歴史・人名

上杉景虎

上杉景虎(うえすぎ かげとら)
1552~1579
別:北条氏 国増丸 西堂丸 竹王丸 三郎 北条氏秀
父:北条氏康 養父:北条長綱、上杉謙信
室:北条長綱女、長尾政景女
子:上杉道満丸
 相模・北条氏康七男。甲駿相三国同盟成立の際には、甲斐・武田氏に人質として送られるが、同盟破綻後帰る。越相同盟が成立した際にも越後・上杉謙信の下に赴き、気に入られて養子となる。謙信死後、同じ養子の景勝と争い(御館の乱)、初め北条氏、武田氏の支援を受け状況は有利であったが、武田氏が景勝方についたことから不利となり、敗走。相模・小田原城に戻る途中立ち寄った鮫ヶ尾城で、城主堀江宗親の謀反に遭って自害した。享年28歳。なんでもかなりの美形だったとか。

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北条氏綱━━━北条氏康━┳━北条新九郎
            ┣━北条氏政━━━北条氏房
            ┣━北条氏照━━━北条采女(養子)
            ┣━北条氏邦
            ┣━北条氏規━━━━━━━┳━北条氏盛
            ┣━北条六郎       ┣━菊千代
            ┣━(佐野)左衛門佐氏忠 ┣━勘十郎
            ┣━右衛門佐氏光     ┗━松千代
            ┗━北条氏秀(上杉景虎)━━━上杉道満丸