太平洋戦争
太平洋戦争
1941年12月8日から45年8月15日までの、日本軍による太平洋、東南アジア地域へ侵出によるアメリカ、イギリス、オランダなど連合軍との戦争。第二次世界大戦の一部であり、日中戦争とあわせてアジア・太平洋戦争、あるいは満州事変からを含めて十五年戦争とも言う。
第二次世界大戦中の1941年12月8日、日本軍の真珠湾攻撃から始まった、アメリカ、イギリスなどとの戦争。日中戦争の行き詰まりを打開し、資源を獲得する戦略目標から戦争に突入。開戦当初は日本軍は各地で勝利したが、戦線の拡大に伴い苦戦に陥った。1942年6月のミッドウェー海戦から制海権を失った日本軍が次第に後退、アメリカ軍の反撃が進み、44年7月のサイパン陥落、45年6月沖縄戦の敗北、さらに8月の広島長崎への原爆投下によって日本はポツダム宣言を受け入れ、8月15日に無条件降伏した。
開戦までの経緯
日本軍は長期化した日中戦争を有利に終結させる方策を探ったが、和平交渉はいずれも失敗し、重慶の国民政府に対する英米の援蔣ルートを通じての支援がますます強まっていたことに焦りを感じていた。そのようなとき1940年5月にドイツ軍がオランダ・フランスを破ったことは、この両国の植民地である東南アジアに侵出する絶好の機会が到来したと軍部は判断し、膨張策に消極的な米内光政内閣を軍部大臣現役武官制を利用して倒し、第2次近衛文麿内閣を成立させた。
1940年7月に成立した第2次近衛内閣は、ただちに閣議で「基本国策要綱」を決定し、ドイツ・イタリアの「ヨーロッパ新秩序」に呼応する「大東亜新秩序」の建設と「新体制」と言われる戦時体制の整備が為されるとともに、大本営は「武力南進」の方針を固めた。1940年9月フランス領インドシナ北部に進駐を強行、ほぼ同時に政府は日独伊三国同盟を締結して、アメリカを仮想敵国とする姿勢を明確にした。
これに反発したアメリカが日本に対する経済制裁を強化すると、関係打開のため1941年4月から日米交渉が開始された。一方ではソ連との衝突を介意するため、同年4月に日ソ中立条約を締結した。しかし、日米交渉は難航、6月に独ソ戦が始まると、軍部は行動を急ぎ7月に南部仏印進駐を強行した。日米交渉中の軍事行動に反発したアメリカは8月に日本に対する石油輸出をストップを決定、日本は追い込まれる形となった。国内にはアメリカ・イギリス・中国・オランダによる日本包囲網をABCDラインと称し、その打破を叫ぶ声が強くなった。
近衛首相は日米交渉に開戦回避の可能性を探ろうとしたが、41年9月6日の御前会議で陸軍大臣東条英機が強硬に日米開戦を主張、「帝国国策遂行要領」を決定、日米交渉が10月上旬までに打開されない場合は、開戦を決意するとされた。なおも日米交渉を継続しようとする近衛首相は辞任し、10月に東条英機内閣が成立した。東条首相は陸将、内相を兼務し、まさに軍部内閣であり、軍主導の国家体制が完成された形となった。東条内閣は11月5日に御前会議を招集、11月末までに日米交渉がまとまらなかったら、アメリカとの戦争に踏み切ることを決定、11月26日にアメリカの最終案としてハル=ノートが提示されたが、それは中国、北部仏印からの撤廃に加えて満州国の放棄を求めるなどの内容であった。東条首相はこれ以上交渉の余地なしとして開戦を決意し、12月1日の御前会議で天皇の裁可を得、12月8日ハワイのアメリカ軍基地真珠湾を奇襲攻撃、これによって太平洋戦争が開始された。
