江戸時代末期
江戸時代(1603 - 1868)(日本-日本-) | |||||
明治時代[1868年~1912年](日本-日本-) | |||||
1854 | 日米和親条約再びペリーが来航し、日米和親条約(神奈川条約)を結ぶ。下田・函館の2港を開いて、アメリカ船に食料や燃料を与える約束をした。ついで、ロシア・イギリス・オランダとも和親条約を結んだ(鎖国の終了)。(--) | ||||
1854 | カンザス・ネブラスカ法制定、ミズーリ協定廃止 カンザス・ネブラスカ法 - 2つの州の奴隷制を住民投票で決定する(北米-アメリカ-) | ||||
1854 | カナダ・アメリカ互恵通商条約締結(北米-アメリカ、カナダ-) | ||||
1854 | 米国ペリー艦隊、基隆に寄港。(東アジア-台湾-) | ||||
1854 | 日米和親条約締結1854(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-) | ||||
1854 | ペリー再来日米・日英・日露和親条約(日本-日本-江戸時代) | ||||
1854 | 熔鉱炉竣工(日本-日本-江戸時代) | ||||
1854 | 江戸時代末期(日本-日本-) | ||||
1854 | ペリー再来 日米・日英・日露和親条約(日本-日本-) | ||||
1854 | 2 | 3 | 江戸幕府が、横浜沖に再来したペリー艦隊の黒船の見物禁止を布告(日本-日本-江戸時代) | ||
1854 | 3 | 雲南にて回教徒の乱(~1873年)(--) | |||
1854 | 3 | 3 | 江戸幕府と米国使節ペリーが横浜で「日米和親条約」(神奈川条約)に調印。鎖国が解除(日本-日本-江戸時代) | ||
1854 | 3 | 3 | 日米和親条約-下田・箱館(函館)の開港及び補給など(鎖国廃止)(日本-日本-江戸時代) | ||
1854 | 3 | 28 | 下田踏海-吉田松陰と金子重之輔がペリー船で密航計画(日本-日本-江戸時代) | ||
1854 | 7 | 27 | 高橋是清(生)(日本-日本-) | ||
1854 | 8 | 日英和親条約-長崎・箱館の開港及び補給など(日本-日本-江戸時代) | |||
1854 | 11 | 4 | 駿河湾でM8.4の嘉永大地震。死者1万人以上。東海道が断絶。伊豆下田に碇泊中のロシア艦ディアナ号が津波で大破(日本-日本-江戸時代) | ||
1854 | 11 | 4 | 安政東海地震-東海地震(日本-日本-江戸時代) | ||
1854 | 11 | 5 | 安政南海地震-南海地震(日本-日本-江戸時代) | ||
1854 | 11 | 27 | 嘉永から安政(あんせい)(1854.11.27-1860)に改元(日本-日本-江戸時代) | ||
1854 | 11 | 27 | 安政(あんせい)(1854.11.27-1859)(日本-日本-) | ||
1854 | 12 | 日露和親条約-国境線、箱館・下田・長崎の開港及び補給など(日本-日本-江戸時代) | |||
1854 | 12 | 21 | 「日露和親条約」締結。日本とロシアの国境が択捉島と得撫(ウルップ)島の間に確定し樺太が雑居地に(新暦1855年2月7日)(日本-日本-江戸時代) | ||
1854 | 12 | 23 | 安政東海大地震M8.4と推定される(日本-日本-江戸時代) | ||
1854 | 12 | 24 | 東海地震から32時間後・・・安政南海地震推定M8.4(日本-日本-江戸時代) | ||
1855 | 洋学所蛮書和解御用掛を洋学所とする。これは56に蛮書調所に、62に洋書調所に、63に開成所 と組織が変更する。(--) | ||||
1855 | ニューファンドランド自治植民地成立(北米-アメリカ-) | ||||
1855 | パリ万国博覧会開かれる(欧州-ヨーロッパ-) | ||||
1855 | 日仏・日蘭和親条約(日本-日本-江戸時代) | ||||
1855 | 安政の大地震…江戸大地震(日本-日本-) | ||||
1855 | 4 | 20 | 犬養毅(生)(日本-日本-) | ||
1855 | 4 | 30 | 貴州にて苗族の乱(~1872年)(--) | ||
1855 | 10 | 安政江戸地震-江戸地震(日本-日本-江戸時代) | |||
1855 | 10 | 2 | 江戸でM6.9の安政の大地震。下町を中心に被害。死者7千人以上とみられる。(日本-日本-江戸時代) | ||
1855 | 12 | 日蘭和親条約-長崎での行動が自由となる(日本-日本-江戸時代) | |||
1855 | 12 | 23 | 「日蘭和親条約」締結。日本とオランダの間の国交を正式化(日本-日本-江戸時代) | ||
1856 | ハリス来日ハリスが来日し、下田に領事館を開く。 松下村塾吉田松陰が松下村塾を開く。(--) | ||||
1856 | メキシコ、レルド法成立、イエズス会廃止、教会の土地所有禁止(北米-アメリカ-) | ||||
1856 | メキシコに内戦始まる(~1860)(北米-アメリカ-) | ||||
1856 | イギリスのベッセマー、転炉法を発表(西欧-イギリス-) | ||||
1856 | イギリスにユダヤ大学が創立される。(イスラエルの歴史)(中東-イスラエル-) | ||||
1856 | パリ条約でクリミア戦争終結(欧州-ヨーロッパ-) | ||||
1856 | ハリス来日1856(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-) | ||||
1856 | 江戸築地に講武所を開設篤姫家定の御台所となる(日本-日本-江戸時代) | ||||
1856 | 日向延岡の日平銅山が東勝右衛門の所有となる。(日本-日本-江戸時代) | ||||
1856 | 江戸築地に講武所を開設 篤姫家定の御台所となる(日本-日本-) | ||||
1856 | 2 | 9 | 原敬(生)(日本-日本-) | ||
1856 | 2 | 29 | 西林事件(日本-日本-) | ||
1856 | 7 | 21 | 初代アメリカ総領事ハリスが伊豆下田に到着(日本-日本、アメリカ-江戸時代) | ||
1856 | 8 | アメリカ総領事のハリスが下田着任(通訳:オランダ人のヒュースケン)(日本-日本-江戸時代) | |||
1856 | 8 | 5 | 米総領事ハリスが、伊豆下田・玉泉寺を米総領事館とすることを決定(日本-日本-江戸時代) | ||
1856 | 9 | 2 | 太平天国内訌始まる(~11月)(日本-日本-) | ||
1856 | 10 | 8 | 清、アロー号事件、アロー戦争(~1860)(東アジア-清-) | ||
1857 | ドレッド・スコット判決で黒人奴隷の訴訟権否定(北米-アメリカ-) | ||||
1857 | メキシコで自由主義憲法制定され、改革時代に入る(~1876)(北米-アメリカ-) | ||||
1857 | 経済恐慌西欧各国にも波及 - 世界規模の経済危機(北米-アメリカ-) | ||||
1857 | オタワ、カナダの首都となる(北米-アメリカ-) | ||||
1857 | インドでセポイの反乱(~1859)(南アジア-インド-) | ||||
1857 | オタワ、カナダの首都となる(北米-カナダ-) | ||||
