人物た
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| 氏名 記事 | ![]() |
| たいせい 大成 [1247年~1308年]◇ 父:英祖英祖王統(5代90年)二代目 在位年:1300~1308年 英祖の子。父の在位が長かったため54歳で王位に就いた。温厚・謙虚な人柄で常に仁義を惜しむことなく物事にあたり、その治世は平穏な時代だったという。 | ![]() |
| たまぐすく 玉城 [1296年~1336年]◇ 父:英慈の第四子英祖王統(5代90年)四代目 在位年:1314~1336年 英慈の第四子。1306年、玉城を領したことから玉城王子と称した。酒や狩猟を好んで政務を怠ったため民衆の信頼を失い、国が三山に分かれ抗争が始まったとされる | ![]() |
| たかぎのかみ 高木神 →高御産巣日神 | ![]() |
| たかまひこ 高天彦神 →高御産巣日神 | ![]() |
| たかみおう 高見王 生没年: 父:葛原親王 妻: 高望王(桓武平氏(高望流)へ) | ![]() |
| たかみむすひのみこと 高皇産霊尊 →高御産巣日神 日本神話にみえる神の名。《古事記》では天御中主(あめのみなかぬし)神,神産巣日(かむむすひ)神とともに天地初発にあらわれた神とされ,表記は高御産巣日神。ムスは生ずる意。ヒは霊力を意味する。壱岐島の月神が〈我が祖高皇産霊,天地鎔造の功あり〉と神託したという(《日本書紀》顕宗天皇条)。この高皇産霊=創造神説は,この神に創造的活動がなく,一般に創造神は天地創造後,多くは出現しないことからみて信頼できない。この神は《日本書紀》天孫降臨条に〈皇祖〉とあり,また神祇官の八神殿や新嘗の斎庭(ゆにわ)に祭られる。豊饒神,皇祖神として重視された時期があり,それが《古事記》《日本書紀》で主宰神として,国譲りの使者や天孫降臨の際の降臨する神の指名,神武天皇条の神剣や八咫烏(やたがらす)の派遣という重要な役割につながっていったのである。しかし《古事記》《日本書紀》では,すでに,高天原(たかまがはら)や新たな皇祖神,豊饒神の天照大神(あまてらすおおかみ)の成立によって,この神の役割が天照大神に交替してゆく姿を見せている。この神の別名,高木(たかぎ)神は,それが樹木に依り憑(つ)く神の一種であったからであり,必ずしも神の垂直的行動とは関連しない。 (コトバンク) | ![]() |
| たかみむすび 高皇産霊 →高御産巣日神 | ![]() |
| たかみむすびのかみ 高御産巣日神 高御産巣日神 タカミムスビノカミ 別称・高皇産霊尊(タカミムスビノミコト)、高木神(タカギノカミ)、高天彦神(タカマヒコノカミ)、高皇産霊(たかみむすひ) 性別:♂系譜:天之御中主神のつぎに高天原に現れた神。造化三神(ゾウカノサンシン)の一柱神格:天神地祗の祖神、生成力の本源神、高天原の最高指令神神社:安達太良神社、白髭神社、東京大神宮、四柱神社、赤丸浅井神社、高牟神社、高天彦神社 子 :思兼神(おもひかねのかみ)、少彦名命(すくなびこなのみこと)(紀)、栲幡千千姫(たくはたちぢひめ)、三穂津姫 高御産巣日神 タカミムスビノカミ 性別:♂系譜:天之御中主神のつぎに高天原に現れた神。造化三神(ゾウカノサンシン)の一柱神格:天神地祗の祖神、生成力の本源神、高天原の最高指令神神社:安達太良神社、白髭神社、東京大神宮、四柱神社、赤丸浅井神社、高牟神社、高天彦神社 天地の始めに天之御中主神、神産巣日神とともに高天原に現れた神で、特に神産巣日神(女性的神格)とは一対の神格として男女の産霊(ムスビ)の神とされる。一般にこの神は、世界にあまねく満ちている”ものを産み出す生成力”を神格化したもので、名前の「産霊」は生産、生成を意味することばである。