歴史・人名

縄文中期

● 中 期(ちゅうき) 縄文文化の爛熟期(約3,500~4,500年前)
続く時代が「中期」である。縄文文化の爛熟期で、中部地方までの東日本全体で、きわめて豊かな文化が発達した。
 東北地方では前期に成立した土器様式が微妙な変化を遂げながら安定して存続、関東・中部地方では勝坂式土器様式が、新潟県では信濃川中流域に、あの“火焔型土器”の文化が花ひらく。

   縄文中期(--)
-3000BC3000 縄文前期/縄文中期(--)
-3000カラル文明(北米-アメリカ-)
-3000メソポタミアにシュメール人の都市国家(中東-イラク-)
-3000インダス文明(南アジア-インド-)
-3000エジプト、統一国家の形成(アフリカ-エジプト-)
-3000ころギリシアのクレタ島、初期青銅器時代に入る(~前2000ころ)(欧州-ヨーロッパ-)
-3000新石器時代中期-3000-2000(東アジア-朝鮮-新石器時代中期)
-3000一湊遺跡(日本-日本-縄文時代)
-3000石斧・土偶など作られる(日本-日本-縄文時代)
-3000立体装飾に富む大型土器(日本-日本-縄文時代)
-3000縄文前期縄文中期(日本-日本-縄文時代)
-2700中国の伝承で崇拝される帝王、賢人、神のことで三皇は伏羲、神農、軒轅。五帝は黄帝、高陽、高辛、堯、舜。伝説時代ということになっています。(--)
-2700エジプトの古王国時代(- -2200)(アフリカ-エジプト-)
-2650エジプトで古王国の誕生(--)
-2635階段ピラミッドを建設。(アフリカ-アフリカ-)
-2600インダス文明(南アジア-インド-)
-2600エーゲ文明(欧州-ヨーロッパ-)
-2589エジプトのクフ王(アフリカ-エジプト-)
-2550黄帝、 、 、堯、舜と呼ばれる五帝が支配した伝説の時代(~前2140年)(東アジア-中国-)
-2510上古時代 -三皇 軒轅氏 泰皇 黄帝(紀元前2510年 - 紀元前2448年)(--)
-2510上古時代-三皇軒轅氏泰皇黄帝(紀元前2510年-紀元前2448年)(東アジア-中国-上古時代)
-2500このころ、北イラクにアッシリアが建国される。(中東-イラク-)
-2448上古時代 -五帝 金天氏 少昊 姫玄囂(紀元前2448年 - 紀元前2364年)(東アジア-中国-)
-2400吉田貝塚上層(峰町)(対馬)(日本-日本-)
-2371アッカドのサルゴンが、シュメール系諸国家を征服しメソポタミアを統一。(中東-イラク-)
-2364上古時代 -五帝 高陽氏 帝?? 姫??(紀元前2364年 - 紀元前2286年)(--)
-2364上古時代-五帝高陽氏帝顓頊姫顓頊(紀元前2364年-紀元前2286年)(東アジア-中国-上古時代)
-2350アッカド帝国(中東-イラク-)
-2333'古朝鮮時代[BC2333-BC108]
檀君朝鮮[BC2333年ごろ~]
'(東アジア-朝鮮、檀君朝鮮-古朝鮮時代)
-2333 朝鮮半島の歴史は、BC2333年の檀君(タングン)による建国神話からはじまる。この、檀君(タングン)朝鮮からはじまって、次の箕子(キジャ)朝鮮を経て、衛氏(ウィシ)朝鮮までの三王朝を、古朝鮮時代と呼ぶ。 檀君(タングン)と箕子(キジャ)は、神であり人間である神話・伝説の世界の歴史である。(東アジア-朝鮮、檀君朝鮮-檀君朝鮮)
-2333檀君、阿斯達に都し、朝鮮王となるを定める(三国遺事)国史年表(国史年表)(東アジア-朝鮮、檀君朝鮮-)
