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氏名 記事 |
あがたいぬかいうじ 県犬養氏 神皇産霊尊(かむむすひのみこと)の後裔(こうえい)と称する神別氏族。本姓は連(むらじ)、684年(天武天皇13)宿禰(すくね)姓を、764年(天平宝字8)一部に大宿禰姓を賜わる。海(あまの)犬養、安曇(あずみの)犬養、若犬養などの諸氏とともに犬養部を率いて宮門、大蔵、内蔵、地方の屯倉(みやけ)など大和(やまと)国家の諸施設の守護にあたった伴造(とものみやつこ)系氏族である。大化改新の前後を通じて中級豪族に終始したが、8世紀前半に橘三千代(たちばなのみちよ)、聖武(しょうむ)天皇夫人広刀自(ひろとじ)、参議石次(いわすき)らが出、橘諸兄(もろえ)が政権を握ったころをピークとしたが、769年(神護景雲3)天皇を厭魅(えんみ)したと誣告(ぶこく)されるなどでしだいに衰えた。(ニッポニカ) |
アメノハヅチオノカミ天羽槌雄神 |
あめのおしくも天押雲 |
天押雲命 |
アメノホアカリノカミ天火明神 |
天火明命 |
あまのみなかぬしのかみ天御中主神 |
天御中主尊 |
天御中主命 |
天皇家 |
アメノカグヤマノカミ天香久山神 |
あまあひのみこと 天合尊 別名:あめあひのみこと、天鏡尊(あまのかがみのみこと) 父:天三下尊 子:天八百日尊 雄勝法印神楽の四天における、木の神、東方春(90日)の首領 天鏡尊とも 独化天神第三世 |
天三下尊 |
アメノコヤネノカミ天児屋根神 |
天児屋根命 |
天児屋命 |
アメノタヂカラオノカミ天手力男神 |
あめのたね天種子 |
天照大神 |
アメノイワトワケノカミ天石門別神 |
天多祢伎命 |
天地創造 |
天津彦根神 |
天日槍神 |
あめのおしほみみのみこと天忍穂耳尊 |
天之御中主神 |
天之常立神 |
あめのやさがち天八下尊 |
あめのやそよろだま 天八十万魂 別名:天八十万魂:あめのやそよろだま、百日萬魂 第5世独天神、百日萬魂と同神? |
あめのやおひ天八百日尊 |
あめのうわはるのみこと天表春命 |
アメノホヒノカミ天穂日神 |
あめのうずめのかみ 天鈿女神 別名:水速女命(みずはやのめのみこと)、水波之女命(みずはのめのみこと)、水波能売大神(みずはのめのおおかみ)、水波能売命(みずはのめのみこと)、青渭神(あおいのかみ)、青渭大神(あおいのおおかみ)、天宇受売(あめのうずめ)、天宇受売神(あめのうずめのかみ)、天宇受売命(あめのうずめ)、天宇受売命(あめのうづめのみこと)、天宇須女命(あめのうづめのみこと)、天鈿女(あめのうずめ)、天鈿女神(あめのうずめのかみ)、天鈿女命(あめのうずめのみこと)、天鈿売命(あめのうづめのみこと)、罔象女(みつはのめ)、罔象女神(みつはのめのかみ)、罔象女命(みずはのめ) 室:夫:猿田彦神 巫女の元祖。道祖神。芸能の神(演劇・俳優の神、舞楽の神)。 天岩戸の前に集まった神々の一柱。猿田彦神の妻ともいわれる。猿女氏の氏神。 |
有馬家(丸岡藩) |
有馬家(久留米藩) |
あしな もりうじ 蘆名盛氏 1521~1580 別:○四郎丸 平四郎 修理大夫 大膳大夫 父:◇蘆名盛舜 室:伊達稙宗女 子:蘆名盛興 会津・蘆名氏16代当主。会津黒川城主芦名盛舜の子。領内の反乱を治め、会津盆地を平定し、陸前・伊達氏の内紛・洞の乱(天文の乱)に乗じて近隣の国人を攻略する。又外交を駆使して近隣の大名と結び、常陸佐竹氏と度々争って、蘆名氏歴代で最大の版図を築いた。嫡子盛興に家督を譲るが早世、再び政務を執り、二階堂氏から嗣子を迎える。 |