1857 | 鹿児島市磯邸内にガス灯つく(日本-日本-江戸時代) | ||||
1857 | 吉田松陰が松下村塾(しょうかそんじゅく)を引き継ぐ-門下生などには高杉晋作、伊藤博文、久坂玄瑞(くさかげんずい)、吉田稔麿(よしだとしまろ)、入江九一、山縣有朋(やまがたありとも)など(日本-日本-江戸時代) | ||||
1857 | 初代アメリカ領事ハリスと下田条約締結(日本-日本、アメリカ-江戸時代) | ||||
1857 | 3 | 4 | 第15代大統領 ジェームズ・ブキャナン( - 1861.03.03)(北米-アメリカ-) | ||
1857 | 5 | 26 | 下田奉行とハリスが貨幣交換・領事裁判権など9か条の「下田条約」を締結(日本-日本-江戸時代) | ||
1857 | 10 | 新彊にて回教徒の乱(~1878年)(--) | |||
1857 | 12 | 29 | 英仏聯軍が広州を攻撃、第二次アヘン戦争(--) | ||
1858 | 開国(--) | ||||
1858 | 安政の5カ国条約井伊直弼が大老になり、アメリカ・ロシア・イギリス・フランス・オランダと修好通商条約を結ぶ。神奈川・長崎・函館・兵庫・新潟の5港を開く。(--) | ||||
1858 | インドのムガール帝国滅亡(南アジア-インド-) | ||||
1858 | ナポレオン3世とサルデーニャ首相カブールの密約〔プロンビエールの密約〕(欧州-ヨーロッパ-) | ||||
1858 | 日米修好通商条約締結1858(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-) | ||||
1858 | 14代将軍徳川家茂(日本-日本-江戸時代) | ||||
1858 | 井伊直弼、大老に就任(日本-日本-江戸時代) | ||||
1858 | 徳川家定死去(日本-日本-江戸時代) | ||||
1858 | 篤姫、天璋院と号す(日本-日本-江戸時代) | ||||
1858 | 幕府練習艦日本丸鹿児島に至る島津斉彬急逝(日本-日本-江戸時代) | ||||
1858 | [幕末1853-1867]14代目将軍徳川家茂(いえもち)1858-1866(日本-日本-江戸時代) | ||||
1858 | 14代将軍 徳川家茂(日本-日本-) | ||||
1858 | 幕府練習艦日本丸鹿児島に至る 島津斉彬急逝(日本-日本-) | ||||
1858 | 4 | 23 | 彦根藩主・井伊直弼(いいなおすけ)が江戸幕府大老に就任(日本-日本-江戸時代) | ||
1858 | 5 | 28 | アイグン条約(--) | ||
1858 | 5 | 28 | 江戸幕府が、米・英・蘭・仏・露に対し神奈川(横浜)・長崎・箱館(函館)での自由貿易を許可する布告(新暦6月28日)(日本-日本-江戸時代) | ||
1858 | 6 | 列強と天津条約(--) | |||
1858 | 6 | 日米修好通商条約-関税自主権がなく治外法権を認める不平等条約。但し、日本とヨーロッパで問題が発生した際にはアメリカが仲裁する点もある。-条約を調印する経緯としては井伊直弼は勅許を得ずに調印。これにより井伊直弼(南紀派)と一橋派・尊皇攘夷派(そんのうじょういは)は対立する。(日本-日本-江戸時代) | |||
1858 | 6 | 19 | 下田奉行・井上清直らとハリス総領事が軍艦ポーハタン号で「日米修好通商条約」に調印(日本-日本-江戸時代) | ||
1858 | 7 | オランダ、ロシア、イギリス、フランスとも修交通商条約を調印する~09(日本-日本-江戸時代) | |||
1858 | 8 | 戊午の密勅(ぼごのみっちょく)-孝明天皇が幕府より先に水戸藩に勅諚(日本-日本-江戸時代) | |||
1858 | 安政の大獄(あんせいのたいごく)(日本-日本-江戸時代) | ||||
1858 | 安政の大獄 尊攘派の小浜藩士・梅田雲濱の京都での捕縛に始る幕府による弾圧事件。 大老井伊直弼は、朝廷の許しを得ずに通商条約を結び、それを批判した諸大名や数多くの志士をとらえて死刑や島流しにした。 一橋派・尊王攘夷派の吉田松陰・橋本左内・一橋慶喜・徳川斉昭など約100名が罪に問われた。(-1859) (1858 10 14)(日本-日本-江戸時代) | ||||
1858 | 10 | 徳川家茂が14代目将軍となる(日本-日本-江戸時代) | |||
1858 | 10 | 27 | セオドア・ルーズベルト、第26代アメリカ合衆国大統領(+ 1919年)(--) | ||
1858 | 10 | 27 | 齋藤實(生)(日本-日本-) | ||
1859 | ブラウンの蜂起(北米-アメリカ-) | ||||
1859 | イギリスの生物学者ダーウィン、『種の起原』刊行(西欧-イギリス-) | ||||
1859 | フランスのレセップス、スエズ運河着工(西欧-フランス-) | ||||
1859 | ナポレオン3世のフランス軍とサルデーニャ王国軍がオーストリア軍を破り〔ソルフェリーノの戦い〕、ビラフランカの講和(西欧-フランス-) | ||||
1859 | 安政の大獄1859(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-) | ||||
1859 | 吉田松陰ら死刑(日本-日本-江戸時代) | ||||
1859 | 西郷隆盛大島に流される(日本-日本-江戸時代) | ||||
1859 | 英艦アクティオン号が尾崎湾に入る。薪水補給し退去。(対馬)(日本-日本-) | ||||
1859 | 10 | 17 | 江戸城本丸が炎上(日本-日本-江戸時代) | ||
1860 | 英・仏連合軍が北京を占領(--) | ||||
1860 | 北京条約(英・仏・露)(--) | ||||
1860 | 洋務運動おこる(同治中興)(--) | ||||
1860 | 桜田門外の変井伊直弼は江戸城桜田門外で水戸藩や薩摩藩を脱藩した武士たちによって暗殺された。これにより、幕府の権威は地に落ちることになった。(--) | ||||
1860 | サウス・カロライナ州、合衆国脱退を決議(北米-アメリカ-) | ||||
1860 | アンティグアとバーブーダの統合(中米-アンティグア、バーブーダ-) | ||||
1860 | イタリア、ガリバルディがシチリアを平定。サルデーニャ軍、中部イタリアに進撃(欧州-ヨーロッパ-) | ||||
1860 | 崔済愚,東学(西教のカトリック教に対し,東方の道を立てる)創始(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-) | ||||
1860 | 崔済愚、東学創始国史年表(国史年表)(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-) | ||||
1860 | 万産(日本-日本-江戸時代) | ||||
1860 | 桜田門外の変・・・大老井伊直弼尊攘派に暗殺さる(日本-日本-江戸時代) | ||||
1860 | 桜田門外の変に有村冶左衛門参加(日本-日本-) | ||||
1860 | 五品江戸廻送令五品(雑穀・水油・蝋・呉服・生糸)の神奈川直送貿易を禁止し、江戸問屋経由を命じる。(日本-日本-) | ||||
