歴史・人名

上杉家

上杉家 米沢藩  上杉笹        18万石

出羽置賜郡米沢(山形県米沢市 )  外様  国主
正保城絵図・米沢城
移封加減増履歴・慶長6年→出羽米沢30万石・寛文4年→15万石・慶応2年→18万石
専売品&専売開始年・米(明暦頃)
江戸城詰席・大広間 伯爵
上屋敷・外桜田御堀通
参勤・米沢から板谷街道で福島へ出て奥州街道で江戸へ向かう、通例700人余りの行列だったが、天明7年(1787)の大倹約令以降は、前隊(鉄砲隊など60人ほど)と後隊(御供家老など数十人)を省略して、中隊(護衛士など数百人)を半分に減らす
人口・全領地総計12万7277人、家数2万3440軒                   明治2年現在
■長尾輝虎(上杉謙信)は長尾為景の次男で、関東管領上杉憲政より永禄4年管領職と上杉の称号を譲られた。
12代斉憲は慶応2年に藩治良好により3万石を加増されるが、奥羽列藩同盟に参加したため、隠居させられ、13代茂憲に14万石が与えられた。

藩祖・景勝(かげかつ)
長尾政景の次男 母は長尾為景の娘
上杉謙信の養子となり、同じく養子となった景虎(北条氏康の子)と戦い、これに勝つ。その後、豊臣秀吉に属し五大老の一人となる。会津若松120万石を領するも、関ヶ原の戦いで石田三成に味方し、徳川家康に降伏する、領地を収公され出羽米沢30万石に封じられる 
生没・弘治元年(1555)~元和9年(1623)
従三位中納言
正室・武田信玄の娘
継室・四辻公遠の娘
子女・2代定勝
2代・定勝(さだかつ)
景勝長男 母は継室四辻公遠の娘
生没・慶長9年(1604)~正保2年(1645)
家督・元和9年(1623)相続
従四位下左近衛権少将
正室・佐賀藩鍋島勝茂の娘
子女・女子→加賀大聖寺藩前田利治室
女子→佐賀藩鍋島光茂室 
女子→加賀大聖寺藩前田利明室 3代綱勝 
女子→高家吉良義央室

3代・綱勝(つなかつ)
定勝次男 母は斎藤氏
生没・寛永15年(1638)~寛文4年(1664)
家督・正保2年(1645)相続
正室・会津藩保科正之の娘
子女・養子綱憲(4代)

4代・綱憲(つなのり)
高家吉良義央の長男 母は2代定勝の娘
生没・寛文3年(1663)~宝永元年(1704)
家督・寛文4年(1664)末期養子のため領地を半減されるも、相続を許される
従四位下侍従
元禄16年(1703)隠居
正室・紀伊藩徳川光貞の娘
子女・5代吉憲 義周(高家吉良義央養子) 
勝周(別家米沢新田藩藩祖) 
女子→秋月藩黒田長貞室
養女(吉良義央の娘)→薩摩藩島津綱貴室
養女(吉良義央の娘)→津軽政?室(政?は黒石藩津軽家が立藩する前の旗本時代の当主)
養女(吉良義央の娘)→酒井主膳忠平室(鶴岡藩酒井家の別家旗本)、死別後に大炊御門経音室

5代・吉憲(よしのり)
綱憲長男 母は茨城氏 
生没・貞享元年(1684)~享保7年(1722)
家督・元禄16年(1703)相続
従四位下侍従
正室・不詳
子女・6代宗憲 宗房(宗憲養子、7代) 
重定(宗房養子、8代)

6代・宗憲(とよたか)
吉憲長男 母は山中氏  
生没・宝永6年(1709)~享保19年(1734)
家督・享保7年(1722)相続
従四位下侍従
正室・土佐藩山内豊隆の娘
子女・養子宗房(7代)

7代・宗房(とよつね)
5代吉憲次男 母は山中氏 
生没・正徳元年(1711)~延享3年(1746)
家督・享保19年(1734)相続
従四位下侍従
正室・尾張藩徳川宗春の養女(2代尾張藩主光友の孫松平義方の娘)
子女・養子重定(8代)

8代・重定(とよのぶ)
5代吉憲四男 母は山中氏
生没・享保5年(1720)~寛政10年(1798)
家督・延享3年(1746)相続
従四位下侍従
明和4年(1767)隠居
正室・尾張藩徳川宗勝の娘
子女・養子治憲(9代) 女子→9代治憲室
勝熙 治広(治憲養子、10代) 
勝定(米沢新田藩上杉勝承養子)

