朝鮮史
朝鮮史(Korea_history_2)
朝鮮史(Korea_history)
- 参考:朝鮮の歴史 新版 (編著:朝鮮史研究会) 発行所:三省堂
- 参考:WEB_Site[Wikipedia]より
- 参考:世界の地震検索(http://iisee.kenken.go.jp/utsu/)
- 檀君朝鮮(檀君神話)
- 箕子朝鮮
- 衛氏朝鮮
- 原三国時代(BC108 - 4世紀中葉)
- 弁韓・辰韓・馬韓・高句麗
- 三国時代(4世紀中葉 - 676年)
- 百済・新羅・高句麗・伽耶
- 統一新羅 (676年-935年)- 初めての統一政権
- 渤海(698年-926年)- 高句麗の滅亡後、遺民らが建国した国家
- 後三国時代(892年 - 936年)
- 新羅( - 935年)
- 後高句麗(894年-918年)→高麗
- 後百済 (892年-936年)
- 高麗(918~1392)
- 朝鮮王朝(李氏朝鮮 1393~1896)
- 大韓帝国 1897年-1910年(日本の保護国の時期 1905年~1910年)
- 日本統治時代(日帝強占期)
- 大韓民国臨時政府
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1392 | 李成桂が高麗の恭譲王から王位を簒奪し、高麗王に即位 明より権知高麗国事として認められる (権知高麗国事:高麗の政治をあずかっていると云う地位) | |
1393 | 李成桂が権知朝鮮国事に冊され、国号が朝鮮となる 明の皇帝から、新たな国号を「朝鮮」と「和寧」の二案から選んでもらうという形式的手順を踏んだ 内乱(~1400) | |
1394 | 漢陽(現、ソウル)に遷都 | |
1396 | 倭寇の本拠地、対馬に軍隊を派遣 政治と軍事を分離した議政府をつくり、中央集権制度の確立 | |
1398 | 第一次王子の乱 | |
1400 | 第二次王子の乱 | |
1401 | 明より朝鮮国王の冊封をうける | |
1404 | 室町幕府と国交回復、日朝貿易盛んとなる | |
1413 | 両界地域に道制を施行する | |
1418 | 《太宗が譲位して、世宗が即位(~1450)》 (儒教の推進による王道政治、現在の朝鮮領土の原型ができる) | |
1419 | 倭寇征伐を理由として対馬に遠征する(応永の外寇) | |
1426 | 三浦に倭館を設置し、常住を許可する | |
1443 | 訓民正音の制定(1446年公布) 歳遺船(年間渡航許可船)の制度を定める | |
1446 | 「訓民正音」としてハングル文字が公布 | |
1453 | 癸酉靖難(首陽大君(のちの第7代国王・世祖)による政権奪取) | |
1456 | 丙子冕獄(死六臣が処刑される) | |
1466 | 職田法(官職についているものだけに田地の給付)の制定 | |
1467 | 李施愛の乱 | |
1468 | 世祖が崩御し睿宗即位(1469年に崩御)、南怡の謀叛事件が起こる | |
1470 | 成宗の治世に『経国大典』頒布 朝鮮王朝の諸法体系化の完成をみる(~19世紀末) | |
1498 | 士林派に対する弾圧が始まる(戊午士禍) | |
1504 | 甲子士禍が起こる | |
1506 | 燕山君がクーデターにより失脚し、中宗が即位(中宗反正) | |
1510 | 在朝日本人の貿易活動等を統制したため、三港で日本人と援軍の宗軍による暴動が起こる(三浦の乱) | |
1519 | 己卯士禍が起こる、(趙光祖の改革政治が挫折) | |
1545 | 仁宗崩御(在位1544年~1545年)、明宗即位 乙巳士禍が起こる | |
1555 | 備辺司設置 | |
1559 | 林巨正の乱(~1562) | |
1567 | 《宣祖即位》、勲旧派の終焉、以後、士林派(新進官僚による政治勢力)同士の対立が続く | |
1575 | 東人・西人の党争の始まり(乙亥党論)、陶山書院建立 | |
1589 | 鄭汝立の乱 | |
1592 | 壬辰の倭乱・丁西の倭乱(~1598:豊臣秀吉の2度の朝鮮侵攻で、全国土が戦乱の被害をうける) | |
1607 | 回答兼刷還使を日本へ派遣する | |
1608 | 京幾道で大同法を実施 | |
