歴史・人名

西園寺家

江戸大名公家

西園寺 (さいおんじ)家 清華家 旧家 外様
                         597石
藤原氏北家公季流 閑院家 公爵
居所・新在家東側(京都市上京区)
累代琵琶を家業とする。
37代公望は戊辰戦争で功があり賞典禄300石を下賜される。
 
19代・実益(さねます)
18代西園寺公朝の子 母は万里小路秀房の娘
生没・永禄3年(1560)~寛永9年(1632)
従一位右大臣
正室・久我晴通の娘
子女・20代公益

20代・公益(きんます)
実益の子 母は正室久我晴通の娘
生没・天正10年(1582)~寛永17年(1640)
従一位内大臣
正室・不詳
子女・21代実晴 季光(大宮家家祖)

21代・実晴(さねはる)
公益の子 母は某氏
生没・慶長6年(1601)~寛文13年(1673)
従一位左大臣
正室・源忠隆の娘
子女・22代公満 公遂 公宣

22代・公満(きんみつ)
実晴の子 母は正室源忠隆の娘 
生没・元和9年(1623)~慶安4年(1651)
従二位左近衛中将
正室・棚倉藩松平康重の娘
子女・23代実尚 女子→久我通名室
23代・実尚(さねひさ)
公満の子 母は正室松平康重の娘
生没・正保2年(1645)~万治3年(1660)
正四位下左近衛中将
正室・不詳
子女・養子公宣(24代)

24代・公宣(きんのぶ)
21代実晴の子 母は某氏
生没・寛文4年(1664)~寛文9年(1669)
従五位下侍従
正室・なし
子女・養子公遂(25代)

25代・公遂()
21代実晴の子 母は某氏
生没・寛文3年(1663)~延宝6年(1678)
従三位左近衛中将
正室・不詳
子女・養子実輔(26代)
26代・実輔(さねすけ)
鷹司房輔の子 母は長州藩毛利秀就の娘
生没・寛文元年(1661)~貞享2年(1685)
正三位権中納言
正室・不詳
子女・27代致季
27代・致季(これすえ)
実輔の子 母は某氏
生没・天和3年(1683)~宝暦6年(1756)
従一位左大臣
正室・不詳
子女・28代公晃 雅香(飛鳥井雅豊養子)
宣季(小倉凞季養子) 誠季(今出川公詮養子)
実理(橋本実文養子) 貞季(大宮昌季養子)
28代・公晃(きんあき)
致季の子 母は某氏
生没・元禄15年(1702)~明和7年(1770)
従一位内大臣
正室・今出川伊季の娘
子女・29代賞季 実種(今出川公言養子) 
実祖(徳大寺公城養子)
29代・賞季(よしすえ)
公晃の子 母は正室今出川伊季の娘
生没・寛保3年(1743)~寛政11年(1799)
従一位右大臣
正室・近衛内前の猶子(広幡長忠の娘)
子女・30代公兼 養子実韶 公氏 養子寛季
女子→野宮定業室 
女子(宝樹院)→長門府中藩毛利匡芳室
女子(鏡貞院)→長門府中藩毛利匡芳継室
30代・公兼(きんかね)
賞季の子 母は某氏
生没・明和2年(1765)~明和9年(1772)
従五位上
正室・なし
子女・31代実韶

31代・実韶(さねつぐ)
一条輝良の子 母は某氏
生没・安永6年(1777)~天明6年(1786)
正四位下左近衛中将
正室・なし
子女・養子公氏(32代)

32代・公氏(きんうじ)
29代賞季の子 母は某氏
生没・安永6年(1777)~寛政5年(1793)
正四位下左近衛少将
正室・不詳
子女・養子寛季(33代)

33代・寛季(ひろすえ)
二条治孝の子 母は水戸藩徳川宗翰の娘
生没・天明6年(1786)~安政3年(1856)
従二位権中納言
正室・大谷光暉の娘
継室・正親町公明の娘
子女・34代治季 養子公潔

34代・治季(はるすえ)
寛季の子 母は継室正親町公明の娘
生没・文化6年(1809)~文政9年(1826)
従三位左近衛中将
正室・不詳
子女・養子公潔(35代) 師季

35代・公潔(きんずみ)
有栖川宮韶仁親王の王子 母は閑院宮美仁親王の王女
生没・文化15年(1818)~天保7年(1836)
従三位右近衛中将
正室・不詳
子女・養子師季(36代)

36代・師季(もろすえ)
34代治季の子 母は某氏
生没・文政9年(1826)~嘉永4年(1851)
正三位右近衛中将
正室・徳大寺実堅の娘
子女・養子公望(37代)

37代・公望(きんもち)
徳大寺公純の子 母は某氏
生没・嘉永2年(1849)~昭和15年(1940)
従一位、内閣総理大臣
正室・不詳
子女・養子八郎(38代、長州藩毛利元徳の子)
養子威麿(徳大寺公純の子、後に実家へ戻る)