歴史・人名

大航海時代になぜ植民地にならなかった?

スペインに日本征服を断念させた武力と知性(上)大航海時代になぜ植民地にならなかった? 宣教師が伝えた「日本人に勝てる民族はいない」
4/6(木) 17:00配信

379
コメント379件

夕刊フジ
大阪城・豊國神社に建つ豊臣秀吉像

【本当に強かった日本】

教科書の日本史を見ても、なかなか分からないことがある。例えば、「日本が大航海時代に植民地にならなかったのはなぜか」という疑問もその一つ。この謎は、世界との関係の中に答えがありそうである。当時の欧州人が戦国日本をどのように見ていたか探ってみよう。

【画像】フランシスコ・ザビエル「日本人に勝てる他の民族はいない」

イエズス会のフランシスコ・ザビエルの報告には、以下のようにある。

「あらゆる民族の人々と話してきたが、日本人こそ一番良い発見であった。キリスト教以外の宗教を信仰する民族の中で、日本人に勝てる他の民族はいない」「人々の大半が読み書きの能力を備えている」「神の法を理解するのにとても便利」

同じく、イエズス会のコスメ・デ・トーレスは「彼らはとても賢く、スペイン人のように理想的に自らをおさめることができる」「彼らは、何でも知りたがるのである。世界中に彼らのような民族はいない」と評価している。

この時、イタリアはルネサンス円熟期である。

イタリア人宣教師、ニェッキ・ソルディ・オルガンティーノは「われわれヨーロッパ人は互いに賢明に見えるが、彼ら日本人と比較すると、はなはだ野蛮であると思う。私は真実、毎日、日本人から教えられることを認めている。私には全世界中でこれほど天賦の才能を持つ国民はないと思われる」と語っている。

日本にあまり好意的でなかったアレッサンドロ・ヴァリニャーノでさえ、「道徳と学問に必要な能力について語るならば、私は日本人以上に優れたる能力ある人々のあることを知らない」と記録している。

欧州の上流階級出身者からなる宣教師の知的水準は高い。その彼らの見た戦国日本は、国としての水準が高かったのである。

宣教師は、日本の武力をどう見たのであろうか。

ヴァリニャーノのフィリピン総督宛ての書簡に、「日本国民は非常に勇敢で、しかも絶えず軍事訓練を積んでいるので征服は困難だ」とある。

日本を、軍事力で征服することは不可能であるが、キリシタン大名を味方にすれば、キリシタン大名の兵力数千人の動員は容易で、スペイン本国派遣軍と合わせて1万人程度で、明の討伐可能と提案している。

彼らは、明が基本的に文人の国で戦争を厭(いと)うところが強く、国の中枢の人間が、贅沢を旨として戦いを好まないので、1万の軍で制圧可能と考えていたのである。

1596年10月、マニラ港からメキシコを目指していたスペインの豪華貨客船サン・フェリーペ号が台風のため土佐の浦戸湾において座礁沈没した。

現地の大名、長宗我部元親が豊臣秀吉に直ちに報告したところ、秀吉は積み荷を没収することを決め、現地に増田長盛(奉行職)を派遣する。増田奉行は事情聴取の結果、スペインは宣教師を尖兵として送り込み、侵略の手先として広大な版図を手にしたという事実認識を報告した。

秀吉は、スペインに「侵略の下心あり」として、サン・フェリーペ号の事件を契機として、マニラ総督の派遣したフランシスコ会宣教師や、信徒26人を磔(はりつけ)の刑に処する。

スペインが、秀吉に対して武力を持って報復しなかったのは、日本の武力が強大であったからである。

ないとう・かつひこ 歴史探求家。1953年、東京都生まれ。東京大学大学院工学部物理工学専門課程修了。環境省地球総合環境政策局環境影響審査室長、水・大気環境局自動車環境対策課長、東京都港区副区長などを経て、京都大学大学院経済学研究科特任教授。個人的に歴史研究を深めている。著書に『展望次世代自動車』(化学工業日報社)、『五感で楽しむまちづくり』(学陽書房)など多数。