1609 | 李氏朝鮮と対馬の宗氏との間で己酉約条(慶長条約)が結ばれ、貿易が再開される | |
1613 | 七庶の獄 | |
1616 | 光海君の明・金中立外交 | |
1619 | サルホの戦いで後金軍に敗れる | |
1623 | 仁祖反正で光海君廃位 | |
1624 | 李适の乱 | |
1627 | 丁卯胡乱(後金の朝鮮侵攻) | |
1636 | 清のホンタイジが朝鮮に親征(丙子胡乱)、朝鮮国王仁祖、南漢山城に篭城 (後金、国号を清とする) | |
1637 | 仁祖(朝鮮王)降伏 明に替わり、清の皇帝を認める(大清皇帝功徳碑) 以後、1895年の下関条約締結まで、朝鮮は清に臣従する 小中華思想(朝鮮のみが、中華文明の継承者であるとする)が髙揚 | |
1660 | 己亥礼訟(礼論が起こる) | |
1674 | 甲寅礼訟により、南人が政権を握る(両班制度の中の党派争い) | |
1680 | 庚申換局 | |
1683 | 西人が老論と少論に分裂 | |
1689 | 己巳換局 | |
1694 | 粛宗の治世に甲戌の獄起こる | |
1712 | 白頭山に定界碑を建立 | |
1721 | 景宗の治世に、壬寅の獄起こる(~1722 辛壬士禍) | |
1724 | 《英祖即位(在~1776)》 | |
1728 | 李麟佐の乱 | |
1762 | 英祖の治世に荘献世子事件起こる 精神を病んだ荘献世子が異常な行動を取り、王命により米櫃の中に閉じ込められ、餓死する | |
1784 | 李承薫が天主教の書籍を持ち込む | |
1791 | 辛亥通共政策(商業における自由売買を決める) | |
1796 | 正祖による水原城(華城)建設 (朝鮮後半の全盛期) | |
1801 | 辛酉邪獄(天主教徒[カトリック]と中国人神父の殺害) | |
1804 | 《純祖の治世、安東金氏による権勢政治(~1863年)》 士林派の終焉 | |
1811 | 洪景来の乱(~1812 地方差別に反発した一揆) | |
1832 | 英国商船来航し、通商をもとめる | |
1839 | 己亥迫害(漢城の天主教徒の弾圧) | |
1846 | 丙午迫害(天主教徒の漢江畔での処刑) | |
1862 | 慶州道の晋州地方から農民蜂起始まる | |
1863 | 《哲宗崩御し、高宗即位》 大院君政権の成立(王権強化) | |
1866 | 丙寅教獄(フランス人神父を含む多数の天主教徒の処刑により、フランス艦隊の江華島攻撃) 丙寅洋擾(アメリカ武装商船シャーマン号が朝鮮軍人の拉致や発砲を行うも、逆に焼討ちにあい全員殺害される) | |
1873 | 《大院君追放、閔妃を中心にした閔氏政権の成立》 | |
1874 | (日本による台湾出兵) | |
1875 | 江華島事件(日本が朝鮮との国交通商を要求し武力示威した事件) | |
1876 |
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1882 | 大院君、開化政策の否定とする、壬午軍乱(軍内における棒給などの不満による暴動で、閔政権打倒される)起こる 朝米(朝英・朝独)修好通商条約の締結 清国は壬午軍乱を鎮圧し、ソウルに軍隊を駐留させ、朝中商民水陸貿易章程を締結する 清国による内政干渉がはじまる | |
1866 | キリスト教を弾圧し、信者1000人の死傷者を出した | |
1884 | 朝露修好通商条約の締結 甲申政変(甲申事変)、開化派のクーデターは失敗に終わり、事大派の勝利となる | |
1885 | 日本と漢城条約の締結 英艦隊、巨文島を占領する (日清間に天津条約の締結) | |
1890 | 山県有朋による「外交政略論」の提出 (朝鮮を日本の利益線とみなし、その防護が国家目標であるとする) | |
1894 | 東学党の乱(一次・二次甲午農民戦争) 大院君派と閔妃派の対立が深まる 日清戦争で陸上戦闘の主戦場となる | |
1895 | 日清講和条約(下関条約成立、朝鮮が独立国であることを確認) 朝鮮国から清国に対する貢・献上・典礼等は永遠に廃止される 親露反日政策をとった閔妃(明成皇后)が 日本軍守備隊や警察、訓練隊等により殺害される(乙未事変) 三浦梧楼の指揮によって殺害されたとする説が一般的だが、他方日本の保守派・右派の間では、それについて確認がとれていないことを強調する立場もある | |