1860 | 1 | 勝海舟・福沢諭吉が咸臨丸(かんりんまる)で渡米する(日本-日本-江戸時代) | |||
1860 | 1 | 3 | 加藤高明(生)(日本-日本-) | ||
1860 | 1 | 19 | 勝海舟らが乗った咸臨丸が「日米修好通商条約」批准の為アメリカへ向けて品川を出港(日本-日本、アメリカ-江戸時代) | ||
1860 | 2 | 9 | 勝海舟、福澤諭吉、万次郎ら咸臨丸で渡米万延元年遣米使節(北米-アメリカ、日本-) | ||
1860 | 3 | 桜田門外の変-井伊直弼が暗殺される(日本-日本-江戸時代) | |||
1860 | 3 | 3 | 桜田門外の変。江戸城桜田門外で大老・井伊直弼が水戸浪士らに襲れ死亡、有村冶左衛門参加(日本-日本-江戸時代) | ||
1860 | 3 | 18 | 万延(まんえん)(1860.3.18)(日本-日本-江戸時代) | ||
1860 | 3 | 18 | 安政から万延(まんえん)に改元(日本-日本-江戸時代) | ||
1860 | 10 | 英仏と北京条約(--) | |||
1860 | 10 | 13 | 英仏聯軍、北京占領。(--) | ||
1860 | 10 | 17 | 第一回全英オープンゴルフ開催(北米-アメリカ-) | ||
1860 | 10 | 17 | 第一回全英オープン ゴルフ 開催(北米-アメリカ-) | ||
1860 | 11 | ロシアと北京条約(--) | |||
1860 | 11 | 6 | アメリカ、奴隷制に反対するリンカーンが第16代アメリカ大統領に選出。共和党員初(在任1861~1865)(北米-アメリカ-) | ||
1861 | 8/22咸豊帝崩御(--) | ||||
1861 | 12/曽国藩、安慶に軍械所を設置、洋務運動(--) | ||||
1861 | 11/2祺祥政変、慈僖太后(西太后)が実権を握る。祺祥を同治に改める(--) | ||||
1861 | 咸臨丸渡米咸臨丸渡米(--) | ||||
1861 | アメリカ南北戦争 (--) | ||||
1861 | アメリカの南部11州が独立してアメリカ連合国となる(北米-アメリカ-) | ||||
1861 | メキシコ、外債支払停止宣言。フランス・イギリス・スペインが出兵(~1867)(北米-アメリカ-) | ||||
1861 | 南部諸州、合衆国を脱退、アメリカ連合結成(北米-アメリカ-) | ||||
1861 | アメリカで自営農地法制定(北米-アメリカ-) | ||||
1861 | 4南北戦争始まる(~1865)(北米-アメリカ-) | ||||
1861 | 5アメリカで自営農地法制定(北米-アメリカ-) | ||||
1861 | メキシコ、外債支払停止宣言。フランス・イギリス・スペインが出兵(~1867)(北米-アメリカ-) | ||||
1861 | 南部諸州、合衆国を脱退、アメリカ連合結成(北米-アメリカ-) | ||||
1861 | 年 3月4日、アメリカ合衆国大統領の就任式(北米-アメリカ-) | ||||
1861 | 年 4月12日 - アメリカ南北戦争勃発(北米-アメリカ-) | ||||
1861 | アメリカ南北戦争勃発(~1865)(北米-アメリカ-) | ||||
1861 | イタリア王国成立。ビットリオ・エマヌエレ2世即位(~1878)(西欧-イタリア-) | ||||
1861 | イタリア王国が建国される(西欧-イタリア-) | ||||
1861 | プロイセン王ウィルヘルム1世即位(~1888)(欧州-プロイセン-) | ||||
1861 | ルーマニア自治公国成立(東欧-ルーマニア-) | ||||
1861 | ロシア、アレクサンドル2世の農奴解放令(中欧-ロシア-) | ||||
1861 | 清・愛新覚羅氏・・穆宗毅皇帝(同治帝、載淳)(東アジア-清-) | ||||
1861 | 清・愛新覚羅氏・・ 穆宗・同治帝(東アジア-清-) | ||||
1861 | 穆宗毅皇帝(同治帝、載淳)(東アジア-清-) | ||||
1861 | 金正浩,「大東輿地図」作成.産業,文化への関心を反映(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-) | ||||
1861 | 金正浩、「大東輿地図」をつくる国史年表(国史年表)(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-) | ||||
1861 | 毛利敬親公武合体を献議(日本-日本-江戸時代) | ||||
1861 | ロシア軍艦対馬占領事件-ロシアが対馬の一部を占領-アメリカ総領事の通訳であるヒュースケンが暗殺される-東禅寺事件-攘夷派がイギリス公使館を襲撃(対馬)(日本-日本-江戸時代) | ||||
1861 | 露艦ポサドニック号が尾崎浦に入り、芋崎を半年にわたり占拠し、外交問題となる。大島友之允、対韓策を幕府に建白。(対馬)(日本-日本-) | ||||
1861 | 2/22加藤友三郎 (生)(日本-日本-) | ||||
1861 | 2/19文久(ぶんきゅう)(1861.2.19-1863)(日本-日本-) | ||||
1861 | 2 | 4 | ロシア軍艦「ポサドニック」が対馬に来航し、兵士が芋崎に上陸して占拠。8月には退去する(対馬)(日本-日本-江戸時代) | ||
1861 | 公武合体和宮降嫁(--) | ||||
1861 | 2 | 19 | 万延から文久(ぶんきゅう)に改元(日本-日本-江戸時代) | ||
1861 | 2 | 22 | 加藤友三郎(生)(日本-日本-) | ||
1861 | 2.19 | 文久(ぶんきゅう)(1861.2.19-1863)(日本-日本-江戸時代) | |||
1861 | 3 | 4 | 第16代大統領アブラハム・リンカーン(-1865.04.15)(北米-アメリカ-) | ||
1861 | 3 | 4 | アメリカ合衆国大統領の就任式(北米-アメリカ-) | ||
1861 | 4 | 12 | 1861-1865年南北戦争 - 北部、南部の戦争。(北部の勝利)(北米-アメリカ-) | ||
1861 | 6 | 19 | 江戸幕府が一般諸民の大船建造・外国船購入などを許可(日本-日本-江戸時代) | ||
1862 | 2/2李鴻章、淮軍創設(--) | ||||
1862 | 坂下門外の変1月 老中安部信正暗殺未遂。雄藩の台頭。(--) | ||||
1862 | 島津久光上洛4月 島津久光が兵と供に上洛し、幕府に改革要求。(--) | ||||
1862 | 寺田屋事件島津久光の刺客が、過激な島津藩士を暗殺。これによって島津久光は朝廷の信任を得ることになった。(--) | ||||
1862 | 文久の幕政改革7月 将軍後見職=徳川慶喜 政治総裁職=松平慶永 参勤交代の緩和 京都守護職の設置(松平容保)、新撰組の設置(--) | ||||
1862 | 長州藩論七月 長州は藩論を攘夷とする(--) | ||||
1862 | 生麦事件8月 横浜近くの生麦村で、薩摩藩士がイギリス人を殺傷。(--) | ||||
1862 | 攘夷の勅旨11月 攘夷の勅旨。幕府これに従う。(--) | ||||
1862 | ホームステッド法 - アメリカ西部の土地を開拓すれば無償提供(北米-アメリカ-江戸時代) | ||||
