アメリカ-)編集
1889第1回汎アメリカ会議(北米-アメリカ-)編集
1889ブラジルに無血革命、共和政成立(中南米-ブラジル-)編集
1889パリ万国博覧会(エッフェル塔建設)(西欧-フランス-)編集
1889第二インターナショナルがパリで結成される(西欧-フランス-)編集
1889パリのエッフェル塔が完成(西欧-フランス-)編集
1889フランス革命100周年記念日に、パリで第二インターナショナル設立(西欧-フランス-)編集
1889パリ万国博覧会(エッフェル塔建設)(西欧-フランス-)編集
1889第2インターナショナル結成(西欧-フランス-)編集
1889第二インターナショナルがパリで結成される(西欧-フランス-)編集
1889第二インターナショナルがパリで結成される(西欧-フランス-)編集
1889第2インターナショナル結成(欧州-ヨーロッパ-)編集
1889イタリア、エチオピアの保護領化を計画、ソマリランドを領有(欧州-ヨーロッパ-)編集
1889清で光緒帝が親政(東アジア-清-)編集
1889清で光緒帝が親政(東アジア-清-)編集
18892. 大日本帝国憲法公布。5. 黄海道で防穀令施行。9. 咸鏡道で防穀令施行。(日韓併合)(東アジア-朝鮮、大韓帝国、日本-)編集
18891889年威鏡道、防穀令実施(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
1889凶作を理由に咸鏡道に穀物輸出禁止令.日本の反対で解除(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
1889大日本帝国憲法発布1889(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
1889咸鏡道に防穀令実施国史年表(国史年表)(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
1889鹿児島市制実施町村制実施(日本-日本-明治時代)編集
1889大日本帝国憲法発布(日本-日本-明治時代)編集
1889東海道本線開通(日本-日本-明治時代)編集
1889防穀令事件-日本と李氏朝鮮の穀物輸出問題。日本は賠償金獲得
日本法律学校(日本大学)が設立(日本-日本-明治時代)
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1889鹿児島市制実施 町村制実施(日本-日本-)編集
1889大日本帝国憲法発布(日本-日本-)編集
1889東海道本線開通(日本-日本-)編集
18892大日本帝国憲法発布。同時に皇室典範、衆議院議員選挙法、貴族院令、議員法を公布。(日本-日本-)編集
18892黒田首相、地方官に超然主義を訓辞。(日本-日本-)編集
1889211大日本帝国憲法-アジア初の近代的な憲法(立憲君主制)
国号が大日本帝国となる(以下、文字数の都合で日本と省略)
衆議院議員選挙法、皇室典範(こうしつてんぱん)の公布
日本で初めて万歳三唱をする(明治天皇へ)(日本-日本-明治時代)
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188934第23代大統領ベンジャミン・ハリソン(-1893.03.03)(北米-アメリカ-)編集
188934第23代大統領 ベンジャミン・ハリソン( - 1893.03.03)}&size(6){(北米-アメリカ-)編集
188934第23代大統領 ベンジャミン・ハリソン( - 1893.03.03)(北米-アメリカ-)編集
188934光緒新政(東アジア-清-)編集
18894大隈外相の新通商条約案が「タイムズ」に取り上げられ、猛烈な批判を招く。(日本-日本-)編集
18897東海道線が全線開通する(日本-日本-明治時代)編集
1889728熊本県西部地震死者20M6.3(日本-日本-明治時代)編集
188910外務大臣:大隈重信が襲撃されて右足を失う(日本-日本-明治時代)編集
188910大隈外相、玄洋社社員の投じた爆弾によって負傷。(日本-日本-)編集
188910黒田内閣総辞職。三條実美暫定内閣。(日本-日本-)編集
188912旧自由党を糾合した愛国公党(板垣退助総理)成立。(日本-日本-)編集
188912山県有朋、三條暫定内閣の後継内閣を組閣。(日本-日本-)編集