高御産巣日神が、豊穣を祈る皇室の祭祀である大嘗祭のときに神聖な稲穂を収穫する斎田の傍らに祀られたり、春に豊作を祈願する祈年祭(トシゴイノマツリ)に祀られたりすることからもうかがえるように、本来、農耕、生産に深く関係している神霊である。 また、高御産巣日神神は「日本書紀」の顕宗天皇の条に、その事績として「天地を鎔造した功あり」と記されている。鎔造とは金属を溶かして型にはめてものを作ることであり、日本の金属文化とも関わりの深い神としての姿もうかがえる。つまり、金属を鍛造して農具や武器などを作り出す文化を司る神格でもあるということだ。とくに、金属の農具の登場は、古代において作物の生産力を飛躍的に発展させたわけであるが、そうしたことにも高御産巣日神の「産霊」の力が関係していると考えていいだろう。 ところで、神話のなかで高御産巣日神は「天孫降臨」「国譲り」「神武東征」などの場面にしばしば登場。天照大神とともに高天原の政治の司令神として種々の命令を発動したりして、行動はなかなか活発である。その活動ぶりを見ると、大変に政治色が強く、長老的な政治手腕に長けており、いってみれば得意技は巧みな根回しの術ということになる。 たとえば、娘の栲幡千々姫命を天照大神の御子の天忍穂耳神と結婚させ、二人の間に皇室の祖先神の正統に連なる邇邇芸命を出生させている。これなどは、政治権力者のサバイバルの常套手段である。また、天孫降臨に先立って、天孫邇邇芸命の安全を期すために、あらかじめ葦原中津国(地上)の平定を画策し、天若日子神や武甕槌神を派遣して圧力をかける。あるいは、のちに大和に信仰した神武天皇のもとに神剣を下し、八咫烏を派遣するなどしてその大和政権樹立の偉業達成を援助している。このように、高御産巣日神は高天原の司令神として祭事、政治、軍事を司る実力者である。 人間関係をうまくやりたい、交渉ごとなどを成功させたいと思う人は、この神にお願いするといいだろう。 | ![]() |
| たかみむすびのかみ 高皇産霊神 →高御産巣日神 | ![]() |
| たかみむすびのかみ 高皇産霊神 ○高御産巣日神、高皇産霊、高皇産霊神、高皇産霊尊、高天彦神、高木神。 →高御産巣日神 | ![]() |
| たけだ しんげん 武田信玄 武田信玄(153cm) 三英傑の1人に数えられる織田信長を一時は追い詰め、三方ヶ原の戦いに勝利した武田信玄(たけだしんげん)。 流れは完全に武田軍であったものの病に悩まされ、人生の幕を閉じた人物です。もともと体が弱かった武田信玄ですが、実は身長も低かったといわれています。 最期は病に倒されてしまったものの生前は大きな功績を残し、戦国時代に大きな波を立てた人物ともいえるでしょう。 | ![]() |
| たけだ ときつな 武田時綱 [不詳]○六郎、伊豆守、伊予守、安芸守、弾正少輔、安芸守護◇。父:武田信時。子:?-1330 武田信宗。 武田氏(甲斐源氏)の当主の武田信政の孫、信時の子、時頼・政頼の弟、信実の兄、信宗の父。北条得宗家の北条時頼から一字を与えられた。 | ![]() |
| たけだ のぶみつ 武田信光 [応保2年(1162)-宝治(ほうじ)2年(1248)12月5日]○石和五郎、伊沢五郎、伊豆守、伊予守、大膳大夫、従四位下、甲斐守護、1221-1348 安芸守護◇。父:武田信義の5男。室:室:(父:新田義重)。子:黒坂太郎朝信 悪三郎信忠 ?-1265 信政 甲斐守 一条六郎信長 駿河守 岩崎七郎信隆 早川八郎信平 間淵九郎信基 菊王禅師 信快 十郎光経 娘(紀伊守護 佐原義連室)。 平安後期-鎌倉時代の武将。 応保2年生まれ。武田信義の5男。治承(じしょう)4年源頼朝の挙兵にくわわる。甲斐(かい)(山梨県)石和(いさわ)を本拠とし,武田氏の家督をつぐ。安芸(あき)(広島県)守護となり,和田氏の乱,承久(じょうきゅう)の乱で功をたてた。宝治(ほうじ)2年12月5日死去。87歳。 | ![]() |