太平洋戦争の呼称 日本における「太平洋戦争」の呼称は戦後のもの。戦争開始直後の1941年12月12日に東條内閣は支那事変以降の戦争を「大東亜戦争」とすると閣議決定している。戦争の大義を、大日本帝国が東アジアを英米蘭など欧米諸国の支配から解放すし大東亜共栄圏をつくるための戦いであるとしたためである。戦後、GHQはこの語を戦時用語として使用を禁止、太平洋戦争が一般化した。しかし、日中戦争から連続した戦争の呼称としては「アジア太平洋戦争」という呼称が学術的には広く使われている。
ただし、太平洋戦争という用語も、考えてみれば矛盾に充ちている。「太平洋」Pacific Ocian とは「平和の海」の意味であり、「平和の海の戦争」という意味になるからである。 → 太平洋の項を参照。
日米開戦時の国際情勢
1939年9月のドイツ軍のポーランド侵攻から始まっていた第二次世界大戦は、1940年前半にはドイツ軍がフランスの大半を制圧し、圧倒的な優勢で進んだ。40年9月には日独伊三国同盟を結成した。しかし、41年後半になると、大きく戦局が転換した。イギリス本土上陸に失敗したヒトラーは再び東方の戦線に重点を移し、4月にバルカン侵攻を開始したが、それは独ソ不可侵条約で結ばれていたソ連との関係を悪化させ、6月に独ソ戦が開始された。これによってイギリスとソ連はドイツを共通の敵とすることとなり英ソ軍事同盟を締結した。 アメリカのフランクリン=ローズヴェルト大統領は、東南アジアにおける日本の侵出を警戒していたが、その日本と同じファシズム国家であり、同盟関係のあるドイツが強大化すること阻止する必要を考え、41年8月、イギリスのチャーチルとともに大西洋憲章を発表し、ファシズムとの戦争での協力を打ち出していた。 日本が41年9月6日の御前会議で対米戦争を決意した「帝国国策遂行要領」の決定よりも前のことであった。アメリカは国内の孤立主義や反ソ親ドイツ派の存在などもあって正式には参戦しておらず、武器支援にとどまっていたが、ローズヴェルト大統領は国論を参戦に向かって一致させる機会を待っている状態であった。
太平洋戦争の開始
真珠湾攻撃 1941年12月8日(アメリカ時間7日)早朝 日本海軍がハワイの真珠湾を爆撃。アメリカ太平洋艦隊に大きな被害をあたえる。10日にはマレー沖海戦でイギリス海軍を破り、日本軍は緒戦において大きな戦果を上げた。8日、日本はアメリカ・イギリスに宣戦布告、同日両国も対日宣戦布告を行い戦争状態に入った。日本の宣戦布告が約1時間遅れたことから、ロースヴェルトは日本のだまし討ちであると強調し「真珠湾を忘れるな」を合い言葉に国民に戦争協力を訴えた。なお、オランダは当時本国はドイツ軍に占領されていたので、オランダ領東インド政庁が独断で対日宣戦布告を行い、後にロンドンの亡命政府が追認した。
アメリカの参戦 12月11日はドイツ・イタリアは三国同盟の約束によりアメリカに宣戦布告、アメリカも両国に宣戦したので、ここに第二次世界大戦は太平洋を挟んでの日米戦争、東南アジアでの日本とイギリス・オランダとの戦争という文字通りの世界戦争となった。厳密に言えば、ここまでは欧州の英仏対独伊の戦争(欧州大戦)とアジアの日中戦争が別個に展開してたのであり、1951年12月8日を期してそれが第二次世界大戦となったということもできる。アメリカ合衆国の参戦は第二次世界大戦に決定的な意味を持っており、その口実とされたのが日本軍の真珠湾攻撃であった。チャーチルは日本軍の真珠湾奇襲の報をうけ、これでアメリカが参戦が可能となり戦争に勝てると安堵したと回顧録に書いている。
