歴史・人名

後水尾天皇

後水尾天皇(政仁親王)

  生没年:1596-1680
  父:後陽成天皇
    1611-1629 後水尾天皇
  中宮:東福門院 源和子(父:征夷大将軍 徳川秀忠)
    1623-1696 興子内親王
    1625-1651 女二宮 光明心院 昭子内親王(夫:関白内覧 近衛尚嗣)
    1626-1628 高仁親王
    1628 皇子
    1629-1675 女三宮 顕子内親王
    1632-1696 女五宮 賀子内親王(夫:摂政 二条光平)
    1633-1634 菊宮(皇女)
  女院:壬生院 藤原光子(父:贈左大臣 園基任)
    1633-1654 紹仁親王
    1634-1680 天台座主 守澄法親王
    1637-1662 滋宮 久山永昌
    1639-1678 谷宮 宗澄女王
    1641-1644 桂宮(皇女)
  女院:准三宮 逢春門院 御匣殿 藤原隆子(父:贈従一位左大臣 櫛笥隆致)
    1631-1656 八重宮 理昌女王
    1633 皇子
    1634-1727 朱宮 光子内親王
    1637-1685 良仁親王
    1639-1696 性真法親王
    1640-1641 摩作宮(皇女)
    1641-1689 柏宮 義山理忠
    1643-1665 式部卿 八条(桂)宮 穏仁親王
    1647-1676 聖護院宮 道寛法親王
  女院:新広義門院 藤原国子(父:贈左大臣 園基音)
    1640-1694 天台座主 堯如法親王
    1642-1702 常子内親王(夫:関白内覧太政大臣 近衛基熙)
    1649-1706 一乗院宮 真敬法親王
    1651-1693 青蓮院宮 尊證法親王
    1654-1732 識仁親王
    1657-1686 永亨女王
  典侍:明鏡院 大納言典侍 一条局 藤原与津子(父:権大納言 四辻公遠)
    1618-1622 賀茂宮
    1619-1697 梅宮 文智女王(夫:左大臣 鷹司教平)
  典侍:龍宝院 権中納言局 藤原継子(父:権大納言 四辻季継)
    1645-1680 尊光法親王
    1651-1680 天台座主 盛胤法親王
    1654-1683 睦宮 瑞慶文察
  女:帥局 藤原氏子(父:権中納言 水無瀬氏成)
    1635-1637 新宮 月桂院(皇女)
    1637-1678 仁和寺宮 性承法親王
  女:?
    光融院(皇子)
    霊照院(皇子)
    秋光院(皇女)
    皇女
    栢宮(皇女)
    凉雲院(皇女)
    梅窓院(皇子)
    真尊法親王
    尊賀女王

没年:延宝8.8.19(1680.9.12)
生年:慶長1.6.4(1596.6.29)
江戸前期の天皇。後陽成天皇第3皇子,三宮。母は関白近衛前久の娘前子(中和門院)。諱は政仁。慶長5(1600)年12月21日親王宣下,16年3月27日践祚,同年4月12日即位。元和6(1620)年6月18日,将軍徳川秀忠の娘和子を女御として迎え,同9年11月の女一宮誕生をはじめ寛永6(1629)年までに3皇女,2皇子をもうけた。同年11月8日突然に女一宮興子内親王(明正天皇)へ譲位。女帝への譲位は一代でその血統が絶えるため,女御所生の皇子への譲位をもくろむ徳川幕府には手痛い打撃であった。譲位の原因は,天皇の腫物灸治,朝廷への武家介入や紫衣事件(1627~29),春日局参内に対する憤懣のほか,徳川氏の孫が即位するまで女御所生の子以外がおし殺されていたことも原因とする見方もある。天皇の在位期は幕府体制確立の過渡期にあり,朝廷を包摂した新たな朝幕関係確立を目指す幕府は,元和1年「禁中並公家諸法度」を制定,摂家,武家伝奏を通じた朝廷支配を強化した時期である。譲位により,上皇の立場から新たな朝廷秩序を目指したとも考えられる。譲位後,院にあること52年。宮廷を中心とした文芸復興の機運のなか,近臣公家,禅僧による学問講や和歌,漢和聯句,立花の会を主催した。歌学においては智仁親王,三条西実条,烏丸光広,中院通村に師事し,寛永2年智仁親王から古今伝授を受けた。のちに宮廷歌壇の最高指導者として稽古会,古典講釈を催し,後継の親王,公卿に古今伝授を行い御所伝授による宮廷歌壇を確立。歌集『鴎巣集』がある。宮廷文化,朝儀復興に強い意欲を示し『当時年中行事』の著書がある。また仏道にも帰依,特に禅宗の一糸文守に傾倒し,慶安4(1651)年落飾。法名円浄。京都泉涌寺内の月輪陵に葬られる。修学院離宮は後水尾の造営。<参考文献>熊倉功夫『後水尾院』,同『寛永文化の研究』,辻達也他編『日本の近世2 天皇と将軍』