| たけだ のぶもり 武田信守 [-1455]○弥三郎、刑部大輔、甲斐守護◇。父:武田信重。子:1447-1505 武田信昌。 甲斐源氏第15代当主で武田氏の12代当主。 安芸武田氏の第3代当主でもあります。 | ![]() |
| たけだおう 竹田王 デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「竹田王」の解説 竹田王 たけだおう ?-715 飛鳥(あすか)-奈良時代の官吏。 天武天皇10年(681)川島皇子・忍壁(おさかべ)親王らと帝紀(ていき)や上古諸事(本辞(ほんじ)・旧辞(きゅうじ)など)の編修に参加。14年広瀬王らと京・畿内の兵器を検閲した。持統天皇3年判事,和銅元年刑部卿(ぎょうぶきょう)となる。和銅8年3月15日死去。 (コトバンク) | ![]() |
| たけだのきみ 武田王 日本武尊の子で、仲哀天皇の弟である。 古事記に宅美神社西南方面は、広大なる武田王の御所屋敷であったと記されている。 なお、宅美神社の祭神は、武田王その人である。 | ![]() |
| だいご 醍醐家 清華家 新家 内々 312石 藤原氏北家摂関流一条庶流 侯爵 居所・烏丸通中立売下ル(京都市上京区) 10代忠敬は戊辰戦争で奥羽鎮撫総督参謀を務め、功により賞典禄600石を下賜された。 | ![]() |
| だいご かねずみ 醍醐兼純 4代 一条道香の猶子(一条兼香の子) 母は某氏生没・延享4年(1747)~宝暦8年(1758)従三位権中納言正室・なし子女・養子冬香(5代) | ![]() |
| だいご ただおさ 醍醐忠順 9代 一条忠良の猶子(7代輝弘の子) 母は継室鷹司政?の娘生没・天保元年(1830)~明治33年(1900)従一位権大納言大阪府知事正室・不詳子女・10代忠敬 忠告 忠直 | ![]() |
| だいご ただたる 醍醐忠善 8代 一条忠良の猶子(7代輝弘の子) 母は正室一条輝良の養女生没・文政2年(1819)~文政3年(1820)従五位下正室・なし子女・養子忠順(9代) | ![]() |
| だいご つねたね 醍醐経胤 3代 冬凞の子 母は正室宗義真の娘生没・享保2年(1649)~安永10年(1704)従一位右大臣正室・対馬府中藩宗義誠の娘子女・養子兼純(4代) 冬香 輝久 | ![]() |
| だいご てるひさ 醍醐輝久 6代 一条道香の猶子(3代経胤の次男) 母は某氏生没・宝暦10年(1760)~享和元年(1801)正二位権大納言正室・一条輝良の養女(阿波藩蜂須賀重喜の娘)子女・7代輝弘 女子→徳大寺実堅室隆生(四条隆師養子) | ![]() |
| だいご てるひろ 醍醐輝弘 7代 一条輝良の猶子(6代輝久の子) 母は正室一条輝良の養女生没・寛政3年(1791)~安政6年(1859)従一位内大臣正室・一条輝良の養女(阿波藩蜂須賀至央の娘)継室・鷹司政?の娘子女・8代忠善 忠順 男子(徳大寺実堅猶子) | ![]() |
| だいご ふゆか 醍醐冬香 5代 一条道香の猶子(3代経胤の長男) 母は某氏生没・寛延4年(1751)~明和9年(1772)正三位権中納言正室・不詳子女・養子輝久(6代) | ![]() |
| だいご ふゆもと 醍醐冬基 初代 一条昭良の子 母は某氏生没・正保5年(1648)~元禄10年(1697)正二位権大納言正室・不詳子女・2代冬凞 公全(徳大寺実維養子) | ![]() |