-2333その1、歴史の始まり・・・檀君神話・古朝鮮古朝鮮を建国した檀君に関する記録は高麗(高句麗)時代の高僧・一然(イルヨン)の書いた「三国遺事」に詳しく書かれている。昔々、天の国に住んでいた桓因(ファニン)の息子の桓雄(ファヌン)は、天の下の人間の世を気にしていた、父が息子の気持ちを察して、下界をながめて見ると、人間の世を作っても良さそうな気がしたので、桓雄に天の息子の証”天賦印”を与えて下におりて治めることを許した。父の許可を得た桓雄は3000人の配下を連れて太白山(テベク山)の神壇樹に降りてきた、そこが神市である、と壇君神話は始まります。しかし、古朝鮮の第一代の王は桓雄ではなく壇君です。壇君はまだ生まれていません、どのようにして生まれてくるのでしょうか。桓雄が世を治めているとき、毎日人間になりたいと心からお祈りをしている虎と熊が同じ洞窟に住んでいました。毎日、お祈りをする虎と熊を見て、二匹の動物にひとにぎりのヨモギとにんにく20個を渡して、桓雄は「それを食べて100日間太陽の光を避ければ人間になれる」といいました。しかし、虎は我慢できずに飛び出してしまった。熊は言いつけを守りきれいな女性に変わりました。しかし、熊の祈りはそこで終わりませんでした。女になった熊は、毎日、神壇樹の下で、子どもを生めるようにして下さいと祈り続けました。そこで、桓雄は男に変身してその熊女(ウンニョ)と結婚し、子どもが生まれました。その子が檀君です。檀君は紀元前2333年に平壌(ピョンヤン)を都にして、国名を朝鮮と呼びました。日が昇るところ、という古代の朝鮮語で、アサダルの漢字表現です。古朝鮮という名称は李成桂[イ・ソンゲ、太祖(テジョ)李氏朝鮮(りしちょうせん1392年-1910年)の始祖]が朝鮮王朝を建てたため、後に二つを区別するために檀君の朝鮮を古朝鮮と呼ぶようになりました。古朝鮮の開国が紀元前2333年というのは重要です。それは韓国の年号である檀紀をかぞえるとき用いる年度であり、今年(2006年)は檀紀4338年記なります。韓国の歴史が始まって今年で4338年目になったという意味。しかし、檀君は単に人の名前ではないという事実も注目に値します。個人を指す固有名詞ではなく、普通名詞です。祭政一致社会、シャーマンの王として政治権力と宗教の権力とを同時に持っていた意味をもつ一般名詞です。古朝鮮は政治と宗教が一致していた社会であったことが分かります。檀君はその後、1500年間、朝鮮を治めて、アサダルの山に入り、山の神になったといわれます。そのとき1908歳だったそうです。とここまでが、「三国遺事」の記録です。神話が事実か否かはそれほど重要ではありません。神話が存在する理由は、その民族の象徴であり、意味であるからです。『檀君神話』は、天の神の息子がこの地に降臨してきて、宇宙の木である神壇樹の前でこの世を創り、人々と共に生活する話です。そのハイライトは結婚式です。天があり、地があり、植物を代表する宇宙の木があり、動物を代表する熊がいる。その間に人がいる。全ての宇宙が集まって宴会をするのが、結婚式。この結婚から檀君が生まれる。現代を生きるわれわれがそのような全宇宙の美しい祝福を受けて生まれてきたということを伝えている話です。檀紀(檀君紀元)とは、「三国遺事」で伝えられる檀君(タングン)の朝鮮建国を称える年号のこと。「三国遺事」以下、各種史料では建国年次が一定していなかったが、1485撰述の「東国通鑑」が「唐堯の即位25年・戊辰」と特定して以来、紀元前2333年建国という認識が定着するようになった。檀紀は、日本からの独立を果たした大韓民国で公用紀元として採用された年号で、檀君(タングン)の朝鮮建国と伝えられる前2333年を元年とし、陰暦10月3日を開天節と定めている。1961年まで用いられたが、1962年の憲法改正(第三共和制)の際に、西暦に改められた。(東アジア-朝鮮、檀君朝鮮-)
