歴史・人名

旧石器時代

旧石器時代

打製石器を使用し、狩猟採集を生業としていた人類最初の文化段階。
 旧石器時代(パレオリシック Palaeolithic)は、人類が打製石器を中心とした道具を使い、狩猟・採集を生業とし、まだ土器・磨製石器・金属器を知らなかった段階。人類の出現から、約1万年前の新石器文化の出現まで、ほとんどすべてが旧石器時代に属する。 → 新石器時代

旧石器の発見

 ひとびとが旧石器時代を意識するようになったのは、1838年北フランスでブーシェ=ド=ペルトという人(専門の考古学者ではなく税関の役人であった)が洪積世の地層から絶滅種の動物化石と一緒に石器を発見したことに始まる(洪積世に人類が生存したという彼の説は当時は受け入れられず、彼は財産をなげうって研究を自費出版したが学会はそれを無視した。ようやく15年後の1853年にイギリスの学会で認められた。)。<伊藤嘉昭『人間の起源』紀伊国屋新書>

旧石器時代の命名

 イギリス人ジョン=ラボックがド=ペルトの発見した文化が磨製石器と土器を伴わないことからそれまでの「石器時代」の概念を二つに分け、「旧石器時代」と名付けた。現在では世界各地でその遺跡、遺物、化石人骨が見つかっており、研究が進んでいる。

日本の旧石器文化

 日本での旧石器文化の発見も同じような経緯があった。1949年相沢忠洋という戦争から復員してきた青年が群馬県岩宿の洪積世の地層から黒曜石の石器を発見した。それまで日本には旧石器文化は存在しないとされていたが、この素人の青年の発見によってその後各地で旧石器遺跡が発見された。その後、長い間、この文化は「プレ縄文文化」とか「先土器文化」「無土器時代」などといわれ、旧石器時代という断定は避けられてきたが、現在では日本列島上にも旧石器文化が存在したことは広く認められ、日本史の教科書でも「日本の旧石器時代」として説明されている。しかし、それがいつごろまで遡るかについては2000年に旧石器偽造事件が発覚したこともあって、再検討が迫られている(下のEisode参照)。

Episode ピルトダウン人

 イギリスでも20世紀に、ピルトダウンでサルとヒトの中間の化石人骨が発見され、学会ははじめそれを信じ、人類学の大発見とされた。ところが、後になってその化石は偽造された物であることが判明、学会が大騒ぎになるという事件が起きている。

Episode 日本の旧石器偽造事件

 日本では、1980から90年代にかけて東北地方を中心に、前期旧石器時代の北京原人と同じ時期の遺跡だ、というのをやはり独力で考古学を学んだ人物が次々に発見してマスコミも取り上げ、日本の旧石器文化はその前期までさかのぼるとされるようになり、日本史の教科書に載るまでになった。つぎつぎと旧石器遺跡を発見した考古学者は、「神の手」と言われ、大新聞の一面トップで報じられるような発掘を連発した。ところが2000年、それがまったくの偽物で、実は発掘前に密かに石器を埋めておいたものであったことが、毎日新聞のスクープで発覚し、大騒ぎになった。その学者(?)もねつ造を認め、彼が発見したという遺跡はいずれも国指定をはずされ、教科書から削除された。こうして日本の前期旧石器文化の研究は振り出しに戻ってしまった。

