島津忠久
島津忠久
しまづ ただひさ
1179-1227
別:〇三郎、左兵衛尉、1185-1203 島津荘下司職(地頭)、1197-1203 薩摩守護、1197-1203 大隈守護、1197-1203 日向守護、1198 左衛門尉、1213-1227 薩摩地頭、1221-1227 越前守護、1225 従五位下、1225 大夫判官、豊後守
父:◇惟宗忠康、征夷大将軍 源頼朝??、義父:惟宗広言
室:正室:(父:畠山次郎重忠)
子:1202-1272 島津忠時、1205-? 島津忠綱(越前島津家へ)、島津忠直、娘(小田常陸介某妻)、娘(小田筑後守某妻)
[生]治承3(1179)
[没]嘉禄3(1227).6.18. 鎌倉?
?-1227
生年:生年不詳
没年:安貞1.6.18(1227.8.1)
?‐1227(安貞1)
生年については1179年(治承3)説があるが不詳。
嘉禄(かろく)3年6月18日、鎌倉で没す。
嘉禄(かろく)3年6月18日死去。
生年については1179年(治承3)説があるが疑問。
鎌倉時代の武将。
鎌倉時代の武将で,
鎌倉時代の武将。
鎌倉初期の武将。
鎌倉前期の武士。
島津氏の祖といわれる。
島津氏初代とされる。
島津氏初代。
島津氏の初代。
島津氏初代,
源頼朝の庶子ともいわれ,出自は諸説あって不明。
惟宗(これむね)姓で,近衛(このえ)家の家司(けいし)惟宗氏の出か。
摂関家の下家司を世襲した惟宗氏の出身。
「島津家譜」などの系図類によれば、源頼朝(よりとも)の庶長子、母は比企能員(ひきよしかず)の妹丹後局(たんごのつぼね)で、近衛(このえ)家の家司(けいし)惟宗(これむね)広言の養子とするが疑問。近衛家の家司出自説が有力である。
惟宗姓。系図は源頼朝庶子。母は比企能員妹丹後局,惟宗広言の養子とするが不詳。幕末に以仁王遺子説が生まれたが誤り。近衛家の家司惟宗氏の出か。
姓は惟宗、のち藤原とも称した。
本姓は惟宗(これむね)。
法名得仏。
法名は得仏(とくぶつ)。
1198
左兵衛尉に任じて皇嘉門院聖子に仕え,同院領山城国(京都府)上久世荘内石原方に権益を有した。源頼朝の乳母比企尼の縁者であったことから鎌倉御家人となり,
1186
文治2(1186)年南九州の大荘園である島津荘の地頭職を与えられて島津氏を称した(島津氏初代)。
1197
建久8(1197)年薩摩・大隅守護,その後,日向の守護も兼ねたが,
1203
建仁3(1203)年の比企氏の乱に連座して収公される。のち薩摩のみ旧に復した。承久の乱後,越前守護にも補された。幕府出仕後も京都で活動することが多く,官は左衛門尉・検非違使から豊後守にまで進んだ。
1185
1185年島津荘下司(げし)職,
鎌倉幕府の成立で,
1185年(文治1)6月、伊勢国(いせのくに)須可荘(すかのしょう)・波出御厨地頭職(はでのみくりやじとうしき)に補任(ぶにん)、
85年(文治1)島津荘下司職,
1186
文治(ぶんじ)2年(1186)南九州の島津荘の地頭となり,島津を称す。
薩摩島津荘地頭職ならびに
翌年惣地頭職に補任。
以降、島津荘下司職(げししき)・信濃国(しなののくに)塩田荘(しおだのしょう)地頭職に補任された。
翌年惣地頭職補任。
1189
1189年には奥州征伐(合戦)に参加した。
89年には島津荘荘官を率いて奥州征伐に参加。
89年7月の奥州藤原氏征伐に従軍。
