歴史・人名

徳川将軍家

徳川将軍家  三つ葉葵
江戸城(千代田区千代田1)
移封加減増履歴・慶長8年→約700万石(直轄領+旗本領など)・慶応4年→駿河府中70万石
爵位・侯爵

■慶応4年(1868)閏4月29日、新政府の三条実美は江戸城中にて徳川一門の長老である一橋家徳川茂栄に、徳川将軍家(宗家=本家)を田安家徳川亀之助に家督相続させることを伝えた。
同年(慶応4年は9月8日から明治元年)5月24日、徳川亀之助に駿河府中70万石が与えられ、亀之助は名を家達(いえさと)と改め、8月9日に江戸を発ち8月15日に駿河府中に入る。

駿河府中藩の明治2年現在の家数・人口は、
藩士戸数→1万93軒
藩士人員→4万8064人
藩内総戸数→15万7297軒(藩士も含む)
藩内人員→77万7011人
明治元年の秋口から旧幕臣の移住が続き、駿河に遠江、三河への旧幕臣の移住者を合わせると明治2年までに戸主総数1万2000人前後を数えたという。困窮する者が多く府中藩では、元の禄高に応じて米塩を支給(3000石以上は5人扶持など)。
財政負担の増大から府中藩では渋沢篤太郎(栄一)の建策を採り、殖産興業から商法会所を創設して運営主任に渋沢を任じ、駿河国産の紙・茶・砂糖・漆器などを売り、創設8ヵ月で8万6000両の利益と1400両の積立金を得たという。
明治2年6月、新政府への配慮から藩名を府中(不忠に通じる)を静岡と改めた。

