歴史・人名

松前家

松前家 松前藩

 丸に武田菱        3万石

蝦夷地福山(北海道松前郡松前町) 外様 城主

移封加減増履歴 ・慶長9年→蝦夷福山無高・享保4年→1万石格・文化4年→陸奥梁川9000石・文政4年→蝦夷福山1万石格・安政2年→3万石
専売品&専売開始年・紫根/鯣(するめ 安政頃)   
江戸城詰席・柳之間 子爵 上屋敷・下谷新寺町
参勤・寛永13年~慶安元年は3年に1勤、慶安2年~延宝6年は2年に1勤、延宝7年~元禄4年は3年に1勤、元禄11年以降は6年に1勤
参府は10月~11月、翌年2月~3月に国元へが通例
人口・全領地総計2万7111人、家数7472軒

                                     寛政9年(1797)現在

当家の藩政改革はこちらを参照
蝦夷地における豪商の活動(未完)はこちら

藩祖・松前慶広(よしひろ)
家臣蠣崎季広の三男、母は家臣河野季通の娘
生没・天文17年(1548)~元和2年(1616)
家督・天正10年(1582)相続
従五位下伊豆守
正室・家臣村上季儀の娘 
子女・養子公広(2代)

2代・松前公広(きんひろ)
藩祖慶広の長男盛広の長男 母は家臣下国直季の娘
生没・慶長3年(1598)~寛永18年(1641)
家督・元和3年(1617)相続
従五位下志摩守
正室・大炊御門資賢の娘(資賢の名は大炊御門家嫡流に見あたらず、あるいは改名したものか)
子女・3代松前氏広

3代・松前氏広(うじひろ)
公広次男 母は正室大炊御門資賢の娘
生没・元和8年(1622)~慶安元年(1648)
家督・寛永18年(1641)相続
正室・家臣蠣崎友広の娘 
子女・4代高広

4代・松前高広(たかひろ)
松前氏広長男、母は家臣蠣崎友広の娘
生没・寛永20年(1643)~寛文5年(1665)
家督・慶安元年(1648)相続
従五位下志摩守
正室・家臣蠣崎利広の娘
子女・5代松前矩広

5代・松前矩広(のりひろ)
高広長男、母は家臣蠣崎利広の娘
生没・万治2年(1659)~享保5年(1720)
家督・寛文5年(1665)相続
従五位下志摩守
正室・唐橋在勝の娘
子女・養子松前邦広(6代)

6代・松前邦広(くにひろ)
家臣松前本広の六男 母は家臣杉原正長の娘
生没・宝永2年(1705)~寛保3年(1743)
家督・享保6年(1721)相続
従五位下志摩守
正室・高野保光の娘
継室・家臣土橋武則の娘
子女・7代松前資広 女子→高野隆古室 
俊則(大和柳生藩柳生俊峰養子)

7代・松前資広(すけひろ)
邦広長男 母は家臣土橋武則の娘
生没・享保11年(1726)~明和2年(1765)
家督・寛保3年(1743)相続
従五位下若狭守
正室・八条隆英の娘
子女・8代松前道広

8代・松前道広(みちひろ)
資広長男、母は正室八条隆英の娘
生没・宝暦4年(1754)~天保3年(1832)
家督・明和2年(1765)相続
従五位下志摩守
寛政4年(1792)隠居
正室・花山院常雅の娘
子女・9代松前章広

9代・松前章広(あきひろ)
道広長男 母は平田氏
生没・安永4年(1775)~天保4年(1833)
家督・寛政4年(1792)相続
寛政11年(1799)東蝦夷地を上知される
文化4年(1807)陸奥国伊達郡梁川へ移封される
文政4年(1821)旧領へ復す
従五位下若狭守
正室・なし
子女・女子→高野保右室 見広 
崇広(11代松前昌広養子、12代)

10代・松前良広(よしひろ)
章広の次男見広の長男 母は村山氏 
生没・文政6年(1823)~天保10年(1839)
家督・天保5年(1834)相続
正室・なし
子女・養子松前昌広(11代)

11代・松前昌広(まさひろ)
9代章広の次男見広の次男 母は村上氏  
生没・文政8年(1825)~嘉永6年(1853)
家督・天保10年(1839)相続
従五位下志摩守
嘉永2年(1849)隠居
正室・西尾藩松平乗全の娘
子女・徳広(崇広養子、13代) 
養子松前崇広(12代)

