歴史・人名

錦小路家

錦小路家(半家)

錦小路幸基━━━錦小路篤忠━━━錦小路定基━━━錦小路秀直━━━錦小路盛直━━┓
                                       ┃
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
┗━錦小路頼庸(再興)━━━━━┳━錦小路尚秀(養子)━━━━━━━━━━━━┓
  (父:宮内大輔 舟橋頼季) ┃ (父:権大納言 岡崎国久)        ┃
  (義父:刑部卿 錦小路盛直)┃ (義父:右京権大夫 錦小路頼庸)     ┃
                ┗━錦小路見性院 中御門院町局 伊予(養子) ┃
                  (父:小森頼季、義父:権中納言 石井行康)┃
                                       ┃
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
┗━錦小路頼尚━┳━錦小路頼理
        ┗━錦小路津守国礼(津守氏へ)

錦小路頼理

  生没年:1767-1827
  父:修理大夫 錦小路頼尚
    1774 正六位上
    1774 民部大丞
    1774 蔵人
    1776 治部権大輔
    1776 従五位下
    1777 典薬頭
    1777 右馬頭
    1779 従五位上
    1783 正五位下
    1786 従四位下
    1788 中務権少輔
    1790 従四位上
    1793 正四位下
    1794 中務大輔
    1799 従三位
    1804 正三位
    1805-1827 修理大夫
    1815 踏歌外弁
  妻:玉泉院 日野矩子(父:権大納言 日野資矩)
    1803-1851 頼易
    -1866 やす姫(義父:松波光寧、浅野高平室)

錦小路頼易

  生没年:1803-1851
  父:修理大夫 錦小路頼理
    1831 右京大夫
    1833 従四位上
    1834 中務権少輔
    1837 正四位下
    1844 中務少輔
  妻:
    1831-1853 祥姫
    1835-1864 (養子)頼徳

錦小路頼徳

  生没年:1835-1864
  父:文章博士 唐橋在久?
  父:大蔵卿 豊岡治資?
  義父:右京大夫 錦小路頼易
    別名:桑原頼太郎
    1851 従五位下
    1853 大和権介
    1855 従五位上
    1858 従四位下
    1862 右馬頭
    1862 従四位上
    1870 贈正四位
  妻:重姫(父:参議 唐橋在経)
    1851-1871 誠子(東久世通暉室)
    慶子(夫:錦小路頼言、義父:左近衛権中将 小倉輔季)
    1856-1934 経子(栗山三郎室)
    1852-1884 (養子)頼言

錦小路頼言

  生没年:1852-1884
  父:左近衛権中将 小倉輔季
  義父:右馬頭 錦小路頼徳
    従五位
    丹波権介
  妻:錦小路慶子(父:右馬頭 錦小路頼徳、義父:左近衛権中将 小倉輔季
    1879-1897 益子
    1880- 徳子

錦小路益子 

  生没年:1879-1897
  父:錦小路頼言
    1880-1898 当主
  夫:子爵 錦小路在明

錦小路在明 

  生没年:1869-1911
  父:子爵 唐橋在綱
    1898-1911 子爵
    東宮主事
  妻:錦小路益子
    1903-1950 (養子)頼孝

錦小路頼孝 

  生没年:1903-1950
  父:子爵 唐橋在正
  義父:子爵 錦小路在明
    初名:唐橋在孝
    1912-1947 子爵
    1939 貴族院議員
  妻:油小路昊子(父:伯爵 油小路隆元)
    1930- 達子(夫:林勇三)
    1934-1992 頼昭
    1937- 素子(夫:中村良一)
    1942- 邦子
    1944- 頼忠

錦小路頼昭 

  生没年:1934-1992
  父:子爵 錦小路頼孝
  妻:鈴木正子1935-(父:鈴木信男)
    1972- 尚宏


錦小路家(半家)
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錦小路幸基

  生没年:
  父:典薬頭 丹波重直
    初名:丹波頼直
    典薬頭
    1429 従三位
    1431 出家
  妻:
    篤忠

錦小路篤忠

  生没年:
  父:典薬頭 錦小路幸基
    典薬頭
    治部卿
    右京大夫
    1460 従三位
    1464 正三位
    1465 出家
  妻:
    定基