旧石器時代
縄文時代
縄文草創期
-6000000旧石器時代以前旧石器時代
-6000000旧石器時代以前 : 旧石器時代 : 縄文時代 ≫ 
-6000000'旧石器時代''
 打製石器を使用し、狩猟採集を生業としていた人類最初の文化段階。  旧石器時代(パレオリシック Palaeolithic)は、人類が打製石器を中心とした道具を使い、狩猟・採集を生業とし、まだ土器・磨製石器・金属器を知らなかった段階。人類の出現から、約1万年前の新石器文化の出現まで、ほとんどすべてが旧石器時代に属する。 → 新石器時代
-5000000アウストラロピテクス(猿人)。 初めての直立2足歩行。 約420万年前からアフリカで性存した化石人類。「南方の猿」の意味。1924年に発見され、化石人類研究の前進をもたらした。 脳の大きさや歯、あごの形によって4種類に分類。アファレンシス、アフリカヌス、ロブストゥス、ボイジイ。-3000000
-5000000アウストラロピテクス(猿人)。初めての直立2足歩行。脳の大きさや歯、あごの形によって4種類に分類。アファレンシス、アフリカヌス、ロブストゥス、ボイジイ。-3000000
-5000000アルディピテクス・ラミダス(ラミダス猿人)-3000000
猿人 化石人類の中で最初に現れたと考えられる人類。現在は、約700万年前、アフリカで進化したと考えられている。
-4500000ラミダス猿人 アフリカのエチオピアで発見された最古の化石人類のひとつ。約450万年前に存在し、直立歩行していた。学名はアルディピテクス=ラミダス。
道具の使用 人類が直立二足歩行することと並行して獲得した能力。この技術によって文明の形成へと進むこととなった。
-2500000石器の使用が始まる
-2500000前期旧石器時代-1500000
-2500000(数十万年前-約10000年前)
-2500000'前期旧石器時代'' -250万年~-15万年前
礫石器 人類が最初に作った最も原始的な道具。オルドワン石器と言われる初期段階の石器の一つ。 礫石器の造り方と使用法 れきせっき。旧石器時代の最も粗末な、自然石の一部をうち割って作った石器。人類が最初に作った石器である。このような最も簡単な打製石器をヨーロッパではオルドワン石器といい、旧石器文化のこの段階をオルドワン文化とも言う。これはアフリカの大地溝帯で発見された化石人類であるホモ=ハビリスが作りだしたもので、人類は”道具”を獲得したと言える。最も古いものはエチオピアで発見された約250万年前の石器とされている。ホモ=ハビリスはかつてはアウストラロピテクス(猿人)に近いとされていたが、現在ではホモ属に属し、ホモ=エレクトゥス(原人)により近いとする説が有力になっている。
-2000000ホモ・ハビリス。“器用なヒト”という意。石器を使用。-1500000
ホモ・ハビリス アフリカで発見された化石人類の一つ。猿人と原人の中間的段階と考えられている。
-1700000“更新世” 地質年代第4期前半。原人が出現した時期。かつては洪積世とも言った。
-1600000ホモ・エレクトゥス(原人)-1500000
-1000000ホモ・エレクトゥス、ユーラシア大陸へと移動。中国の北京原人、インドネシアのジャワ島のジャワ原人。本格的な道具の製作。火を使用。
-900000西アジアに人類が居住
-850000ヨーロッパに人類が進出
お隣の国、韓国、北朝鮮(朝鮮半島)の歴史について簡単に学んでみましょう。海を隔ててすぐ隣にある朝鮮半島。そこに住む人々はどんな歴史をたどってきたのでしょうか?時代の流れがわかるようになるべく順を追って読んでいってね。
日本と韓国の間には過去の不幸な歴史がある。たとえ観光旅行であっても訪問地に関する最小限の知識は身に付けておきたいものである。
-700000先史時代
-700000旧石器文化 数十万年前
-700000約70万年前(旧石器文化)国史年表
-700000旧石器文化 約70万年前 旧石器人の登場 韓半島とその周辺には、約70万年前前から人類が定住し始めたとされています。 旧石器時代の人々は、初めは石をそのまま使用したが、徐々に用途に応じ様々な打製石器をつくった。 獣や魚を捕まえ、植物の実や根を採集し、季節により移動生活をしながら、洞窟や海岸に仮小屋を建てて暮らした。 民族はモンゴル人種に属し、アルタイ語族に属すると考えられる。国史年表
打製石器 人類が石を材料に「加工、製造」した「道具」。打製石器は旧石器時代の指標となる。おおよそ礫石器→握斧→剥片石器→石刃へと段階的に進歩し、細石器を経て磨製石器(新石器時代)に移行する。 礫石器 → 握斧 → 剥片石器 → 石刃技法
-500000旧石器文化時代(約50~10万年前)