1896 | 山県・ロバノフ協定 | |
1897 | 大韓帝国の成立(皇帝独裁による国家的独立) |
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1897 | 日清戦争(1894~1895)の清の敗北を受けて締結された下関条約により、朝鮮は清の冊封体制から離脱し、朝鮮国から大韓帝国と国号を改める (財政基盤の脆弱性により借款がうまくゆかず、各地で抗争が起きる) | ||
1898 | 独立教会、官民共同会を開き国政改革を求めるも、土地改革構想を提示しえず、農民層を陣営に取り込めず失敗し、守旧派の弾圧を受け解散する | ||
1900 | 京仁鉄道の開通 | ||
1901 | 貨幣条令を公布し、金本位制を採用 | ||
1902 | (日英同盟の締結) 日本の第一銀行、朝鮮国内で銀行券を発行 | ||
1904.02.09 | 日露戦争の始まり 日本、ソウルを制圧し、日韓議定書の調印(朝鮮の内政干渉、軍の駐留権、土地収容権などの確保) | ||
1904.08.22 | 第一次日韓協約の締結 (日本人による財政顧問・外交顧問の登用、外交交渉における日本政府の事前協議など) | ||
1905.07 | 高宗のロシア帝国への密使が発覚する 桂・タフト協定 | ||
.08 | (第二回日英同盟の締結) | ||
.09 | 日露講和条約(ポーツマス条約) 注:それぞれにフィリピンとインドに対する支配を承認することを引き換えに、朝鮮に対する保護権確立を米・英・露に認めさせた | ||
1905.11.17 | 第二次日韓協約の締結(日本の保護国となる) | ||
1906.02 | 韓国統監府の設置(統監に伊藤博文が赴任) | ||
1907.06 | 高宗によるハーグ密使事件(オランダのハーグで開催された第二回万国平和会議の失敗) | ||
.07 | 高宗が退位し、純宗が即位 第三次日韓協約の締結(内政権の日本管轄、一大隊を残して韓国軍の解体) | ||
1907.04~ | 愛国啓蒙運動の活動が起こる 国債報償運動(日本からの借款を募金により返済すると云う)が起こる | ||
.08 | 抗日義兵抗争(~1915) | ||
1909.09 | 韓国銀行の設立 | ||
1909.10 | 統監伊藤博文がハルビン駅にて、愛国啓蒙運動の義兵(安重根)に暗殺される 朝鮮と清の国境が定まる(間島協約) |
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1910.07 | 憲兵警察制度の発足 集会取締り令の公布(政治結社・報道の規制) | ||
1910.08 | 日韓併合条約の締結(大日本帝国に併合され、京城に朝鮮総督府の設置) | ||
1910.03 |
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1911 | 「同化政策」による第一次朝鮮教育令の公布 私立学校の廃止 | ||
1918 | 産米増殖計画の実施(日本国内各地で米騒動おこる、台湾では蓬莱米増産計画) 土地を失った農民は都市に流出、日本・中国東北に移住してゆく (1920~1932 朝鮮米の生産高は1.2倍、輸出高は2.5倍になる) 韓人社会党の結成(ハバロフスクで李東輝らが組織) | ||
1919 |
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1919.03.01 | 三・一独立運動の始まり(米国大統領ウィルソンによる民族自決主義の提唱、ロシア革命の勃発) 運動は全国に拡大して行き、3月下旬から4月上旬に最高潮200万人に達し、後に帝国主義批判の論理をもった社会主義思想の浸透となる (死者 7,509人 負傷者 15,961人 逮捕者 46,948人) 上海で大韓民国臨時政府の発足 | ||
1920~ |
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1923.09 | (関東大震災のあと、大規模な朝鮮人虐殺事件が起こる) | ||