188912内閣官制公布。(日本-日本-)編集
18891224第3代首相山縣有朋①(~明24.5.6)(日本-日本-明治時代)編集
18891224第3代首相 山縣有朋①(~明24.5.6)}&size(6){(日本-日本-)編集
18891224第3代首相 山縣有朋①(~明24.5.6)(日本-日本-)編集
1890世界初のメーデーが各国で行われる(--)編集
1890アメリカでフロンティア消滅(北米-アメリカ-)編集
1890アメリカでシャーマン反トラスト法、マッキンリー関税法成立(北米-アメリカ-)編集
1890ミシシッピ州で黒人選挙権制限(北米-アメリカ-)編集
1890アメリカでフロンティア消滅(北米-アメリカ-)編集
1890アメリカでシャーマン反トラスト法、マッキンリー関税法成立(北米-アメリカ-)編集
1890ミシシッピ州で黒人選挙権制限(北米-アメリカ-)編集
1890イギリスのセシル・ローズ、ケープ植民地首相となる(~1896)。三C政策の展開(西欧-イギリス-)編集
1890ドイツのビスマルクが辞職(西欧-ドイツ-ドイツ)編集
1890ドイツ、ビスマルク下野(西欧-ドイツ-)編集
1890ドイツ社会主義労働者党、党名を社会民主党と改める(西欧-ドイツ-)編集
1890ドイツのビスマルクが辞職(西欧-ドイツ-)編集
1890世界初のメーデーが各国で行われる(欧州-ヨーロッパ-)編集
1890ロシア、ゼムストボ法改悪、官選知事の権限を強化(欧州-ヨーロッパ-)編集
18903. 黄海道で防穀令施行。11. 第1回帝国議会召集。(日韓併合)(東アジア-朝鮮、大韓帝国、日本-)編集
1890山県有朋による「外交政略論」の提出、(朝鮮を日本の利益線とみなし、その防護が国家目標であるとする)(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
1890衆議院議員選挙実施コレラ流行(日本-日本-明治時代)編集
1890府県制・郡制公布教育勅語発布(日本-日本-明治時代)編集
1890森鴎外の「舞姫」ができる(日本-日本-明治時代)編集
1890トルコ軍艦エルトゥールル号遭難事件(日本-日本-明治時代)編集
1890衆議院議員選挙実施 コレラ流行(日本-日本-)編集
1890府県制・郡制公布 教育勅語発布(日本-日本-)編集
18904民事訴訟法、商法公布。(日本-日本-)編集
18905府県制・郡制-地方行政制度(日本-日本-明治時代)編集
18907第一回衆議院議員総選挙
選挙権は25歳以上の男子、国税15円以上。300議席中、立憲自由党130、立憲改進党41、大成会79、無所属45、その他5となる。(日本-日本-明治時代)
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18907第一回総選挙。(日本-日本-)編集
1890731ドイツの細菌学者ロベルト・コッホが、ツベルクリン療法を発表する。(西欧-ドイツ-ドイツ)編集
1890731ドイツの細菌学者ロベルト・コッホが、ツベルクリン療法を発表する。(西欧-ドイツ-)編集
18908自由党・愛国公党・大同倶楽部が合流して立憲自由党となる(翌年には自由党と改称)(日本-日本-明治時代)編集
18909愛国公党などを基礎とした立憲自由党結成。(日本-日本-)編集
189010教育勅語-道徳・教育の理念など(日本-日本-明治時代)編集
189010刑事訴訟法公布。(日本-日本-)編集
189011第一回帝国議会(上院:貴族院・下院:衆議院)(日本-日本-明治時代)編集
189011第一回帝国議会開催。民党側は民力休養を主張、藩閥政府と正面衝突する。(日本-日本-)編集
1891アメリカでポピュリスト党成立(北米-アメリカ-)編集
1891ブラジル共和国憲法制定(北米-アメリカ-)編集
1891モスクワとペテルスブルグからユダヤ人追放。
ユダヤ人モレヒバが「シオンを愛する人々」を創立。(イスラエルの歴史)(中東-イスラエル-)
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1891ドイツ、社会民主党、エルフルト綱領を採択(西欧-ドイツ-)編集
1891ブラジル共和国憲法制定(中南米-ブラジル-)編集
1891三国同盟、第二次更新(欧州-ヨーロッパ-)編集