錦小路定基

  生没年:
  父:典薬頭 錦小路篤忠
    正四位下
  妻:
    秀直

錦小路秀直

  生没年:
  父:錦小路定基
    別名:季直
    正四位上
    典薬頭
    左馬頭
    大膳大夫
  妻:
    1493-1548 盛直

錦小路盛直

  生没年:1493-1548
  父:典薬頭 錦小路秀直
    1495 従五位下
    1505 刑部少輔
    1508 従五位上
    1512 正五位下
    1516 従四位下
    1520 従四位上
    1521 施薬院使
    1523 典薬頭
    1523 侍医
    1536 正四位下
    1536 刑部卿
    1541 従三位
    1543-1548 相模下向
  妻:
    1667-1735 (再興)頼庸

錦小路頼庸

  生没年:1667-1735
  父:宮内大輔 舟橋頼季
  義父:刑部卿 錦小路盛直
    1707 錦小路家再興
    右京権大夫
    典薬頭
    従四位上
  妻:
    1705-1756 (養子)尚秀
    (養子)見性院 中御門院町局 伊予(父:小森頼季、義父:権中納言 石井行康)

錦小路尚秀

  生没年:1705-1756
  父:権大納言 岡崎国久
  義父:右京権大夫 錦小路頼庸
    初名:宗春
    1723 正六位上
    1723 式部大丞
    1723 蔵人
    1724 典薬助
    1726-1735 典薬頭
    1735 従五位下
    1735 図書頭
    1736 従五位上
    1737 正五位下
    1742 従四位下
    1747 従四位上
    1751 正四位下
    1756 従三位
  妻:(父:右京権大夫 津守国該)
    1743-1797 頼尚

錦小路頼尚

  生没年:1743-1797
  父:図書頭 錦小路尚秀
    1757 正六位上
    1757 式部大丞
    1757 蔵人
    1757 典薬助
    1761-1776 典薬頭
    1765 図書頭
    1765 従五位下
    1766 従五位上
    1767 正五位下
    1767 中務少輔
    1769 従四位下
    1771 従四位上
    1772 中務大輔
    1773 正四位下
    1777 修理大夫
    1777 従三位
    1781 踏歌外弁
    1782 正三位
  妻:(父:権大納言 日野資枝)
  女:家女房
    1767-1827 頼理
    1773-1846 津守国礼(津守氏へ)

錦小路頼理

  生没年:1767-1827
  父:修理大夫 錦小路頼尚
    1774 正六位上
    1774 民部大丞
    1774 蔵人
    1776 治部権大輔
    1776 従五位下
    1777 典薬頭
    1777 右馬頭
    1779 従五位上
    1783 正五位下
    1786 従四位下
    1788 中務権少輔
    1790 従四位上
    1793 正四位下
    1794 中務大輔
    1799 従三位
    1804 正三位
    1805-1827 修理大夫
    1815 踏歌外弁
  妻:玉泉院 日野矩子(父:権大納言 日野資矩)
    1803-1851 頼易
    -1866 やす姫(義父:松波光寧、浅野高平室)

錦小路頼易

  生没年:1803-1851
  父:修理大夫 錦小路頼理
    1831 右京大夫
    1833 従四位上
    1834 中務権少輔
    1837 正四位下
    1844 中務少輔
  妻:
    1831-1853 祥姫
    1835-1864 (養子)頼徳

錦小路頼徳

  生没年:1835-1864
  父:文章博士 唐橋在久?
  父:大蔵卿 豊岡治資?
  義父:右京大夫 錦小路頼易
    別名:桑原頼太郎
    1851 従五位下
    1853 大和権介
    1855 従五位上
    1858 従四位下
    1862 右馬頭
    1862 従四位上
    1870 贈正四位
  妻:重姫(父:参議 唐橋在経)
    1851-1871 誠子(東久世通暉室)
    慶子(夫:錦小路頼言、義父:左近衛権中将 小倉輔季)
    1856-1934 経子(栗山三郎室)
    1852-1884 (養子)頼言

錦小路頼言

  生没年:1852-1884
  父:左近衛権中将 小倉輔季
  義父:右馬頭 錦小路頼徳
    従五位
    丹波権介
  妻:錦小路慶子(父:右馬頭 錦小路頼徳、義父:左近衛権中将 小倉輔季
    1879-1897 益子
    1880- 徳子

錦小路益子 

  生没年:1879-1897
  父:錦小路頼言
    1880-1898 当主
  夫:子爵 錦小路在明

錦小路在明 

  生没年:1869-1911
  父:子爵 唐橋在綱
    1898-1911 子爵
    東宮主事
  妻:錦小路益子
    1903-1950 (養子)頼孝