5年源頼朝の奥州藤原攻めに参加。
1197
1197年薩隅両国家人奉行人(守護)となり,続いて日向国・越前国の守護となった。
薩摩,大隅,日向3国守護職に補任された。
97年(建久8)薩隅両国家人奉行人(守護)となり,ついで日向・越前国守護。
建久8年薩摩(さつま)・大隅(おおすみ)守護,のち日向(ひゅうが)守護もかねる。
97年(建久8)12月、大隅(おおすみ)・薩摩(さつま)の守護となり、のち日向(ひゅうが)の守護も兼ねた。
1203
1203年比企氏(ひきし)の乱に縁座し,薩隅日三州守護・地頭職を没収された。のち薩摩国のみ復職。薩摩下向については諸説あるが不詳。被官を下向させ,自身は京都または鎌倉にとどまっていたとも考えられる。
比企能員(ひき-よしかず)の乱に連座し罷免されたが,のち薩摩守護のみ復職。
1203年(建仁3)9月、比企能員の乱に縁座し、3か国の守護などを罷免されたが、まもなく薩摩の守護にのみ復した。
1213
13年(建保1)の和田義盛(よしもり)の乱に戦功をたて、
1221
承久(じょうきゅう)の乱後,越前(えちぜん)守護にもなる。
21年(承久3)の承久(じょうきゅう)の乱後には、功により越前(えちぜん)守護となった。官途は、初め左兵衛尉(さひょうえのじょう)、のち左衛門尉(さえもんのじょう)、25年(嘉禄1)大夫尉(たいふのじょう)となり、のち豊後守(ぶんごのかみ)に任ぜられた。
鎌倉時代の薩摩・大隅・日向国守護。
【薩摩国】より
…旧国名。薩州。鹿児島県西半部。
【古代】
西海道に属する中国(《延喜式》)。大隅国と同じく日向国より分出し,合わせて南九州の三国,奥三州などと呼ばれた。《日本書紀》白雉4年(653)7月条に〈薩麻之曲竹島之間〉とみえ,《続日本紀》大宝2年(702)8月条に薩摩・多褹(たね)を征討し,戸を校(かんが)え吏を置く,10月条に唱更(はやひと)国司の言上で国内の要害に柵を建て兵を置くとあり,その説明に唱更国とは今の薩摩国府なりとあることから,このころ薩摩国は日向国より分出設置されたと思われる。…
惟宗忠康━━━島津忠久
源頼朝??━━━島津忠久
義父:惟宗広言………島津忠久━┳━島津忠時
┣━島津忠綱(越前島津家へ)
┣━島津忠直
┣━娘
┗━娘
島津
しまづ
(源頼朝━━━島津忠久)
惟宗忠康━━━島津忠久
惟宗広言………島津忠久━┳━島津忠時━━━━━━━━━━┳━島津久経━━━━━┓
義父: ┣━島津忠綱(越前島津家へ) ┣━山田忠継━━━━┓┃
┣━島津忠直 ┣━中沼高久 ┃┃
┣━娘 ┣━娘 ┃┃
┗━娘 ┣━島津忠康 ┃┃
┣━島津忠佐 ┃┃
┣━阿蘇谷久時 ┃┃
┣━島津忠経 ┃┃
┗━島津久氏 ┃┃
┃┃
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛┃
┣━島津宗長(給黎氏) ┃
┣━島津忠光(町田氏) ┃
┗━島津俊忠(伊集院氏) ┃
┃
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
┣━島津忠宗━━━━━━━┳━島津貞久━┳━島津宗久
┣━島津久長(伊作家へ) ┣━和泉忠氏 ┣━男
┗━娘 ┣━佐多忠光 ┣━島津師久━┳━島津伊久━━━━━━┓
┣━新納時久 ┃(総州家へ)┗━島津久安 ┃
┣━樺山資久 ┣━島津氏久━━━━━━━━━━━━┓┃