| だいごふ ゆひろ 醍醐冬凞 2代 冬基の子 母は某氏生没・延宝7年(1679)~宝暦6年(1756)従一位左大臣正室・対馬府中藩宗義真の娘子女・3代経胤 女子→大炊御門経秀室女子→広幡長忠室 | ![]() |
| だて 伊達宗景 伊達宗景() 父・ 母・ 伊達家 | ![]() |
| だて こじろう 伊達小次郎 (1568..~1590.4.7) 別名:伊達政道 父:伊達輝宗の次男 母:義姫 妻: 子: 伊達家 | ![]() |
| だて さねうじ 伊達実氏 承応3年(1654年) - 享保2年7月8日(1717年8月14日) 亘理伊達氏5代当主。伊達基実の養子 父・伊達宗敏 母・ 伊達家 | ![]() |
| だて しげざね 伊達成実 初代成実(1568-1646)は伊達政宗(まさむね)・忠宗(ただむね)親子を支えました。仙台藩が江戸城 え ど じ ょ う 修築 を命じられた際には政宗の代理として江戸へ出向き工事を監 かん 督 とく しました。藩のために 力を奮 ふる う成実を、忠宗は厚く信頼していたようで、正保2 しょうほう 年(1645)病の成実に宛 あ て た書状では「常々、養生の御心懸 おこころがけ 油断無く成され、何とぞ長命ニ御座候 ござそうろう 様ニ朝暮 ちょうぼ 存 ぞん じ 候間〔常に油断無く養生を心掛 こころが けてください。どうか長生きしてほしいといつも願っ ています〕」と記していて、成実に対する思いの強さがうかがえます。 | ![]() |
| だて ちかむね 伊達周宗 9代 父・伊達斉村の長男 母・鷹司輔平の娘 生没・1796年4月9日(寛政8年3月2日) - 1809年(文化6年) 家督・寛政8年(1796)相続 陸奥国仙台藩9代藩主。伊達氏25代当主 文化9年(1812)隠居 正室・将軍徳川家斉の娘 子女・養子伊達斉宗(10代) 伊達重村━━━伊達斉村━┳━伊達周宗───(伊達斉宗)───(伊達斉義) ┗━伊達宗純 (伊達斉宗) 伊達家 | ![]() |
| だて ちかむね 伊達周宗 9代 父・伊達斉村の長男 母・鷹司輔平の娘 生没・1796年4月9日(寛政8年3月2日) - 1809年(文化6年) 家督・寛政8年(1796)相続 陸奥国仙台藩9代藩主。伊達氏25代当主 文化9年(1812)隠居 正室・将軍徳川家斉の娘 子女・養子伊達斉村(10代) 伊達家 | ![]() |
| だて まさむね 伊達政宗 伊達政宗(推定159.4cm) 公益財団法人の瑞鳳殿公式HPでは、戦後行われた発掘調査により、伊達政宗の身長が159.4㎝であると紹介されています。(参考:三藩主の墓とその遺品) 伊達政宗といえば「独眼竜政宗」で名を馳せており、優れた力を持っていました。 しかしまだ幼い頃は内気な性格をしており、天然痘により変わった自身の顔にコンプレックスを持っていたという話もあります。 天下は取れなかった生涯となってしまいましたが、戦国時代に大きな影響を与えた1人には変わりありません。 ?伊達政宗が眼帯で片目を隠す理由は?肖像画が眼帯を付けていないワケ | ![]() |
| だて むねおき 伊達宗興 1645年(正保2年) - 1702年(元禄15年) 東市正 従五位下 父・伊達宗勝 母・立花宗茂の養女 子:伊達右近 伊達宗勝━伊達宗興┳ ┣ ┗伊達右近 | ![]() |
| だて むねとう 伊達家八世伊達宗遠 正中元年(1324年) - 元中2年/至徳2年5月20日(1385年6月28日) 弾正少弼 従五位下 父・伊達行朝 母・静照院 子・伊達政宗(伊達家九世) 文和2年/正平8年(1353年) - 応永12年9月14日(1405年10月7日) 伊達行朝━伊達宗遠━伊達政宗 伊達家 | ![]() |
