歴史・人名

東周

東周

前770年、周王朝が都を洛邑に遷してから、滅亡した前256年までをいう。
周が都を渭水流域の鎬京においていた時期を西周というのに対して、東方の洛邑に都を遷した周の東遷の以降を東周という。周王室の実質的な支配権は失われ、封建諸侯の自立が著しかったが、特にその前半の前403年までを春秋時代、後半を戦国時代という。周王室は戦国時代には一地方政権に過ぎない存在となっていたが、それも前256年に秦に滅ぼされ、周の時代は名実共に終わる。(東周の滅亡年代は249年説もある。)