1924.04 | 朝鮮労農総同盟の発足 ソウル青年会の主導下に朝鮮青年総同盟が結成され、労働運動・農民運動などの民衆運動の中核的な存在となる | ||
1925 | 朝鮮共産党・髙麗共産青年会が発足するも、1928年には崩壊される | ||
1927 | 朝鮮労働総同盟と農民総同盟に分離 民族解放運動の結節点として「新幹会」の発足をみるが、(1931年に解散) | ||
1929.01 | 元山ゼネスト(2,200人の労働者がゼネストに突入し、交通・港湾荷役は完全に停止する) | ||
1930 | 1930年前半では、昭和恐慌で工業が活気を帯びる | ||
1935 | (中国、抗日統一戦線の樹立を提唱) | ||
1937.07 |
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1937 | 祖国光復会(朝鮮民族解放同盟)の師団長(金日成)が日本軍を撃破する (ソ連の対日参戦の直前に組織された朝鮮工作団の責任者に選ばれた金日成は、日本の降伏後にソ連軍と共に元山に上陸する) | ||
1937.10 | 皇国臣民の誓詞が発布される | ||
1939 | 日本人労働者不足を補うために85,000人の朝鮮人が日本に強制移動される (1939~1945 約113万人) | ||
1940.09 | 大韓民国臨時政府は重慶に移転し、韓国光復軍を創設 | ||
1941.12.08 | 大日本帝国がアメリカ合衆国に宣戦布告(太平洋戦争の勃発) | ||
1944.02 | 朝鮮徴兵令施行 | ||
1945.08 | ソビエト連邦が日本に宣戦布告し、朝鮮半島東北部に侵攻 トルーマン大統領が「連合国一般命令を」ソ連に通告し同意させる (北緯38度線で朝鮮を分割し、日本軍を分割武装解除することの内容) | ||
1945.08.15 | 日本はポツダム宣言の受諾 管轄はアメリカ軍とソビエト連邦軍になる |
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1945.08.15 | 第二次世界大戦で大日本帝国敗北 朝鮮半島での日本の植民地支配終了、連合軍の管轄になる (北緯38度線以北をソビエト連邦軍が、同以南をアメリカ軍が管轄) | ||
.09.06 | 民族主義者、呂運亨らにより「朝鮮建国準備委員会」の結成 全国人民代表大会で臨時政府の樹立を決定し「朝鮮人民共和国」を興す | ||
.09 | ホッジ中将の米第24軍団第一陣、仁川に上陸し翌日、朝鮮総督府が降伏文書に調印する アメリカが在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁を設置 | ||
.10 | 米政府による「朝鮮人民共和国」および「朝鮮建国準備委員会」の否定 北朝鮮共産党臨時人民委員会が樹立 | ||
.11.20 | 第一回全国人民委員会代表者会議(人民共和国による)をソウルで開く | ||
.12.19 | 米軍政府がソウルの人民共和国政庁を急襲し、解体を宣告する 同じ頃、北朝鮮でもソ連軍の規制が始まり「北朝鮮共産党」に改組され、党首を金日成とする (統一戦線的な北半部の建国の動きを、ソ連型の共産党独裁政権作りに変質させる) | ||
.12 | モスクワ協定(米・英・ソ三国外相会議)において、信託統治期間を5年間とし、朝鮮における民主的な臨時政府樹立のために米・英・ソ・中の4大国が朝鮮を信託統治し、その準備を米ソ共同委員会で行うとした | ||
1946.05 | 米ソ共同委員会は無期休会となり、38度線の無許可越境を禁止する | ||
1947.02 | 北朝鮮人民委員会の樹立(北朝鮮のみの事実上の単独政府) | ||
.05 | 米ソ共同委員会が再開されるも調整がつかず、米が国連総会に審議を持ち込む、そこで、国連監視のもとで1948年3月までに南北統一選挙を実施し、政府を樹立すると云う米案が採択されたが、ソ連はモスクワ協定を無視したことを批判し、米ソ両軍の撤退と朝鮮人による自主的政権作りに委ねることを提案 | ||
1948 | 国連臨時朝鮮委員会が派遣されるも、北朝鮮人民委員会は入国を拒否する | ||
