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公行

公行(読み)こうこう(英語表記)gong-hang; kung-hang
こうこう ‥カウこうこう〔カウ〕公行 gōng háng
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

中国,に広州で外国貿易に従事した行商の同業組合。通常は広東十三行と称される。朝の貿易は広東の粤海関で特定の仲買商 (行商) にのみ許されたが,康煕 59 (1720) 年に海関監督の援助で,当時の 16の行商が同業組合を結成して「公行」と称した。公行は主要商品の独占や価格の決定を行い,それまで存在した小商人を排除して貿易を独占した。外国商人は彼らの不利になるためこれに反対したが,この公行制はアヘン戦争まで存続し,道光 22 (1842) 年の南京条約で廃止された。
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デジタル大辞泉の解説
[名](スル)
1 悪事などが盛んに行われること。
「賄賂―し」〈津田真道訳・泰西国法論〉
2 公然と振る舞うこと。横行。
「盗賊―して」〈福沢・福翁百話〉
3 書物などを刊行すること。
「活字版を用いて書を―する」〈柳河春三編・万国話〉
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百科事典マイペディアの解説

中国でに,広州で外国貿易を独占した特許商人が結成した組合。この特許商人を行商といい,広東十三公行と呼ばれる。関税を請け負う行商制は,1685年の海外貿易の許可,海関設置によって翌年施行。その後弊害発生により1720年公行結成。1842年の南京条約で廃止。
→関連項目海関
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世界大百科事典 第2版の解説
中国,広州外国貿易商人(行商)の組合。ふつう広東十三公行とよばれるが,行商の数は13とはかぎらず,20~50家の間を増減した。朝は1685年(康熙24),それまで禁じていた海外貿易を許可し,広州に粤海関(えつかいかん)をおいて関税を徴収したが,翌86年行商に関税徴収を請け負わせる償として輸出入品を独占させた。これが公行制度の始まりである。1720年行商16家が公行を結成し,取引を独占,価格の協定をはかったが,他の行商の反対で成功せず,26年有力な行商6家がえらばれて外国船との取引独占権をあたえられ,他の一般行商はこの6家(保商)の保証のもとで取引を行った。
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大辞林 第三版の解説

( 名 ) スル
①広く行われること。特に、好ましくないことが公然と行われること。 「世間に多妻法を-せしめ/福翁百話 諭吉」
②公然と行うこと。 「盗賊-して/福翁百話 諭吉」
③公刊すること。刊行。
④中国、、広東の外国貿易を独占していた特許商人(行商)、またはその団体。一三あったので広東十三行と通称。アヘン戦争の結果廃止。
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精選版 日本国語大辞典の解説
〘名〙
① (━する) 広く行なわれること。特に、望ましくない物事が公然とはばかるところなく行なわれること。
※授業編(1783)五「華靡俗をなし貨賂公行(コウカウ)し」 〔南史‐后妃伝下・張貴妃〕
② (━する) 公然と行動すること。気ままに歩きまわる、またはふるまうこと。
※福翁百話(1897)〈福沢諭吉〉九三「盗賊公行(コウカウ)して自分の物を盗まるるを好まず」 〔春秋左伝‐襄公三一年〕
③ (━する) 書物などを広く世に出すこと。刊行。
※万国話(1868)〈柳河春三編〉三「活字版を用ひて書を公行する」
、広東の外国貿易商の結成した組合。
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旺文社世界史事典 三訂版の解説

に,広東 (カントン) で独占的に貿易を営んだ商人団体とその商館
13あったので広東十三行というが,数には増減があった。1720年康熙 (こうき) 帝のときに始まり,貿易独占権を許され,外国商人に対する問屋の役割を果たした。1757年には,外国との貿易は広州のみとされ,その後特にイギリスとの貿易は飛躍的に増大した。しかし,その制限貿易はイギリスの不満を買い,アヘン戦争の結果,1842年の南京条約によって廃止された。その後,外国貿易の仲介・外国商社の下請けの役目を,買弁が果たすようになった。
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
→ 広東十三行
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