歴史・人名

嵯峨天皇

第52代嵯峨天皇(さがてんのう)、神野(かみの)

光仁天皇━━━桓武天皇━━━嵯峨天皇━━━仁明天皇━━━文徳天皇


父・桓武天皇(かんむてんのう) 母・藤原乙牟漏
皇后・橘嘉智子(たちばなのかちこ)(壇林皇后)
皇居・平安宮

子:仁明天皇

陵墓 陵墓:嵯峨山上陵(さがのやまのえのみささぎ)
形状:円丘
場所:京都市右京区北嵯峨朝原山町
嵯峨上皇は徹底した薄葬主義者で、死にのぞみ自らの葬儀のやり方を具体的に示した遺詔を残したという。執拗かつ綿密なもので、繰り返し自らの葬儀を薄葬とするよう要求したものであった。「陵は平らにし、樹木は植えず草が生えるにまかせよ」と命じている。
弟で次期天皇の淳和天皇が兄の指示に従っていれば、7個の自然の巨石が露出していたという現陵である可能性は薄い。

略歴 (8世紀)(9世紀)
786-丙寅-延暦05年09月07日 生誕
806-丙戌-大同01年05月19日 立太子
809-己丑-大同04年04月01日 即位
823-癸卯-弘仁14年04月16日 退位
842-壬戌-承和09年07月15日 崩御


嵯峨天皇(神野親王)

  生没年:786-842
  父:桓武天皇
    806-809 皇太子
    809-823 嵯峨天皇
  皇后:檀林皇后 橘嘉智子(父:贈太政大臣正一位 橘清友)
    810-850 正良親王
    810-879 正子内親王(夫:淳和天皇
    817-895 二品上野太守 秀良親王
    ?-850 秀子内親王
    ?-826 俊子内親王
  宮人:(父:正五位下 文屋久賀麻呂)
    ?-836 芳子内親王
    ?-865 繁子内親王
  妃:高津内親王(父:桓武天皇
    ?-868 業良親王(子:正内王)
    ?-815 業子内親王
  妃:多治比高子787-825(父:多治比氏守)
  夫人:従三位 藤原緒夏(父:贈太政大臣従一位 藤原内麻呂)
  女御:百済貴命?-851(父:百済王 俊哲)
    ?-831 基良親王
    819-876 二品式部卿兼大宰帥 忠良親王(子:女王)
    -831 基子内親王
  女御:大原浄子?-841(父:大原家継)
    ?-889 仁子内親王(斎宮)
  更衣:飯高宅眉(父:飯高岳足)
    811-854 正二位左大臣 源常(以下保留)
    813-852 刑部卿 源明(以下保留)
  更衣:正四位下 秋篠高子
    源清
  更衣:従五位上 山田近子
    829-869 源啓(以下保留)
    源蜜姫
  妃:交野女王(父:山口王)
    807-847 有智子内親王(賀茂斎院)
  宮人:高階河子(父:少納言 高階浄階)
    ?-854 宗子内親王
  宮人:広井氏(父:広井弟名)
    810-868 源信(以下保留)
  宮人:布勢武蔵子
    833-880 正四位下 源貞姫
    ?-876 従四位上 源端姫
  宮人:上毛野氏
    812-863 正三位大納言 源弘(以下保留)
  宮人:安倍氏(父:安倍楊津)
    813-876 伊予守 源寛(以下保留)
  宮人:従三位 笠継子
    821-872 源生(以下保留)
  宮人:粟田氏
    822-853 源安
  宮人:正五位下 大原全子(父:大原真室)
    823-895 源融(嵯峨源氏へ)
    従四位上 源盈姫
    824-881 参議従三位右衛門督 源勤
  宮人:紀氏
    従四位上 源更姫
  宮人:内蔵影子
    源神姫
    源容姫
    従四位上 源吾姫
  宮人:甘南備氏
    従四位上 源声姫
  宮人:文室文子(父:文室久賀麻呂)
    ?-863 純子内親王
    ?-853 斉子内親王(夫:大宰帥 葛井親王)
    淳王
  宮人:(田中氏)
    源澄(以下保留)
  宮人:惟良氏
    ?-886 源勝
  宮人:大中臣岑子
  宮人:橘春子
  宮人:長岡氏
    源賢
  女嬬:当麻氏(父:正六位上 当麻治田麻呂)
    809-856 贈正一位 源潔姫(夫:摂政 藤原良房)
    811-882 尚侍正二位 源全姫
  掌侍:菅原閑子
  尚侍:百済慶命
    815-863 正三位大納言兼左大将 源定(以下保留)
    源善姫
    源若姫
  女:(百済氏)
    源鎮
  女:
    ?-884 従四位上 源良姫
    ?-874 従四位上 源年姫
    従三位 源継