連合国の形成 英米両首脳は12月22日、ワシントンで戦争指導会談を行い、対応を協議、早くも1942年1月1日にアメリカ、イギリス、ソ連など26ヵ国代表が連合国共同宣言を発して、民主主義の擁護のためにファシズムと戦うこと、単独では講和しないことを取り決めた。これを「連合国」United Nations といい、この名称がそのまま現在の日本で国際連合と言われる組織の原型となる。
太平洋戦争の過程
1.緒戦の勝利 太平洋戦争の緒戦における日本軍の進撃に東南アジア各地の要地を占領した。
・41年12月 香港占領。 → 12月 マレー半島占領。 → 42年1月 マニラ占領。 → 2月 シンガポール占領。 → 3月 インドネシア侵攻(ジャワ島占領)。 → 5月 フィリピン占領。 → ビルマ侵攻。
2.戦局の転換 ・42年6月 ミッドウェー海戦での日本軍の敗北。 → 8月 ガダルカナル島に米軍上陸。(同月、独ソ間のスターリングラードの戦いが始まる。
3.日本軍の退却 ・43年1月 ガダルカナル撤退。~2月。 → 44年4月 マリアナ沖海戦 → 7月 インパール作戦中止。 → 7月 サイパン陥落。
4.本土空襲と沖縄戦 ・44年11月 B29による東京大空襲開始。 → 45年3月 硫黄島守備隊全滅。 → 4月 沖縄戦 米軍、沖縄上陸。6月に守備隊全滅。
5.敗戦 ・45年7月26日米英中三国、ポツダム宣言。日本に無条件降伏を韓国。日本政府、無視。8月6日 米軍、広島に原子爆弾投下。 → 8月8日 ソ連の対日参戦。 → 8月9日 米軍、長崎に原爆投下。 → 8月14日 ポツダム宣言受諾通告し日本の無条件降伏決定。 → 8月15日 天皇、ポツダム宣言受諾を放送。 → 9月2日 日本、降伏文書に調印。太平洋戦争、日中戦争、第二次世界大戦終わる。
日本の占領地行政
日本は東南アジアを軍事占領していく過程で、この戦いを「ヨーロッパ人種による植民地支配から、アジアの有色人種を解放する戦いである」と意義づけ「大東亜戦争」と呼称し、大東亜共栄圏の建設を掲げた。一つの側面として日本軍が民族運動を支援して、欧米植民地支配を排除したということも出来るが、日本軍が占領地域の諸民族に対する新たな抑圧者として登場したことも事実であった。
1943年11月、大東亜共栄圏諸国の大東亜会議が東京で開催され、日本、中華民国(南京国民政府)、タイ、満州国、フィリピン、ビルマの6ヵ国とオブザーバーとして自由インド仮政府が参加し、「大東亜共同宣言」を発表、大東亜の解放と共存共栄、独立親和、互恵による経済発展、人種差別撤廃などをうたった。しかし、実態は日本の戦争を維持するための物的・人的資源の確保が優先され、その独立は形式的であった。また大東亜会議参加地域以外のインドネシアやインドシナ諸国では厳しい日本の軍政が行われ、また従来からの日本の植民地である朝鮮・台湾では民族解放どころか皇民化政策(日本への完全同化)が強められていった。
このような日本軍国主義の支配の実態が明らかになると、支配地域各地で抗日武装闘争が活発になり、そこから戦後の真の独立が達成されていく。
太平洋戦争の年表~
