歴史・人名

尼子国久

尼子国久(あまご くにひさ) 1492?~1554  ○孫四郎 紀伊守 刑部少輔 塩冶氏 ◇父:尼子経久 室:多胡忠重女 子:尼子誠久、豊久、敬久、又四郎、与四郎 出雲・尼子経久の子。一時期塩冶氏に入るがやがて戻る。国久の一族はその居・新宮谷から新宮党と呼ばれ、家中一の剛勇の集団として中枢を担い、尼子氏の勢力拡大に大きく貢献する。しかし、新宮党の台頭を恐れた当主晴久と不和になった。これに乗じた安芸・毛利氏の謀略を受け、毛利氏に内通した疑いで誅殺され、新宮党は滅ぼされた。