1891スペインのカタルーニャ地方で農民反乱(欧州-ヨーロッパ-)編集
1891ロシアのシベリア鉄道の起工(中欧-ロシア-)編集
1891ロシアのシベリア鉄道の起工(中欧-ロシア-)編集
189112. 朝鮮政府に防穀損害賠償要求(防穀令事件)。(日韓併合)(東アジア-朝鮮、大韓帝国、日本-)編集
1891大津事件(日本-日本-明治時代)編集
1891足尾銅山鉱毒事件-公害事件
内村鑑三不敬事件-不敬事件(日本-日本-明治時代)
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1891大津事件(日本-日本-)編集
1891.05.06第4代首相松方正義①(~明25.8.8)(日本-日本-明治時代)編集
18912三條実美死没。(日本-日本-)編集
18913立憲自由党、自由党と改称。(日本-日本-)編集
18915大津事件-ロシア帝国の皇太子襲撃事件(日本-日本-明治時代)編集
18915第一次山県内閣総辞職。松方正義、後継内閣を組閣。(日本-日本-)編集
189156第4代首相 松方正義①(~明25.8.8)}&size(6){(日本-日本-)編集
189156第4代首相 松方正義①(~明25.8.8)(日本-日本-)編集
18911012近衞文麿(生)(日本-日本-)編集
189112樺山資紀海相の「蛮勇演説」。(日本-日本-)編集
1892アメリカ各地に労働争議起こる(北米-アメリカ-)編集
1892アメリカ各地に労働争議起こる(北米-アメリカ-)編集
1892「シオンを愛する人々」の理論的指導者ピンスケル、「自力解放」に共鳴して、パレスチナに最初のユダヤ人コロニーを成立させる。(イスラエルの歴史)(中東-イスラエル-)編集
1892ロシア・フランス軍事協定成立(発効は1894)(西欧-フランス-)編集
1892フランスでパナマ運河疑獄事件起こる(~1893)(西欧-フランス-)編集
189212. 東学教徒、崔済愚の伸寃運動開始。(日韓併合)(東アジア-朝鮮、大韓帝国、日本-)編集
1892千島艦事件…軍艦千島、英船と衝突し沈没(日本-日本-明治時代)編集
1892品川弥二郎らによる選挙干渉で死者がでる(日本-日本-明治時代)編集
1892千島艦事件…軍艦千島、英船と衝突し沈没(日本-日本-)編集
18922品川弥次郎内相の「選挙大干渉」。流血、買収が横行する。(日本-日本-)編集
18923品川内相、選挙干渉が問題化して辞職。(日本-日本-)編集
18928第一次松方内閣総辞職。伊藤博文、後継内閣を組閣。(日本-日本-)編集
189288第5代首相伊藤博文②(~明29.8.31)(日本-日本-明治時代)編集
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189288第5代首相 伊藤博文②(~明29.8.31)(日本-日本-)編集
1893アメリカのエジソンが映画を発明(北米-アメリカ-)編集
1893アメリカに経済恐慌(北米-アメリカ-)編集
1893エジソン、活動写真を発明(北米-アメリカ-)編集
1893ハワイ王政倒れる(北米-アメリカ-)編集
1893年エジソンが自動映像販売機(映写機)キネトスコープを一般公開(北米-アメリカ-)編集
1893アメリカに経済恐慌(北米-アメリカ-)編集
1893エジソン、活動写真を発明(北米-アメリカ-)編集
1893ハワイ王政倒れる(北米-アメリカ-)編集
1893年 エジソンが自動映像販売機(映写機)キネトスコープを一般公開(北米-アメリカ-)編集
1893アメリカのエジソンが映画を発明(北米-アメリカ-)編集
1893イギリス、ケア・ハーディが独立労働党を結成(西欧-イギリス-)編集
1893ドイツのディーゼルがディーゼル機関を発明(西欧-ドイツ-)編集
1893ドイツのディーゼル、熱機関に関する著書を発表(1897年に実用的なディーゼルエンジンを製作)(西欧-ドイツ-)編集
1893ドイツのディーゼルがディーゼル機関を発明(西欧-ドイツ-)編集
1893フランスがラオスを保護国化(東南アジア-ラオス-)編集
1893フランスがラオスを保護国化(東南アジア-ラオス、フランス-)編集
18933. 東学教徒報恩集会。(日韓併合)(東アジア-朝鮮、大韓帝国、日本-)編集
1893横川・軽井沢間にアブト式線路完成(日本-日本-明治時代)編集