明治2年1月現在の藩の職制は、
家老→平岡丹波
中老→浅野次郎八など6名
準中老→大久保一翁
幹事役→勝海舟、山岡鉄太郎
藩政の執務は中老(幕府時代の若年寄に相当)が主導し、家老は名誉職に過ぎなかったらしい。新政府と関係する事項はすべて幹事役が管掌し、家臣団は大番組・新番組・勤番組の三組に編成された。
明治4年7月、静岡藩は廃藩置県により、静岡県と浜松県に編入となった。
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初代・家康(いえやす)
松平広忠の子 母は於(お)大の方(刈谷城主水野忠政の娘、忠政は結城藩藩祖勝成、新宮藩藩祖重央の祖父)
生没・天文11年(1542)~元和2年(1616)
慶長8年(1603)征夷大将軍右大臣、幕府開府
慶長10年譲位して大御所
元和2年(1616)太政大臣
従一位太政大臣
正室・築山殿(関口義広の娘=今川義元の姪)
継室・朝日姫(豊臣秀吉の異父妹)
子女・長男信康(武田勝頼内通の疑いから自裁)
長女亀姫→中津藩・忍藩家祖奥平信昌室 
次男秀康(豊臣秀吉養子から結城晴朝養子となるも松平姓に復し越前北庄68万石領封) 
次女督姫→北条氏直室→岡山藩池田輝政室 
三男2代秀忠 四男忠吉(関ヶ原軍功から尾張57万石領封も病没) 
振姫→蒲生秀行室→広島藩浅野長晟室 
五男信吉(関ヶ原の戦い後に水戸25万石領封も病没) 
六男忠輝(伊達政宗の娘を娶り越後高田70万石領封も家中騒動で除封) 
九男義直(甲斐25万石から尾張61万9500石領封) 
10男頼宣(水戸20万石から駿河府中50万石を経て紀伊55万5000石領封) 
11男頼房(常陸下妻10万石から水戸28万石領封) 
猶子良純入道親王(御陽成天皇の第13皇子)
養女小松姫(岡崎藩藩祖本多忠勝の娘)→松代藩藩祖真田信之室
養女千姫(中津藩・忍藩家祖奥平信昌の娘)→小田原藩大久保忠隣の嫡子忠常室
養女登久姫(家康の長男岡崎信康の娘)→小倉藩藩祖小笠原秀政室
養女(松平康元の娘、康元は伊予松山藩藩祖定勝の兄で当時関宿藩主だったが、子孫は無嗣除封)→岸和田藩藩祖岡部長盛室
養女満天姫(松平康元の娘)→福島正則(広島城無断修築から減封、後に子孫は旗本として存続)の養嗣子正之室(正之は別所氏と正則の姉の間の子、後に正則により幽閉され餓死)→弘前藩津軽信枚
養女栄姫(保科正直の娘、正直は飯野藩藩祖正貞の父)→福岡藩黒田長政室
養女(松平康元の娘)→田中忠政室(忠政は当時久留米藩主だったが、後に無嗣除封)→豊後府内藩松平成重室
養女(松平康元の娘)→長門府中藩藩祖毛利秀元室
養女(松平康元の娘)→松平忠政室(忠政は高田藩藩祖榊原康政の長男で当時横須賀藩主、忠政の長男忠次は榊原家を相続)→菅沼定芳室(定芳は当時伊勢長島藩主だったが、子孫は無嗣除封)
養女名阿姫(伊予松山藩松平定勝の娘)→土佐藩山内忠義室
養女蓮姫(戸田康直の娘、康直は康長の子で信濃松本藩2代藩主)→久留米藩有馬豊氏室
養女(松平康親の娘、康親は棚倉藩藩祖康重の父)→彦根藩家祖井伊直政室
養女茶々(岸和田藩岡部長盛の娘)→佐賀藩鍋島勝茂室
養女国姫(岡崎藩本多忠政の娘)→堀忠俊室(忠俊は当時越後福島藩主だったが家中騒動により除封)→丸岡藩有馬直純室
養女(岡崎藩本多忠政の娘)→小笠原忠脩室(忠脩は小倉藩秀政の子、安志藩長次の父)→小笠原忠真室(忠真は忠脩の弟で小倉藩2代藩主)
養女(水野忠重の娘、忠重は結城藩藩祖勝成の父)→加藤清正室(清正没後に家中騒動から減封、その後無嗣除封)
養女万姫(小倉藩小笠原秀政の娘)→阿波藩蜂須賀至鎮室
養女ヨウ(保科正直の娘)→小出吉英室(吉英は当時出石藩主だったが子孫は後に無嗣除封、弟は園部藩藩祖吉親)
養女(信濃松本藩戸田康長の娘)→大垣藩戸田氏鉄室 
養女(保科正直の娘)→水口藩加藤明成室
養女(保科正直の娘)→岡部藩安部信盛室
養女(松平家清の娘、家清は当時吉田藩主、後に除封)→浅野長重室(長重は当時下野真岡藩主、後に子孫は播磨赤穂へ移封、刃傷事件により除封)
2代・秀忠(ひでただ)
家康三男 母は西郷の局(戸塚忠春の娘)
生没・天正7年(1579)~寛永9年(1632)
家督・慶長10年(1605)相続
元和9年(1623)譲位して大御所
寛永3年(1626)太政大臣
従一位太政大臣
正室・お江与の方(浅井長政の娘、淀君の妹)
子女・次男3代家光 三男忠長(駿河甲斐遠江の内で55万石領封も除封・高崎配流後に自裁)
長女千姫→豊臣秀頼室→岡崎藩本多忠勝の嫡子忠刻室
次女子々姫→加賀藩前田利常室 
三女勝姫(高田殿)→津山藩松平忠直室 
四女初姫→丸亀藩京極忠高室
五女和子(松姫)→後水尾天皇女御(その後皇后となり中宮と称される、明正天皇生母、院号は東福門院)
四男正之(側室お静の方との間に生まれるが当時高遠藩主保科正光<正光は飯野藩藩祖正貞の兄>の養子となる、その後会津23万石藩祖)
養女土佐姫(家康の次男結城秀康の娘)→長州藩毛利秀就室
養女千代姫(小倉藩小笠原秀政の娘)→熊本藩細川忠利室
養女(中津藩奥平家昌の娘)→堀尾忠晴室(忠晴は当時松江藩主だったが子孫は無嗣除封)
養女振姫(岡山藩池田輝政の娘)→仙台藩伊達忠宗
養女(蒲生秀行の娘、秀行は氏郷の子で当時会津藩主だったが、子孫は無嗣除封)→加藤忠広室(清正の子で当時熊本藩主だったが、家中騒動で減封、その後無嗣除封)
養女(高田藩榊原康政の娘)→岡山藩池田利隆室
養女(松平忠良の娘、忠良は康元の長男で当時大垣藩主だったが子孫は無嗣除封)→福岡藩黒田忠之室
養女勝姫(岡崎藩本多忠勝の嫡子忠刻の娘)→岡山藩池田光政室
養女亀姫(津山藩松平忠直の娘)→高松宮(後に有栖川宮)好仁親王妃
養女完子(豊臣秀勝の娘、母はお江与の方で秀忠に嫁す前の子、秀勝は秀吉の甥、秀次の弟で文禄の役の際に病没)→九条幸家室