錦小路頼孝 

  生没年:1903-1950
  父:子爵 唐橋在正
  義父:子爵 錦小路在明
    初名:唐橋在孝
    1912-1947 子爵
    1939 貴族院議員
  妻:油小路昊子(父:伯爵 油小路隆元)
    1930- 達子(夫:林勇三)
    1934-1992 頼昭
    1937- 素子(夫:中村良一)
    1942- 邦子
    1944- 頼忠

錦小路頼昭 

  生没年:1934-1992
  父:子爵 錦小路頼孝
  妻:鈴木正子1935-(父:鈴木信男)
    1972- 尚宏


半家 (錦小路)
家系別分類表
錦小路
【にしきこうじ】
本姓:丹波氏。華族類別録第七十三類。 旧家 外様 近衛家門流
丹波氏は元姓坂上氏で、後漢霊帝の後裔といわれる(系図は丹波氏を参考)。丹波宿禰を賜った康頼を祖とする。 長直の時、錦小路を号する〔※現代華族譜要によると、寛永4年森頼季の男頼庸其の中絶を再興して宝永4年錦小路と改称とある〕。国史大系の公卿補任の校訂では、永享元(1429)年初見の重直の子幸基と、庶流の頼秀の子頼量から錦小路姓が付されている。嫡流は幸基以降、篤忠、定基、秀直、盛直と続くが中絶する。その後、江戸時代に船橋頼季の子小森頼庸が再興し、 その後、享保20年3月18日(1735年4月10日)に堂上に列せられた。
家紋 梅。
家業 医道〔現代華族譜要此同〕。
江戸期石高 御蔵米30石。
明治期爵位 子爵。明治31(1898)年3月24日在明子爵授爵〔現代華族譜要〕。
菩提所 高雲寺。
居所 富小路丸太町。
錦小路家系図