| だて むねもと 伊達宗元 寛永19年8月25日(1642年9月19日) - 正徳2年10月11日(1712年11月9日) 安芸 涌谷伊達家3代当主 父・伊達宗重の次男 母・天童頼重の娘 伊達家 | ![]() |
| だて むねよし 伊達宗賀 父・ 母・ 伊達家 | ![]() |
| だて むねよし 伊達宗賀 11代宗賀(1785-1852)は領主となって以 い 降 こう 、幼少の ようしょう 9代藩主周 ちか 宗 むね を補 ほ 佐 さ しました。その功により 文 ぶん 化 か 9年(1812)500石の領地加増を受けたほか、10代藩主斉 なり 宗 むね から「宗」の字を賜り実 さね 孝 たか から改め 宗賀と名乗るようになりました。翌 よく 年 ねん には斉宗から刀、茶器、掛 かけ 軸 じく などをもらい受け、文 ぶん 政 せい 4年(1821) に江戸初参 さん 勤 きん の11代藩主斉 なり 義 よし が宗賀の仙台屋 や 敷 しき に立ち寄り刀を授けるという出来事もありました。 | ![]() |
| だて むらしげ 伊達村成 6代村成(1686-1726)は江戸において仙台藩の政務に尽力す じんりょく ることが多く、正 徳 しょうとく 2年(1712)には日光東照宮修復事業の総奉行 そうぶぎょう を務め幕府から褒賞を ほうしょう 受けました。ま た、藩主吉 よし 村 むら が狩猟の しゅりょう ため鳥の海に訪れ おとず た際に手厚くもてなしたこともあり、享保8 きょうほう 年(1723)には吉村から雪薄の ゆきすすき 家 か 紋 もん を賜り たまわ ました。享保11年(1726)5月に村成が病 にかかると、吉村は何度も見 み 舞 ま い、医者を派 は 遣 けん して療養に りょうよう あたらせました。 | ![]() |
| だてまさみち 伊達政道 永禄11年(1568年) - 天正18年4月7日(1590年5月10日) 伊達小次郎 父・伊達輝宗の次男 母・義姫 ---- 伊達晴宗━┳━伊達親隆 ┃(岩城親隆) ┣━伊達政景 ┣━伊達昭光 ┃(石川昭光) ┣━伊達盛重 ┣━伊達政重 ┃(国分盛重) ┣━伊達直宗 ┃(杉目直宗) ┗━伊達輝宗━┳━伊達政宗━┳━伊達秀宗 ┗━伊達小次郎┣━伊達忠宗━┳━ ┣━伊達宗清 ┣━伊達光宗 ┣━伊達宗泰 ┣━伊達宗良 ┣━ ┃(田村宗良) ┣━ ┣━ ┣━伊達宗高 ┣━伊達宗倫 ┣━ ┣━伊達綱宗 ┣━伊達宗実 ┣━ ┗━伊達宗勝 ┗━伊達宗房 伊達家 | ![]() |
| 田上善衛門 (?~?) 弘治二年、加田城番。 | ![]() |
| 伊達千之助 | ![]() |
| たいこう太康 | ![]() |
| 伊達 | ![]() |
| 伊達光宗 | ![]() |
| 伊達千之助 | ![]() |
| 伊達千勝 | ![]() |
| 伊達千勝 | ![]() |
| 伊達右近 | ![]() |
| 伊達吉村 | ![]() |
| 伊達基宗 | ![]() |
| 伊達基実 | ![]() |
| 伊達宗倫 | ![]() |
| 伊達宗充 | ![]() |
| 伊達宗利 | ![]() |
| 伊達宗勝 | ![]() |
| 伊達宗基 | ![]() |
| 伊達宗実 | ![]() |
| 伊達宗恒 | ![]() |
| 伊達宗成 | ![]() |
| 伊達宗房 | ![]() |
| 伊達宗敏 | ![]() |
| 伊達宗村 | ![]() |
| 伊達宗泰 | ![]() |
| 伊達宗清 | ![]() |
| 伊達宗直 | ![]() |
| 伊達宗秩() 父・ 母・ 伊達家 | ![]() |
