歴史・人名

足利義政

天皇家?

義政は、はじめ政治に積極的であったが、政治的な素質に乏しかったためか、次第に無関心となり、後には日野重子(母)・今参局(乳母)・伊勢貞親(傅役)・烏丸資任・細川勝元(管領)ら側近に任せてしまった。世はみだれ、義政の代だけでも徳政令が13回も出される始末。有名な応仁の乱の時代の将軍である。
当初実子がなく弟義視を後嗣に定めたが、後に義尚が生まれる。義尚を後継者にしようとして細川勝元らと対立し応仁の乱が起きる。
名前 第8代将軍足利義政、初名=義成
親族 父=足利義教(よしのり) 母=日野重子
妃=日野富子----子=足利義尚
略歴 (15世紀)
1463-癸未-寛正04年01月02日 生誕
1449-己巳-宝徳元年04月29日 将軍に就任
1473-癸巳-文明05年12月19日 将軍職を息子の義尚に譲り隠居。
1490-庚戌-延徳02年01月07日 死亡