約50万年前 洞窟や岩陰、川端に集団で居住。狩猟と植物採取で生活。
-470000330~470 ギュンツ氷期
北京原人 中国の北京郊外、周口店で発掘された、代表的な原人の化石。現在の中国人の先祖であるかどうかは否定的に見られている。 中国の北京の南西にある周口店で発見された、原人(ホモ=エレクトゥス)に属する化石人類。1927年から本格的な発掘が行われ、約50万年前から30万年間ごろの原人化石とされた。なお、最近までシナントロープス=ペキネンシスという属名が使われたが、現在はジャワ原人などと同じ原人の一つの地域集団とされるようになったため、その言い方は行われなくなっている。
火の使用 他の動物と人類とを区別し、文明を生み出した人類独自の能力。道具の発明に続く台にの技術革命とも言われる。 火の使用を示す確実な証拠は160万年前にさかのぼるが、それ以降なにも発見されていない。 約100万年前になると、ようやく証拠が散発的に見つかるようになる。前回紹介したイスラエルのゲシャー・ベノット・ヤーコブ遺跡もこの本で紹介されている*1。しかしその後、ふたたび炉の証拠がない時代が続く。 50万年前から「証拠」が旧世界の三大陸すべてで広範囲から豊富に見つかるようになる。 40万年前以降になると、どの時点でも「証拠」が見つかるようになる。
-450000中国北部周口店に人類が居住
-330000300~330 間氷期
言語の使用 他の動物と人類とを区別する、人類独自の意思伝達能力。言語能力はかつては原人段階と考えられていたが、現在では疑問視され、新人段階からが有力視されている。 言語能力の獲得  人類が言語能力を獲得したのは、頭蓋骨の変化などからやはり原人段階であろうと推定されているが、これには最近、否定的な意見も出されていて、明確にはわかっていないというのが現状であろう。一時は、原人の頭蓋骨には言語のコントロールする部位といわれるブローカ野の痕跡が認められるので、叫声から言語に進化する途上にある原始的な言語は使っていたと考えられるとされていた。 言語活動は新人からか  しかし、現生人類のような発達した前頭葉を持つ大脳を収納するような頭蓋骨はネアンデルタール人にも認められない。ネアンデルタール人の脳容積そのものは現生人類よりも大きかったが、その頭蓋骨の構造を分析すると前頭葉の発達は未熟であるという。また音声を発するのどの構造も、ネアンデルタール人までは声帯の位置が現代人に比べて高く、複雑な発声は出来なかったと考えられている。チンパンジーの声帯はもっと上にあって気道が短すぎ叫び声は出せても言葉を発声することは出来ない。複雑な分節化した言葉を発することが出来るようになるのは、やはり新人(現生人類、ホモ=サピエンス)になってからのようである。
-300000ホモ・サピエンス(新人)。“知性あるヒト”の意。-200000
-300000230~300 ミンデル氷期
-230000180~230 間氷期
20万年前 ホモ・サピエンス 現生人類、ボツワナで20万年前に誕生 DNA分析で特定 10/29(火) 6:25配信 AFP=時事 現生人類誕生の地として特定されたマカディカディ・オカバンゴ地域を示した図。矢印は、人類が13万~10万年前に北東と南西の両方向に移動した経路。【翻訳編集】 AFPBB News 【AFP=時事】現生人類は20万年前、ボツワナ北部で誕生したとする論文が28日、国際研究チームにより科学誌ネイチャー(Nature)に発表された。人類誕生の地を特定した研究結果としては、これまでで最も詳細な位置を示したものとみられる。  解剖学的現生人類のホモ・サピエンス・サピエンスがアフリカで誕生したことは以前から知られていたが、その正確な場所は特定されていなかった。  研究チームは、「L0」系統のDNAを高い割合で保持することが知られている民族グループ「コイサン」に属する200人からDNAサンプルを採取した。コイサンは現在、南アフリカとナミビアに暮らしている。  研究チームはサンプルを地理的分布や考古学、気候変動のデータと合わせ、ゲノム年表を作製。年表から、L0系統の起源が20万年前のザンベジ川(Zambezi River)南方のボツワナ北部にさかのぼることが示唆された。  同地域はマカディカディ・オカバンゴ(Makgadikgadi-Okavango)と呼ばれ、現在は主に荒原が広がっているが、当時はビクトリア湖(Lake Victoria)の約2倍の大きさの巨大湖があったという。人類は同地域に約7万年の間住んでいたが、約13万年前に起きた気候変動により世界各地に広がっていったとみられている。【翻訳編集】 AFPBB News
-200000'20万年前''
ホモ・サピエンス
1万年前、南米へ
3千年前、太平洋の島々へ