.02.26 | アメリカは国連小総会の開催を提案し、南朝鮮だけで政権作りのための「単独選挙」案を採択する | ||
.04.03 | 済州島四・三事件(~10 反政府闘争)が起こり、多数の済州島民が日本に密入国する (35,000~40,000人追放および処刑) | ||
.08.15 | 辛うじて過半数を確保した右派勢力は、李承晩を初代大統領に選出し、大韓民国政府の樹立が宣布される | ||
.09.02 | 北朝鮮で南北双方の代議員572名による最高人民会議が開催され、すでに4月に採択されていた憲法を正式に制定 | ||
.09.09 | 朝鮮民主主義人民共和国の建国を宣布 初代首相に金日成、副首相に朴憲永が就任する | ||
1949.02 | ソ連軍撤退後の北朝鮮では、武器・弾薬の供与、軍事顧問の指導を受け朝鮮人民軍が創設される 「2ヵ年経済計画」「技術・借款協定」の締結 | ||
.06 | 統一した共和国建設を指導する朝鮮労働党の結成 | ||
1950.01.07 | 米政府は中国革命不介入の態度を表明し、一週間後、国務長官のアチリンは米防衛線内に台湾と韓国は含まれて居ない旨を発言する また中国軍から朝鮮人歴戦部隊が共和国人民軍に編入され、ソ連が大規模な軍事援助を約束したことにより「南部解放」を決断する | ||
.02 | 中ソ両国の友好同盟・相互援助条約の締結 | ||
.04 | 平壌に派遣されたソ連軍事顧問団は金日成に「先制打撃作戦計画」を渡す | ||
.05.30 | 韓国総選挙結果で李承晩与党勢力の大敗 |
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1950.06.25 | 朝鮮戦争の勃発(人民軍各師団が38度線を越え大挙して南下を開始する) 戦争勃発から2ヶ月で韓国の大半は共和国人民軍の勢力下に入る | ||
.07.07 | 国連安保理事会において、国連軍の編成が決定 | ||
.09.15 | 韓国西岸の仁川に上陸作戦を敢行し、成功する | ||
.10.01 | 国連軍司令官マッカーサーは、国連軍の38度線突破を指令する 攻勢を転じた国連軍は北進を続け、中朝国境の鴨緑江に迫る勢いを見せる (此の時点でスターリンは共和国の亡命政権を中国東北部に樹立することを中国指導部に打診していた) 中国は共和国人民軍を支援して、100万の中国人民軍を派遣 | ||
1951.01.04 | ソウルが再び、中朝連合軍に占領される | ||
.04.11 | 強硬論を主張するマッカーサーは国連軍司令官を解任され、その後戦況は膠着状態に入る | ||
.07.10 | 休戦交渉の開始 |
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1952.01 | 「海洋主権宣言」を発表し、李承晩ラインの制定(参:竹島問題) 右派の一部を結集して新与党自由党を結成する | ||
.02 | 日韓会談、始まる | ||
1953.07.27 |
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1953 | 国際協力局(ICA)により年2~3億ドルの援助を受ける | ||
1955 | 韓米余剰農産物協定に締結 1950年末、対韓援助が削除され、韓国経済は破綻の様相を呈する | ||
1960 | 四月革命で李承晩政権の崩壊 | ||
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1961.07 | 軍部のクーデターにより南北統一運動を押さえ込み、軍事政権の登場 | ||
1963.10 | 朴政権の始まり(大統領就任) | ||
1965.02 | 日韓基本条約の仮調印(1965.06 正式調印) 内容:無償3億ドル、有償2億ドルを日本が韓国に供与し戦後処理を終わらす | ||
.08 | ベトナム戦争にアメリカ合衆国と共に参戦 与党共和党単独で日韓条約を批准(日韓国交の正常化) | ||
1968.01 | 青瓦台襲撃未遂事件(北の対南工作による韓国大統領府の襲撃) | ||
1972.07 | 北朝鮮と同時に南北共同声明(七・四共同声明)の発表 | ||