幸基までの系図と、頼量-頼直、親康の系図は丹波氏を参照。
幸基 ━ 篤忠 ━ 定基 ━ 秀直 ━ 盛直 ━ 頼庸 ┳ 尚秀 ⇒
  ┗ 女子(実小森頼季女。石井行康養女。
  中御門院町局。初称伊予。
  左衛門佐。号見性院)
⇒ 頼尚 ┳ 頼理 ┳ 頼易 ┳ 頼徳 ┳ 頼言(実小倉輔季六男。丹波権介。 ⇒
  ┃   ┃   ┃   ┃
嘉永5年11月14日(1852年12月24日)生)
  ┃   ┃   ┃   ┣ 女子(誠子。東久世通暉妻)
  ┃   ┃   ┃   ┣ 女子(慶子。頼言妻)
  ┃   ┃   ┃   ┗ 女子(経子。栗山三郎妻)
  ┃   ┃   ┗ 女子(祥姫)
  ┃   ┗ 女子(やす姫。松波光寧養女。浅野高平妻)
  ┗ 国礼(為津守国頼実子)
⇒ ┳ 頼功 (母頼徳二女慶子。明治8(1875)年6月25日生。  
  ┃   同年8月12日卒)
  ┃   ※以下、現代華族譜要等による。
  ┗ 益子 (頼言二女。 ⇒
      明治12(1879)年1月11日生〔華族名鑑〕。
      明治13(1880)年12月承〔華族家系大成〕。
      明治31(1898)年3月隠〔華族家系大成〕。
      明治31(1898)年5月逝)
⇒ 在明 (実唐橋在綱四男。東宮主事。
    明治2年7月9日(1869年8月16日)生〔華族名鑑〕。
    明治44年11月没。
    夫人頼言二女益子)
■色の名前はポップアップで経歴表示。〔系図の見方〕
■色の名前は公卿。
錦小路 幸基(本名頼直) [ 生没年不明 ]
重直男。法名・性通。
永享元(1429)年初見(非参議従三位)。
永享3年3月24日(ユリウス暦:1431年5月5日)出家。
従三位・非参議。
※本名は、知譜拙記による。
錦小路 篤忠 [ 生没年不明 ]
幸基男。
長禄4年正月6日(ユリウス暦:1460年1月29日)叙従三位。
寛正6年10月20日(ユリウス暦:1465年11月8日)出家。
正三位・非参議。
錦小路 親康 [ 生没年不明 ]
治康男。
永正10(1513)年初見、非参議・従三位。
永正17年3月3日(ユリウス暦:1520年3月21日)出家。
従三位・非参議。
錦小路 頼量 [ 文明3(1471)年 ~ 享禄2(1529)年 ]
頼秀男。法名・道清。
大永元(永正18)年4月1日(ユリウス暦:1521年5月7日)叙従三位。
大永6(1526)年10月出家。
正三位・非参議。
錦小路 盛直 [ 明応2(1493)年 ~ 天文17年正月11日(ユリウス暦:1548年2月20日) ]
正四位上行典薬頭秀直〔家譜作季直〕朝臣男。
天文10(1541)年叙従三位〔系図纂要によれば9月21日〕。
従三位・非参議。
錦小路 頼直 [ 文亀元(1501)年 ~ 天文13(1544)年10月 ]
頼量男。
天文12年9月26日(ユリウス暦:1543年10月24日)叙従三位。
従三位・非参議。
錦小路 尚秀 [ 宝永2年9月1日(1705年10月18日) ~ 宝暦6年9月8日(1756年10月1日) ]
右京権大夫頼庸朝臣男(実岡崎国久次男)。母家女房(実母家女房)。
宝暦6年9月6日(1756年9月29日)叙従三位。
従三位・非参議。
系図纂要によれば、本名宗春。
錦小路 頼尚 [ 寛保3年10月5日(1743年11月20日) ~ 寛政9年10月8日(1797年11月25日) ]
尚秀男。母右京権大夫津守国該宿禰女。
乗雲院〔系図纂要〕。
安永6年4月28日(1777年6月3日)叙従三位。
正三位・非参議。
※生年日は、系図纂要作2日。
公卿補任尻付
宝暦7年6月26日(1757年8月10日)元服。
同日正六位上。任式部大丞補蔵人。聴禁色昇殿。同日拝賀。
宝暦7年12月25日(1758年2月3日)兼典薬助。
宝暦9年5月15日(1759年6月9日)兼親王蔵人。
宝暦11年9月8日(1761年10月5日)転典薬頭。
明和元年12月13日(1765年1月4日)転極﨟。
明和2年11月20日(1766年1月1日)任図書頭叙従五位下(典薬如故)。
明和3年正月9日(1766年2月17日)叙従五位上(連年)。
明和4年正月9日(1767年2月7日)叙正五位下(連年)。
明和4年3月28日(1767年4月26日)任中務少輔(頭如故)。
明和6年正月9日(1769年2月15日)叙従四位下。
明和8年正月10日(1771年2月24日)叙従四位上。
明和9年10月2日(1772年10月27日)転中務大輔(頭如故)。
安永2年12月19日(1774年1月30日)叙正四位下。
安永5年3月24日(1776年5月11日)辞典薬頭。
錦小路 頼理 [ 明和4年2月9日(1767年3月8日) ~ 文政10年3月22日(1827年4月17日) ]
頼尚男。母日野資枝女(実母家女房)。
明覚院春巖慈芳〔系図纂要〕。
寛政11年正月27日(1799年3月3日)叙従三位〔家譜・経済雑誌社編国史大系第11巻公卿補任作5日〕。
文化元年7月28日(1804年9月2日)叙正三位。
文化2年正月26日(1805年2月25日)任修理大夫。3月22日拝賀。
文政10年3月22日(1827年4月17日)辞大夫〔家譜作23日〕。同日薨。
正三位・非参議。
公卿補任尻付
安永3年11月25日(1774年12月27日)元服聴昇殿。
同日任叙民部大丞正六位上(8歳)。
同年同月29日補蔵人聴禁色。
同年12月15日拝賀従事。
安永4年11月18日(1775年12月10日)任治部権大輔叙従五位下(9歳)。同日聴還昇。
安永5年3月26日(1776年5月13日)兼典薬頭。
同年5月18日辞典薬頭。
同年9月16日任右馬頭(10歳)。
安永8年3月19日(1779年5月5日)叙従五位上(13歳)。
天明3年正月13日(1783年2月14日)叙正五位下(17歳)。
天明4年9月7日(1784年10月20日)服解(母)。同年10月28日除服出仕復任。
天明6年12月19日(1787年2月6日)叙従四位下(20歳)〔家譜作天明6年12月13日叙正五位上〕。
天明8年3月16日(1788年4月21日)任中務権少輔(22歳)〔家譜作中務少輔〕。
寛政2年正月5日(1790年2月18日)叙従四位上(24歳)〔家譜作寛政3年正月5日(1791年2月7日)〕。
寛政5年2月19日(1793年3月30日)叙正四位下(27歳)。
寛政6年6月20日(1794年7月16日)転中務大輔(28歳)。
寛政9年10月8日(1797年11月25日)服解(父)。
同年11月28日除服出仕復任。
※家譜によれば、生年月は3月。
※没日は、家譜によると、23日。