開戦時の日本首相東條英機
太平洋戦争の年表(たいへいようせんそうのねんぴょう)では、3年9ヶ月に及ぶ日本、満洲国、タイ王国とアメリカ合衆国、イギリス、オランダ、ソビエト連邦ら連合国の戦争の経過を示す。中華民国との間の戦争・事変は日中戦争を参照のこと。
目次・ 1 開戦までの経緯(簡略)・ 2 1941年(昭和16年)・ 3 1942年(昭和17年)・ 4 1943年(昭和18年)・ 5 1944年(昭和19年)・ 6 1945年(昭和20年)・ 7 関連項目
開戦までの経緯(簡略)
1937年(昭和12年)7月7日に始まった日中戦争(支那事変)によって、日本の満州事変以来の日本の中国平定を警戒する英米仏と日中戦争の長期化は欧米の対中軍事支援によるとする日本の関係は急速に悪化、アメリカ合衆国が航空機用燃料・鉄鋼資源の対日輸出を制限するなど、日本の締め上げが図られた。それでも中国から撤退しない日本は、ヨーロッパにおいて第二次世界大戦を繰り広げるドイツ・イタリアと1940年に日独伊三国軍事同盟を締結し、ヴィシーフランスとの合意のもと仏領インドシナへ進駐し事態を打開しようとするが、アメリカは石油輸出全面禁止などの経済封鎖を以て之に答えた。その後数度にわたる日米交渉も難航し、アメリカは1941年(昭和16年)11月26日、ハル・ノートを日本側に提出した。これを最後通牒と受けた日本は、12月1日の御前会議で日米交渉の打ち切りと日米開戦を決定、択捉島からハワイ真珠湾へ向けて出撃していた大日本帝国海軍連合艦隊に12月8日の戦闘行動開始命令が伝えられた。
1941年(昭和16年)
炎上する戦艦アリゾナ
・ 12月8日 日本、英米に宣戦布告(太平洋戦争(大東亜戦争)開戦)。
o 開戦の詔書(米國及英國ニ對スル宣戰ノ詔書)が発せられる。
o 日本軍、英領マレー半島のコタバル、タイ南部のパタニとシンゴラ(ソンクラ)に上陸(マレー作戦の開始)。広東省から英領香港攻撃開始(香港の戦い)。
o ワード号事件
o 真珠湾攻撃
o 中華民国国民政府、日独伊に宣戦布告。
o 米領フィリピン上空で航空戦(フィリピンの戦いの開始)。
・ 12月10日 マレー沖海戦。グアムの戦い。日本軍、ルソン島北部(アパリ、ビガン)上陸。グアム、タラワ、マキン占領。
o オランダ、日本に宣戦布告。
・ 12月11日 日本軍、ウェーク島攻略失敗(ウェーク島の戦い)。
・ 12月12日 日本軍、香港九龍市を制圧、英軍は香港島へ逃走。
・ 12月15日 日本軍、ペナン島占領。
・ 12月16日 日本軍、マレー半島アロールスター占領。
・ 12月16日 日本軍、北ボルネオ(コタキナバル)に上陸。
・ 12月16日 戦艦「大和」が竣工。
・ 12月20日 日本軍、フィリピンミンダナオ島ダバオに上陸。
・ 12月21日 日本政府、タイと攻守同盟を締結(日泰同盟)。
・ 12月23日 日本軍、ウェーク島占領。
・ 12月25日 日本軍、香港島を制圧、香港のイギリス軍降伏。
1942年(昭和17年)
ルーズベルト米大統領
空母ホーネットからのドーリットル隊の発艦
珊瑚海海戦で日本軍の攻撃を受け炎上する米空母レキシントン
連合艦隊司令長官山本五十六海軍大将
・ 1月2日 日本軍、ルソン島マニラを無血占領。
・ 1月8日 連合軍、タイ攻撃開始。
・ 1月11日 日本軍、マレー半島クアラルンプール占領。
