歴史・人名

隼人

隼人(読み)はやと

   ×隼▽人×隼人はいとはやひと

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
鹿児島県北東部,霧島市中西部の旧町域。鹿児島湾北岸にある。 1929年町制。 1954年日当山町,清水村と合体して隼人日当山町となり,1957年隼人町に復した。 2005年国分市,溝辺町,横川町,牧園町,霧島町,福山町の1市5町と合体して霧島市となった。浜之市は江戸時代,商港として栄え,鹿児島湾北部随一の物資集散地であった。湾岸の沖積地を中心に,米,サツマイモを産し,タバコ (国分たばこ) ,漬物用ダイコンを特産。繊維,電機などの工場も進出し,1984年に国分市とともに国分隼人テクノポリス地域の指定を受けた。天降川 (あもりがわ) 沿いには温泉が多く,中流部には日当山温泉,上流部には新川渓谷温泉郷がある。付近一帯は古代の部族である隼人居住地といわれ,隼人塚 (国指定史跡) がある。
古代南九州に居住していた一部族。主として大隅,薩摩地方に居住していた。5世紀中頃以降大和朝廷に服属し,勇猛敏捷であったため,徴発されて宮門の警衛,行幸の先駆などを勤めた。大宝令では隼人司がおかれ,6年交代で朝廷に勤番し,勤番後,畿内,近江,播磨などに土着を許された。一方,8世紀の初め頃隼人の反乱が起り,たびたび鎮圧軍が派遣されたが,大隅,薩摩の国司に大宰府官人が任命されるようになってから,次第に律令支配体制に組込まれていった。

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デジタル大辞泉の解説
1 「はやひと」に同じ。
2 鹿児島県の男性をいう語。「薩摩(さつま)隼人
《「はやびと」とも》古代、九州南部、現在の鹿児島地方に居住した人々。しばしば朝廷に反抗したが、服従後は京に上って宮門の守護、行幸の先駆や、即位・大嘗祭(だいじょうさい)などに奉仕した。はやと。はいと。

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百科事典マイペディアの解説
大和朝廷に抵抗した南九州の民。7世紀末から8世紀頃に朝廷に帰順,大隅(おおすみ)・阿多(あた)(鹿児島県)両地方の首長などに率いられて交代で上京,衛門府(えもんふ)の隼人司(はやとのつかさ)の管轄下におかれ,宮門(きゅうもん)警備や風俗歌舞の演奏,竹細工の造作などに従事。→熊襲
→関連項目大隅国|元正天皇|薩摩国|盾|値賀島|隼人[町]

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デジタル大辞泉プラスの解説
三重県で生産されるサツマイモ。カロテン含有量が多く、色が鮮やか。名物の干しイモ「きんこ」に加工される。

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世界大百科事典 第2版の解説
〈はやひと〉ともよむ。古代に南九州地方に住み,熊襲(くまそ)のほかに永らく大和政権に服属をがえんじなかった人々を隼人と称した。律令時代に〈夷人雑類〉としての扱いをうけている。それは南九州がシラス地帯で,いわゆる膂宍(そしし)の空国(むなくに)であり,多くは水田耕作に適さず,主として狩猟,漁労を営み,地域的にも孤立し,南方系の文化の影響を濃厚にうけていたことによるものであろう。生活様式を異にし,言語的にも〈訳語(おさ)〉を介さなくては通ぜぬことが,一般の班田農民と差別されることとなったと思われる。

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精選版 日本国語大辞典の解説
〘名〙 (「はやひと(隼人)」の変化した語) 古代、九州の南部地方に住んでいた集団。はやと。はいとん。〔書言字考節用集(1717)〕
〘名〙 (「はやひと(隼人)」の変化した語)
① =はやひと(隼人
② 九州南部、大隅・薩摩国(鹿児島県)の男子。
※黒潮(1902‐05)〈徳富蘆花〉一「勝ち誇った隼人の健児が」
〘名〙
① 古代、大隅・薩摩(鹿児島県)に住み、大和政権に従わなかった集団。五世紀後半頃には服属したらしく、やがて中央に上番(じょうばん)して宮門の警衛などに当たり、一部は近畿地方に移住した。令制では隼人の司(つかさ)に管轄され、宮城の警衛に当たった。また、儀式の際には参列して犬の吠声のような声を発したり、風俗(ふぞく)の歌舞などを行なって奉仕し、また竹笠の造作に従事した。はやと。はいと。
※続日本紀‐大宝二年(702)九月戊寅「討二薩摩隼人一軍士、授レ勲各有レ差」
② 「はやひと(隼人)の司」の略。

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旺文社日本史事典 三訂版の解説
古代,九州南部に住んだ一種族
熊襲 (くまそ) と同族説もあるが系統不明。大和政権の九州征討に反抗し,異民族視された。律令制では衛門府隼人司に属し,朝廷の儀式の際の歌舞や宮門の警衛にあたった。しばしば反乱をおこしたが,720年大伴旅人に平定され,以後完全に服属した。

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世界大百科事典内の隼人の言及
【海人】より

…前者は,古典にみえる阿曇(あずみ)系およびその傍系である住吉系漁労民で,中国南部の閩越(びんえつ)地方の漂海民の系統をひき,東シナ海を北上し,山東半島から遼東半島,さらに朝鮮半島西海岸を南下し,多島海,済州島方面を経て玄界灘に達する経路をたどったと推定される。後者は,宗像(むなかた)系海人と呼ばれ,フィリピン付近海域から黒潮の流れに沿ってバシー海峡,台湾,沖縄,奄美諸島などサンゴ礁の発達した島嶼(とうしよ)を伝って南九州に達したと考えられ,古典にいう隼人(はやと)系に属する。両系の種族が日本へ達した前後関係は明らかでないが,玄界灘で交差し,混血も行われたであろう。…
【海幸・山幸】より

…これが鸕鷀草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)で,神武天皇はその子である。一方ウミサチは隼人(はやと)族の祖となった。 記紀神話におけるこの話の意義はすこぶる大きい。…
【木花開耶姫】より

…一夜にしてはらんだとされるのは,この説話が国津神(くにつかみ)の娘が大地の象徴として天津神(あまつかみ)の子である王の即位の日に一夜だけ女王を演じて子を産むという聖婚儀礼を下地にしているからである。サクヤビメの別名をアタツヒメというのは薩摩国阿多郡にちなんだ名であり,子のホデリは隼人(はやと)阿多君の祖とされる。つまり降臨したニニギノミコトは実は隼人の娘と婚したことになるわけで,このサクヤビメの説話は隼人の服属とも関係する。…
隼人司】より

隼人を管掌する役所。天武・持統朝のころ,大隅隼人,阿多隼人の一部は畿内および周辺地に移住させられ,番上して,宮門守護,歌舞の演奏,竹笠の造作等に当たった。…
隼人】より

…〈はやひと〉ともよむ。古代に南九州地方に住み,熊襲(くまそ)のほかに永らく大和政権に服属をがえんじなかった人々を隼人と称した。律令時代に〈夷人雑類〉としての扱いをうけている。…

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