歴史・人名

保科家

保科家 飯野藩  並び九曜       2万石

上総周准郡飯野(千葉県富津市) 譜代 陣屋
移封加減増履歴・慶安元年→上総飯野1万7000石・寛文元年→1万5000石・延宝5年→2万石

江戸城詰席・帝鑑之間 子爵
上屋敷・麻布新堀向
参勤・参府12月、帰国8月
人口・全領地2万1433人、家数4375軒
                      明治2年現在

藩祖・正貞(まささだ)
保科正直の三男(正直は武田家に仕えた後、家康に臣従) 母は久松俊勝の娘(母は於大の方)
生没・天正16年(1588)~寛文元年(1661)
兄の高遠藩主保科正光の養子となるも、兄正光は将軍秀忠の側室の子幸松丸(後の保科正之)を養嫡子としたため、元和8年(1622)兄のもとを去り、母方の叔父である伊予松山藩(当時は桑名藩)松平定勝のもとに寄食する
寛永6年(1629)召し出され蔵米3000俵を給与される、その後大番頭に就き7000石を領す
慶安元年(1648)大坂定番となり1万石を加増され、大名に列する
従五位下弾正忠
正室・舟橋枝賢の娘(枝賢は秀賢の祖父)
子女・2代正景 養子正英(小出吉英の子、別家)

2代・正景(まさかげ)
正貞長男 母は上原氏
生没・元和2年(1616)~元禄13年(1700)
家督・寛文元年(1661)相続
従五位下弾正忠
貞享3年(1686)隠居
正室・松平忠国の娘(忠国は明石藩主、子孫は発狂により除封されるも名跡相続が許され、上山藩松平家として存続)
子女・3代正賢 女子→綾部藩九鬼隆常室

3代・正賢(まさかた)
正景四男 母は正室松平忠国の娘
生没・寛文6年(1666)~正徳4年(1714)
家督・貞享3年(1686)相続
従五位下兵部少輔
正室・佐貫藩阿部正春の娘
継室・三日月藩森長俊の養女
子女・4代正殷 正寿(正殷養子、5代)

4代・正殷(まさたか)
正賢長男 母は継室森長俊の養女
生没・元禄10年(1697)~元文3年(1738)
家督・正徳5年(1715)相続
享保3年(1718)隠居
正室・なし
子女・養子正寿(5代)

5代・正寿(まさひさ)
3代正賢の三男 母は某氏
生没・元禄15年(1702)~元文4年(1739)
家督・享保3年(1718)相続
従五位下弾正忠
正室・弘前藩津軽信寿の娘
子女・6代正富

6代・正富(まさとみ)
正寿次男 母は正室津軽信寿の娘
生没・享保17年(1732)~寛政9年(1797)
家督・元文4年(1739)相続
従五位下越前守
明和7年(1770)隠居
正室・高槻藩永井直期の娘
子女・7代正率 隆晁(綾部藩九鬼隆貞養子)
女子→杵築藩松平親貞室、後に旗本本多忠直室

7代・正率(まさのり)
正富長男 母は正室永井直期の娘 
生没・宝暦2年(1752)~文化12年(1815)
家督・明和7年(1770)相続
従五位下越前守
享和2年(1802)隠居
正室・秋月藩黒田長邦の娘
子女・8代正徳 女子→高田藩榊原政令室

8代・正徳(まさよし)
正率長男 母は正室黒田長邦の娘
生没・安永4年(1775)~天保15年(1844)
家督・享和2年(1802)相続
従五位下下総守
文化14年(1817)隠居
正室・高遠藩内藤頼尚の娘、後に離縁
子女・9代正丕

9代・正丕(まさもと)
正徳長男 母は某氏
生没・享和元年(1801)~嘉永元年(1848)
家督・文化14年(1817)相続
従五位下能登守
正室・忍藩松平忠翼の娘
子女・10代正益 女子→会津藩松平容敬養女

10代・正益(まさあり)
正丕三男 母は某氏
生没・天保4年(1833)~明治21年(1888)
家督・嘉永元年(1848)相続
従五位下弾正忠
正室・宇和島藩伊達宗紀の娘

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