あしな もりおき 蘆名盛興 1547~1575 ○平四郎 ◇父:蘆名盛氏 室:伊達晴宗女 会津・蘆名氏17代当主。父隠居によりその後を継ぐ。1566年松山城横田氏攻略、これを捕縛。しかし29歳の若さで亡くなり後嗣なかった為、再び老父が政務を執り、後継者を二階堂氏から迎えることになった。一説には、常陸・佐竹氏との抗争にて討死したとも。 |
アイオリス人 |
アウストラロピテクス |
アントニウス |
阿蘇氏 |
阿多盛淳 あた もりあつ ???? 1600 |
阿多盛淳 |
あじすきたかひこねのかみ 阿遅鋤高日子根神 別名:阿治志貴高日子根神(あじしきたかひこねのかみ)、阿遅志貴高日子根神(あじしきたかひこねのかみ)、阿遅鉏高日子根神(あじしきたかひこねのかみ)、阿泥素企多伽避顧禰神(あじすきたかひこねのかみ)、味耜高彦根神(あじすきたかひこねのかみ)、阿遅鉏高日子神(あじしきたかひこのかみ)、阿遅須岐高日古尼命(あじすきたかひこねのみこと)、阿遅須岐高孫根乃命(あじすきたかひこねのみこと)、阿遅須枳高日子命(あじすきたかひこのみこと)、阿遅須伎神(あじすきのかみ)、迦毛大神/鴨大神(かものおおかみ)、阿治志貴高日子根神(あじしきたかひこねのかみ)、阿遅志貴高日子根神(あじしきたかひこねのかみ)、阿遅鉏高日子根神(あじしきたかひこねのかみ)、阿泥素企多伽避顧禰神(あじすきたかひこねのかみ)、味耜高彦根神(あじすきたかひこねのかみ)、阿遅鉏高日子神(あじしきたかひこのかみ)、阿遅須岐高日古尼命(あじすきたかひこねのみこと)、阿遅須岐高孫根乃命(あじすきたかひこねのみこと)、阿遅須枳高日子命(あじすきたかひこのみこと)、阿遅須伎神(あじすきのかみ)、迦毛大神/鴨大神(かものおおかみ)、迦毛大御神(かものおおみかみ) 父:大国主神 母:多紀理毘売命(奥津島比売神?) 室:天御梶日女命 子:多伎都比古命、塩冶毘古命、天八現津彦命、阿遅鉏速雄命 雷神、農業神。 『古事記』では別名にカモノオオミカミ(迦毛大御神)とあり、地祇系の鴨氏(加茂氏)の祖神とされる神様です。 阿遅鋤高日子根神の神名の鋤は、鋤を神格化した農耕神であるといわれ、現在も農業の神、雷神、不動産業の神として信仰されている。 |
阿毘古 |
阿部家 あべけ |
阿部家(白河藩) |
あつじ さだゆき 阿閉貞征 ????~1582 別名:万五郎 貞秀 貞大 長之 淡路守 室:井口弾正忠経元女 子:阿閉孫五郎貞大(阿閉貞大) 阿閉氏は京極氏被官であったが、北近江の実力者浅井氏に台頭を見てこれに臣従する。貞征は姉川の合戦では第3陣として戦っている。しかし浅井氏は敗れ、落目となっていく中、尾張・織田氏家臣木下秀吉の諜略を受けこれに寝返った。浅井氏滅亡後は織田氏家臣明智光秀の部将となり、山崎の合戦では先鋒の一手を担ったが敗戦、一族共に殺された。 |
阿麻毘舎卿 |
阿野家 |
愛宕家 |
綾小路家 |
粟田口家 |
粟田真人 |
安宅信康 あたぎ のぶやす 1549 1578 |
安宅清康 あたぎ きよやす ???? 1581 |
安宅冬康 あたぎ ふゆやす 1528 1568 |
安藤家(紀伊田辺藩) |
安藤家(磐城平藩) |
安並和泉守 あなみ いずみのかみ ???? ???? |
甘糟景継 |
甘糟景持 |
甘利虎泰 |
浅井惟安 |
浅井井規 |
浅井井頼 |
浅井雅楽助 |
浅井吉政 |
浅井輝政 |
浅井久政 |
浅井斎宮助 |
浅井政弘 |
浅井政高 |
浅井政重 |
浅井政澄 |
