歴史・人名

毛利輝元

毛利輝元

(もうり てるもと) 1553~1625
○幸鶴丸 少輔太郎 右衛門督 右馬頭 侍従 参議 権中納言

父:毛利隆元 

室:宍戸隆家女、児玉元良 女、羽根元泰女、井上就正女

子:毛利右近衛権少将秀就、日向守就隆

 父の死後、安芸・毛利氏当主となるが若年の為、祖父元就、その死後は吉川元春、小早川隆景の両叔父“両川”の後見を受けるが、凡庸な武将であったという。羽柴(豊臣)秀吉と講和して以後は、秀吉に従い、朝鮮出兵では大将として渡海、豊臣家の五大老の一人に列せられた。関ヶ原の戦いでは石田三成や安国寺恵瓊に担がれて、西軍の総帥格になった。合戦では積極的には出なかったが、責任を取らされて防長2国に減封となった。