歴史・人名

堀秀政

堀秀政(ほり ひでまさ)
1553~1590
別:菊千代 久太郎 左衛門督 侍従
父:堀掃部大夫秀重
子:堀秀治、美作守親良、村上但馬守、近藤政成
 美濃の出。鎮守大将軍藤原利仁流。"名人久太郎"と呼ばれた戦上手。早くから尾張・織田信長に仕え、側近として信頼を得た。越前・一向一揆討伐、紀伊・雑賀一揆戦等に参戦。1580年信長の子信忠に従って、謀反した摂津・荒木村重討伐に参加。1582年羽柴秀吉の備中・松山城攻めに目付として同行。本能寺の変後は、秀吉を支持し、山崎の合戦では先鋒も務めた。信長の側近であった彼の支持が与える影響は大きく、秀吉より厚遇された。長久手の戦いでは、池田恒興、森 長可らの軍が崩れる中、奮戦活躍し、徳川軍の攻勢をよく支えた。1590年相模・小田原征伐中、病死。