o 日本、オランダに宣戦布告。
・ 1月15日 日本軍、英領ビルマ(現ミャンマー)攻撃部隊がタイに集結。
・ 1月23日 日本軍、ニューブリテン島ラバウル占領。
・ 1月24日 バリクパパン沖海戦。
・ 1月25日 タイ、英米に宣戦布告。日本軍、バリクパパン占領。
・ 1月27日 エンドウ沖海戦。
・ 1月31日 日本軍、タイからビルマ侵攻開始。マレー半島ジョホールバル占領。
・ 2月 アメリカ人スティルウィルが中国国民党軍参謀となる。
・ 2月1日 日本軍、シンガポールの石油施設を砲撃。米機動部隊、マーシャル諸島来襲。
・ 2月4日 ジャワ沖海戦。
・ 2月7日 日本軍、シンガポール北東のウビン島に牽制上陸。
・ 2月8日 日本軍、シンガポール北西海岸より上陸(シンガポールの戦い)。
・ 2月14日 日本軍、蘭領東インド(現インドネシア)スマトラ島パレンバンを落下傘部隊で占領。
・ 2月15日 シンガポールの英豪軍が降伏。
・ 2月20日 バリ島沖海戦。ニューギニア沖海戦。
・ 2月24日 米機動部隊、ウェーク島来襲。日本軍伊17潜、カリフォルニア州サンタバーバラを砲撃。
・ 2月26日・28日 スラバヤ沖海戦。
・ 3月 フィリピン統一抗日人民軍(フク団)結成。
・ 3月 米、中国に5億ドル借款成立。
・ 3月1日 バタビヤ沖海戦。日本軍、蘭領東インドジャワ島スランに上陸。
・ 3月4日 米機動部隊、南鳥島来襲。
・ 3月5日 日本軍、ジャワ島バタビア(現ジャカルタ)を占領。
・ 3月7日 東インドのオランダ軍降伏。
・ 3月8日 日本軍、英委任統治領ニューギニア島ラエとサラモアに上陸、占領(東部ニューギニアの戦い)。ビルマ(現ミャンマー)ラングーン(現ヤンゴン)占領。
・ 3月13日 アメリカ軍フィリピン司令官マッカーサー、フィリピンから逃亡。
・ 4月5日-9日 日本軍、セイロン(現スリランカ)コロンボの英軍基地を空襲。セイロン沖海戦。
・ 4月18日 米空母から発進したB-25爆撃機によるドーリットル空襲(東京初空襲)。以後本土空襲の年表は空襲にて。
・ 5月1日 日本軍、ビルマ中部マンダレー占領。
・ 5月3日 日本軍、ソロモン諸島ツラギ占領(MO作戦始まる)。
・ 5月4日 日本軍、英領ビルマのアキャプ占領、ビルマ制圧完了。南方作戦完遂。
・ 5月7日-8日 米領フィリピン・コレヒドール島の米軍降伏。珊瑚海海戦。
・ 5月10日 日本軍、ミンダナオ島を占領。
・ 5月29日 日本軍の特殊潜航艇、マダガスカル島のディエゴスワレスのイギリス軍基地を攻撃(マダガスカルの戦い)。
・ 5月31日 日本軍の特殊潜航艇、オーストラリアのシドニーのイギリス軍艦艇を攻撃。(特殊潜航艇によるシドニー港攻撃)
・ 6月5日-7日 ミッドウェー海戦で日本軍敗北。
・ 6月7日 日本軍、米アリューシャン列島キスカ島に上陸、占領。
・ 6月8日 日本軍、アリューシャン列島アッツ島に上陸、占領。
・ 6月16日 日本軍、ニューギニア島ポートモレスビーの連合軍基地を空襲。
・ 6月20日 伊26潜、バンクーバーのカナダ軍基地を砲撃。
・ 6月21日 伊25潜、オレゴン州アストリアの米軍基地を砲撃。
・ 7月 日本軍、フィリピン全土占領。
・ 8月 イギリス領インドで反英暴動。
・ 8月7日 米軍、ソロモン諸島のガダルカナル島、ツラギ島、ガブツ島、タナンボゴ島に上陸(ガダルカナル島の戦い、連合軍の本格的反攻始まる)。
