歴史・人名

中山家範

中山家範

中山家範(なかやま いえのり、天文17年(1548年) - 天正18年7月26日(1590年8月25日))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。父は丹党加治氏一族の中山家勝北条氏照の家臣。通称は勘解由左衛門、助六助。諱は中山吉範とも。子に中山照守、常陸松岡藩主の中山信吉。

中山家勝は武蔵飯能の豪族で、山内上杉氏の家臣だったが、のち後北条氏へ仕えた。主君氏照の元で勇戦し、その武名は関東一円に轟いた。

天正元年(1573年)、亡父中山家勝を弔うため、小庵であった武陽山能仁寺を菩提寺として建立した。

天正18年(1590年)、小田原の役で八王子城へ篭城し、前田利家の助命を拒み討死にした。享年43。