12代・松前崇広(たかひろ)
9代章広の六男 母は笠島氏
生没・文政12年(1829)~慶応2年(1866)
家督・嘉永2年(1849)相続
安政2年(1855)東在・木古内村以東、西在・乙部村以北の地が幕領となり、替地として陸奥国伊達郡梁川・出羽国村山郡東根に合わせて3万石を与えられる
元治元年(1864)7月老中(格)、同年11月老中に進む
従四位下伊豆守
正室・中村藩相馬益胤の娘
子女・養子徳広(13代) 
女子→足利藩戸田忠行室 
女子→天童藩織田信敏室
女子→喜連川藩喜連川縄氏室

13代・松前徳広(のりひろ)
11代昌広の長男 母は山崎氏
生没・弘化元年(1844)~明治元年(1868)
家督・慶応2年(1866)相続
明治元年旧幕府軍に福山を攻められ、館に新城を築いて移る
従五位下志摩守
正室・岩村田藩内藤正縄の娘
子女・14代松前脩広

14代・松前脩広(ながひろ)
徳広長男 母は正室内藤正縄の娘
生没・慶応元年(1865)~明治38年(1905)
家督・明治2年(1869)相続
旧幕府軍と戦い功があり、明治2年賞典禄2万石を下賜される、同年館藩知事
従五位下


松前家 松前藩 丸に武田菱        3万石
蝦夷地福山(北海道松前郡松前町) 外様 城主
移封加減増履歴 ・慶長9年→蝦夷福山無高・享保4年→1万石格・文化4年→陸奥梁川9000石・文政4年→蝦夷福山1万石格・安政2年→3万石

専売品&専売開始年・紫根/鯣(するめ 安政頃)   
江戸城詰席・柳之間 子爵 上屋敷・下谷新寺町
参勤・寛永13年~慶安元年は3年に1勤、慶安2年~延宝6年は2年に1勤、延宝7年~元禄4年は3年に1勤、元禄11年以降は6年に1勤
参府は10月~11月、翌年2月~3月に国元へが通例
人口・全領地総計2万7111人、家数7472軒
寛政9年(1797)現在

藩祖・松前慶広(よしひろ)

松前藩藩主

藩祖松前慶広(よしひろ)家臣蠣崎季広の三男家督・天正10年(1582)相続従五位下伊豆守
2代松前公広(きんひろ)藩祖松前慶広の長男松前盛広の長男家督・元和3年(1617)相続従五位下志摩守
3代松前氏広(うじひろ)松前公広次男家督・寛永18年(1641)相続
4代松前高広(たかひろ)松前氏広長男家督・慶安元年(1648)相続従五位下志摩守
5代松前矩広(のりひろ)松前高広長男家督・寛文5年(1665)相続従五位下志摩守
6代松前邦広(くにひろ)家臣松前本広の六男家督・享保6年(1721)相続従五位下志摩守
7代松前資広(すけひろ)松前邦広長男家督・寛保3年(1743)相続従五位下若狭守
8代松前道広(みちひろ)?松前資広長男家督・明和2年(1765)相続従五位下志摩守
9代松前章広(あきひろ)松前道広長男家督・寛政4年(1792)相続従五位下若狭守
10代松前良広(よしひろ)松前章広の次男松前見広の長男家督・天保5年(1834)相続
11代松前昌広(まさひろ)9代松前章広の次男松前見広の次男家督・天保10年(1839)相続従五位下志摩守
12代松前崇広(たかひろ)9代松前章広の六男家督・嘉永2年(1849)相続従四位下伊豆守
13代松前徳広(のりひろ)11代松前昌広の長男家督・慶応2年(1866)相続従五位下志摩守
14代松前脩広(ながひろ)松前徳広長男家督・明治2年(1869)相続従五位下

系図
(←蠣崎家)━蠣崎慶広━┳━松前盛広
      (松前慶広)┣
            ┣
            ┣━松前由広
            └(松前公広・養子)━┳━
                       ┗━松前氏広━━━松前高広━━━━┓
                                        ┃
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
松前矩広───(松前邦広・養子)━┳━松前資広━━━松前道広━━━松前章広━━┓
                  ┗━女子                  ┃
                                        ┃
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
松前章広━┳━女子
      ┣━
      ┣━松前見広━┳━松前良広──(松前昌広・養子)━┯━松前徳広
      ┣━     ┗━松前昌広            └(松前崇広・養子)
      ┣━
      ┣━
      ┗━松前崇広──(松前徳広・養子)━━━松前脩広


江戸大名公家