歴史・人名

縄文後期

● 後 期(こうき) 縄文文化の転機(約3,000~3,500年前)
 気候の温暖化と落葉広葉樹の恵みに支えられた縄文文化も、この時期には転機を迎える。その背景には、様々な環境変化があった。 この時期、気候は再び冷涼化の兆しを見せ、前期の“縄文海進”で数メートル高くなった海水面が次第に低下、東日本の海山の豊かな生産力も、人口の増加に伴ってそろそろ限界に近づいたのである。その結果、縄文社会は停滞期に入っていった。 土器では、東北地方では、綱取式(つなとりしき)、新地式(しんちしき)、十腰内式(とこしないしき)土器様式が盛んに作られている。しかし、前代までの活力は見られない。ただし、この時期以降、呪術的な土偶や鐸形(さなぎがた)土製品など、直接の生活用具ではない“第2の道具”が増えてくることは、当時の不安定な社会構造を反映するものとして興味深い。

縄文後期追加
-2000縄文中期/縄文後期(アジア-日本-縄文後期)編集
-1894アモリ人がバビロン第1王朝(バニロニア)を建国。 古バビロニア王国(アジア--縄文後期)編集
-1813アッシリア王国(アジア--縄文後期)編集
-1800エジプトの第2中間期(アフリカ-エジプト-縄文後期)編集
-1800ハムラビ法典制定 ( --縄文後期)編集
-1792バビロニアでハンブラビ王が即位。ハンブラビ法典の編纂。 (アジア--縄文後期)編集
-1751商王朝(殷)(B.C.1751~B.C.1023)(アジア-中国-縄文後期)編集
-1700中国殷王朝成立(アジア-殷(中国)-縄文後期)編集
-1680ヒッタイト古王国(アジア--縄文後期)編集
-1600神権政治が行われていた伝説の王朝だと言われてきましたが、今世紀に入ってからの殷墟の発掘で実在が確かめられました。また、甲骨文から、この王朝の約1000年後に書かれた、司馬遷の「史記」が極めて正確だったことも確認されました。
なお殷という名前は最後の首都名で、王朝の正式名称は商です。この国の人たちが亡国の民となり、各地に散って、仕方なく危険な流通業を始めたことから、その仕事を商業というようになりました。(アジア-中国/商)(アジア-中国/商-縄文後期)
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-1595古バビロニア王国滅亡(アジア--縄文後期)編集
-1570エジプトの新王国時代(アフリカ-エジプト-縄文後期)編集
-1550ミタンニ王国(アジア--縄文後期)編集
-1500殷王朝の成立(アジア-殷(中国)-縄文後期)編集
-1500アーリア人がインドのパンジャブ地方へ進入(アジア--縄文後期)編集
-1500エーゲ海のサントリニ島で火山爆発(欧州--縄文後期)編集
-1450ギリシャのミケーネ文明(欧州--縄文後期)編集
-1450クレタ文明滅亡(欧州--縄文後期)編集
-1400中国殷王朝の遷都(アジア-殷(中国)-縄文後期)編集
-1364エジプトのイクナトン(アフリカ-エジプト-縄文後期)編集
-1364アマルナ文化(アフリカ--縄文後期)編集
-1300黄河文明の繁栄(アジア-中国-縄文後期)編集
-1270ミタンニ王国の滅亡(アジア--縄文後期)編集
-1260モーゼの出エジプト(アフリカ--縄文後期)編集
-1200ヒッタイト新王国滅亡(アジア--縄文後期)編集
-1200フェニキアの繁栄(アジア--縄文後期)編集
-1200リグ・ヴェーダの集大成(アジア--縄文後期)編集
-1200トロイア戦争(欧州--縄文後期)編集
-1150ギリシャにドーリア人南下(欧州--縄文後期)編集
-1090エジプトの末期王朝時代(アフリカ-エジプト-縄文後期)編集
-1070中国周王朝成立(華北を統一)(アジア-中国/周-縄文後期)編集
-1070箕氏朝鮮の誕生(伝説)(アジア-朝鮮-縄文後期)編集
-1050太公望が武王を助けて天下をとったのがこの王朝です。諸侯を世襲制にし、税や軍役の義務を負わせる封建制度を確立し、『礼』を政治の中心に置く、礼政一致の政体を採りました。  ~前771周【西周】(アジア-中国/周-縄文後期)編集
-1050周王朝による華北の統一 (アジア-中国/周-縄文後期)編集
-1050周王朝(西周)・・ 周(西周)王朝の系図・武王発―成王誦―康王釗―昭王瑕―穆王満―共王―懿王―孝王辟方―夷王燮―厲王胡――共和時代――宣王静―幽王宮涅(アジア-中国/周-縄文後期)編集
-1050周王朝(西周)・・ 部族「周」の系図・棄―不―鞠 ―公劉―慶節―皇僕―差弗―何某―公非―高圉― 亜圉―公叔祖類―古公亶父―季歴―昌(アジア-中国/周-縄文後期)編集
-1050商王朝(殷)・・ 商(殷)王朝の系図・湯―太丁―外丙―仲壬―太甲―沃丁―太庚―小甲―雍己―太戊―仲丁―外壬―河亶甲―祖乙(中宗)―祖辛―沃甲―祖丁―南庚―陽甲―盤庚―小辛―小乙―武丁(高宗)―祖甲―康丁―武乙―文丁―帝乙―帝辛(紂)(アジア-中国/周-縄文後期)編集
-1050商王朝(殷)・・ 部族「商」の系図・契―昭明―相土―昌若―曹圉―冥―王亥 ―王恒― 上甲微―報丙―報丁―示壬―示癸―湯(アジア-中国/周-縄文後期)編集
-1023周王朝(西周)(B.C.1023~B.C.771)(アジア-中国-縄文後期)編集
-1000バラモン教の成立 →インドのカースト制度 (アジア-インド-縄文後期)編集
-1000亀ヶ岡遺跡(青森県)  -500(日本-縄文時代-縄文後期)編集
-1000宇宿貝塚・草野貝塚(日本-縄文時代-縄文後期)編集
-1000市来式土器・指宿式土器が盛ん(日本-縄文時代-縄文後期)編集
-1000漆塗りなどの小型土器発達(日本-縄文時代-縄文後期)編集
-1000装身具・呪術的な道具発達(日本-縄文時代-縄文後期)編集
-1000メキシコのオルメカ文化(NAM--縄文後期)編集
-1000アーリア人がガンジス川流域に進出(アジア--縄文後期)編集
-1000とうもろこしを主とする農耕(北米-アメリカ-縄文後期)編集
-1000縄文後期/縄文晩期(アジア-日本-縄文後期)編集