歴史・人名

三淵藤英

三淵藤英(みつぶち ふじひで)
????~1574
○弾正左衛門 顕家 藤之 宗光 大和守
◇父:三淵晴員 子:三淵弥四郎秋豪、伯耆守光行、昭貞、昭知、昭長
 足利幕臣。仕えた将軍足利義輝が殺害されたため、僧籍にいたその弟足利義昭を脱出させ、足利義昭を将軍に擁立する為尽力した。尾張・織田信長の援けで上洛がなると、奉行衆に任ぜられる。1569年三好三人衆が信長の不在を突き京に来攻した際には、他将と協力してこれを撃退。足利義昭が織田信長と不仲になっても足利義昭に従い、二条城の防備に籠もるが、やがて降伏開城した。1974年近江・坂本で自決。