・ 8月8日 第一次ソロモン海戦
・ 8月24日 第二次ソロモン海戦
・ 9月9日 伊25潜より発進した艦載機がアメリカ本土のオレゴン州を空襲。
・ 9月15日 伊19潜、米空母ワスプ撃沈。
・ 9月29日 伊25潜より発進した艦載機、アメリカ本土のオレゴン州を再度空襲
・ 10月 英米、中国における治外法権撤廃を声明、不平等条約を廃止。
・ 10月 重慶で英米中ソ対日作戦会議。
・ 10月11日 サボ島沖海戦
・ 10月13日 ヘンダーソン基地艦砲射撃(ヘンダーソン飛行場艦砲射撃)
・ 10月26日 南太平洋海戦。米軍の稼動空母が0隻になる。
・ 11月12日 第三次ソロモン海戦
・ 11月30日 ルンガ沖夜戦
・ 12月8日 ニューギニア島バサプアの日本軍全滅。
1943年(昭和18年)
ニミッツとハルゼー(1943年)
・ 1月 レンネル島沖海戦
・ 1月 - 3月 カサブランカで英米首脳会談。
・ 2月 日本軍、オーストラリアのポートダーウィン爆撃。
・ 2月1日-7日 日本軍、ガダルカナル島撤退(ケ号作戦)。
・ 2月10日 - 3月下旬 日本軍、第一次アキャブ作戦開始(三一号作戦)。
・ 3月2日 ビスマルク海海戦
・ 3月26日 アッツ島沖海戦
・ 4月1日 南樺太を内地に編入。
・ 4月7日-16日 い号作戦
・ 4月18日 山本五十六連合艦隊司令長官、ブーゲンビル島上空で戦死(海軍甲事件)。
・ 5月 日本、学徒戦時動員体制の発表(学徒出陣)。
・ 5月12日 米軍、アッツ島上陸(5月29日、日本軍全滅し「玉砕」の語の使用始まる)。
・ 7月6日 クラ湾夜戦
・ 7月12日 コロンバンガラ島沖海戦
・ 7月29日 日本軍キスカ島から撤退(キスカ島撤退作戦)。
・ 8月 日本軍、バー・モウを首班としてビルマ独立を宣言。
・ 8月 カナダ・ケベックで英米首脳会談。
・ 8月6日 ベラ湾夜戦
・ 9月 イタリア、連合国に降伏。
・ 9月10日 鳥取地震が発生。鳥取市が壊滅し1083名(1100名以上とも)が死亡。情報統制の中、国内外から支援。
・ 9月17日 連合軍、ラエを占領。
・ 9月30日 御前会議で絶対国防圏構想を決定。
・ 10月 日本軍、フィリピン独立を許可。
・ 10月6日 ベララベラ海戦
・ 10月21日 東京・明治神宮外苑にて出陣学徒壮行式開催(学徒出陣のはじまり)。
・ 10月24日 スバス・チャンドラ・ボースがシンガポールで自由インド仮政府の成立を宣言。
・ 10月26日 自由インド、英米に宣戦布告。
・ 11月 東京で大東亜会議を開催、大東亜共同宣言を発表。
・ 11月1日 ブーゲンビル島沖海戦
・ 11月21日 米軍、マキン島・タラワ島上陸(11月23日 日本軍玉砕)。
・ 11月22日-26日 エジプト・カイロで英米中首脳会談(カイロ会談)。
・ 11月24日 セント・ジョージ岬沖海戦
・ 11月28日-12月1日 イラン・テヘランで英米ソ首脳会談(テヘラン会談)。
・ 12月5日 マーシャル諸島沖航空戦
1944年(昭和19年)
2機の特攻機に攻撃された米空母バンカーヒル
B-29 Superfortress
コーンパイプを咥えるマッカーサー(1944年レイテ島にて)
・ 1月 イラン、英ソと軍事同盟を結び対日断交。