1862 | ギリシア革命で国王オットー1世追放(西欧-ギリシア-) | ||||
1862 | ビスマルクがプロシアの宰相となる(西欧-プロシア-) | ||||
1862 | ビスマルク、プロイセン首相就任(欧州-ヨーロッパ-) | ||||
1862 | このころ清で同治中興(洋務運動)(東アジア-清-) | ||||
1862 | 同治帝・即位 -1874(東アジア-清-) | ||||
1862 | 慶州道の晋州地方から農民蜂起始まる(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-) | ||||
1862 | 1862年壬戌農民蜂起(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-) | ||||
1862 | 慶州道の晋州地方から農民蜂起始まる(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-) | ||||
1862 | |||||
1862 | 坂下門外の変・・・老中安藤信正尊攘派に暗殺さる(日本-日本-江戸時代) | ||||
1862 | 生麦事件-生麦村(横浜市)で島津久光の配下がイギリス人を殺傷(日本-日本-江戸時代) | ||||
1862 | 対長同盟成立。(対馬)(日本-日本-) | ||||
1862 | 生麦事件(日本-日本-) | ||||
1862 | -12-英国公使館焼き討ち事件-高杉晋作、久坂玄瑞らによる(日本-日本、イギリス-江戸時代) | ||||
1862 | 1 | 坂下門外の変-老中安藤信正を襲撃事件(日本-日本-江戸時代) | |||
1862 | 1 | 1 | アメリカ大統領リンカーンの奴隷解放宣言が発表。 - アメリカでの奴隷解放(北米-アメリカ-) | ||
1862 | 2 | 11 | 公武合体(こうぶがったい)-岩倉具視(いわくらともみ)らによって孝明天皇の皇妹・和宮(公)が14代目将軍徳川家茂(武)と江戸城で婚儀。これにより尊王攘夷運動が高まる。(日本-日本-江戸時代) | ||
1862 | 3 | 北方村慈眼寺の僧胤康が尊皇攘夷論者ということで捕縛される。(日本-日本-江戸時代) | |||
1862 | 4 | 寺田屋事件-島津久光により薩摩藩の尊皇攘夷派が鎮圧される(日本-日本-江戸時代) | |||
1862 | 7 | 文久の改革-島津久光らによる改革。一橋慶喜が将軍後見職となる(日本-日本-江戸時代) | |||
1862 | 8 | 3 | 新渡戸稻造生誕(農政学者,教育者,思想家)[1933年歿](日本-日本-江戸時代) | ||
1862 | 8 | 21 | 生麦事件。薩摩藩主・島津久光の行列を乱したイギリス商人が斬られ、1人死亡。薩英戦争の原因に(日本-日本、イギリス-江戸時代) | ||
1862 | 8 | 22 | 江戸幕府が参勤交代を緩和。妻子の帰国を許し3年に1度の出府とする(日本-日本-江戸時代) | ||
1863 | 攘夷期限の上奏4月 幕府、攘夷の期限を5月10日とする事を上奏。(--) | ||||
1863 | 長州藩の外航船砲撃5月 長州藩、下関で米・仏・蘭艦を砲撃。(--) | ||||
1863 | 米仏報復6月 米・仏艦が長州に報復。砲台占拠。(--) | ||||
1863 | 薩英戦争7月 生麦事件の報復として、イギリスが鹿児島湾を砲撃する。 これにより攘夷派は衰退。(--) | ||||
1863 | 七卿落ち(8月18日の政変)8月 公武合体派の公家と薩摩藩兵、会津藩兵が御所を封鎖し、長州藩を主とする尊皇攘夷派を京都から追放したクーデター事件。その結果、長州藩は御所の警護役から外され、攘夷派の三条実美以下公家7人が長州に逃れた。(--) | ||||
1863 | ドイツのラッサール、全ドイツ労働者協会結成(西欧-ドイツ-) | ||||
1863 | 赤十字国際委員会創立(欧州-ヨーロッパ-) | ||||
1863 | 《哲宗崩御し、高宗即位》、大院君政権の成立(王権強化)(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-) | ||||
1863 | 近代社会?(~1945)(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-) | ||||
1863 | 1863年興宣大院君、執権。大院君の鎖国政策。(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-) | ||||
1863 | 高宗即位.父の興宣大院君執権.実権を握る(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-) | ||||
1863 | 高宗即位。興宣大院君執権国史年表(国史年表)(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-) | ||||
1863 | 薩英戦争(日本-日本-江戸時代) | ||||
1863 | 対馬藩に攘夷の勅書及び御沙汰書下る。(対馬)(日本-日本-) | ||||
1863 | 英国艦艇7隻鹿児島湾に来航(日本-日本、イギリス-江戸時代) | ||||
1863 | 5 | 下関事件-長州藩がアメリカ・フランス・オランダの船を砲撃(日本-日本-江戸時代) | |||
1863 | 5 | 10 | 長州藩が下関海峡に碇泊中の米商船に砲撃(日本-日本-江戸時代) | ||
1863 | 6 | 高杉晋作が奇兵隊(長州藩諸隊)を創設する(日本-日本-江戸時代) | |||
1863 | 6 | 7 | 長州藩の高杉晋作らが正規兵以外の者で編成した奇兵隊を結成(日本-日本-江戸時代) | ||
1863 | 6 | 10 | 緒方洪庵歿(日本-日本-江戸時代) | ||
1863 | 6 | 22 | 田中義一(生)(日本-日本-) | ||
1863 | 7 | 薩英戦争-生麦事件から発展。薩摩藩とイギリスの戦い。講和。(日本-日本-江戸時代) | |||
1863 | 7 | 1 | ゲティスバーグの戦い(7月1日-7月3日)(北米-アメリカ-) | ||
1863 | 8 | 17 | 天誅組の変-尊皇攘夷派の中山忠光による天誅組が大和で襲撃(日本-日本-江戸時代) | ||
1863 | 8 | 18 | 八月十八日の政変-公武合体派が京都から長州藩と七卿を追放(日本-日本-江戸時代) | ||
1863 | 10 | 生野の変-七卿落ちの公家を擁した尊皇攘夷派による襲撃(日本-日本-江戸時代) | |||
1863 | 11 | 19 | ゲティスバーグ演説-人民の人民による人民の為の政治(北米-アメリカ-) | ||
1863 | 11 | 19 | ゲティスバーグの演説(北米-アメリカ-) | ||
1864 | 太平天国が崩壊(アジア--) | ||||
1864 | ロンドンで国際労働者協会が結成される(--) | ||||
1864 | 6/1洪秀全、死去(--) | ||||
1864 | 池田屋事件6月 新撰組が、長州藩士を池田屋で襲撃。(--) | ||||
1864 | 蛤御門の変(禁門の変)7月 長州藩士が京都御所を襲い会津・薩摩藩と戦闘。 このため長州は朝敵となった。(--) | ||||
