歴史・人名

伊達昭光

伊達昭光

石川昭光

伊達家

石川昭光【いしかわあきみつ(1550~1622)】

伊達枝連衆。伊達晴宗の四男。石川晴光の養子。官途は大和守。1568年、石川晴光の養嗣子となる。実父伊達晴宗や兄伊達輝宗に従って田村家や佐竹家のと戦った。1574年、芦名盛氏が佐竹義重と白川郡、石川郡の領有権をめぐって戦い、芦名家が同地を失うと、石川晴光石川昭光は佐竹義重への服属した。1575年、芦名家は安積郡大槻城を田村勢に攻められが、芦名勢が北部の久保田を攻め返した。1576年、田村清顕は佐竹家とともに芦名方の長沼城を攻めた。1585年「人取橋の戦い」では、南奥諸大名と共に義兄の佐竹義重についた。1589年「摺上原の戦い」以降は再び伊達家に属した。1590年、須賀川城を与えられたが、奥州仕置にて羽柴秀吉に小田原への不参陣を咎められ、三兄留守政景らと共に改易された。