-2333『朝鮮』名の由来です。『朝』とは、時の「朝廷」…中国「周」や「秦」「漢」「後漢」などから「清」国までの歴代中国史。『鮮』とは、「物請う、物乞う」つまり、朝廷に物乞う人々の国です。歴代中国側は、日本国側も貢物を差し出せばその地の統治者として認めるような外交をするも、日本があまりにも離れ地(難海を隔てた場所)の為に関与ができなく、属国化できなかった。しかし、朝鮮半島は、まさしく「物乞う」国として属国できたので『朝鮮』名を命名したのです。それが現在も続いている名称です。「朝鮮」の朝は、宗主国に献上する貢物を表します。そして「朝鮮」の鮮は、少ないという意味があります。中国には朝鮮半島の傀儡王朝から、財宝、作物、奴隷が献上されたという記録が残っています。国の名前を中国に決めてもらうとき、朝鮮のほうからも「朝鮮」を含むいくつかの名前を候補にお伺いを立てているわけです。朝鮮側は当然「朝のあざやかな国」、のつもりでその名前を考えたわけですが、中国側はリストにある「朝鮮」の文字を見て「貢物の少ない国」となった様です。(東アジア-朝鮮、檀君朝鮮-)
-2333壇君王倹,阿斯達に都を開く.古朝鮮建国檀君朝鮮(檀君神話)(三国遺事)
古朝鮮時代
朝鮮半島の歴史は、BC2333年の檀君(だんくん・タングン)による建国神話からはじまり、一般的に前漢武帝に侵攻を受ける以前の、檀君朝鮮からはじまって、次の箕子(きし・キジャ)朝鮮を経て、衛氏(えいし・ウィシ)朝鮮までの三王朝を、古朝鮮時代と呼び、BC108年、漢の武帝に征服される。檀君と箕子は、神であり人間である神話・伝説の世界の歴史である。支配地域は大同江から北西の地域。
檀君朝鮮
まず、檀君朝鮮。これは、ほとんど神話のようなお話で実在したかどうかはかなり怪しい・・・。朝鮮民族の始祖とされる檀君という神話上の人物がBC2333年に阿斯達(アサダル、現在の平壌)を都とし朝鮮最初の王国を建国したとされている。国の名称を朝鮮とし、この時代を檀君朝鮮と呼び、1500年続く、神話・伝説の王朝である。その後、いくつかの部族が満州南部地域から朝鮮半島に移動し、檀君が1908歳のとき、国を箕子に譲り、自身は神になって、山に入って行った。(東アジア-朝鮮、檀君朝鮮-檀君朝鮮)
-2300アッカド帝国(中東-イラク-)
-2300黄河下流域で黒陶文化(黄河文明、竜山(ロンシャン)文化(前2300年ころ~前1500年))(ブリタニカ)(東アジア-中国-上古時代)
-2286上古時代 -五帝 高辛氏 帝? 姫夋(紀元前2286年 - 紀元前2216年)(--)
-2286上古時代-五帝高辛氏帝嚳姫夋(紀元前2286年-紀元前2216年)(東アジア-中国-上古時代)
-2230アッカド王国の滅亡。(中東-イラク-)
-2216上古時代 -五帝 青陽氏 帝摯 姫摯(紀元前2216年 - 紀元前2213年)(東アジア-中国-)
-2213上古時代 -五帝 陶唐氏 帝堯 依祁放勛(紀元前2213年 - 紀元前2115年)(東アジア-中国-)
-2200黄河下流域で黒陶文化(--)
-2200エジプトの第1中間期(アフリカ-エジプト-)
-2200住吉平貝塚(豊玉町)(対馬)(日本-日本-)
-2150アッカド王国の滅亡。(中東-イラク-)
-2144禹、治水に成功し、天子の位につく夏、始まる(木徳・青・東)(東アジア-中国-)
-2135エジプトの中王国時代(アフリカ-エジプト-)
-2112ウル第3王朝(--)
-2112ウル第3王朝(ME-ME-)
-2112上古時代 -五帝 有虞氏 帝舜 姚重華(紀元前2112年 - 紀元前2073年)(東アジア-中国-)
