歴史・人名

牧野家(丹後田辺藩)

江戸大名公家

牧野家 丹後田辺藩  丸に三つ柏  

                                                3万5000石

丹後加佐郡田辺(京都府舞鶴市) 譜代 城主

移封加減増履歴・寛永10年→武蔵石戸1万1000石・正保元年→下総関宿1万7000石・承応3年→2万7000石・明暦2年→摂津河内の内で3万2600石・寛文8年→丹後田辺3万5000石
江戸城詰席・雁之間 子爵   上屋敷・江戸橋向
参勤・参府は6月で丑卯巳未酉亥の年、帰国も6月で子寅辰午申戌の年
人口・5万5076人、家数1万2541軒
                      明治2年現在
当家と長岡藩牧野家は縁戚関係にある。
明治2年(1869)藩名を舞鶴に改めている。
 

藩祖・信成(のぶしげ)
旗本牧野康成の三男 母は小笠原氏
生没・天正6年(1578)~慶安3年(1650)
慶長4年(1599)家督相続し5000石を知行する
大番頭、小姓組番頭、書院番頭を歴任し、大坂の役では大坂城の櫓を大砲で破壊する功を立てる
寛永10年(1633)加増されて1万1000石となる
従四位下内匠頭
正保4年(1647)隠居
正室・鳥居忠政の養女(沼田藩藩祖土岐定義の妹)
継室・生駒満正の娘
子女・2代親成 尹成(別家) 永成(別家)
富成(親成養子、3代) 直成(旗本村越吉勝養子) 女子→白河藩阿部正能室
女子→谷田部藩細川興隆室
女子→佐伯藩毛利高直室、後に大久保忠佐の嫡子忠兼室(忠佐は沼津藩主、忠兼の病没により無嗣除封)

2代・親成(ちかしげ)
信成長男 母は正室鳥居忠政の養女
生没・慶長12年(1607)~延宝5年(1677)
家督・正保4年(1647)相続
書院番頭、側衆、京都所司代を歴任
従四位下侍従兼佐渡守
延宝元年(1673)隠居
正室・小浜藩酒井忠勝の養女(旗本高木正綱の娘)
子女・女子→林田藩建部政明室、後に沼田藩土岐頼殷室 養子富成(3代)

3代・富成(とみしげ)
藩祖信成の八男 母は継室生駒満正の娘
生没・寛永5年(1628)~元禄6年(1693)
家督・延宝元年(1673)相続
従五位下因幡守
正室・豊岡藩京極高三の娘
継室・藤波徳忠の娘
子女・養子英成(4代)
養女(林田藩建部政明の娘)→綾部藩九鬼隆常室 養女(村越直成の娘、直成は藩祖信成の子)→三上藩遠藤常春室、後に旗本久永信豊室

4代・英成(ひでしげ)
藩祖信成の子村越直成の長男 母は三好氏
生没・寛文11年(1671)~寛保元年(1741)
家督・元禄6年(1693)相続
奏者番、寺社奉行、京都所司代を歴任す
従四位下侍従兼河内守
元文2年(1737)隠居
正室・盛岡藩南部行信の娘
子女・5代明成 
女子→伊勢崎藩酒井忠告室
女子→藤波徳忠養女
女子→谷田部藩細川興虎室

5代・明成(あきしげ)
英成次男 母は平井氏
生没・宝永元年(1704)~寛延3年(1750)
家督・元文2年(1737)相続
従五位下因幡守
正室・西尾藩松平乗邑の娘
子女・6代惟成 女子→豊後府内藩松平近形室
女子→山家藩谷衛秀室

6代・惟成(これしげ)
明成長男 母は正室松平乗邑の娘
生没・享保13年(1728)~天明3年(1783)
家督・寛延3年(1750)相続
従五位下豊前守
正室・盛岡藩南部利視の娘
子女・7代宣成 
女子→小松藩一柳頼欽室、後に旗本松平正愛室

7代・宣成(ふさしげ)
惟成長男 母は某氏 
生没・明和元年(1764)~文化8年(1811)
家督・天明3年(1783)相続
従五位下佐渡守
文化元年(1804)隠居
正室・姫路藩酒井忠恭の娘
子女・8代以成 允成 登成
女子→久留里藩黒田直方
女子→伊勢崎藩酒井忠寧室
女子→長島藩増山正寧室

8代・以成(もちしげ)
宣成長男 母は正室酒井忠恭の娘
生没・天明8年(1788)~天保4年(1833)
家督・文化元年(1804)相続
従五位下豊前守
文政8年(1825)隠居
正室・佐野藩堀田正敦の娘
継室・延岡藩内藤政韶の娘
継室・宇都宮藩戸田忠翰の娘
子女・養子節成(9代)

9代・節成(ときしげ)
7代宣成の子允成の長男 母は田中氏 
生没・文化7年(1810)~文久元年(1861)
家督・文政8年(1825)相続
従五位下河内守
嘉永5年(1852)隠居
正室・篠山藩青山忠裕の養女(郡上藩青山幸孝の娘)
子女・10代誠成 女子→岩村藩松平乗喬室
女子→篠山藩青山忠敏室
女子→下手渡藩立花種恭室
女子→生実藩森川俊方室

10代・誠成(たかしげ)
節成長男 母は正室青山忠裕の養女 
生没・天保3年(1832)~明治2年(1869)
家督・嘉永5年(1852)相続
従五位下河内守
正室・三田藩九鬼隆徳の娘