.10 | 維新体制(維新憲法:独裁政権の強化)を構築 | ||
1973.08 | 金大中、中央情報部により東京から拉致される | ||
1974.04 | 民青学連事件が発生(学生運動への弾圧が強まる) | ||
.08 | 大統領、狙撃事件 | ||
1975.05 | 大統領緊急措置第9号を布告し、反政府活動を全面禁止 | ||
1976.03 | 尹譜善・金大中らが発表した「三・一民主救国宣言」を決起として全面的な反政府運動へと発展する | ||
.08 | 板門店において共和国警備兵により、米兵2名殺害される | ||
1977.03 | カーター米大統領、在韓米軍の撤退を匂わす | ||
1978 | 1978年から始まった第2次オイルショックは、輸出産業に不振を極め、経済全体に波及して深刻な不況に見舞われる | ||
1979.10 | 釜山で反政府運動が始まり、鳥山などに拡大 (10.18 朴政権は非常戒厳令を発動) | ||
1979.10.26 | 朴正煕暗殺事件(朴大統領、夕食中に同席した中央情報部長に射殺される) | ||
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1979.12 | 粛軍クーデター | ||
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1980.05 | 光州事件(光州民主化運動) | ||
1987.06 |
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1987.11 | 大韓航空機事件の発生 (中東への出稼ぎ労働者たちを乗せた大韓航空機がミャンマー領海上空で、共和国工作員により爆破され、犯人として金賢姫が逮捕され、機体は消息不明のまま捜索が打ち切られる) | ||
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1987.12 | 大統領選挙で盧泰愚政権の誕生 | ||
1988.09 | ソウル五輪の開催 内政面で苦境に立った盧大統領は、国際政局の中で積極策をとり、北方外交を展開する | ||
1989.09 | 「南北交流協力に関する基本方針」の発表 | ||
1990.09 | ソ連と国交復興 | ||
1991.09 | 国連加盟(北朝鮮と同時加盟) 「朝鮮半島の非核化に関する共同宣言」「和解と不可侵および交流協力に関する合意書」の発表 ブッシュ米大統領、核兵器削減計画の発表(韓国から核兵器の撤去) | ||
1992.02 | 南北首相会議で南北合意書・非核化共同宣言の発効 | ||
.08 | 中国と国交の復興 | ||
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1992.12 | 金泳三(民自党)大統領に就任 | ||
1994 | 核危機が発生(米国の対北戦争を水際で回避) | ||
1995 | 全斗煥、盧泰愚を光州事件などに関して訴追 | ||
1997 | アジア通貨危機 | ||
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2002 | 日韓共催サッカーワールドカップ | ||
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2004.03 | 国会が盧武鉉大統領に対する弾劾訴追を可決。高建が大統領職務を代行 | ||
.04 | 総選挙でウリ党圧勝。国民、弾劾拒否の意思を示す | ||
.05 | 憲法裁判所、弾劾訴追を棄却。盧武鉉が大統領職に復帰 |
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1948.09 | 朝鮮民主主義人民共和国の建国を宣布 初代首相に金日成、副首相に朴憲永が就任する | ||||||||||||||
1949.06 | 朝鮮労働党の成立(金日成が中央委員長に就任) 朝鮮戦争後、金日成が朴憲永などを粛清 | ||||||||||||||
1953.08 | 共和国の戦後復興計画として、労働党第6回中央委員会で決定 農業協同化事業が開始 | ||||||||||||||
