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ナイマン

[ナイマン(乃蛮)(10c.~1204)]
タイブハ(?~1204)
  脱兒黒。太陽罕(タヤン・ハーン)。ナイマン部の首長。イナンチャ・ビルゲ・ハーンの子。母はグルベス。モンゴル高原の西半を支配し、高い水準の文化を保った。敗残のジャムカを受け入れたため、チンギス・ハーンと敵対した。東進してオルコン河を渡り、納忽昆山の東麓でモンゴル軍と戦ったが、大敗し、傷を受けて捕らえられ、まもなく亡くなった。
クトゥルク(?~1218)
  屈出律。または古出克。タイブハの子。ナイマン部の首長の子として生まれた。1204年、チンギス・ハーンに敗れて父が没すると、カラ=キタイ(西遼)に亡命した。西遼王チュルクの娘を妻とした。1211年、西遼の衰えに乗じて叛乱を起こし国を奪った。チンギス・ハーンと再び対抗したが、1218年にモンゴル軍に捕らわれて殺された。
↓次の時モンゴル帝国

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