歴史・人名

1300年以上前の“舟”は一体どんな形をしていた?

1300年以上前の“舟”は一体どんな形をしていた? 「風土記」から読み解く古代日本列島の暮らし
著者は語る 『風土記博物誌』(三浦佑之 著)
「週刊文春」編集部2022/12/14
source : 週刊文春 2022年12月15日号

genre : エンタメ, 読書, 歴史

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『風土記博物誌』(三浦佑之 著)岩波書店
『風土記博物誌』(三浦佑之 著)岩波書店
「かれこれ50年、古事記などを研究してきて、よく飽きないね、と呆れられます(笑)。とんでもない、同じ本を読み返すたびに新たな発見があるんです」

 古代文学、伝承文学の研究をリードしてきた三浦佑之さんが、長年の風土記(ふどき)研究の成果を『風土記博物誌』にまとめた。風土記は、8世紀に編纂された日本の60余国の地誌で、出雲(いずも・島根県)、常陸(ひたち・茨城県)、播磨(はりま・兵庫県)、豊後(ぶんご・大分県)、肥前(ひぜん・佐賀・長崎県)のものが伝わるが、記紀に比べていまいち馴染みは薄い。

「たとえ5カ国でも、1300年以上前の日本列島の多様な社会を知る記録が遺ったことは得難い幸運です。人々の暮らし、自然や産物、地震や噴火とそれに伴う温泉、そして語り継がれた伝承が書き残された、一種のタイムカプセル。こういう書物はほかにありません」

 三浦さんは風土記を国別に読むのではなくて、全体を俯瞰(ふかん)しながら、関連する事象を丹念に結び付けていく。たとえば、舟。古代の人々にとって、自らの足以外で、舟は貴重な移動手段であった。そもそも海を渡らなければ、列島には人は辿り着けない。彼らはどんな舟を作ったのか。

「木をくりぬいた丸木舟が使われていました。ただ、外洋の航海にはアウトリガー(舷外浮材。安定性を増し、転覆を防ぐ)などが必要ですが、考古学的には存在を証明できていません。播磨国風土記には、景行天皇が求愛しながら逃げられた女性を島まで追いかけていき連れ帰る逸話がありますが、そこでは、天皇の舟と女の舟を『編合(むや)ふ』とある。常陸国風土記では、ふたつの舟を並べて筏のようにして祭りを行ったとあり、これを『編む』と呼んでいる。ふたつの国の記事を突き合せれば、ふたつの舟を結び付けた大きな舟、いわば双胴船で航海していたと推測できるのです」

 舟には、離れた地域同士で共通する知恵があった。一方、地域ごとで異なる特色もある。最たるものが、「天皇観」だという。

「5カ国のうち、播磨国は天皇が頻繁に登場します。巡行以外にも、景行天皇の婚姻譚、都で父を殺された兄弟が隠遁(いんとん)したのち都に凱旋して天皇になる貴種流離譚など多数ある。一方、出雲国では天皇は一切登場しない。また、常陸国では、ヤマトタケルが天皇として后と巡行したとされます。時にからかい、時に涙を寄せ、黙殺し、幻の天皇と称えることもある。ヤマト王権との距離感がうかがえます」

三浦佑之さん
三浦佑之さん
 この国ごとの天皇観のばらつきに、三浦さんは、風土記が地誌として完成しなかった理由を見出す。

「記紀では、ヤマトタケルは天皇にならずに死にます。律令国家の天皇観と相容れない草稿を地誌に採用すれば整合性がとれない。こうした矛盾が各国で起きたため、編纂者は匙を投げた。おかげで不統一で雑多な風土記が遺されたのでしょう」

 三浦さんは「取るに足りないようにみえるこまかな話」にこそ耳をすましたという。その結果、馬を操り騎射もこなす肥前・値嘉島(ちかのしま)の海人(あま)の雄姿や、ヤマト王権と地方を結ぶ交通の要衝として人も神も往来する播磨国の賑わい、自然災害を恐れ、巨岩や洞窟に集い祈る人々の姿が、生き生きと立ち現れる。

「どういう視点から読むか。風土記にはまだまだ新しい発見の可能性があります。一貫した物語がないので読み物としては退屈ですが、断片的な記述からいろいろなものが見えてくる面白さがあります。考古学など他分野の知恵を持ち寄れば、伝承とされたことをリアリティをもって再現できるのではと期待しています」

みうらすけゆき/1946年、三重県生まれ。専門は古代文学・伝承文学研究。千葉大学名誉教授。成城大学文芸学部卒業、同大学院博士課程単位取得退学。著書に『村落伝承論』『口語訳古事記[完全版]』『風土記の世界』『古代研究』『出雲神話論』『「海の民」の日本神話』など。