┣━北郷資忠 ┃(奥州家へ) ┃┃
┣━石坂久泰 ┣━島津光久 ┃┃
┣━娘 ┣━島津氏忠 ┃┃
┗━娘 ┣━娘 ┃┃
┣━娘 ┃┃
┣━娘 ┃┃
┗━川上頼久 ┃┃
┃┃
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛┃
┃ ┃
┃┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
┃┣━島津守久━━━島津久世━━━島津久林
┃┣━島津忠朝━━━島津忠明
┃┗━島津久照
┃
┣━島津元久━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┳━仲翁
┣━島津久豊━┳━島津忠国━┳━娘 ┃(島津守邦)
┗━娘 ┣━島津用久 ┣━娘 ┣━娘
┣━島津季久 ┣━娘 ┣━娘
┣━島津有久 ┣━島津立久━━━島津忠昌━━━┓┣━娘
┣━島津豊久 ┣━島津久逸 ┃┣━娘
┣━某 ┣━島津忠経 ┃┣━娘
┣━娘 ┣━島津忠弘 ┃┣━娘
┣━娘 ┣━島津友久 ┃┣━娘
┣━娘 ┣━島津勝久 ┃┗━娘
┗━娘 ┣━柱山 ┃
┣━娘 ┃
┣━娘 ┃
┣━娘 ┃
┣━島津頼久 ┃
┣━英功 ┃
┗━宗津 ┃
┃
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
┣━島津忠治
┣━島津忠隆
┗━島津勝久━┳━島津忠良━┳━島津秀久
┣━島津久孝 ┗━島津忠辰
┣━島津又四郎
┣━島津宗俊
┗…島津貴久━┳━島津義久━━━━━━━━━━━━━┳━御平
(養子) ┣━島津義弘━━━━━━━━━━━━┓┣━娘
┣━島津歳久(日置家へ) ┃┗━亀寿
┗━島津家久(永吉家へ) ┃
┌────────────────┐ ┃
│ 島津貴久━┳━ │ ┃
│ ┗━島津義弘 │ ┃
│養父:島津忠親………島津義弘━ │ ┃
└────────────────┘ ┃
┃
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
┣━御屋地
┣━鶴寿丸
┣━島津久保
┣━島津家久━┳━娘
┃(島津忠恒)┣━島津光久━┳━島津綱久━━━┳━島津綱貴━━━━━━━━━━┓
┣━万千代丸 ┣━島津久直 ┣━徳雲院殿 於満┣━娘 ┃
┣━島津忠清 ┣━娘 ┣━辰 ┣━島津六七 ┃
┗━御下 ┣━島津忠紀 ┣━北郷久定 ┣━島津久季(加治木家へ) ┃
┣━娘 ┣━酉 ┗━娘 ┃
┣━兵庫某 ┣━島津忠長 ┃
┣━娘 ┣━佐多久逵 ┃
┣━娘 ┣━鎌田正長 ┃
┣━娘 ┣━喜入久亮 ┃
┣━娘 ┣━島津久明 ┃
┣━島津忠朗 ┣━万鶴 ┃
┣━島津忠広 ┣━千亀 ┃
┣━島津重永 ┣━島津久当 ┃
┣━娘 ┣━外記某 ┃
┣━伊集院久国┣━島津久記 ┃
┣━娘 ┣━千代鶴 ┃
┣━島津久雄 ┣━千代松 ┃
┣━町田忠尚 ┣━鶴千代 ┃
┣━鎌田政勝 ┣━袈沙千代 ┃
┣━伊集院久朝┣━入来院重矩 ┃
┣━娘 ┣━島津久房 ┃
┣━伊勢貞昭 ┣━松鶴 ┃
┣━娘 ┣━亀松 ┃
┣━娘 ┣━島津久雄 ┃
┣━娘 ┣━亀千代 ┃
┣━娘 ┣━徳鶴 ┃
┣━娘 ┣━島津久皎 ┃
┣━娘 ┣━島津久岑 ┃
┣━島津忠心 ┣━島津久侶 ┃
┣━樺山久尚 ┣━虎 ┃
┣━長寿院 ┣━亀 ┃
