歴史・人名

人名あ

旭姫(あさひひめ)
別:駿河御前
豊臣秀吉の異父妹。豊臣秀長と同腹の妹。父は竹阿弥 尾張の百姓家に嫁ぎ、夫は秀吉に取り立てられ佐治日向と名乗る 佐治日向没後に副田甚兵衛に嫁いだ。小牧・長久手の後に徳川家康を上洛させるため離縁され、家康に嫁いだ 家康上洛後に駿府城に住み、駿河御前と呼ばれた 大政所の看病のため上洛し、その後は駿府に戻らず翌年聚楽第で病死した
蘆名盛氏(あしな もりうじ)
1521~1580
別:四郎丸 平四郎 修理大夫 大膳大夫
父:蘆名盛舜
室:伊達稙宗
子:蘆名盛興
 会津・蘆名氏16代当主。領内の反乱を治め、陸前・伊達氏の内紛・洞の乱(天文の乱)に乗じて近隣の国人を攻略する。又外交を駆使して近隣の大名と結び、常陸佐竹氏と度々争って、蘆名氏歴代で最大の版図を築いた。嫡子盛興に家督を譲るが早世、再び政務を執り、二階堂氏から嗣子を迎える。
蘆名盛重(あしな もりしげ)
1576~1631
別:佐竹氏 白河氏 喝食丸 平四郎 義広 義勝 主計頭
父:佐竹義重 養父:白河義親 
室:蘆名盛隆
子:蘆名盛泰、盛俊、中野作左衛門盛親
 11歳で後嗣絶えた会津・蘆名氏に迎えられて20代当主となるが、家臣の内訌が続いた。その為、1589年摺上原の戦いでは、離反者を出して陸奥・伊達氏に敗れ、常陸・佐竹氏に戻る。翌年、豊臣秀吉から、常陸・江戸崎に4万5千石を得るが、関ヶ原の戦い不参加の為に、徳川家康より所領没収された。以後兄義宣に従い、秋田にて56歳で没。
阿閉貞征(あつじ さだゆき)
????~1582
別:万五郎 貞秀 貞大 長之 淡路守
室:井口弾正忠経元女
子:阿閉孫五郎貞大
 阿閉氏は京極氏被官であったが、北近江の実力者浅井氏に台頭を見てこれに臣従する。貞征は姉川の合戦では第3陣として戦っている。しかし浅井氏は敗れ、落目となっていく中、尾張・織田氏家臣木下秀吉の諜略を受けこれに寝返った。浅井氏滅亡後は織田氏家臣明智光秀の部将となり、山崎の合戦では先鋒の一手を担ったが敗戦、一族共に殺された。