ホモ・サピエンス(1000ml)
 アジアへ ジャワ原人
      北京原人
ホモ・サピエンス(1400ml)
ネアンデルタール人(1400ml)
 ヨーロッパへ
 3万年前全滅
 レグルドゥー遺跡
  ネアンデルタール人の遺跡
  (氷河期の覇者
ホモ・サピエンスとネアンデルタール人の違い
頭蓋骨の裏が平らなネアンデルタール人
喉仏が高い位置がある
複雑な話ができない
会話能力が違う
-180000130~180 リス氷期
-150000'中期旧石器時代''(旧人段階) -15万年~-3万5千年前
-13000070~130 間氷期
-100000ホモ・フロレシエンシス インドネシアのフローレス島で、およそ10万 2万年前の地層から2003年に発見された新種の原人。数十万年以上前のジャワ原人が、海を越えてフローレス島に渡り、身長1mほどに小型化したものと考えられる。脳は小さいが(417立方センチ)、前頭葉や側頭葉の形は原人の状態を保っており、進歩的な石器を使っていた。四肢骨の形態は猿人と似ている。
-100000ネアンデルタール人-35000
相沢忠洋が岩宿遺跡を発見して日本の旧石器時代の存在が証明
数十万年前、日本列島はアジア大陸と陸続きで北からはマンモス、ヘラジカ、南からはナウマンゾウ、オオツノシカなどの大型動物を追いかけて日本列島へ人類もやってきた。食糧調達には主に狩猟・採取を行い、石を打ち砕いてつくられた打製石器(材料は黒曜石など)を使用した。無土器時代とも言われている為、土器はない。
-100000旧石器時代(先土器時代、無土器時代)-[~紀元前1万6500年頃]
-100000日本列島に人類の痕跡が見つかる(金取遺跡で石器が出土)
旧石器時代
日本列島に人類がいたという足跡は、20~30万年前までになると言われていますが、年代が確認できるものとしては約35,000年前からになります。
ユーラシア大陸と陸続きになっていたが、13,000~12,000年前には大陸から離れて、現在の日本列島になった。
ユーラシア大陸と陸続きだった頃、様々な動物が、それらの動物を追って、旧石器人も渡ってきたと考えられています。
30,000年前から12,000年前の後期旧石器時代の遺跡が、日本列島で4,000箇所も確認されましたたが、前期・中期旧石器時代の確実となる遺跡は今のところ存在しない。
定住していたとする住居の遺跡が少ないことから、一つの場所に定住せず、一定の場所の中を移動しながら猟などをして生活していたと考えられます。
旧石器時代の住居の多くは、洞窟や大きな岩の陰などを上手に利用し、また竪穴式住居も見つかっています。
後期旧石器時代には、石刃技法という方法で作られたナイフ型石器が数多く出土しています。木や骨を軸にしてくくりつけ、切ったり突いたりするのに使われていたと考えられています。旧石器時代には、狩猟を行って食料としていました。遺跡からは牛やナウマンゾウ、鹿、イノシシ、ウサギなどの骨が発見されています。
旧石器時代の生活
数十万年前、日本列島はまだアジア大陸と陸続きで、北からはマンモスヘラジカ、南からはナウマン象オオツノジカなどの大型獣が、大陸からやってきた。これらの大型獣を追って人類も今の日本列島へ渡来、この人々が日本人の原型で、のちに渡来した人々との混血を繰り返し、現在の人々が形成されていったと言われている。この時代、人々は打製石器を使用し、テント式の小屋や洞窟などに十人前後の集団で住み,狩りや漁、採集による移動生活をしていた。すでに火を使用していたが獲物はあまり取れず、苦しい生活が何万年も続いた。
大陸から日本列島が分離したのは、洪積世の終わり。その頃訪れた温暖な気候により氷河が溶け海水面が上昇、さらに地殻の変動もあって、日本列島は大陸から分かれた。
旧石器文化(先土器文化)
 打製石器、岩宿遺跡
人類の誕生
人類の誕生は今から約700万400万年前、洪積世の初期と言われる。直立歩行により前足は手となり、道具を使うようになった。食料である大型獣を倒すために集団を作り、また、意思疎通のために言葉が生まれたと考えられる。
-7000015~70 ヴュルム氷期
-50000オーストラリア大陸に人類が到達
-400004万年前
氷河の拡大
言葉が未来を予測する力に
獲物がいつどこから来るか予測
サンセデール遺跡
 ネアンデルタール人最終期の遺跡
 3万年前
全滅した19種の人類とは
進化の歴史は、全滅の歴史
-35000チベットの歴史