1956.04 | 朝鮮労働党第3回大会開催 | ||||||||||||||
.08 | ソ連派のパク・チャンオク、延安派のチェ・ジャンイクなどが金日成に粛清される | ||||||||||||||
1958.08 | 社会主義制度の確立をみる | ||||||||||||||
.10 | 中国軍、共和国より完全撤退 | ||||||||||||||
1959.08 |
日朝両国の赤十字組織で在日朝鮮人帰還協定が結ばれ、帰還事業が始まる
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1961.09 | 朝鮮労働党第4回大会開催 | ||||||||||||||
1962 | (キューバ危機:ケネディによる強硬路線にソ連弱腰になる) 共和国政府はソ連の弱腰を厳しく批判し、之に対する報復としてソ連からの援助を差し止められる | ||||||||||||||
1968.01 | プエブロ号事件 (アメリカ海軍の環境調査艦プエブロが、領海侵犯を理由に北朝鮮警備艇などから攻撃を受け拘束され、板門店での会談でアメリカは北朝鮮の用意した、スパイ活動を認める謝罪文章に調印 プエブロ号の船体は返還されず、反米宣伝に利用) | ||||||||||||||
1970.11 | 朝鮮労働党第5回大会開催 | ||||||||||||||
1972.04 | 金日成の祝賀行事の中で「主体思想」を共産主義の指導思想とする (主体思想:どのような難局に直面しても国家意思に忠実な国民) | ||||||||||||||
.07 | 南北共同声明の発表(南北間で内政面での相互不干渉の確認) | ||||||||||||||
.12 | 「朝鮮民主主義人民共和国社会主義憲法」が制定・発布される 国家主席に金日成、首都がソウルから平壌に移る | ||||||||||||||
1973 | 金日成の後継者問題が浮上し、金正日が政治の表舞台に出始める | ||||||||||||||
.03 | 「三大革命」思想・技術・文化の推進を決定するも、外貨準備がなく、70年代半ばになると対外債務の不履行が国際問題となり、共和国の在外公館が麻薬取引や武器輸出により外貨獲得が発覚し、各国で共和国外交官の退去命令が出される | ||||||||||||||
1977 | 「朝鮮民主主義人民共和国社会主義憲法」における国家の公式理念が、マルクス・レーニン主義から主体思想に変更される | ||||||||||||||
1980.10 | 朝鮮労働党第6回大会開催 | ||||||||||||||
1983.10 | ラングーン事件(ビルマの首都ラングーンで共和国工作員による全斗煥大統領の爆弾テロ未遂) 韓国、共和国との国交を断絶する | ||||||||||||||
1984.09 | 韓国政府、共和国政府からの水害救援物資送付の申し入れを受け入れる | ||||||||||||||
.11 | 板門店で、第一回南北経済会談の実現 | ||||||||||||||
1985.07 | ソウルオリンピックのボイコット方針を改める (1985年以降、貿易実績は増勢に転ずるも累積債務に苦しみ、ソ連などへの労働力輸出も行われる) | ||||||||||||||
1987.01 | 第3次7ヵ年計画(事実上最後の経済開発計画)の遂行に着手(1993年に未完遂で終わる) | ||||||||||||||
1989.06 | 平壌で世界青年学生祭典を開催 (この開催のために多額の経費を投じ、共和国の財政事情の悪化に拍車をかける) | ||||||||||||||
1991.09 | 国連加盟(大韓民国と同時加盟) | ||||||||||||||
.12 | 国連開発計画の指導に従い、豆満江下流域を「自由経済貿易地帯」にする | ||||||||||||||
1992.01 | 国際原子力機関(IAEA)の核査察協定に調印 | ||||||||||||||
.10 | 「外国人投資法」 | ||||||||||||||
1993.01 | 「自由経済貿易地帯法」の制定 | ||||||||||||||