| 伊達宗純 | ![]() |
| 伊達宗綱 | ![]() |
| 伊達宗良 | ![]() |
| 伊達宗行 | ![]() |
| 伊達宗衡() 父・ 母・ 伊達家 | ![]() |
| 伊達宗貞 | ![]() |
| 伊達宗贇 | ![]() |
| 伊達宗重 | ![]() |
| 伊達宗高 | ![]() |
| 伊達定宗 | ![]() |
| 伊達定宗 | ![]() |
| 伊達実元 | ![]() |
| 伊達家 | ![]() |
| 伊達家伊予宇和島藩主家 | ![]() |
| 伊達尚宗 | ![]() |
| 伊達忠宗 | ![]() |
| 伊達忠宗 | ![]() |
| 伊達慶邦 | ![]() |
| 伊達成宗 | ![]() |
| 伊達成実 | ![]() |
| 伊達持宗 | ![]() |
| 伊達政依 | ![]() |
| 伊達政宗 | ![]() |
| 伊達政宗 | ![]() |
| 伊達政道 | ![]() |
| 伊達政重 | ![]() |
| 伊達政重 | ![]() |
| 伊達敏親 | ![]() |
| 伊達敏親 | ![]() |
| 伊達斉宗 | ![]() |
| 伊達斉宗 | ![]() |
| 伊達斉村 | ![]() |
| 伊達斉村 | ![]() |
| 伊達斉義 | ![]() |
| 伊達斉義 | ![]() |
| 伊達斉邦 | ![]() |
| 伊達斉邦 | ![]() |
| 伊達昭光 | ![]() |
| 伊達時綱 | ![]() |
| 伊達晴宗 | ![]() |
| 伊達晴宗 | ![]() |
| 伊達朝宗 | ![]() |
| 伊達朝宗 | ![]() |
| 伊達村倫 | ![]() |
| 伊達村倫 | ![]() |
| 伊達村儀 | ![]() |
| 伊達村儀 | ![]() |
| 伊達村元 | ![]() |
| 伊達村元 | ![]() |
| 伊達村利 | ![]() |
| 伊達村利 | ![]() |
| 伊達村則 | ![]() |
| 伊達村則 | ![]() |
| 伊達村和 | ![]() |
| 伊達村和 | ![]() |
| 伊達村善 | ![]() |
| 伊達村善 | ![]() |
| 伊達村好 | ![]() |
| 伊達村好 | ![]() |
| 伊達村定 | ![]() |
| 伊達村定 | ![]() |
| 伊達村実 | ![]() |
| 伊達村実 | ![]() |
| 伊達村常 | ![]() |
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| 伊達村成 | ![]() |
| 伊達村成 | ![]() |
| 伊達村景 | ![]() |
| 伊達村景 | ![]() |
| 伊達村氏 | ![]() |
| 伊達村氏 | ![]() |
| 伊達村泰 | ![]() |
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| 伊達村清 | ![]() |
| 伊達村清 | ![]() |
| 伊達村盛 | ![]() |
| 伊達村盛 | ![]() |
| 伊達村直 | ![]() |
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| 伊達村福 | ![]() |
| 伊達村福 | ![]() |
| 伊達村純 | ![]() |
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| 伊達村胤 | ![]() |
