歴史・人名

廃絶大名一覧表・家光時代

家光時代 元和9年(1623)7月~慶安4年(1651)4月

西暦年月日氏名領地石高摘要理由備考
1623元和9年9月18日田中吉官近江国内等20000除封家臣に連座〔1〕
元和9年10月19日青山忠俊武蔵岩槻45000除封勘気〔2〕
1624寛永元年7月13日福島正則信濃川中島20000除封幕法違反〔3〕
1625寛永2年滝川正利常陸片野20000減封病弱〔4〕
寛永2年2月24日仁賀保挙誠出羽仁賀保10000分封万石未満〔5〕
1626寛永3年4月根津吉直上野豊岡10000除封無嗣廃絶
寛永3年5月7日本多忠刻播磨国内100000除封無嗣廃絶
寛永3年7月11日松平重忠出羽上山40000減封養子相続〔6〕
1627寛永4年1月4日蒲生忠郷陸奥会津600000除封無嗣廃絶
寛永4年2月10日蒲生忠知出羽上山40000還付還付〔7〕
1628寛永5年1月22日松下長綱陸奥二本松50000減封幼少〔8〕
寛永5年2月28日徳永昌重美濃高須53000除封勤役懈怠〔9〕
別所吉治丹波北由良20000除封勤役懈怠〔10〕
1629寛永6年8月3日内藤正勝安房勝山20000減封嗣子幼少〔11〕
寛永6年9月29日桑山貞晴大和御所26300除封無嗣廃絶〔12〕
1630寛永7年3月10日酒井直次出羽左沢12000除封無嗣廃絶
1631寛永8年2月6日近藤秀用遠江井伊谷17000分封万石未満〔13〕
寛永8年7月4日織田長則美濃野村10000除封無嗣廃絶
寛永8年7月29日池田政綱播磨赤穂35000除封無嗣廃絶
寛永8年8月池田輝興播磨佐用25000廃藩兄政綱の遺領継承〔14〕
寛永8年8月4日三浦重勝下総国内10000除封無嗣廃絶
寛永8年11月22日最上義俊近江大森10000減封嗣子幼少〔15〕
1632寛永9年4月7日脇坂安信美濃国内10000除封刃傷
寛永9年6月1日加藤忠広肥後熊本515000除封幕法違反〔16〕
寛永9年10月20日徳川忠長駿河府中550000除封不行跡〔17〕
寛永9年10月28日朝倉宣正遠江掛川26000除封徳川忠長に連座
寛永9年11月16日鳥居忠房甲斐谷村35000除封徳川忠長に連座
寛永9年11月26日長谷川守知美濃国内等10000分封万石未満〔18〕
1633寛永10年5月13日酒井重澄下総生実25000除封勘気・勤務不良
寛永10年9月24日堀尾忠晴出雲松江240000除封無嗣廃絶
1634寛永11年2月22日竹中重義豊後府内20000除封不正〔19〕
寛永11年8月18日蒲生忠知伊予松山240000除封無嗣廃絶
1635寛永12年7月8日菅沼右京美濃加納100000除封無嗣廃絶
1636寛永13年7月7日鳥居忠恒出羽山形220000減封無嗣・不法養子〔20〕
寛永13年8月23日蒔田広定備中浅尾10000分封万石未満〔21〕
1637寛永14年6月12日京極忠高出雲松江264200減封無嗣〔22〕
寛永14年7月13日本多政武大和高取25000除封無嗣廃絶
1638寛永15年4月12日寺沢堅高肥後天草123000減封失政〔23〕
松倉勝家肥前島原40000除封失政〔24〕
寛永15年8月1日片桐孝利大和竜田40000減封無嗣〔25〕
寛永15年11月20日佐久間安次信濃飯山30000除封無嗣廃絶
寛永15年12月2日成瀬之虎下総栗原15000除封無嗣廃絶
寛永15年12月6日真田熊之助上野沼田30000除封無嗣廃絶
1639寛永16年閏11月29日三枝守昌安房国内10000分封万石未満〔26〕
1640寛永17年5月13日本多犬千代下野榎本28000除封無嗣廃絶
寛永17年7月26日池田輝澄播磨山崎63000減封家中内訌〔27〕
生駒高俊讃岐高松171800減封家中内訌〔28〕
1641寛永18年9月6日池田長常備中松山65000除封無嗣廃絶〔29〕
1642寛永19年3月2日堀直定越後村上100000除封無嗣廃絶
寛永19年7月25日那須資重下野那須14000減封無嗣〔30〕
1643寛永20年3月15日一柳直家播磨小野28600減封無嗣〔31〕
寛永20年5月2日加藤明成陸奥会津400000減封家中内訌〔32〕
加藤明利陸奥二本松30000減封加藤明成に連座〔33〕
1644正保元年4月10日松下長綱陸奥三春30000除封乱心〔34〕
正保元年12月26日松平清道播磨姫路新田30000除封無嗣廃絶
1645正保2年3月20日池田輝興播磨赤穂35000除封乱心
正保2年閏5月26日杉原重長但馬豊岡25000減封無嗣〔35〕
正保2年6月4日皆川成郷常陸府中13000除封無嗣廃絶
1646正保3年3月26日柳生宗矩大和柳生12500分封万石未満〔36〕
1647正保4年2月23日真田信重信濃国内17000除封無嗣廃絶〔37〕
正保4年8月13日松平忠憲信濃小諸45000除封無嗣廃絶〔38〕
正保4年9月21日菅沼定昭丹波亀山38000除封無嗣廃絶〔39〕
正保4年11月18日寺沢堅高肥前唐津83000除封自害
1648慶安元年6月16日古田重恒石見浜田55000除封無嗣廃絶
慶安元年6月以降内藤信広安房国内等15000減封家臣に連座〔40〕
慶安元年8月20日稲葉紀通丹波福知山45700除封乱心絶
1650慶安3年5月17日織田信勝丹波柏原36000除封無嗣廃絶
慶安3年6月11日本多勝行大和国内40000除封無嗣廃絶
1651慶安4年7月18日松平定政三河刈谷20000除封幕政批判等〔41〕

