歴史・人名

黄河文明

黄河文明

古代文明の一つ。黄河流域の文明。現在は中国文明に包含させる。
紀元前6000年頃から、黄河の流域の黄土地帯で雑穀を中心とした農業生産が始まったことが仰韶文化の発見などから明らかになった。この中国の新石器時代の文化は彩文土器(彩陶)を持ち、磨製石器を使用する前期新石器文化である。次いで前3000年代になると、黄河下流に黒陶を標識とする竜山文化が後期新石器文化として出現し、やがて青銅器文明の殷王朝が黄河中流に現れる。

最近は中国文明に含めている
黄河流域に発生した新石器文化とそれを継承した都市文明は、総称して黄河文明と言われ、四大文明の一つとされてきたが、最近ではほぼ同じ時期に長江流域でも新石器文化が認められるので、黄河・長江文明(河江文明)、または「中国文明」ととらえることが一般的になっている。

https://www.y-history.net/appendix/wh0203-006_0.html

黄河文明
こうがぶんめい
黄河流域の肥えた黄土地帯で発生した,東アジアで最古の原始農耕文明。四大文明の一つとされる。黄河文明は,彩陶 (彩文土器) を使っていた仰韶 (ヤンシャオ) 文化 (前 4800年ころ~前 2300年ころ) と,黒陶を使っていた竜山 (ロンシャン) 文化 (前 2300年ころ~前 1500年) に大別することができる。彩陶文化の時期には,アワ・キビなどの穀物栽培やブタ・イヌなどの飼育が行なわれ,氏族共同体的な集落が形成されていた。黒陶文化の時期には,農業技術が発達し,ウシやウマの飼育も行なわれて,城壁で囲まれた村落 (邑〈ゆう〉) も形成されていた。なお,この2つの文化と重なって,鬲 (れき) ・鼎 (てい) などの3本足の土器を中心とする灰陶が多数発見されている。また長江 (揚子江) 下流からは,彩陶・黒陶とともに稲作を伴った河姆渡 (かぼと) 遺跡 (前 5050年ころ) が発見され,黄河文明と並んで水稲耕作文明が栄えていたことが分かった。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典