歴史・人名

伊達輝宗

伊達輝宗(だててるむね)
1544年(天文13年9月) - 1585年11月29日(天正13年10月8日)
伊達氏16代当主
左京大夫
父・伊達晴宗 母・岩城氏久保姫
妃・最上氏義姫
子・伊達政宗伊達小次郎
子・千子、某

伊達輝宗の長男・・・伊達政宗(仙台藩藩祖)
伊達輝宗の次男・・・伊達政道伊達小次郎
永禄11年(1568年) - 天正18年4月7日(1590年5月10日)

伊達政宗の成長を期待するも、非業の死を遂げる】 
「独眼竜」伊達政宗の父。一五世伊達晴宗を父に、笑窪(えくぼ)の方を母にもつ。
1565年に父より家督を譲られ、伊達家十六代当主となる。しかし、伊達家の内紛、天文の乱終結後に家督を継いだため衰退しつつある伊達家の威信回復のために奔走することになる。
当時、輝宗の一番の悩みは度々伊達領に侵攻してくる相馬顕胤の存在であった。輝宗はこの顕胤の侵攻に対処すべく、二本松城主畠山義嗣に助勢を頼むが、この伊達輝宗の行為が後に伊達輝宗自身の運命を大きく変えることになる。
天文12年、輝宗は急遽、家督を長男の政宗に譲る。これは正室義姫を中心とした次男竺丸を抑えるための行為であった。ここに仙道制覇、中央進出という自分の果たせなっか輝宗はその念願を政宗に託し、隠居するのである。しかし、輝宗の人生に平穏な日々は訪れなかった。わずか隠居後の一年足らずでこの世を去ってしまうのである。当時、奥州の地ではまさに破竹の勢いである政宗に対し諸将は、臣従するか抵抗するか重大な選択を迫られていた。二本松城主の畠山義継も同様であり、政宗に対し臣従することを決めていた。しかし、政宗は義継に対し、その所領を「五ヶ村だけを残し、他はすべて没収」という苛酷な条件を突きつけたのである。これでは家中を維持できず、苦慮した末、義継はかつて援兵して恩がある輝宗に事の周旋を頼んだのが事件の発端であった。輝宗は政宗に義継を赦すよう周旋し、ことは収まったかのように思えた。しかし、義継が輝宗のもとを去る際、義継は輝宗を拉致するという一大事が起こったのである。急報を受けた政宗は急いで駆けつけたが、すでに輝宗は二本松領寸前にまでさしかかっていたのである。輝宗はここに至り、自分もろとも義継を撃つよう政宗に指示。政宗は一瞬躊躇したとされるが、発砲を指示し父もろとも義継を討ったのである。輝宗は自分の成し遂げられなかった夢を政宗に託したが、以後、政宗が奥州の大大名として天下に君臨する姿を見届けられないまま、この世を去ったのである。

伊達稙宗━┳━伊達晴宗━┳━伊達親隆
     ┣━伊達義宣 ┃(岩城親隆)
     ┃(大崎義宣)┣━伊達政景
     ┣━伊達實元 ┣━伊達昭光
     ┣━伊達玄蕃丸┃(石川昭光
     ┣━伊達宗澄 ┣━伊達盛重
     ┣━伊達四郎 ┣━伊達政重
     ┣━伊達晴胤 ┃(国分盛重)
     ┣━伊達宗清 ┣━伊達直宗
     ┃(梁川宗清)┃(杉目直宗)
     ┣━伊達宗殖 ┗━伊達輝宗━┳━伊達政宗━┳━伊達秀宗
     ┣━伊達宗榮        ┗━伊達小次郎┣━伊達忠宗
     ┣━伊達綱宗               ┣━伊達宗清
     ┣━伊達元宗               ┣━伊達宗泰
     ┃(亘理元宗)              ┣━
     ┣━伊達康甫               ┣━
     ┗━伊達七郎               ┣━伊達宗高
                          ┣━
                          ┣━伊達宗実
                          ┗━伊達宗勝

伊達家