9代・治憲(はるのり)
日向高鍋藩秋月種美の次男 
母は筑前秋月藩黒田長貞の娘 
生没・延享3年(1746)~文政5年(1822)
家督・明和4年(1767)相続
宝暦10年(1760)重定の養子となり、明和3年(1766)将軍家治より一字を賜り治憲と名乗る、藩政改革を断行した名君として有名
従四位下侍従
天明5年(1785)隠居、鷹山と号す
正室・重定の娘
子女・養子治広(10代) 
顕孝(治広の養子となるも寛政6年病没)

10代・治広(はるひろ)
8代重定の三男 母は小川氏
生没・宝暦11年(1761)~文政5年(1822)
家督・天明5年(1785)相続
文化9年(1812)隠居
従四位下侍従
正室・尾張藩徳川宗睦の養女(高須藩松平義敏の娘)
子女・養子斉定(11代) 女子→11代斉定室  女子→陸奥福島藩板倉勝俊室 
女子→鳥取藩池田斉稷室

11代・斉定(なりさだ)
8代重定の次男勝熙の長男 母は某氏 
生没・天明8年(1788)~天保10年(1839)
家督・文化9年(1812)相続
従四位下左近衛権少将
正室・治広の娘 
継室・広島藩浅野斉賢の娘
子女・12代斉憲 女子→陸奥福島藩板倉勝顕室
女子→日向高鍋藩秋月種殷室 
女子→備前生坂藩池田政範養女→備前生坂藩池田政和室 勝道(米沢新田藩上杉勝義養子) 
女子→上野館林藩秋元志朝室
12代・斉憲(なりのり)
斉定の子 母は某氏 
生没・文政3年(1820)~明治22年(1889)
家督・天保10年(1839)相続
従四位下左近衛権中将
正室・土佐藩山内豊資の娘
継室・高松藩松平頼恕の娘
子女・13代茂憲 女子→肥後人吉藩相良頼基室、離縁後に土佐藩山内豊範室 
勝賢(米沢新田藩上杉勝道養子) 
信謹(上野吉井藩松平信発養子) 
忠敬(武蔵忍藩松平忠誠養子) 
女子→備前生坂藩池田政礼室 
長裕(二本松藩丹羽長国養子) 
女子→豊前小倉藩小笠原忠忱室

上杉家 米沢新田藩 米沢笹      1万石

米沢藩内、居所は米沢城二の丸    外様 陣屋
移封加減増履歴・享保4年→米沢藩内で1万石
江戸城詰席・柳之間 子爵
上屋敷・飯倉片町にあった本家米沢藩の中屋敷1万2800坪の内2800坪を江戸藩邸とした

藩祖・勝周(かつちか)
米沢藩上杉綱憲の四男 母は樫田氏
生没・元禄8年(1695)~延享4年(1747)
享保4年(1719)兄の米沢藩主吉憲の所領から1万石を分与される
従五位下駿河守
正室・小泉藩片桐貞起の娘
子女・2代勝承 正矩

2代・勝承(かつよし)
勝周長男 母は正室片桐貞起の娘
生没・享保20年(1735)~天明5年(1785)
家督・延享4年(1747)相続
従五位下駿河守
正室・小泉藩片桐貞音の娘
継室・磐城平藩安藤信尹の娘
子女・養子勝定(3代)

3代・勝定(かつさだ)
米沢藩上杉重定の四男 母は小川氏
生没・明和4年(1767)~文政4年(1821)
家督・天明5年(1785)相続
従五位下駿河守
文化12年(1815)隠居
正室・小田原藩大久保忠興の娘
子女・養子勝義(4代) 女子→勝義室

4代・勝義(かつよし)
米沢藩上杉重定の子勝熙の四男 母は某氏 
生没・寛政4年(1792)~安政5年(1858)
家督・文化12年(1815)相続
従五位下駿河守
天保13年(1842)隠居
正室・勝定の娘
子女・養子勝道(5代)

5代・勝道(かつみち)
米沢藩上杉斉定の四男 母は某氏
生没・文政9年(1826)~明治29年(1896)
家督・天保13年(1842)相続
明治2年(1869)所領を本家米沢藩へ返上する
従五位下駿河守
正室・山家藩谷衛昉の娘
子女・養子勝賢(米沢藩上杉斉憲の子)