1864 | 4国艦隊下関砲撃事件8月 アメリカ、イギリス、フランス、オランダの4カ国の艦船が下関を砲撃、占領する。(--) | ||||
1864 | 第一次長州征伐8月 第一次長州征伐布告。長州藩は幕府への恭順を示し実際の戦闘は行われなかった。(--) | ||||
1864 | 長州藩クーデター12月 高杉晋作挙兵し、藩内を掌握。(--) | ||||
1864 | パラグアイ戦争(~1870)(北米-アメリカ-) | ||||
1864 | 6-28逃亡奴隷法廃止(北米-アメリカ-) | ||||
1864 | ケベック会議開催(~1865)(カナダ連邦結成問題)(北米-アメリカ-) | ||||
1864 | メキシコ帝政(~1867)(北米-アメリカ-) | ||||
1864 | イギリスの物理学者マクスウェル、電磁場の存在を予告(マクスウェルの方程式)(西欧-イギリス-) | ||||
1864 | ケベック会議開催(~1865)(カナダ連邦結成問題)(北米-カナダ-) | ||||
1864 | メキシコ帝政(~1867)(中南米-メキシコ-) | ||||
1864 | ロンドンで国際労働者協会(第一回インターナショナル)が結成される(欧州-ヨーロッパ-) | ||||
1864 | 国際赤十字社の創設(欧州-ヨーロッパ-) | ||||
1864 | 第1インターナショナル結成(~1876)(欧州-ヨーロッパ-) | ||||
1864 | デンマーク、対プロイセン戦争の結果シュレスウィヒ・ホルシュタインを放棄(欧州-ヨーロッパ-) | ||||
1864 | ロンドンで第一インターナショナル結成(~1876)(欧州-ヨーロッパ-) | ||||
1864 | 幼王(洪天貴福(東アジア-中国、太平天国-太平天国) | ||||
1864 | 朝鮮で大院君が政権を掌握(東アジア-朝鮮-) | ||||
1864 | 蛤御門の変第一回長州征伐(日本-日本-江戸時代) | ||||
1864 | 日向延岡の日平銅山が藩主内藤家の稼行となる。(日本-日本-江戸時代) | ||||
1864 | -07-19-禁門の変-長州藩が京都御所を襲撃。長州藩の敗北。(日本-日本-江戸時代) | ||||
1864 | -07-24-第一次長州征討-参謀は西郷隆盛。11月3日に長州藩は謝罪降伏(日本-日本-江戸時代) | ||||
1864 | -08-四国連合艦隊下関砲撃事件-英仏蘭米が下関を砲撃して占拠する(日本-日本-江戸時代) | ||||
1864 | -12-功山寺挙兵-高杉晋作がクーデターで長州藩の藩政を倒幕とする(日本-日本-江戸時代) | ||||
1864 | 藩校日新館設立。異国船黄浦に入る。勝井五八郎、壮士を率い攘夷の急進派に大弾圧を加える。(勝井騒動)(対馬)(日本-日本-) | ||||
1864 | 2/2元治(げんじ)(1864.2.2)(日本-日本-) | ||||
1864 | 蛤御門の変 第一回長州征伐(日本-日本-) | ||||
1864 | 2 | 2 | 元治(げんじ)(1864.2.2)(日本-日本-江戸時代) | ||
1864 | 2 | 20 | 甲子革令の為、元治[げんじ/げんぢ]に改元(日本-日本-江戸時代) | ||
1864 | 3 | 天狗党の乱-水戸藩の尊皇攘夷派が筑波山で挙兵~12(日本-日本-江戸時代) | |||
1864 | 4 | 崔済愚処刑。(日韓併合)(東アジア-朝鮮、大韓帝国、日本-) | |||
1864 | 5 | 14 | 江戸幕府が神戸海軍操練所を開設。勝海舟を頭取に任命(日本-日本-江戸時代) | ||
1864 | 6 | 池田屋事件-新撰組が池田屋にいる尊皇攘夷派の志士を襲撃(日本-日本-江戸時代) | |||
1864 | 6 | 28 | 逃亡奴隷法廃止(北米-アメリカ-) | ||
1864 | 7 | 11 | 京都・三條木屋町で攘夷派が佐久間象山を斬殺(日本-日本-江戸時代) | ||
1864 | 7 | 19 | 7/19天京陥落、太平天国滅亡(--) | ||
1864 | 8 | 5 | 四国艦隊下関砲撃事件。英米蘭仏の4か国聯合艦隊が下関に砲撃開始(日本-日本-江戸時代) | ||
1864 | 11 | リンカーン再選(北米-アメリカ-) | |||
1864 | 12 | 17 | 筑波山で挙兵した水戸藩尊攘急進派・天狗党が追討軍に追われて敦賀で降伏。関係者300人以上が斬罪(日本-日本-江戸時代) | ||
1865 | 12アメリカ合衆国憲法修正第13条(奴隷廃止を規定)(北米-アメリカ-) | ||||
1865 | 3-3解放局設置(北米-アメリカ-) | ||||
1865 | 4-2北軍、リッチモンド占領、南軍リー降伏。南北戦争終結(北米-アメリカ-) | ||||
1865 | 年 4月9日 - アメリカ南北戦争終了 西部開拓時代、1860年代に始まり1890年代のフロンティアの消滅まで(北米-アメリカ-) | ||||
1865 | オーストリアのメンデル、エンドウを材料に遺伝の研究「遺伝の法則」を発見(メンデルの法則)(中欧-オーストリア-) | ||||
1865 | オーストリアのメンデルが「遺伝の法則」を発見(中欧-オーストリア-) | ||||
1865 | 1865-1900年第二次産業革命自動車、電話、電車、蓄音機、白熱電球、映画、飛行機、飛行船、ラジオ、発電機(ダイナモ)、ダイナマイトなど(欧州-ヨーロッパ-) | ||||
1865 | 1865年閔妃が王妃に。#style(class=box_black_swm){{閔妃・・・1851ー95年閔茲暎、公宗の王妃。後の明成皇后。}}(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-) | ||||
1865 | 1865年閔妃が王妃に。 閔妃・・・1851ー95年閔茲暎、公宗の王妃。後の明成皇后。}}(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-) | ||||
1865 | 壬辰倭乱で焼失した景福宮再建(~1872)(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-) | ||||
1865 | 景福宮再建(-1872)国史年表(国史年表)(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-) | ||||
1865 | 第二回長州征伐(日本-日本-江戸時代) | ||||
1865 | 勝井五八郎誅せられ、その残党も処刑される。(対馬)(日本-日本-) | ||||
1865 | .04.15 | 第17代大統領アンドリュー・ジョンソン(-1869.03.03)(北米-アメリカ-) | |||
1865 | 1 | 2 | 高杉晋作ら長州藩急進派が下関会所を再占拠(日本-日本-江戸時代) | ||
1865 | 4 | 7 | 元治から慶応(けいおう)に改元(1865.4.7-1867)(日本-日本-江戸時代) | ||
1865 | 4 | 7 | 慶応(けいおう)(1865.4.7-1867)(日本-日本-) | ||
1865 | 4 | 9 | アメリカ南北戦争終了 西部開拓時代、1860年代に始まり1890年代のフロンティアの消滅まで(北米-アメリカ-) | ||
