歴史・人名

履中天皇

称号 第17代 履中天皇(りちゅうてんのう)、大兄去来穂別尊(おおえのいざほわけ)
親族 父=仁徳天皇(にんとくてんのう)  母=磐之姫命(いわのひめ)
皇后=草香幡棱皇女(くさかのはたびのひめみこ)--子=中磯皇女
妃=黒姫(くろひめ)---子=磐坂市辺押羽皇子、御馬皇子、青海皇女、
皇居 磐余稚桜宮(いわれわかざくら)

陵墓 陵墓=百舌鳥耳原南陵(もずのみみはらのみなみのみささぎ)
形状=前方後円墳、堀、全長360m、括れ部西側に造出し、葺石や埴輪。
古墳=百舌鳥陵山古墳・ミサンザイ古墳・石津丘古墳
場所=大阪府堺市石津ヶ丘

 5世紀後半か中頃の築造だといわれています。父仁徳陵よりも早く造られているのだそうです。これも宮内庁の陵墓治定に問題がありそうですね。

略歴(4世紀)(5世紀)
343-癸卯-仁徳31年01月15日 立太子(15歳)
399-己亥-仁徳87年01月16日 父の仁徳天皇が崩御
喪があけ、羽田八代宿禰の娘黒媛との婚約が整い、婚礼の日取りの連絡に使わした実弟の住吉仲皇子が太子と偽り黒姫を犯してしまう。
大事に至ることを恐れた仲皇子は太子を討つため宮を囲み火をかけるのである。間一髪難を逃れた太子は飛鳥へ逃れ、瑞歯別尊に命じて仲皇子を殺す。
400-庚子-履中01年02月01日 磐余の稚桜宮で即位(現在の桜井市にある磐余稚桜神社あたりか?)
400-庚子-履中01年07月04日 葦田宿禰の娘黒媛を妃とする
401-辛丑-履中02年01月04日 実弟の瑞歯別尊(反正天皇)を皇太子とする
401-辛丑-履中02年11月 磐余の池を造った
402-壬寅-履中03年11月06日 天皇が両股船を磐余の市磯池を浮かべ妃と遊んでいるとき、膳臣に奉った杯に桜の花びらが浮かぶ。
その珍しい桜のことを喜び稚桜宮と名付けた。
403-癸卯-履中04年08月08日 諸国に国史(ふみひと)を置き諸国の情報を報告させる役とする。
405-乙巳-履中06年01月06日 草香幡棱皇女(くさかのはたびのひめみこ)を皇后とする
405-乙巳-履中06年03月15日 崩御
405-乙巳-履中06年10月04日 百舌鳥耳原南陵(もずのみみはらのみなみのみささぎ)に葬られる。