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| 伊達村良 | ![]() |
| 伊達村良 | ![]() |
| 伊達村詮 | ![]() |
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| 伊達村輯 | ![]() |
| 伊達村輯 | ![]() |
| 伊達村通 | ![]() |
| 伊達村通 | ![]() |
| 伊達村隆 | ![]() |
| 伊達村隆 | ![]() |
| 伊達氏 | ![]() |
| 伊達氏宗 | ![]() |
| 伊達泰宗 | ![]() |
| 伊達泰宗 | ![]() |
| 伊達直宗 | ![]() |
| 伊達直宗 | ![]() |
| 伊達秀宗 | ![]() |
| 伊達稙宗 | ![]() |
| 伊達稙宗 | ![]() |
| 伊達綱宗 | ![]() |
| 伊達綱村 | ![]() |
| 伊達義基 | ![]() |
| 伊達義広 | ![]() |
| 伊達義監 | ![]() |
| 伊達胤元 | ![]() |
| 伊達興宗 | ![]() |
| 伊達行朝 | ![]() |
| 伊達親長 | ![]() |
| 伊達親隆 | ![]() |
| 伊達貞宗 | ![]() |
| 伊達貞宗 | ![]() |
| 伊達輝宗 | ![]() |
| 伊達邦命 | ![]() |
| 伊達邦命 | ![]() |
| 伊達邦宗 | ![]() |
| 伊達邦宗 | ![]() |
| 伊達邦実 | ![]() |
| 伊達邦実 | ![]() |
| 伊達邦寧 | ![]() |
| 伊達邦寧 | ![]() |
| 伊達邦成 | ![]() |
| 伊達邦成 | ![]() |
| 伊達邦直 | ![]() |
| 伊達邦直 | ![]() |
| 伊達邦隆 | ![]() |
| 伊達邦隆 | ![]() |
| 伊達重村 | ![]() |
| 大小橋 | ![]() |
| 大小橋命 | ![]() |
| 大院君 | ![]() |
| 平将門 | ![]() |
| 橘氏 | ![]() |
| 武内宿禰 | ![]() |
| 武田信宗 | ![]() |
| 武田信成 | ![]() |
| 武田信政 | ![]() |
| 武田信昌 | ![]() |
| 武田信春 | ![]() |
| 武田信時 | ![]() |
| 武田信武 | ![]() |
| 武田信満 | ![]() |
| 武田信縄 | ![]() |
| 武田信繁 | ![]() |
| 武田信義 | ![]() |
| 武田信虎 | ![]() |
| 武田信賢 | ![]() |
| 武田信重 | ![]() |
| 武田光広 | ![]() |
| 武田家 | ![]() |
| 武石氏 | ![]() |
| 滝脇松平家(小島藩) | ![]() |
| 田安徳川家 | ![]() |
| 田村家(一関藩) | ![]() |
| 田沼家(相良藩) | ![]() |
| 立花家(下手渡藩) | ![]() |
| 立花家(柳川藩) | ![]() |
| 竹中弥右衛門 | ![]() |
| 竹田家 | ![]() |
| 竹腰家(今尾藩) | ![]() |
| 谷家(山家藩) | ![]() |
| 高橋壱岐守 高橋壱岐守 (?~?) 土佐雀ヶ森城主。 | ![]() |
| 高石与七 高石与七 (?~?) 永禄六年五月、岡豊城周辺に攻め込むが撃退された。 | ![]() |
| 鷹司松平家 | ![]() |