1865 | 4 | 14 | リンカーン暗殺(北米-アメリカ-) | ||
1865 | 4 | 15 | 第17代大統領 アンドリュー・ジョンソン( - 1869.03.03)(北米-アメリカ-) | ||
1865 | 9 | 16 | 英米仏蘭の公使が軍艦を率いて兵庫に来航。条約勅許、兵庫優先開港を要求(日本-日本-江戸時代) | ||
1866 | 薩長同盟1月 坂本龍馬の仲介で薩長同盟成立。(--) | ||||
1866 | 第二次長州征伐6月 第二次長州征伐。しかし長州側が勝利する。(--) | ||||
1866 | 厳島談判7月 勝海舟と長州が休戦協定を結ぶ。(--) | ||||
1866 | 一揆の多発凶作、物価高騰などにより一揆の多発(世直し型) 武州一揆 信達一揆(--) | ||||
1866 | 15代徳川慶喜12月 徳川慶喜が15代将軍となる。 (--) | ||||
1866 | アメリカ、大西洋横断海底電線が完成(北米-アメリカ-) | ||||
1866 | アメリカで市民権法成立(北米-アメリカ-) | ||||
1866 | アメリカ全国労働連盟成立(北米-アメリカ-) | ||||
1866 | 大西洋横断海底電線敷設完成(北米-アメリカ-) | ||||
1866 | イタリア、プロイセンと同盟、オーストリアと開戦。プロイセン・オーストリア戦争起こる。プラハ条約で戦争終結、ドイツ連邦解散(西欧-ドイツ-) | ||||
1866 | 普墺戦争(欧州-ヨーロッパ-) | ||||
1866 | 平壌洋擾.アメリカの武装商船ゼネラル・シャーマン号焼打ち(東アジア-朝鮮、アメリカ、李氏朝鮮-) | ||||
1866 | 1866丙寅教獄(フランス人神父を含む多数の天主教徒の処刑により、フランス艦隊の江華島攻撃)、丙寅洋擾(アメリカ武装商船シャーマン号が朝鮮軍人の拉致や発砲を行うも、逆に焼討ちにあい全員殺害される)(東アジア-朝鮮、アメリカ、李氏朝鮮、フランス-) | ||||
1866 | 1866年丙寅迫害→丙寅洋擾カトリック虐殺→舐めきって準備不足の仏に勝利?ジェネラルシャーマン号事件。アメリカ商船を奇襲、虐殺。(東アジア-朝鮮、アメリカ、李氏朝鮮、フランス-) | ||||
1866 | 丙寅教獄(フランス人神父を含む多数の天主教徒の処刑により、フランス艦隊の江華島攻撃)、丙寅洋擾(アメリカ武装商船シャーマン号が朝鮮軍人の拉致や発砲を行うも、逆に焼討ちにあい全員殺害される)(東アジア-朝鮮、アメリカ、李氏朝鮮、フランス-) | ||||
1866 | 1866キリスト教を弾圧し、信者1000人の死傷者を出した(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-) | ||||
1866 | 1866年高宗の王妃に。(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-) | ||||
1866 | キリスト教を弾圧し、信者1000人の死傷者を出した(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-) | ||||
1866 | ドイツの冒険商人,交易を拒否され大院君の父の墓をあばこうとして失敗(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-) | ||||
1866 | 丙虎邪獄。シャーマン事件(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-) | ||||
1866 | 丙寅迫害.天主教に対する弾圧.9人のフランス人神父と数千人の信徒が処刑(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-) | ||||
1866 | 丙寅洋擾.丙寅迫害に対してフランス侵略するが撃退(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-) | ||||
1866 | 丙虎邪獄。シャーマン事件(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-) | ||||
1866 | 丙寅迫害、丙寅洋擾国史年表(国史年表)(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-) | ||||
1866 | 15代将軍徳川慶喜(日本-日本-江戸時代) | ||||
1866 | 薩長連合を約する徳川家茂死去慶喜が十五代将軍(日本-日本-江戸時代) | ||||
1866 | [幕末1853-1867]15代目将軍徳川慶喜(よしのぶ)1866-1867(日本-日本-江戸時代) | ||||
1866 | 福沢諭吉の「西洋事情」ができる(日本-日本-江戸時代) | ||||
1866 | 15代将軍 徳川慶喜(日本-日本-) | ||||
1866 | 薩長連合を約する 徳川家茂死去 慶喜が十五代将軍(日本-日本-) | ||||
1866 | 1 | 薩長同盟(さっちょうどうめい)-薩摩藩の西郷隆盛、長州藩の桂小五郎、土佐藩の坂本竜馬・中岡慎太郎らにより実現した薩摩藩と長州藩の同盟(日本-日本-江戸時代) | |||
1866 | 1 | 21 | 坂本龍馬らの斡旋により薩長盟約が成立。幕末政争で争っていた薩摩と長州が討幕の為に提携(日本-日本-江戸時代) | ||
1866 | 1 | 23 | 寺田屋事件。伏見・寺田屋に宿泊していた坂本龍馬らが伏見町奉行配下の捕り方に急襲され負傷(日本-日本-江戸時代) | ||
1866 | 2 | 5 | 若槻禮次郎(生)(日本-日本-) | ||
1866 | 6 | 第二次長州征伐-長州藩と幕府の戦い。幕府の全面的敗北で権威が失墜した。-これにより米価が暴騰して全国的に一揆・打ちこわしが多発する。(日本-日本-江戸時代) | |||
1866 | 6 | 7 | 江戸幕府による第二次長州征討を開始(日本-日本-江戸時代) | ||
1866 | 7 | 16 | 「日伊通商条約」調印(日本-日本-江戸時代) | ||
1866 | 10 | フランス艦隊江華島攻撃(丙寅洋擾)。(日韓併合)(東アジア-朝鮮、大韓帝国、日本-) | |||
1866 | 12 | 徳川慶喜が15代目将軍となる(日本-日本-江戸時代) | |||
1866 | 12 | 25 | 第121代孝明天皇崩御36歳(日本-日本-江戸時代) | ||
1867 | 船中八策6月 坂本龍馬の船中八策を起草。大政奉還の道が示された。(--) | ||||
1867 | 大政奉還10月 前土佐藩主山内豊信は、坂本竜馬らの意見をとり入れ、15代将軍徳川慶喜に政権を朝廷に返すようにすすめた。慶喜はこれを受け入れ、10月14日大政奉還の上表を提出。(--) | ||||
1867 | 坂本龍馬暗殺11月 坂本龍馬、中岡慎太郎、京都近江屋で暗殺。(--) | ||||
1867 | 王政復古 小御所会議12月 討幕派により天皇を中心とする新政府樹立。薩摩藩の大久保利通や公家の岩倉具視らの倒幕派は12月9日に王政復古の大号令を発し、前将軍・徳川慶喜に対し辞官納地を命じた。(--) | ||||