.03 | 核不拡散条約の脱退 | ||||||||||||||
1994.07.08 | 金日成死去 | ||||||||||||||
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2000 | 韓国の金大中大統領との初めての南北首脳会談を実施。6.15南北共同宣言を発表 | ||||||||||||||
2002 | 小泉純一郎首相が平壌を訪問 日朝平壌宣言。日本人拉致の事実を認めて拉致被害者5名を日本に帰国させる | ||||||||||||||
2004 | 日本人拉致被害者の遺骨を返還 日本側が遺骨の正式調査を行い、他人の遺骨だと発表するが、北朝鮮側はこれに反発 | ||||||||||||||
.12 | 日本からの人道支援の残りの15万5000トンが停止される | ||||||||||||||
2005.02 | 核兵器製造・保有を公式に認める | ||||||||||||||
2006.07 | 日本海に向けてミサイルを7発発射(7発とも日本海に着弾) | ||||||||||||||
.07 | 国連安全保障理事会が決議第1695号を採択 | ||||||||||||||
.10 | 「核実験成功」を宣言 国連安全保障理事会が決議第1718号を採択 |
西暦 | 緯度 | 経度 | M | 死者 | 規模 | 備考 |
27 | 35.9 | 126.5 | 6.3 | some | 廣州(I=8)(10-11月) | |
89 | 35.9 | 126.5 | 6.3 | many | cons | 廣州(10-11月)I=8 |
100 | 35.5 | 129.1 | 6.3 | many | mode | 慶州(10-11月)(I=8) |
123 | 35.5 | 129.1 | 6.3 | mode | 慶州(I=8) | |
304 | 35.5 | 129.1 | 6.3 | many | some | 慶州(8-9月) |
501 | 39.01 | 125.3 | 6.3 | some | mode | 平壌(I=8)(10-11月) (502年11月?) |
664 | 35.5 | 129.1 | 6.3 | cons | 慶州(I=8) (9/12?) | |
780 | 35.5 | 129.1 | 6.3 | 100 | mode | 慶州(3-4月)(779年?) |
1036/7 | 37.6 | 126.3 | 5.7 | mode | 開城,東京,尚広,安辺符(暦換算1040/8/25が正) | |
1385/8 | 37.6 | 126.3 | 6.3 | limi | 開城 (8/1か) | |
1455/1 | 35.9 | 126.5 | 6.3 | many | cons | 全羅道・慶尚道西部(I=8) |
1518/6 | 38.07 | 126.45 | 6.7 | cons | Seoul (6/20?,7/2?) | |
1596/2 | 37.38 | 128.36 | 5.7 | limi | 江原道平昌,旌善 | |
1613/7 | 37.2 | 127 | 6.3 | mode | 京畿道(I=8) | |
1643/7 | 35.35 | 129.05 | 6.7 | some | limi | Seoul,慶尚道大邱 |
1664/8 | 35.8 | 127.42 | 6.3 | 50 | limi | 全羅道全州,鎮安(I=8) |
1668/7 | 38.52 | 125.73 | 6.4 | some | some | 平安道鉄山,平壌,黄海道 |
1670/10 | 35.9 | 126.5 | 6.3 | limi | 全羅道,慶尚道(I=8) | |
1681/6 | 37.36 | 128.63 | 6.3 | limi | 京畿道,忠清道 (6/26,27) | |
1727/6 | 39.5 | 127.3 | 5.7 | mode | 咸鏡道咸興(I=7) | |
1936/7 | 35.2 | 127.6 | 5.0 | 0 | limi | D=9 |
1978/10 | 36.6 | 126.7 | 5.0 | 0 | limi | 忠清南道洪城 |