歴史・人名

丹羽家

丹羽家 二本松藩 違い十字  10万700石

陸奥安達郡二本松(福島県二本松市) 
                      外様 国主格
移封加減増履歴 ・元和5年→常陸古渡1万石・元和8年→陸奥棚倉5万石・寛永4年→陸奥白河10万石・寛永20年→陸奥二本松10万700石

江戸城詰席・大広間 子爵   上屋敷・永田馬場
参勤・4月
人口・全領地総計3万7307人、家数6917軒、この内士族卒族4290人、家数1045軒
                      明治2年現在
武蔵国の武士団「武蔵七党」の一つである児玉党の末裔とされる。

藩祖・長重(ながしげ)
丹羽長秀の長男 母は織田信広(信長の庶兄)の娘
生没・元亀2年(1571)~寛永14年(1637)
父長秀は若狭越前加賀の内で123万石を領封するも父の没後は4万石に減封される、が、小田原征討や朝鮮の役で功を立て12万石となる、関ヶ原の戦いでは東軍に参陣せず以前から不仲の前田利長と戦い、戦後に除封となるも徳川秀忠のとりなしで常陸古渡1万石を与えられ、大坂の陣に参加して棚倉5万石、さらに白河10万石へと加増移封される
家督・天正13年(1585)相続
従三位加賀守
正室・織田信長の娘 
子女・2代光重 女子→浅野長直室(長直は赤穂藩初代藩主、子孫は刃傷により切腹・除封)

2代・光重(みつしげ)
長重長男 母は正室織田信長の娘
生没・元和7年(1621)~元禄14年(1701)
家督・寛永14年(1637)相続
従四位下左京大夫
正室・磐城平藩安藤重長の娘
継室・櫛笥隆胤の娘
子女・3代長次 女子→岡山藩池田綱政室
女子→松平義昌室(義昌は陸奥梁川藩初代藩主、尾張徳川家の支藩として立藩されるが、4代藩主が本家の家督を相続したため廃藩)
長之(兄長次養子、4代) 
女子→横須賀藩西尾忠成室
3代・長次(ながつぐ)
光重長男 母は正室安藤重長の娘
生没・寛永20年(1643)~元禄11年(1698)
家督・延宝3年(1675)相続
従四位下左京大夫
正室・阿波藩蜂須賀光隆の娘 
子女・養子長之(4代)

4代・長之(ながゆき)
光重次男 母は松平氏
生没・明暦2年(1656)~元禄13年(1700)
家督・元禄11年(1698)相続
従五位下越前守
正室・なし
子女・5代秀延

5代・秀延(ひでのぶ)
長之長男 母は某氏
生没・元禄3年(1690)~享保13年(1728)
家督・元禄14年(1701)相続
正室・福山藩阿部正邦の娘
子女・養子高寛(6代) 
養女(4代長之の娘)→6代高寛室

6代・高寛(たかひろ)
藩祖長重の弟長紹の子長道の長男 母は某氏
生没・宝永4年(1707)~明和6年(1769)
家督・享保7年(1722)相続
従四位下左京大夫
正室・秀延の養女
子女・7代高庸 女子→福山藩阿部正右室
女子→山城淀藩稲葉正益室 
女子→横須賀藩西尾忠需の嫡子忠雅室

7代・高庸(たかつね)
高寛長男 母は某氏
生没・享保13年(1728)~明和2年(1765)
家督・延享2年(1745)相続
従五位下若狭守
正室・紀伊藩徳川宗直の娘
子女・女子→豊後岡藩中川久貞の子久徳室、後に離縁 女子(姉)→明石藩松平直泰室 8代長貴
女子→明石藩松平直泰室、後に鯖江藩間部詮茂室 女子→掛川藩太田資順室 
女子→信濃飯山藩本多助受室

8代・長貴(ながよし)
高庸長男 母は某氏 
生没・宝暦元年(1751)~寛政8年(1796)
家督・明和3年(1766)相続
従四位下左京大夫
正室・宇和島藩伊達村候の娘
子女・9代長祥 女子→薩摩藩島津斉宣室
女子→岡山藩池田斉敏室

9代・長祥(ながあきら)
長貴長男 母は某氏
生没・安永9年(1780)~文化10年(1813)
家督・寛政8年(1796)相続
従五位下左京大夫
正室・久留米藩有馬頼貴の娘
子女・10代長富

10代・長富(ながとみ)
長祥長男 母は某氏
生没・享和3年(1803)~慶応2年(1866)
家督・文化10年(1813)相続
従四位下左近衛権少将
正室・久留米藩有馬頼貴の子頼端の娘
子女・11代長国 
正邦(山城淀藩稲葉正誼養子)
勝知(結城藩水野勝任養子) 
女子→尾張藩徳川慶勝室 
女子→高須藩松平義比室 
女子→大垣新田藩戸田氏良室
女子→足守藩木下利恭室
11代・長国(ながくに)
長富長男 母は某氏 
生没・天保5年(1834)~明治37年(1904)
家督・安政5年(1858)相続
戊辰戦争で新政府軍に抗したため領地収公、隠居謹慎となるも、明治元年(1868)養嗣子長裕に二本松5万石が改めて与えられる
正室・大垣藩戸田氏正の娘 
子女・養子長裕(12代) 女子→12代長裕室

12代・長裕(ながひろ)
米沢藩上杉斉憲九男 母は某氏
生没・安政5年(1858)~明治19年(1886)
家督・明治元年(1868)相続