1867 | アメリカで再建法成立、南部諸州に軍隊派遣、再建政府設置(北米-アメリカ-) | ||||
1867 | アメリカ、ロシアよりアラスカ買収(北米-アメリカ-) | ||||
1867 | アメリカで再建法成立、南部諸州に軍隊派遣、再建政府設置(北米-アメリカ-) | ||||
1867 | カナダ自治領(連邦)成立、マクドナルド、初代首相に就任(北米-アメリカ-) | ||||
1867 | 年 アラスカをロシアから購入(北米-アメリカ-) | ||||
1867 | アメリカがアラスカをロシアから買収(北米-アメリカ、ロシア-) | ||||
1867 | イギリス、第2回選挙法改正(西欧-イギリス-) | ||||
1867 | オーストリア・ハンガリー帝国成立(~1918)(中欧-オーストリア・ハンガリー-) | ||||
1867 | カナダがイギリスから独立、自治領(連邦)成立、マクドナルド、初代首相に就任(北米-カナダ、イギリス-) | ||||
1867 | スウェーデンのノーベルがダイナマイトを発明(北欧-スウェーデン-) | ||||
1867 | プロイセンを盟主とする北ドイツ連邦成立(~1871)(西欧-ドイツ-) | ||||
1867 | マルクス『資本論』第1巻刊行(欧州-ヨーロッパ-) | ||||
1867 | 1867年(明治元年)明治政府は宗氏を通じ、王政復古を朝鮮に通達。「皇」「勅」の字の多用に朝鮮が怒り、受け取り拒否。以後、朝鮮は日本使者に非礼。帰国後、全員が「即時征韓論」を唱える。(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-) | ||||
1867 | 大政奉還、王政復古1867(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-) | ||||
1867 | 大政奉還王政復古(日本-日本-江戸時代) | ||||
1867 | 大政奉還 王政復古(日本-日本-) | ||||
1867 | 1 | 9 | 第122代明治天皇(日本-日本-江戸時代) | ||
1867 | 1 | 9 | 睦仁親王が第122代明治天皇として即位(日本-日本-江戸時代) | ||
1867 | 1 | 9 | 第122代 明治天皇(日本-日本-) | ||
1867 | 4 | 24 | 江戸幕府が外国総奉行を設置(日本-日本-江戸時代) | ||
1867 | 5 | 薩土密約(さつどみつやく)-中岡慎太郎の仲介による薩摩藩(西郷隆盛など)と土佐藩(板垣退助など)の武力による討幕同盟。(日本-日本-江戸時代) | |||
1867 | 6 | 坂本竜馬が土佐藩の参政である後藤象二郎に船中八策を提示する(日本-日本-江戸時代) | |||
1867 | 6 | 22 | 薩土盟約(さつどめいやく)-坂本竜馬の仲介による薩摩藩(西郷隆盛・大久保利通など)と土佐藩(後藤象二郎など)の政治同盟。2ヵ月半で解消された。(公議政体)(日本-日本-江戸時代) | ||
1867 | 7 | 23 | 江戸幕府が天理教の布教を公認(日本-日本-江戸時代) | ||
1867 | 7 | 23 | 幸田露伴生誕(小説家,劇作家,随筆家『五重塔』)[1947年歿]1937年文化勲章(日本-日本-江戸時代) | ||
1867 | 9 | 28 | 平沼騏一郎(生)(日本-日本-) | ||
1867 | 10 | 3 | 土佐藩の後藤象二郎らが、前藩主・山内豊信の大政奉還の建白書を幕府に提出(日本-日本-江戸時代) | ||
1867 | 10 | 3 | 土佐藩が徳川慶喜に大政奉還を建白する(日本-日本-江戸時代) | ||
1867 | 10 | 14 | 大政奉還。15代将軍徳川慶喜が朝廷に政権返上の上奏文を差出す(日本-日本-江戸時代) | ||
1867 | 10 | 14 | 大政奉還(たいせいほうかん)-徳川慶喜が政権を明治天皇に返上する。これにより江戸幕府は崩壊した。この前後に薩摩藩・長州藩に討幕の密勅が下るが取り消しされた。(日本-日本-江戸時代) | ||
1867 | 11 | 近江屋事件-近江屋で坂本龍馬と中岡慎太郎が暗殺される(日本-日本-江戸時代) | |||
1867 | 11 | 17 | 中岡愼太郎没(30)(日本-日本-江戸時代) | ||
1867 | 12 | 王政復古の大号令-徳川慶喜の将軍職辞職。天皇主体の明治政府が誕生する。-摂政・関白・幕府などが廃止されて、新たに総裁・議定・参与の三職を天皇の直下に設置する。同日、三職からなる小御所会議を開き戊辰戦争の発端となる。(日本-日本-江戸時代) | |||
1867 | 12 | 7 | 神戸港が外国船に向けて開港(日本-日本-江戸時代) | ||
1867 | 12 | 24 | 鈴木貫太郎(生)(日本-日本-) | ||
1868 | アメリカ合衆国憲法修正第14条(市民権法)(北米-アメリカ-) | ||||
1868 | キューバ反乱(~1878)(北米-アメリカ-) | ||||
1868 | スペイン、共和政を主張する野党・軍・農民の運動でイサベル2世退位(欧州-ヨーロッパ-) | ||||
1868 | 薩藩官軍の先鋒となり江戸へ西郷・勝会談で江戸城接収(日本-日本-江戸時代→明治時代) | ||||
1868 | 義達、藩兵を率いて大坂行在所に至り八幡の守衛に就く。京に上り、朝鮮通交につき建言。朝鮮国に政権が天皇に帰したことを通告。(対馬)(日本-日本-) | ||||
1868 | 薩藩官軍の先鋒となり江戸へ 西郷・勝会談で江戸城接収(日本-日本-) | ||||
1868 | 1 | 王政復古宣言。4. 宗義達(対馬藩主)朝鮮通交事務取扱となる。(日韓併合)(東アジア-朝鮮、大韓帝国、日本-) | |||
1868 | 1 | 1 | 慶喜出兵 1月1日 慶喜は討薩表を発し、1月2日から3日にかけて「慶喜公上京の御先供」という名目で事実上京都封鎖を目的とした出兵を開始。(--) | ||
1868 | 1 | 3 | 鳥羽・伏見の戦い(とばふしみのたたかい) 明治政府(西郷隆盛など)と旧幕府(新撰組:土方歳三など)の戦い。明治政府の勝利。(日本-日本-江戸時代→明治時代) | ||
1868 | 戊辰戦争(日本-日本-江戸時代→明治時代) | ||||
1868 | 鳥羽伏見の戦い(日本-日本-) | ||||
1868 | 戊辰戦争 徳川慶喜の本営大坂城を出発し鳥羽・伏見から京都へ進撃した幕府軍が、王政復古を経て明治政府を樹立した薩摩藩・長州藩らを中核とした新政府軍と衝突し敗走(鳥羽伏見の戦い)。京都周辺からはじまり東日本全域で戦争となり、旧幕府勢力および奥羽越列藩同盟と新政府軍が戦った日本の内戦。鳥羽・伏見の戦い、上野戦争、北越戦争、会津戦争、箱館戦争北海道の函館で旧幕府の榎本武揚(えのもとたけあき)が降伏する事によって終結する。この一連の戦いを「戊辰戦争」という。(日本-日本-) | ||||
1868 | 1 | 6 | 慶喜江戸へ退去1月6日 幕府軍艦開陽丸で慶喜は江戸に退却した。(--) | ||
1868 | 1 | 14 | 五箇条の御誓文慶応4 (1868) 年3月 14日(日本-日本日本-江戸時代→明治時代) | ||
1868 | 1 | 19 | 大久保利通が大阪遷都を建議(日本-日本-江戸時代→明治時代) | ||