神話時代 チベット文明の誕生 西藏(チベット)は中国の南西部辺境にあります。  チベットに住むチベット族は、旧石器時代新石器時代からの長い歴史を持ち、紀元前からすでに中原に住む漢族とつながりをもっていた。チベット神話伝説によりますと、チベット族の先祖は一匹の猿と岩の精女とであった。この夫婦から生れた子供達は、半猿半人で、すでに直立していたが、全身を毛で覆われ、清くのつぺりした顔をしていた。また、ある所伝によりますと、尻尾がついていたという(他の所伝では、すでに尾はなかった)。先祖の猿は、その子供たちに、住むべき場所として南方の森を指定しました。彼等はそこで牝猿と一緒になって増殖していった。「夏になれば、雨と太陽とにいためつけられ、冬になれば、雪と風とに悩まされました。彼等には、定まった食物もなければ、衣服もなかった。」観 音の化身である彼等の先祖はこれをみて憐み、彼等に『六種の穀物』(蕎麦、大麦、芥子、等。しかし、このテキスト はもっと前の箇所で五穀、すなわち、大麦、小麦、米、胡麻、豆を挙げている)をもたらした。こうして、ヤルルン地方のソタンで最初の畠がつくられ、猿人どもは少しずつ人間の形をとっていった。  最初の諸種族はmiuと呼ばれた。この語は、今日、『倭人』、『小人』を意味する。恐らく、中国語の(獺猴)に由来するのであろう。獺猴は猿を意味するが、古代の羌族は猿を自分たちの先祖としていたのです。
-35000'後期旧石器時代''(新人段階) -3万5千年~-1万年前
-30000アメリカ大陸に人類が到達
-30000クロマニヨン人
台湾というと親日的というイメージをもっている人も多いのではないでしょうか?東日本大震災の時には多くのお金を送ってくれたりもしましたね。
ですが、我々日本人は、ん?なんで台湾の人って日本にそんなに良くしてくれるの?って疑問に思っている人も多くいるでしょう。では、そんな台湾の歴史を学びながら親日的な台湾の疑問を紐解いていきましょう。
台湾の歴史がそのようなものであったことは知らなかった、あげくは台湾は古来中国の領土であったと思い込んでいる。若者ならいざ知らず壮年の直中にいる者までが、台湾のことなどまるで知らないでいる。
-30000有史以前(30000年前)
-30000台湾って中国なの?
台湾のことを中華民国っていうことがありますよね。しかも、台湾は中国だよ。とか、中国じゃなく台湾は台湾でしょ。とか・・・。台湾っていったいどこの国なのよ~。ってことで今回は、その辺をちょっと学んでみましょう。
中国からみたら台湾は中国の領土のひとつです。中国の憲法にも「台湾は、中華人民共和国の領土の一部である。台湾同胞を含む全中国人民の祖国統一は我々の責務である」といった内容が書かれています。
う~ん。意味わかんないですよね。中国って中華人民共和国でしょ。じゃ、なんで台湾を中華民国というのか?人民共和はどこいったんだい?って感じですよね。
実は、この辺は台湾の歴史を見ていくとわかってきます。では、今回は台湾の歴史を学んでいってみましょう。
現実政治の世界ではなおパワーが決定的に重要であるから、そのパワーのおもむくところ中国の主張を他国は「理解し尊重する」ということに傾かざるをえない。しかし、中国がそうした政治的主張を繰り返し、他国がこの主張を理解し尊重するという態度をとりつづけて何年も経つと、台湾が歴史的事実としても中国の版図であったかのように思い込まされてしまうという危険性がある。
中台統一は中国人民の「神聖なる使命、崇高なる目標」だというのが中国の主張である。とはいえ、これはあくまで政治的主張であって、そのような主張を裏づける歴史的根拠が存在するということではない。
-30000台湾
語源
中国本土の東方にある大きな島で、本土とは別個な文化圏を形成していた。
大陸中国にとって台湾は長らく中華文明の教化の及ばない「化外の地」であり、先住民は「化外の民」とみなされ、大陸中国がその領有に関心を示すことはなかった。
台湾を「発見」してここをイリヤ・フォルモサ(「美麗島」)と命名したのはポルトガルであった。
Formosa(フォーモサ)と言う昔の名称はポルトガル語の「美しい」を意味し、これは16世紀にポルトガルの探検家が島を通り過ぎた時に付けた名前である。
17世紀初頭にオランダ東インド会社がゼーランディア城(FortZeelandia)に商業基地を建設した時には先住民の呼称を採用し、音訳されてTayouanあるいはTeyowanと記されている。
その後オランダ、スペインが台湾支配は局地的かつ一時的なものに終わった。
強大な軍勢をもつ明国ならびに清国が、局地的、一時的ではあれオランダ、スペインによる台湾支配を許容したこと自体、大陸が台湾にさしたる関心をもっていなかったという事実を「立証」している。
-30000台湾に人が定住した証拠は30000年前にさかのぼるが、台湾の最初の定住者は現在島に定住するどのグループとも遺伝的に違っている可能性がある。
-30000東南アジアで根栽農耕
-20000氷河時代末期、(新人)日本では縄文人や弥生人。金属を使用。[-10000]