浅井盛政 |
浅井長時 |
浅井長政 |
浅井亮親 |
浅井亮政 |
浅見道西 |
浅野家(広島新田藩) |
浅野家(広島藩) |
浅利信種 |
足利義輝 |
足利義昭 |
足利義政 |
足利義晴 |
足利義冬 |
朝倉義景 |
朝倉教景 |
朝倉景紀 |
朝倉景綱 |
朝倉景盛 |
朝倉景連 |
朝倉孝景 |
朝比奈泰朝 |
朝比奈泰能 |
天野元政 |
あまご 尼子 |
あまご 尼子義久 |
あまご 尼子久幸 |
あまご 尼子興久 |
あまご 尼子敬久 |
あまご 尼子経久 |
あまご 尼子高久 |
あまご 尼子国久 |
あまご 尼子氏 |
あまご 尼子持久 |
あまご 尼子秀久 |
あまご 尼子勝久 |
あまご 尼子政久 |
あまご 尼子晴久 |
あまご 尼子清定 |
あまご 尼子誠久 |
あまご 尼子豊久 |
あまご 尼子倫久 |
あしな もりおき 蘆名盛興 1547~1575 別名:平四郎、会津黒川城主 父:蘆名盛氏 室:伊達晴宗女 会津・蘆名氏17代当主。父隠居によりその後を継ぐ。1566年松山城横田氏攻略、これを捕縛。しかし29歳の若さで亡くなり後嗣なかった為、再び老父が政務を執り、後継者を二階堂氏から迎えることになった。一説には、常陸・佐竹氏との抗争にて討死したとも。 |
あしな 蘆名盛重 |
あしな もりきよ 蘆名盛舜 1490~1553 別名:遠江守 父:蘆名修理大夫盛高(蘆名盛高) 子:子:蘆名山城守氏方(蘆名氏方)、蘆名盛氏 兄民部少輔盛滋に当時子がなかった為、その跡を継いで会津・蘆名氏15代当主となる。一族猪苗代氏が謀反を起こした時、これを鎮めて打ち倒す。陸前・伊達稙宗の葛西氏攻略に協力して勢力を拡張した。 |
あしな 蘆名盛隆 |
あまつひこひこほのににぎのみこと 天津彦彦火瓊瓊杵尊 別名:邇邇芸命、天津日高日子番能邇邇芸命、瓊瓊杵尊、彦火瓊瓊杵命、天饒石国饒石天津日高日子火瓊瓊杵命、天津日高日子番能邇邇芸命:あまつひこひこほのににぎのみこと、瓊瓊杵尊:ににぎのみこと、彦火瓊瓊杵命:ひこほのににぎのみこと、天饒石国饒石天津日高日子火瓊瓊杵命:あめのにぎしくににぎしあまつひこひこほのににぎのみこと 瓊瓊杵尊 日本古代の伝承にみえる神。『日本書紀』には天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)、『古事記』にはアメニギシクニニギシアマツヒダカヒコホノニニギノミコトとある。アマテラスオオミカミの孫で,三種神器を奉じて高天原から初めて日向の高千穂峰に降臨したとされる。神武天皇の曾祖父とされている。 |
あいだ げき 会田外記 信清の孫。日光御成街道大門宿(浦和市大門)の開発者。大門宿の本陣、問屋、名主役を兼帯する村の要職を一手に引き受け、岩槻藩主より苗字帯刀を許されている。 |
あいだ ござん 会田吾山 秀真。越谷宿新町名主会田文之助の子。俳句と国学に優れ、滝沢馬琴の俳句の師匠でもあった。著書に『諸国方言物類呼称』があり、方言学の始祖といわれている。 |
あいだ すけかつ 会田資勝 庄七郎。資久の子。小姓として徳川秀忠に仕えたが、慶長12年(1607)罪を受け駿河掛川に預けられる。3年後赦免されるも以後消息不明。 |
あいだ すけきよ 会田資清 出羽守。信清の弟。太田資正と親交があり、「資」の諱を受けた。 |
荒木田氏(沢田家) |
安東大将軍(あんとうだいしょうぐん) |
秋月種実 |
秋山刑部丞 |
秋田家(三春藩) |
青景隆著 |
青地茂綱 |
青木一重 |
赤松晴政 |
穴山信君 |
姉小路家 |