〔1〕 子孫は旗本として存続。

〔2〕 子孫は丹波篠山藩主として存続。

〔3〕 子孫は旗本として存続。

〔4〕 子孫は旗本として存続。

〔5〕 子孫は旗本として存続。

〔6〕 10,000石没収 子孫は豊後杵築藩主として存続。

〔7〕 兄忠郷の名跡を継ぎ伊予松山240,000石。

〔8〕 陸奥三春30,000石に移封。

〔9〕 子孫は旗本として存続。

〔10〕 子孫は旗本として存続。

〔11〕 15,000石没収。

〔12〕 弟栄晴が名跡を継ぎ500俵。

〔13〕 子孫は旗本として存続。

〔14〕 佐用藩は山崎藩に併領。

〔15〕 5,000石没収。

〔16〕 配所領10,000石支給。

〔17〕 寛永10年(1633)、賜死。

〔18〕 子孫は旗本として存続。

〔19〕 職務奸曲により切腹。

〔20〕 弟忠春が名跡を継ぎ信濃高遠30,200石。

〔21〕 子孫は浅尾藩主に復帰し存続。

〔22〕 甥高和が名跡を継ぎ播磨竜野60,000石。

〔23〕 領内一揆蜂起の罪により40,000石没収。

〔24〕 領内一揆蜂起の罪により死罪。

〔25〕 弟為元が名跡を継ぎ10,000石。

〔26〕 子孫は旗本として存続。

〔27〕 因幡鹿野10,000石に移封。

〔28〕 出羽矢島10,000石に移封。

〔29〕 弟長信が名跡を継ぎ備中後月1,000石。

〔30〕 父資景が再承し5,000石。

〔31〕 養子直次が名跡を継ぎ10,000石。

〔32〕 石見吉永10,000石に移封。

〔33〕 嫡子明勝が名跡を継ぎ3,000石。

〔34〕 子孫は旗本として存続。

〔35〕 甥重玄が名跡を継ぎ豊岡10,000石。

〔36〕 子孫は柳生藩主に復帰し存続。

〔37〕 宗家松代藩に還付。

〔38〕 慶安元年(1648)、弟康尚が下野那須1万石で再興。

〔39〕 弟定美・定賞が旗本に取立られる。

〔40〕 7,000石没収。

〔41〕 子孫は旗本として存続。