 新人とみられる港川人(沖縄県)が出現
石器を使った狩猟・漁猟・採集の生活

姶良カルデラ噴火[前24000]
-18000浜北人が出現
縄文人は石器を新石器と進化させ、石を磨いた磨製石器を使用。
竪穴式住居、高床式倉庫の建物を用いて集落の形成(ムラ)や縄文式土器、土偶、土面、貝塚、漆製品、装身具、農耕具(木製、石製)を作るようになった。
食料調達には弓矢を用いた狩猟(イノシシ、シカ)や漁(タイ、ボラ、マグロ、サケ、イルカ、クジラ)、採取(クルミ、クリ、ドングリ)、採集(アサリ、ハマグリ)、焼畑農耕でソバ、ムギ、アズキ、エゴマなどを栽培して果実酒も製造していた。
-16500旧石器時代縄文時代[約16500年前-紀元前3世紀]
-16500縄文文化、世界最古の土器が作られる →日本最古の土器 日本の土器、世界最古なの?
縄文文化
 縄文式土器、土偶

旧石器時代 2000.2.27 1部加筆

旧石器時代は三時代に区分されている
前期旧石器時代(約250万~15万年前)は猿人や原人の段階、中期旧石器時代(15万~3万5000年前)は旧人の段階、後期旧石器時代(約3万5000~1万年前)は新人の段階に、それぞれ当てられている。
旧石器時代は地質年代で見た場合、第三紀鮮新世末から第四紀更新世(洪積世)に属し、それは200万年前から1万年前の間に4回の氷期を数えると言う、大氷河時代でもあった。
4回の氷期-ギュンツ・ミンデル・リス・ウルムの各氷期をいう。
更新生の初期には地殻変動によって日本列島の骨格が出来始め、東アジア大陸との間に日本海が広がったが、東シナ海北部では陸続きだった。
その後、氷河期の海面降下のため、二万年前のウルム氷期には現在より約100メートルも海面は下がっていた。
当時の日本列島は亜寒帯から冷温帯気候に属し、気温は現在より四~七度低かった。
更新生はまた、火山活動が活発な時期で、富士山や浅間山が噴火し、関東ローム層を代表とする火山灰層を堆積した。
日本列島の最古の時代を表すのに、先土器時代と言う用語を使ってきたが、それは縄文土器時代に先立つ日本独自の文化段階という意味で使われてきたが、現在では世界史的視野で石器文化を位置付ける旧石器文化(時代)と言う用語が、広く使われている。

地質年代氷河年代文化・人類単位万年前
第三紀鮮新世ドナウ氷期前期旧石器時代
(猿人・原人段階)
-250万年~-15万年前
北京原人 -60万年
秩父原人 -50万年
200
第四紀更新世前期間氷期150
ギュンツ氷期100
中期間氷期
ミンデル氷期50
間氷期
リス氷期中期旧石器時代(旧人段階)
-15万年~-3万5千年前
15
後期ウルム氷期間氷期
亜氷期Ⅰ
間氷期4.5
亜氷期Ⅱ後期旧石器時代(新人段階)
-3万5千年~-1万年前
3.3
間氷期2.9
亜氷期Ⅲ2.2
亜氷期Ⅳ1.65
完新世後氷期新石器時代
縄文時代
1.3

