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【世界史】第3回 古代オリエント史① 〜メソポタミア

【世界史】第3回 古代オリエント史① 〜メソポタミア

カテゴリ:

   世界史
   先史・古代

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1.古代オリエントを学ぶにあたって
 今回からはオリエントと呼ばれる地域の古代文明を扱っていきます。「オリエント」とは「日の出づるところ」という意味で、ヨーロッパから見た東方の世界のことを指しています(西方はオキシデント)。つまり、ヨーロッパの東というと現在の西アジア、中東と呼ばれる地域を指すのです。そして、一般的に「古代オリエント」の時代というと、最も古い都市国家を築いたシュメール人と呼ばれる人々の時代(紀元前3500年頃)からアレクサンドロス大王の東方遠征(紀元前4世紀頃)までの間を指していますので頭の中に入れておいて下さいね。

  オリエントの文明で最もはやく栄えたのはメソポタミア、エジプトの2つでした。この両者の時代の流れと、両者の違いをしっかりと把握するのが今回の単元の大事なポイントです。まず、今回はメソポタミア文明について勉強します。このメソポタミアという地域で活動した民族の名前と出来事を1つ1つ理解していきましょう。

2.メソポタミア文明
 メソポタミアという言葉は「川の間の土地」という意味があります。ティグリス・ユーフラテスの2つの川の流域で発達した文明なのです。このメソポタミアからシリア、パレスチナにかけての栄養をたっぷり含んだ土地は「肥沃な三日月地帯」と呼ばれたりします。この豊かな土地を利用して、農業を始めたのが紀元前3500年頃のことです。先ほど登場したシュメール人(民族系統は不明です)は急速に人口が増え、大規模な集落を形成するようになりました。 このシュメール人は青銅器などの金属器を使用し、文字も世界で初めて楔形(くさび形)文字を使用したと言われています(「楔」という字にに気をつけましょう)。紀元前2700年までにはウル・ウルク・ラガシュらの大きな都市国家が形成され、これらの都市国家では大河の氾濫を抑える神官が重宝されたのです。これを神権政治といって、支配者(神官)が神の代理人として「神の権威を利用する政治」を行っていたのです。

 シュメール人の次に登場したのがアッカド人です。セム語系のアッカド人は、内部の争いに乗じてシュメール人を滅ぼしたのです。アッカド人はメソポタミア、シリアの都市国家を最初に統一して広大な国家をつくりました。アッカド人の王朝は200年ほど続きましたが、かわって同じくセム語系のアムル人がバビロン第1王朝をうちたてて、ハンムラビ王のときに全メソポタミアを支配しました。このハンムラビ王で有名なのは何といっても「ハンムラビ法典」です。この法典は「目には目を 歯に歯を」の言葉があまりにも知られていますね。なので、この復讐法の原則(加害者の刑罰は被害者の受けたものと同等にすること)を知っている人は多いと思いますが、実はもう1つ知っておいてほしいことがあります。205条に「奴隷が自由民の頬をなぐれば耳を切り取られる」といった条項が存在します。先ほどの復讐法の原則とはまた別に身分によって刑罰に差があってよいとする身分差別の考え方が示されていることを覚えておきましょう。

  ハンムラビ王のもとで栄えていたバビロン第1王朝は王の死後、ヒッタイトと呼ばれる民族によって滅ぼされてしまいます。ヒッタイト人は紀元前17世紀半ば頃にアナトリア高原(現在のトルコ内陸部)に強力な国家を建設していました。ヒッタイト人は鉄器を使用していました。鉄は青銅器よりも丈夫であり、優れた武器を生み出しました。ゆえに戦争にとても強かったのです。ヒッタイト人は当然、製鉄の技術を独占しようと秘密にしていました(勢力が衰えると、すぐにオリエント全域に広まりましたが)。ヒッタイト人によってバビロン王朝が滅ぼされて後、メソポタミアにはカッシート人、ミタンニ人がそれぞれ王国をたてましたが統一王朝はしばらく出現しませんでした(すぐ近くではエジプトの王朝も存在していました。エジプトについては次回!)。

3.メソポタミアの文化

 今まで紹介してきたように、メソポタミアの各王国や文明は楔形文字を使用していました。楔形文字はシュメール人が発明し、多くの民族に広まり、文字は粘土板に記録されていきました。他にメソポタミアの地域でうまれたものとして、暦法(太陽暦)、六十進法、七曜制の使用や発達、また円筒印章を使用していたこともわかっています。多くの実用的学問や技術が発展していったのですが、一方で『ギルガメシュ王物語』といった文学作品(叙事詩)も有名です。余談ですが、この物語が有名なのは「ノアの箱船」のエピソードと類似しているからなんですね。「ノアの箱船」はユダヤ教やキリスト教の経典である旧約聖書に描かれている大洪水のお話です。この逸話はあくまで宗教上の伝説とされていましたが、どうやら調査の結果、このメソポタミア地方の実際の大洪水をもとに「ギルガメシュ」の叙事詩はつくられ、その伝承をもとに「ノアの箱船」の話が出てきたのではないかと推測されます(もちろん聖書に書いてあるような世界的大洪水というのは大袈裟に書いていたということでしょうかね)。