3代・家光(いえみつ)
秀忠次男 母は正室お江与の方
生没・慶長9年(1604)~慶安4年(1651)
家督・元和9年(1623)相続
寛永11年(1634)太政大臣を辞退
従一位左大臣
正室・鷹司信房の娘孝子
子女・長男家綱(4代)
次男綱重(甲斐甲府25万石領封、正室は二条光平の娘、継室は綾小路俊景の娘、長男家宣は6代将軍、三男清武は6万余石浜田藩藩祖) 
四男綱吉(家綱養子、5代) 
千代姫→尾張藩徳川光友室
猶子尊光入道親王(後水尾上皇の第25皇子)
養女大姫(水戸藩徳川頼房の娘)→加賀藩前田光高室
養女満姫(加賀藩前田利常の娘)→広島藩浅野光晟室
養女通姫(岡山藩池田光政)→一条教輔室
養女鶴姫(津山藩松平忠直室)→九条道房室

4代・家綱(いえつな)
家光長男 母はお楽の方(下野国の百姓青木利長<朝倉惣兵衛とも>の娘、母も同国の百姓増山織部の娘、弟の正利は長島藩藩祖となっている)
生没・寛永18年(1641)~延宝8年(1680)
家督・慶安4年(1651)相続
従一位右大臣
正室・伏見宮貞清親王の王女顕子
子女・養子綱吉(5代)

5代・綱吉(つなよし)
家光四男 母はお玉の方(後の従一位桂昌院、京都の八百屋仁左衛門の娘、母は二条光平の家司本庄宗利と再縁、異父弟の宗資は宮津藩藩祖となっている)
生没・正保3年(1646)~宝永6年(1709)
上野館林25万石領封するも延宝8年(1680)8月、兄家綱の養子となり将軍家家督相続
宝永2年(1705)右大臣
正二位右大臣
正室・鷹司房輔の娘従姫
子女・鶴姫→紀伊藩徳川綱教室 徳松(5歳没)
養女松姫(尾張藩徳川綱誠の娘)→加賀藩前田吉徳室
養女八重姫(鷹司房輔の子輔信の娘)→水戸藩徳川綱条の嫡子吉孚室
養女竹姫(清閑寺熙定の娘)→会津藩松平正容の嫡子正邦と婚約するも正邦病没、有栖川宮正仁親王と婚約するも入輿前に正仁病没→8代吉宗養女
養子綱豊(6代家宣)

6代・家宣(いえのぶ)
家光の次男甲斐府中藩徳川綱重の長男 母はお保良の方(北条氏直の家臣田中勝宗の娘、姉の嫁ぎ先の魚商人伏見屋五郎兵衛の家で育つ)
生没・寛文3年(1663)~正徳2年(1712)
宝永元年(1704)綱吉の養子となり、綱豊から家宣に改名、宝永6年(1709)将軍家家督相続
正二位内大臣
正室・近衛基熙の娘熙子
子女・7代家継
7代・家継(いえつぐ)
家宣四男 母はお喜世の方(元加賀藩前田家の槍術指南勝田玄哲の娘)
生没・宝永6年(1709)~正徳6年(1716)
家督・正徳3年(1713)相続
正二位内大臣
正室・霊元上皇の皇女吉子(八十宮、結納のみで降嫁せず)
子女・養子吉宗(8代)