以上の出典は「100問100答・日本の歴史2・原始・古代」より
http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200910030143.html


旧石器時代

日本の歴史の始まりは、旧石器時代から紹介していきましょう。現在、何をするにも困らない便利な世の中に暮らしている私たちからしてみれば、石器を使って生活していた時代が不便そうで、自分だったら無理だと思う人もいるかもしれませんが、その時代時代に合わせた暮らしぶりをしたでしょうし、テレビやラジオがなくても、他の地域との情報の共有や伝達ができなくても、困らずに生活していけたのでしょう。

旧石器時代の始まり

日本列島に人類が住み始めるのと共に、旧石器時代が始まります。日本列島に人類がいたという足跡は、20~30万年前までになると言われていますが、確実なものが出土していないため、年代が確認できるものとしては約35,000年前からになります。

日本列島のおおよその形ができつつあったのが約500万年前で、ユーラシア大陸と陸続きになっていました。度重なる火山の噴火による地殻変動や氷期と間氷期を繰り返していた氷河期時代の地形の変化によって、13,000~12,000年前には大陸から離れて、現在の日本列島になったと言われています。
大陸から渡った旧石器人

こうしてユーラシア大陸と陸続きだった頃、様々な動物が宗谷や津軽、対馬、朝鮮などの海峡を渡ってきたと考えられ、それらの動物を追って、旧石器人も渡ってきたと考えられています。氷河期に大陸と繋がっていた北海道には、マンモス動物群が宗谷から渡り、マンモスを追って、後期旧石器人が渡ってきた可能性が高いと言われているのです。一方、本州や四国、九州、琉球には新しい動物が入ってくることはなく、そのため後期旧石器人も入ってきませんでした。これらの地域には、古くからの固有種が多く残ることになったのは、このためです。
旧石器の発掘

縄文時代より以前の時代は、遺跡や遺物が長いこと発見されなかったために、日本列島に人類は住んでいなかったと考えられていました。ところが、群馬県で旧石器が発見されたのを皮切りに、日本での旧石器時代の調査が始まり、30,000年前から12,000年前の後期旧石器時代の遺跡が、日本列島で4,000箇所も確認されました。
前期・中期旧石器の捏造

後期旧石器の遺跡は数多く発見されていましたが、それ以前のものがなく、後期旧石器時代以前人類居住はなかったのではないかとする中、東北地方を中心に、次々と前期・中期旧石器時代が日本にあったとする証拠が出土しました。それまでの常識を覆す成果とされましたが、中心人物の藤村新一(現在は違う名字を名乗っている)が発掘現場に石器を埋めているところを撮影され、旧石器発掘捏造を報じられたことにより、前期・中期旧石器時代の確実となる遺跡は今のところ存在しないということになりました。
旧石器時代の暮らしぶり

旧石器時代の遺跡は、見晴らしの良い台地や丘陵、高原などにあることが多く、生活の拠点となる場所の遺跡や、獲ってきた獲物の解体場、石器製作場などの遺跡が見つかっています。ですが、定住していたとする住居の遺跡が少ないことから、一つの場所に定住せず、一定の場所の中を移動しながら猟などをして生活していたと考えられます。
住居

旧石器時代の住居の多くは、洞窟や大きな岩の陰などを上手に利用していたことが知られていますが、そんな中で、竪穴式住居も見つかっています。20,000年以上前の木を組み木にして、皮や草で覆って作られていて、囲炉裏で火を使っていたことも色の変化で分かっています。また、こうした住居の他にも、土坑墓も見つかっていて、生前身につけていたものや、石器や玉などが副葬品として発見されています。
石器・食料

後期旧石器時代には、石を連続的に打ち剥がす、石刃技法という方法で作られたナイフ型石器が数多く出土しています。木や骨を軸にしてくくりつけ、切ったり突いたりするのに使われていたと考えられています。旧石器時代には、狩猟を行って食料としていました。遺跡からは牛やナウマンゾウ、鹿、イノシシ、ウサギなどの骨が発見されています。
骨が少ないわけ

旧石器時代の人骨が少ないわけは、日本の土壌が火山灰による酸性土壌であることが多く、遺跡に人骨が残る例が少ないのです。数少ない旧石器時代の人骨や獣骨は、歴史を知る上での貴重な資料と言えるでしょう。