┗━蓮香院 ┣━虎鶴 ┃
┣━島津久理 ┃
┣━安千代 ┃
┣━長 ┃
┣━桂久祐 ┃
┣━鶴 ┃
┗━畠山基明 ┃
┃
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
┣━島津吉貴━━━┳━島津満君
┣━諦観院殿 松 ┣━島津継豊━━━━┳━菊姫
┣━菊次郎 ┣━(養子)喜代 ┣━島津宗信………島津重年━━━━━━━┓
┣━鍋保丸 ┣━島津幹 ┣━鐘 ┃
┣━萋 ┣━忠五郎 ┣━鉄 ┃
┣━島津久福 ┣━島津貴儔 ┣━入来院定勝 ┃
┣━島津久儔 ┣━厳 ┣━貞 ┃
┣━島津忠直 ┣━島津弘 ┣━島津重年 ┃
┣━亀 ┣━島津忠紀 ┣━島津久峯 ┃
┣━島津久方 ┃(越前島津家へ) ┗━島津就 ┃
┣━島津清純 ┣━島津久亮 ┃
┣━信解院 名免 ┣━徳 ┃
┣━島津久東 ┣━島津貴澄 ┃
┣━奈百 ┃(垂水家へ) ┃
┗━剛 ┣━民 ┃
┣━島津忠郷 ┃
┃(今和泉家へ) ┃
┣━島津忠温 ┃
┃(今和泉家へ) ┃
┗━供 ┃
┃
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
┣━島津重豪━┳━悟姫
┗━梅 ┣━敬姫
┣━茂姫 近衛寔子
┣━厚
┣━牧
┣━奥平昌高
┣━娘
┣━娘
┣━島津斉宣━━━━┳━島津斉興━━━━━━━┳━島津斉彬━━━┓
┣━克 ┣━松寿院 隣姫 ┣━池田斉敏 ┃
┣━某 ┣━島津忠公 ┣━智鏡院 ┃
┣━亀五郎 ┣━随真院 随姫、祝姫 ┃ 祝姫 候姫 ┃
┣━感之助 ┣━興子 ┣━島津諸之助 ┃
┣━忠厚? ┣━操姫 ┣━島津珍之助 ┃
┣━省之進 ┣━島津剛之進 ┣━勝 ┃
┣━有馬一純 ┣━聡徳院 聡姫 ┣━晴雲院 晴子 ┃
┣━為次郎 ┣━島津泰之進 ┣━興子 ┃
┣━乗之助 ┣━島津範之進 ┣━智姫 ┃
┣━蓬之進 ┣━松平勝善 ┣━島津久光 ┃
┣━豹治郎 ┣━島津忠剛 ┣━島津唯七郎 ┃
┣━南部信順 ┣━種子島久珍 ┣━順姫 ┃
┣━礼 ┣━美寿姫 ┗━清姫 ┃
┣━富 ┣━宝姫 ┃
┣━孝姫、寿姫 ┣━幹姫 ┃
┣━黒田長溥 ┣━島津勝 ┃
┣━種姫 ┣━晴雲院 晴子 ┃
┣━定姫 淑 ┗━寵姫 ┃
┣━桃令院 貢子 ┃
┣━島津久徴 ┃
┣━雅姫 明子 ┃
┗━竝 ┃
┃
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
┣━島津菊三郎
┣━天璋院 篤子
┣…島津忠義━━━━┳━房子
┣━貞姫 光子 ┣━島津忠宝
┣━澄姫 ┣━清子
┣━邦姫 ┣━充子
┣━島津盛之助 ┣━常子
┣━島津虎寿丸 ┣━知子
┣━島津篤之助 ┣━貞子
┣━暐姫 ┣━俔子
┣━典姫 ┣━島津徳之助
┣━寧姫 ┣━和子
┣━島津哲丸 ┣━島津邦丸
┗━島津寛之助 ┣━正子
┣━島津忠重━━━━┳━島津斉徳
┣━島津忠備 ┣━島津忠秀━┳━島津忠敬
┃(分家・忠備家へ)┣━経子 ┣━島津修久━━━━━━┓
┣━島津忠弘 ┣━鹿島晃久 ┗━滋子 ┃
┃(分家・忠弘家へ)┣━島津矩久 ┃
┣━島津久範 ┗━柳沢斉徳 ┃
┃(佐土原藩へ) ┃
┣━島津康久 ┃
┣━為子 ┃
┗━島津哲丸 ┃
┃
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
┣━寛子
┗━島津忠裕