-2111ウル王ウルナンムが、メソポタミアを再統一。法典の編纂を行う。(--)
-2111前2111年ウル王ウルナンムが、メソポタミアを再統一。法典の編纂を行う。(中東-イラク-)
-2100伝説時代(B.C.21c以前)(--)
-2069夏王朝(B.C.2069~B.C.1600)
中国夏王朝成立
夏王朝・・ 禹―?―太康―仲康―相―少康―杼―槐-芒―泄―不降―?―?―孔甲―皋―発―癸―桀(- -1600)(--)
-2040メンチュヘテプ2世が、100年ほど前から分裂していたエジプトを再統一。中王国時代。(アフリカ-エジプト-)
-2000クレタ文明(クノッソス宮殿)(--夏)
-2000インド=ヨーロッパ語族の大移動が始まる(西欧-イタリア-)
-2000アッシリア(中東-イラク-)
-2000ギリシア人(アカイア人)、ギリシア本土(ヘラス)に南下
このころクレタ島、中期青銅器時代に入る(~前1600ころ)(欧州-ギリシア-)
エーゲ海沿岸にエーゲ文明(クレタ/ミケーネ文明など)が栄える。その後、ポリス(都市国家)が形成されて民主政治が進められる。 ギリシャ連合とペルシアの戦いの後にポリス間で大規模な争いがはじまり、エーゲ海沿岸のギリシャは衰退していく。ギリシャ時代のギリシャ文化はギリシャ文字、彫刻、パルテノン神殿。哲学ではピタゴラス、ソクラテス、プラトン、アリストテレスなど。 そして、バルカン半島のマケドニア(地方のギリシャ人)のアレクサンドロス大王がエーゲ海沿岸及びペルシアを制圧する。この時に生まれた東西の融合文化はヘレニズム文化と呼ばれる。 その時代の人物ではアルキメデス、ユークリッド、エラトステネス、アリスタルコスなど。 アレクサンドロス大王の死後は領土争いで国が分裂する。 共和政ローマはカルタゴとの地中海の覇権争いに勝利して地中海を制覇する。三頭政治を経てアウグストゥスが初代ローマ皇帝となりローマ帝国が始まる。(最盛期はヨーロッパ及び地中海沿岸全域) 紀元前27年から約200年に渡る平穏な時代を「パックス=ロマーナ」(ローマの平和)と呼ぶ。その後、395年にローマは東西の2つの国に分裂する。(東ローマ帝国/西ローマ帝国) 遊牧民のフン族の影響で北欧周辺のゲルマン人が南下後、東西に大移動する事により、ゲルマン人による諸国家が建国される。 (西欧-ギリシャ-)
-2000古代ヨーロッパ-[紀元前~476年](ヨーロッパ- ヨーロッパ-)
-2000古バビロニア王国(欧州-ヨーロッパ-)
-2000クレタ島を中心にクレタ文明(ミノア文明)が栄える~前1500年(クノッソス遺跡)。古代ヨーロッパ-[エーゲ海沿岸等](欧州-ヨーロッパ-)
-2000中国夏王朝(伝説)成立 夏王朝・・禹―?―太康―仲康―相―少康―杼―槐-芒―泄―不降―?―?―孔甲―皋―発―癸―桀(東アジア-中国、夏-縄文時代)
-2000歴史書には王の系譜まで載っており、血族による皇帝制度はこの王朝から始まったとされています。最近になってやっとその存在を証明するようなものが発見されています。(- -1600)(東アジア-中国、夏-)
-2000新石器時代晩期-2000-1000(東アジア-朝鮮-縄文時代)
-2000朝鮮あわ、きび、ひえなどを栽培。(東アジア-朝鮮-縄文時代)
-2000鉢・皿・土瓶など土器の形が多様化(東アジア-朝鮮、檀君朝鮮-新石器時代晩期)
   縄文後期(日本-日本-縄文時代)
-2000前谷遺跡(日本-日本-縄文時代)
-2000大規模な環状貝塚(日本-日本-縄文時代)
-2000縄文中期縄文後期(日本-日本-)
-2000大湯環状列石(秋田県)-1000(日本-日本-縄文時代)