歴史・人名

国摩大鹿島命

国摩大鹿島命

国摩大鹿島

大鹿島命
【おおかしまのみこと】

父・久志宇賀主命

中臣氏の伝説上の先祖。『日本書紀』垂仁天皇25年の条に,5人の重臣(五大夫)のひとりとして,阿倍臣,和珥臣,物部連,大伴連らの先祖と共に現れている。『皇太神宮儀式帳』(804年成立)は,倭姫による天照大神伊勢神宮鎮祭の際,この五大夫が御送駅使に任じられたと記さる。『尊卑分脈』所載藤原氏系図の垂仁天皇代に「国摩大鹿嶋命」がみえる。その子に「巨狭山命」があるが,これは『常陸国風土記』に出てくる「巨狭山命」である。おそらくこのオオカシマの名は,常陸の鹿島(茨城県)に関連のある名で,常陸の卜部を通し中臣氏の系譜中に取り込まれたものと思われる。

神聞勝命━━━久志宇賀主命━━━国摩大鹿島命━━━巨狭山命━┳━雷大臣
                              ┗━天見通(荒木田氏)

国摩大鹿島(くにうずおおかしま)
①父:久志宇賀主 母:不明
②子供:臣狭山・大楯(鹿島大宮司・春日社家)・相鹿津臣
③常陸風土記
④11垂仁天皇朝神宮鎮座(伊勢神宮)に際しその祭主に任命された。これより以降その子孫である中臣氏に継承された。(北畠親房「職源抄」)しかし、記紀にはこの記事なし。
倭姫内親王の大神奉祀祭の御道駅使に任じられた。(紀)
⑤記紀記事:垂仁朝に五大夫に任命された。(物部十千根・大伴武日・和邇氏・阿部氏)
[中臣氏][伊達家]