・ 2月3日 日本軍、第二次アキャブ作戦開始。
・ 2月6日 クェゼリン島の日本軍玉砕。
・ 2月17日 トラック島空襲
・ 2月22日 エニウェトク環礁(ブラウン環礁)の日本軍玉砕。
・ 2月26日 日本軍、第二次アキャブ作戦を中止。
・ 3月8日 日本軍、インパール作戦開始。
・ 3月31日 古賀峯一連合艦隊司令長官が殉職(海軍乙事件)。
・ 4月17日 - 12月10日 大陸打通作戦
・ 5月25日 日本軍、洛陽占領。
・ 6月15日 米軍、サイパン上陸(サイパンの戦い。7月7日日本軍玉砕、在住日本人1万人死亡)。
・ 6月16日 米軍、中国大陸から北九州へ初空襲。
・ 6月19日 マリアナ沖海戦
・ 7月4日 日本軍、インパール作戦を中止。
・ 7月18日 東條英機内閣総辞職。
・ 7月22日 小磯国昭内閣成立。
・ 8月2日 テニアン島の日本軍玉砕。(テニアンの戦い)
・ 8月11日 グアム島の日本軍玉砕。(グアムの戦い)
・ 9月11日 米軍、ペリリュー島上陸。(ペリリューの戦い)
・ 10月10日 米軍、沖縄、台湾を空襲(十・十空襲)。
・ 10月12日 台湾沖航空戦
・ 10月20日 米軍、フィリピン・レイテ島に上陸(レイテ島の戦い)。
・ 10月23日 レイテ沖海戦
・ 10月24日 戦艦武蔵沈没(シブヤン海)。
・ 10月25日 神風特別攻撃隊、レイテで初出撃。
・ 11月10日 汪兆銘、名古屋で病死。
・ 11月10日 日本軍、桂林、柳州占領。
・ 11月24日 米軍の新型爆撃機B-29、マリアナ諸島より東京を初空襲。
・ 12月7日 東南海地震が発生し、家屋倒壊と津波で1223名が死亡。情報統制によってほとんど報道されない。
・ 12月10日 日本軍、大陸打通作戦を完了。
・ 12月26日 礼号作戦(ミンドロ島沖海戦)
1945年(昭和20年)
エラー! スイッチの指定が正しくありません。
ヤルタ会談
硫黄島の戦いに向かう米海兵隊
沖縄戦 沖縄に上陸する米軍 (4/13)
米海軍航空隊の空襲で炎上する大和(1945年4月7日)
長崎原爆
・ 1月6日 - 8月15日 ルソン島の戦い
・ 1月13日 三河地震が発生し、家屋倒壊と津波で2306名が死亡。情報統制によってほとんど報道されない。
・ 1月24日 イギリス海軍、スマトラの製油施設を空襲(メリディアン作戦)。
・ 2月 クリミア半島ヤルタで英米ソ首脳会談(ヤルタ会談)。
・ 2月10日 北号作戦
・ 2月18日 - 3月22日 硫黄島の戦い
・ 3月 イラン・トルコが対日宣戦布告。トルコでは市民が宣戦布告に反対してデモ。
・ 3月3日 米軍、マニラ占領。
・ 3月10日 東京大空襲
・ 3月12日 名古屋大空襲
・ 3月14日 大阪大空襲
・ 3月16日 神戸空襲
・ 3月25日 名古屋大空襲
・ 4月1日 - 6月23日 沖縄戦
・ 4月5日 ソ連、日本に対して翌年期限切れとなる日ソ中立条約を延長しないと通達。小磯国昭内閣総辞職
・ 4月6日 菊水作戦発令
・ 4月7日 戦艦大和沈没 鈴木貫太郎内閣成立。
・ 4月12日 アメリカ大統領のルーズベルト大統領急逝、後継に副大統領ハリー・S・トルーマン。
・ 4月30日 ドイツ総統ヒトラー自殺。
・ 5月2日 ベルリン防衛軍司令官降伏(ベルリン陥落)。
・ 5月7日 ドイツ大統領カール・デーニッツ無条件降伏を受諾、ナチス・ドイツ滅亡。