1893小学校の祝祭日の唱歌として「君が代」などが選定される(日本-日本-明治時代)編集
1893横川・軽井沢間にアブト式線路完成(日本-日本-)編集
18932衆議院、政府弾劾奏上を議決。伊藤首相は勅諚によってこれを回避。(日本-日本-)編集
189334第24代大統領ステファン・グルーバー・クリーヴランド(-1897.03.03)(北米-アメリカ-)編集
189334第24代大統領 ステファン・グルーバー・クリーヴランド( - 1897.03.03)}&size(6){(北米-アメリカ-)編集
189334第24代大統領 ステファン・グルーバー・クリーヴランド( - 1897.03.03)(北米-アメリカ-)編集
1893515日本、横浜正金銀行上海支店を開設(東アジア-清-)編集
18937陸奥宗光外相の条約改正交渉。(日本-日本-)編集
189310文官任用令公布。(日本-日本-)編集
189312星亨議長の弾劾案を衆議院可決。(日本-日本-)編集
189312伊藤首相、第五議会を解散。(日本-日本-)編集
1894露仏同盟が発足(--)編集
1894アメリカで鉄道ゼネスト(北米-アメリカ-)編集
1894オタワでイギリス植民地会議(北米-アメリカ-)編集
1894ハワイ共和国成立(北米-アメリカ-)編集
1894パナマ運河工事再開(北米-アメリカ-)編集
1894アメリカで鉄道ゼネスト(北米-アメリカ-)編集
1894オタワでイギリス植民地会議(北米-アメリカ-)編集
1894ハワイ共和国成立(北米-アメリカ-)編集
1894パナマ運河工事再開(北米-アメリカ-)編集
1894ハワイ共和国の成立(北米-アメリカ、ハワイ-)編集
1894ハワイ共和国の成立(北米-アメリカ、ハワイ-)編集
1894ハワイ共和国の成立(北米-アメリカ、ハワイ共和国-)編集
1894フランスで“ユダヤ禍”を宣伝した「ドレフュス事件」発生。(イスラエルの歴史)(中東-イスラエル-)編集
1894ロシア・フランス同盟締結(西欧-フランス-)編集
1894フランス、パリのドイツ大使館に仏軍の情報がもれたことが発覚、ドレフュスに嫌疑〔ドレフュス事件〕(西欧-フランス-)編集
1894露仏同盟が発足(欧州-ヨーロッパ-)編集
1894ロシア、ニコライ2世即位(~1917)(欧州-ヨーロッパ-)編集
1894日清戦争
日清戦争は朝鮮を巡る両国の対立から起こった戦争であるが、台湾は沖縄に近く、砂糖などの生産地、地下資源など日本にとって有用であるとして日本の戦争目的の一つには早くから台湾領有の意図があった。また、イギリス・フランスも関心を寄せ、日本の台湾進出を警戒していた。清朝は独力で台湾を保持するのは困難と考え、まずイギリスへの売却交渉を子なったが合意に至らなかった。またフランスは海軍を台湾に派遣するなど積極的で、清朝も一時的譲渡など交渉を行ったが、マダガスカルで反仏暴動が起こったため、台湾譲渡は実現しなかった。そのような情勢の中、日清戦争は講和交渉に入ったが、その最中の1895年3月、日本軍は台湾と大陸の間にある澎湖島を占領して清を牽制し、下関条約で遼東半島とともに台湾を譲渡することを合意させた。(東アジア-台湾-)
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18941894首府、台南から台北に移る。(東アジア-台湾-)編集
1894東学党の乱(東アジア-朝鮮-)編集
1894朝鮮で甲午農民戦争(東学党の乱)(東アジア-朝鮮-)編集
18944. 甲午農民戦争。6. 朝鮮政府、清国に援兵要請。清国・日本、朝鮮に出兵。全州和議、全羅道に執綱所設置。日本政府、清国と朝鮮内政共同改革を提議、拒否される。7. 大鳥公使、朝鮮政府に内政改革案を提示。日英通商航海条約調印。日本軍が王宮占領、大院君摂政となる(甲午政変)。豊島沖海戦(日清戦争はじまる)。甲午改革はじまる。8対清宣戦布告。第1次金弘集内閣成立。大日本大朝鮮両国盟約(攻守同盟)調印。9. 平壌占領。黄海海戦。10. 農民軍各地で決起。11. 井上公使、内政改革要領を朝鮮国王に奏上。日本軍、旅順口占領。12. 農民軍公州で敗退、全璋準捕われ処刑。軍国機務処廃止。(日韓併合)(東アジア-朝鮮、大韓帝国、日本-)編集