8代・吉宗(よしむね)
紀伊藩徳川光貞の四男 母はお紋の方(紀伊藩下級武士<巨勢村の百姓とも>巨勢利清の娘) 
生没・貞享元年(1684)~宝暦元年(1751)
元禄10年(1697)別家して越前丹生3万石領封、宝永2年(1705)本家紀州藩主となるも、享保元年(1716 6月22日より享保)将軍家家督相続
延享2年(1745)譲位し大御所
従一位右大臣
正室・伏見宮貞致親王の王女理子
子女・長男9代家重 次男宗武(田安家家祖)
四男宗尹(一橋家家祖)
養女竹姫(5代綱吉の養女)→薩摩藩島津継豊室
養女利根姫(紀伊藩徳川宗直の娘)→仙台藩伊達宗村

9代・家重(いえしげ)
吉宗長男 母はお須磨の方(紀伊藩家臣<家禄800石>大久保忠直の娘)
生没・正徳元年(1711)~宝暦11年(1761)
家督・延享2年(1745)相続
宝暦10年(1760)譲位
病弱ながらも酒好き、言語不明瞭だったという
従一位右大臣
正室・伏見宮邦永親王の王女増子
子女・長男家治(10代) 
次男重好(清水家家祖)
10代・家治(いえはる)
家重長男 母はお幸の方(梅渓通条の娘)
生没・元文2年(1737)~天明6年(1786)
家督・宝暦10年(1760)相続
安永9年(1780)右大臣
従一位右大臣
薨去後、贈正一位太政大臣
正室・閑院宮直仁親王の王女倫子
子女・長男家基(鷹狩の後に急死) 
万寿姫→尾張藩徳川治休と結納の後に病没
養女種姫(田安家徳川宗武の娘)→紀伊藩徳川治宝室
11代・家斉(いえなり)
一橋家徳川治済の長男 母はお富(登美)の方(紀伊藩系幕臣岩本正利の娘)
生没・安永2年(1773)~天保12年(1841)
天明元年(1781)家治の養子となり、天明7年(1787)将軍家家督相続
天保8年(1837)譲位し大御所
従一位太政大臣
正室・近衛経熙の養女(薩摩藩島津重豪の娘寔子) 
子女・淑姫→尾張藩徳川斉朝室 12代家慶
敬之助(尾張藩徳川宗睦養子) 
敦之助(清水家2代) 峯姫→水戸藩徳川斉脩室 斉順(清水家3代→紀伊藩徳川治宝養子) 
浅姫→福井藩松平斉承室 
虎千代(紀伊藩徳川治宝養子) 
元姫→会津藩松平容衆室 
文姫→高松藩松平頼胤室 斉明(清水家4代) 斉荘(紀伊藩徳川斉順養子) 
盛姫→佐賀藩鍋島直正室 
斉衆(鳥取藩池田斉稷養子) 
和姫→長州藩毛利斉広室 
溶姫→加賀藩前田斉泰室 
斉民(津山藩松平斉孝養子) 
末姫→広島藩浅野斉粛室 
喜代姫→姫路藩酒井忠学室
永姫→一橋家徳川斉位室 
斉温(尾張藩徳川斉朝養子) 
斉良(浜田藩松平武厚養子) 
斉彊(紀伊藩徳川斉順養子) 
斉善(福井藩松平斉承養子)
斉裕(阿波藩蜂須賀斉昌養子) 
斉省(川越藩松平斉典養子) 
斉宣(明石藩松平直韶養子) 
泰姫→鳥取藩池田斉訓室
12代・家慶(いえよし)
家斉次男、母はお楽(羅久)の方(小姓組押田敏勝の娘)
生没・寛政5年(1793)~嘉永6年(1853)
家督・天保8年(1837)相続
従一位左大臣
正室・有栖川宮織仁親王の王女喬子
子女・四男家定(13代) 
五男慶昌(一橋家徳川斉位養子) 
暉姫→田安家徳川慶頼と縁組するも病没 
養女精姫(有栖川韶仁親王の王女)→久留米藩有馬頼咸室 
養女線姫(有栖川幟仁親王の王女)→水戸藩徳川慶篤室