・ 5月8日 ドイツ陸海空軍代表がベルリン郊外カールスホルストで降伏文書に調印。
・ 5月16日 ペナン沖海戦
・ 5月17日から6月2日 九州大学生体解剖事件
・ 5月29日 横浜大空襲
・ 5月31日 台北大空襲
・ 6月19日-20日 静岡大空襲
・ 6月26日 国際連合発足(加盟50カ国)。
・ 7月5日 第1次横手空襲
・ 7月10日 仙台空襲
・ 7月12日 宇都宮空襲
・ 7月14日-15日 函館空襲
・ 7月14日 北海道空襲
・ 7月14日 釜石艦砲射撃
・ 7月15日 室蘭艦砲射撃
・ 7月15日 小樽空襲
・ 7月16日 アメリカが原子爆弾の実験に成功し、マンハッタン計画完成
・ 7月16日-17日平塚空襲
・ 7月25日 米国、原爆使用を決定し投下命令を下す。
・ 7月26日 ドイツのポツダムで英米ソ首脳会談、ポツダム宣言発表、日本これを黙殺。
・ 7月28日 米海軍、呉軍港爆撃(呉軍港空襲)
・ 8月6日 米軍、広島に史上初の原子爆弾投下。
・ 8月8日 日ソ中立条約を破棄し、ソ連対日宣戦布告、満州国と朝鮮半島に侵攻。(ソ連対日参戦)
・ 8月8日 福山空襲
・ 8月9日 釜石艦砲射撃
・ 8月9日 米軍、長崎に原爆投下。御前会議でポツダム宣言の受諾を決定。
・ 8月9日 大湊湾(大湊町)で海戦(大湊空襲)。事実上最後の海戦となる。
・ 8月10日 第2次横手空襲
・ 8月10日 日本、連合国にポツダム宣言受諾を打電により通告。
・ 8月14日 敗戦の詔が出される。中立国にポツダム宣言受諾を通告。中ソ友好同盟条約締結。深夜-15日未明土崎空襲。
・ 8月15日 日本国民へ玉音放送(終戦の詔)。南方軍これに抗議し戦闘続行。鈴木貫太郎内閣総辞職。
・ 8月16日 ソ連軍、南樺太に侵攻開始(28日占領)。大本営、停戦命令を出す。
・ 8月17日 東久邇宮稔彦王内閣成立。天皇、停戦の勅旨。連合国の許可を得て皇族をサイゴン・シンガポール・南京・北京・新京に派遣し、勅旨を伝える。
・ 8月18日 インドのチャンドラ・ボース、台湾で飛行機事故死。
・ 8月18日 ソ連軍、千島列島の占守島に侵攻。
・ 8月19日 フィリピン・ルソン島の日本軍部隊、停戦命令を受領。関東軍とソ連極東軍が停戦交渉開始。
・ 8月20日 樺太で真岡郵便電信局事件が起こる。
・ 8月21日 占守島の日ソ両軍、停戦する。
・ 8月22日 小笠原丸撃沈。
・ 8月25日 ソ連軍、千島列島の松輪島を占領。
・ 8月26日 満州での戦闘が終わる。
・ 8月28日 ソ連軍、千島列島の択捉島を占領。
・ 8月29日 ソ連軍、千島列島のウルップ島を占領。
・ 8月29日 米軍第一陣150名が横浜に上陸。
・ 8月30日 連合軍最高司令官マッカーサー、厚木飛行場に到着。
・ 9月1日 ソ連軍、千島列島の国後島・歯舞群島を占領。
・ 9月2日 降伏文書調印、太平洋戦争(大東亜戦争)終結。
・ 9月3日 ソ連・中国にとっての対日勝利の日。ルソン島の日本軍降伏。
・ 9月5日 ソ連軍、千島列島の色丹島を占領。ソ連軍が北方四島の占領を完了。関東軍首脳部がハバロフスクへ移動、後に57万人がシベリア抑留となる。
・ 9月中旬 中国大陸の支那派遣軍降伏。 9月9日、支那派遣軍総司令官岡村寧次が降伏文書に南京で署名した。image
・ 10月15日 本土の日本軍、武装解除完了。