18941894年3月朝鮮で東学党の乱(一次・二次甲午農民戦争)、農民が減税などを訴え起こした乱です。 党派間のクーデターによる混乱や、外国との開国通商による物価高騰に苦しめられた農民が中心になって蜂起し、官軍と起こした内戦である。 大院君派と閔妃派の対立が深まり、大院君、東学党の大幹部の全?準を食客に。大院君は儒教原理主義を押し立て、清の後ろ盾を頼る。しかし、日本にも色目。閔妃はロシアに色目を使うも、清に媚びる。閔妃が清に出兵要請。 東学党二代目教祖雀時亮→排外的西洋文化が、古来文化をこわす。 地方役人の賄賂に、地方農民が怒り乱となった。 これを鎮圧させる為に閔妃は清に援軍を要請します。これを見た日本も日本の公使館を守るなどの理由で出兵。官・農民間の和議が成立して終結する。 閔妃、失脚。 しかしその後も、清軍と日本軍は、双方が朝鮮に駐屯を続け、 ついに、日清戦争が勃発する。 日清戦争で陸上戦闘の主戦場となる この戦争は1895年、日本軍の勝利に終わり、朝鮮は日本の影響下におかれることになる。(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
18941894年東学農民運動、甲午改革(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
18941894年閔妃、金玉均を暗殺。(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
18941894年6月2日伊藤内閣、解散と開戦を同時決定。(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
18941894年6月5日朝鮮王朝が清軍に出兵を依頼、朝鮮に出兵。(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
18941894年6月8日清出兵に伴い日本軍、朝鮮に出兵。日清英露の四国で協議。(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
18941894年7月22日日本、朝鮮に清軍の撤退を要求。(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
18941894年7月23日王宮占領。高宗拘束。大院君、第三次政権樹立も、1ヶ月で日本に呆れられる。(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
18941894年8月1日(明治27年)日清戦争日清両国、宣戦布告。大院君へ引退勧告。(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
18941894年9月15日平壌攻略。(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
18941894年9月17日黄海海戦勝利。(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
1894甲午改革.日本の圧力で閔氏政権を倒し,第一次金弘集内閣成立(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
1894甲午農民政争が始まる(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
1894東学農民運動.反封建,反侵略の近代民族運動に移っていく(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
1894日清戦争(~95)1894(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
1894甲午農民政争が始まる(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
1894東学農民運動、甲午改革国史年表(国史年表)(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
1894日清戦争(~1895)(日本-日本-明治時代)編集
1894翌年にかけて赤痢・疱瘡・コレラ流行(日本-日本-明治時代)編集
1894秋田加護山製錬所閉鎖(日本-日本-明治時代)編集
1894日清戦争 ~1895-03-30