13代・家定(いえさだ)
家慶四男 母はお美津の方(先手弓頭跡部正寧の娘)
生没・文政7年(1824)~安政5年(1858)
家督・嘉永6年(1853)相続
子ができないことから継嗣問題が起きる
正二位内大臣
正室・鷹司政通の養女(鷹司政熙の娘任子) 
継室・一条忠良の娘秀子
継室・近衛忠熙の養女(薩摩藩島津斉彬の養女、実は家臣島津忠剛の娘敬子)
子女・養子慶福(14代)

14代・家茂(いえもち)
紀伊藩徳川斉順の長男 母はおみさ(操)の方(紀伊藩家臣松平六郎右衛門晋の娘)
生没・弘化3年(1846)~慶応2年(1866)
嘉永2年(1849)紀伊藩主となるも、安政5年(1858)家定の養子となり、慶福(よしとみ)から家茂に改名し、将軍家家督相続
従一位右大臣
正室・仁孝天皇の第八皇女和宮
子女・養子慶喜(15代)

15代・慶喜(よしのぶ)
水戸藩徳川斉昭の七男 母は正室登美宮(有栖川宮織仁親王の第五王女吉子)
生没・天保8年(1837)~大正2年(1913)
弘化4年(1847)一橋家を相続するも、慶応2年(1866)将軍家家督相続
慶応3年(1867)10月大政奉還
慶応4年閏4月徳川将軍家(徳川宗家)を田安家7代徳川家達が相続し、徳川宗家(本家)は駿府70万石に封ぜられる
正二位内大臣
正室・一条忠香の養女(今出川公久の娘美賀子)

氏名生没年在職期間官位院号
1徳川家康天文11(1542)~元和2(1616)慶長8(1603)~慶長10(1605)従一位太政大臣松平広忠安国院
2徳川秀忠天正7(1579)~寛永9(1632)慶長10(1605)~元和9(1623)従一位太政大臣徳川家康台徳院
3徳川家光慶長9(1604)~慶安4(1651)元和9(1623)~慶安4(1651)従一位左大臣徳川秀忠大猷院
4徳川家綱寛永18(1641)~延宝8(1680)慶安4(1651)~延宝8(1680)従一位右大臣徳川家光厳有院
5徳川綱吉正保3(1646)~宝永6(1709)延宝8(1680)~宝永6(1709)正二位右大臣徳川家光常憲院
6徳川家宣寛文2(1663)~正徳2(1712)宝永6(1709)~正徳2(1712)正二位内大臣徳川綱重文昭院
7徳川家継宝永6(1709)~享保元(1716)正徳3(1713)~享保元(1716)正二位内大臣徳川家宣有章院
8徳川吉宗貞享元(1684)~宝暦元(1751)享保元(1716)~延享2(1745)従一位右大臣徳川光貞有徳院
9徳川家重正徳元(1711)~宝暦11(1761)延享2(1745)~宝暦10(1760)従一位右大臣徳川吉宗惇信院
10徳川家治元文2(1737)~天明6(1786)宝暦10(1760)~天明6(1786)従一位右大臣徳川家重浚明院
11徳川家斉安永2(1773)~天保12(1841)天明7(1787)~天保8(1837)従一位太政大臣徳川治済文恭院
12徳川家慶寛政5(1793)~嘉永6(1853)天保8(1837)~嘉永6(1853)従一位左大臣徳川家斉慎徳院
13徳川家定文政7(1824)~安政5(1858)嘉永6(1853)~安政5(1858)正二位内大臣徳川家慶温恭院
14徳川家茂弘化3(1846)~慶応2(1866)安政5(1858)~慶応2(1866)従一位右大臣徳川斉順昭徳院
15徳川慶喜天保8(1837)~大正2(1913)慶応2(1866)~慶応3(1867)正二位内大臣徳川斉昭