1868 | 1 | 20 | 薩摩・長州・土佐・肥前の4藩主が版籍奉還を上奏(日本-日本-江戸時代→明治時代) | ||
1868 | 1 | 20 | 岡田啓介(生)(日本-日本-) | ||
1868 | 2 | 12 | 徳川慶喜が幕府追討軍に恭順の意を示し、江戸城を出て上野寛永寺に移り謹慎(日本-日本-江戸時代→明治時代) | ||
1868 | 3 | 江戸城開城交渉。3月 西郷隆盛と幕府の勝海舟との話し合いによって、江戸城無血開城。 フランス公使ロッシュは幕府への援助を申し入れるが慶喜が辞退。 イギリス公使パークスは官軍に圧力をかけた。(--) | |||
1868 | 3 | 五箇条の御誓文3月 明治天皇が五箇条の御誓文。(--) | |||
1868 | 3 | 五箇条の御誓文。(日本-日本-) | |||
1868 | 3 | 6 | 甲州勝沼の戦い 明治政府(板垣退助など)と旧幕府(新撰組「甲陽鎮撫隊(こうしゅうちんぶたい)」)との戦い。明治政府の勝利。(日本-日本-江戸時代→明治時代) | ||
1868 | 3 | 14 | 「五箇条の御誓文」(ごかじょうのごせいもん)宣布。明治新政府の基本方針を示す(日本-日本-江戸時代→明治時代) | ||
1868 | 3 | 15 | 五榜の掲示(ごぼうのけいじ)-民衆に対する禁止令(日本-日本-江戸時代→明治時代) | ||
1868 | 3 | 28 | 神仏判然令公布神仏分離独立(日本-日本-江戸時代→明治時代) | ||
1868 | 4 | 会津戦争 明治政府(板垣退助など)と旧幕府(白虎隊など)の戦い。明治政府の勝利。~09(日本-日本-江戸時代→明治時代) | |||
1868 | 4 | 11 | 江戸城無血開城4月11日 江戸城は無血開城、大総督府が接収した。(--) | ||
1868 | 4 | 11 | 江戸城無血開城(えどじょうむけつかいじょう) 西郷隆盛(明治政府)と勝海舟(旧幕府)の会談により江戸城を明治政府へ明け渡す。(日本-日本-江戸時代→明治時代) | ||
1868 | 4 | 19 | 宇都宮城の戦い 明治政府(香川敬三など)と旧幕府(土方歳三など)の戦い。明治政府の勝利。(日本-日本-江戸時代→明治時代) | ||
1868 | 4 | 21 | 政体書の公布 三職制に変わる太政官制。太政官七官制(太政官と七官(議政官・行政官・神祇官・会計官・軍務官・外国官・刑法官)による三権分立)。(日本-日本-江戸時代→明治時代) | ||
1868 | 4 | 25 | 新選組の近藤勇が処刑される(日本-日本-江戸時代→明治時代) | ||
1868 | 5 | 会津戦争5月 仙台藩を中心に東北25藩、越後6藩が「奥羽越列藩同盟」を結成し官軍と戦闘。8月 奥羽越列藩同盟崩壊。9月 白河口総督として西鄕頼母。松平容保、会津城に籠城するも落城。白虎隊自決。 (--) | |||
1868 | 5 | 北越戦争 明治政府(山縣有朋など)と旧幕府(河井継之助など)の戦い。明治政府の勝利。~07(日本-日本-江戸時代→明治時代) | |||
1868 | 5 | 太政官札(だじょうかんさつ)の発行-期間限定の紙幣(日本-日本-江戸時代→明治時代) | |||
1868 | 5 | 3 | 奥羽越列藩同盟-陸奥・出羽・越後の諸藩同盟(日本-日本-江戸時代→明治時代) | ||
1868 | 5 | 15 | 上野戦争。5月15日 官軍への不満を持った旧幕府勢力が上野寛永寺で官軍と戦闘。彰義隊全滅。(--) | ||
1868 | 5 | 15 | 上野戦争 明治政府(大村益次郎など)と旧幕府(彰義隊など)の戦い。明治政府の勝利。(日本-日本-江戸時代→明治時代) | ||
1868 | 5 | 18 | 五稜郭の戦い。榎本武揚らが最後の拠点・五稜郭を開城し維新政府軍に降伏。戊辰戦争が終結し維新政府が全国を統一(日本-日本-江戸時代→明治時代) | ||
1868 | 5 | 19 | 明治政府が最初の政府紙幣・太政官札を発行(日本-日本-江戸時代→明治時代) | ||
1868 | 6 | 25 | ?明治政府が身分制度を再編。大名・公卿を「華族」、武士を「士」と「卒」、農・工・商を「平民」とする(日本-日本-江戸時代→明治時代) | ||
1868 | 6 | 29 | 東京・九段坂上に戊辰戦争以来の戦死者を祀る招魂社を造営。後に靖国神社に改称(日本-日本-江戸時代→明治時代) | ||
1868 | 7 | 曽国藩、直隷総督就任(東アジア-清-) | |||
1868 | 7 | 江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔書-江戸を東京と改称する(日本-日本-江戸時代→明治時代) | |||
1868 | 7 | 17 | 詔勅により江戸を東亰[とうけい]に改称(日本-日本-江戸時代→明治時代) | ||
1868 | 8 | 15 | 明治政府が蝦夷地を「北海道」と改称する布告(日本-日本-江戸時代→明治時代) | ||
1868 | 8 | 27 | 京都御所で明治天皇の即位の大礼を挙行(日本-日本-江戸時代→明治時代) | ||
1868 | 9 | 明治維新です(北米-アメリカ-) | |||
1868 | 9 | 戊辰戦争、明治維新(東アジア-朝鮮、李氏朝鮮-) | |||
1868 | 9 | 明治?(1868 - 1912)(日本-日本-) | |||
1868 | 9 | 一世一元の制9月 戊辰戦争の後、明治政府樹立。(日本-日本-) | |||
1868 | 江戸時代→明治時代-[1868年~1912年](日本-日本-江戸時代→明治時代) | ||||
1868 | 明治に改元(日本-日本-江戸時代→明治時代) | ||||
1868 | 9 | 8 | 近代(日本-日本-江戸時代→明治時代) | ||
1868 | 9 | 8 | 明治維新(日本-日本-江戸時代→明治時代) | ||
1868 | 9 | 8 | 明治に改元(日本-日本-江戸時代→明治時代) | ||
1868 | 9 | 8 | 一世一元の詔-天皇一代につき元号は一つ 仙台藩・会津藩・庄内藩が明治政府に降伏する(日本-日本-江戸時代→明治時代) | ||
1868 | 9 | 8 | 明治(めいじ)(1868.9.8-1912)明治から一世一元となった。(日本-日本-) | ||
1868 | 9 | 20 | 明治天皇が京都を出発し東京へ向かう(日本-日本-江戸時代→明治時代) | ||
1868 | 10 | 函館戦争10月 榎本武揚が蝦夷上陸し、函館御陵閣を占領。独立を宣言。(--) | |||
1868 | 10 | 五稜郭の戦い(ごりょうかくのたたかい)(日本-日本-江戸時代→明治時代) | |||
1868 | 10 | 13 | 明治天皇が江戸城に入る。名称を東京城と改めて皇居とする(日本-日本-江戸時代→明治時代) | ||
1868 | 12 | 8 | 江戸幕府が沼津兵学校を創立(日本-日本-江戸時代→明治時代) | ||
1868 | 12 | 15 | 旧幕府軍の榎本武揚らが箱館(函館)で蝦夷地の領有を宣言し「蝦夷共和国」を発足(日本-日本-江戸時代→明治時代) | ||
1868 | 12 | 23 | 明治政府が富くじ興行禁止を布告(日本-日本-江戸時代→明治時代) |