李氏朝鮮での甲午農民戦争が発端となり日本と清は朝鮮半島を巡り戦争となる。日本の勝利。(日本-日本-明治時代)
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1894-07-16
日英通商航海条約
外務大臣:陸奥宗光が調印。領事裁判権の撤廃、関税自主権の一部を回復した。その後、他の欧米諸国とも同様の条約を調印して日本の国際的地位が飛躍的に向上した。(日本-日本-明治時代)
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1894-07-23
李氏朝鮮で親日政権が誕生する(日本が朝鮮王宮を占拠)(日本-日本-明治時代)
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1894-07-25
日清戦争(日本-日本-明治時代)
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1894-07-25
豊島沖海戦-日本と清との戦い。日本の勝利(日本-日本-明治時代)
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1894日清戦争(~1895)(日本-日本-)編集
1894翌年にかけて赤痢・疱瘡・コレラ流行(日本-日本-)編集
189428東学党の乱(東アジア-清-)編集
18943朝鮮国内で東学党の乱。(東アジア-朝鮮-)編集
1894329朝鮮、甲午農民戦争始まる、6月2日、日本が朝鮮に出兵(東アジア-清-)編集
18946伊藤首相、第六議会を解散。(日本-日本-)編集
18947日英通商航海条約締結。治外法権の撤廃(以後各国との間に改正条約成る)。(日本-日本-)編集
1894725日清戦争、実質戦端開く、8月1日、両国宣戦布告(東アジア-清-)編集
18948日清戦争宣戦布告。(東アジア-朝鮮、清-)編集
18948日本国内に挙国一致的雰囲気が広まる。(日本-日本-)編集
189481中日甲午戦争、所謂日清戦争(~1895年4月)(東アジア-清-)編集
1894日清戦争~1895.03.30(東アジア-台湾-)編集
18949平壌の戦い-日本と清との戦い。日本の勝利
黄海海戦-日本と清との戦い。日本の勝利(日本-日本-明治時代)
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189411旅順虐殺事件-旅順(りょじゅん)を制圧した日本軍が市民を虐殺(日本-日本-明治時代)編集
189411伊藤内閣、自由党との提携趣意書を発表。(日本-日本-)編集
1894117大連占領。(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
1894117旅順占領。この日清戦争については、ご存知の通り。日本の大勝利により下関条約が結ばれます。大院君、日清戦争中、開化派を弾圧。日本が激怒も、涙の弁明で命乞い。幽閉。#style(class=box_black_swm){{「朝鮮雑記・・・日本人が見た1894年の李氏朝鮮」祥伝社・本間九介(安達九郎)匙や箸などを使わず、すべて手で。小便で顔を荒い、婦女子が陰部を洗う(梅毒など伝染病予防)}}(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)編集
1894117旅順占領。この日清戦争については、ご存知の通り。日本の大勝利により下関条約が結ばれます。大院君、日清戦争中、開化派を弾圧。日本が激怒も、涙の弁明で命乞い。幽閉。
「朝鮮雑記・・・日本人が見た1894年の李氏朝鮮」祥伝社・本間九介(安達九郎)匙や箸などを使わず、すべて手で。小便で顔を荒い、婦女子が陰部を洗う(梅毒など伝染病予防)(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-)
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18941124孫中山、興中会結成(東アジア-清-)編集
18941127松下幸之助、実業家・パナソニック創業者(日本-日本-明治時代)編集
18941127松下幸之助、実業家・パナソニック創業者(日本-日本-)編集