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軍機処

軍機処(読み)ぐんきしょ(英語表記)Jun-ji-chu; Chün-chi-ch`u
軍機処 Jūn jī chù
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

中国,朝中期から末にかけての軍事,国政上の最高機関。正式名称の「辧理軍機処」を略したもの。雍正帝がジュンガル (準 噶爾) 征討のときに,軍事機密を保持するため,雍正7 (1729) 年に紫禁城内の乾門付近に臨時に軍需房を設置した。同 10年に辧理軍機処に拡大し,乾隆時には常設の機関となった。数名の軍機大臣のもとに軍機章京がおかれ,従来の国政の中枢機関である内閣にり大きな権限を有するようになった。宣統3 (1911) 年の責任内閣制成立に伴って廃止された。
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デジタル大辞泉の解説
中国、朝の軍事・行政上の最高機関。1729年、軍機をつかさどるために設けられ、のちには一般政治をも統轄した。1911年に廃止。
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百科事典マイペディアの解説

中国,朝の雍正帝時に設置された軍事行政上の最高機関。雍正帝が軍事機密維持のため軍事房を設置したことに始まる。正称は【べん】理軍機処。臨時機関から常置機関となり行政権限をも把握する実質的最高機関として1911年まで存続。軍機大臣数名がおかれ枢機に参与。
→関連項目総理衙門|内閣(中国)
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世界大百科事典 第2版の解説
中国,朝の最高政務機関。正式には辦理軍機処という。清初,皇帝を補佐する最高機関としては議政王大臣と内閣があったが,ジュンガル出兵に関する機密の保持のため,1730年(雍正8)に軍需房(のち軍機房,ついで軍需処と改称)が設置された。軍需房は内閣の分局にすぎなかったが,1732年に独立し,正式に軍機処と呼ばれることになった。このように雍正年間の軍機処は北方遊牧民族に対する軍事力行使のために臨時に設けられた小委員会にすぎなかったが,つづく乾隆朝になると内閣の実権を奪い,以来を通じて重要政務全般をつかさどる最高機関であった。
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大辞林 第三版の解説

中国、朝の軍事行政上の最高機関。1729年創設。数名の軍機大臣が置かれ、皇帝の最高諮問機関として1911年まで存続した。
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
中国、(しん)中期以後の最高政治機関。1729年、青海地方のジュンガル征討の際、用兵の迅速と軍機の保持を図るため、紫禁城(しきんじょう)内の皇帝の居所に近い隆宗門の内側に軍需房が設けられた。これはその後、理(べんり)軍機処と称するようになり、略して軍機処といった。35年乾隆帝(けんりゅうてい)が即位すると、軍機処を廃し、その事務を総理事務王大臣が兼務したが、37年復活され、朝滅亡直前の1911年まで存続した。もともと臨時に設けられたものにすぎなかった軍機処は、やがて常設の機関として軍事ばかりでなく重要な一般政務をも扱うようになったので、最高政治機関である内閣の実権はここに移り、議政王大臣は有名無実化した。軍機処には内閣大学士、六部(りくぶ)の尚書、侍郎(じろう)などのなかから選ばれた数名の軍機大臣が出仕して、実質的に宰相の役割を果たし、そのもとで内閣舎人(しゃじん)などのなかから選ばれた軍機章京(ジャンギン)が文書の処理にあたった。[神田信夫]
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精選版 日本国語大辞典の解説

〘名〙 中国、朝の中央官署の名。雍正七年(一七二九)軍機房の名で創設され、同一〇年に改称。はじめは軍事の機密をつかさどったが、後には文武一切の機務をつかさどり、皇帝側近の最高政務機関として軍機大臣が宰相の実権を握るようになった。〔史稿‐職官志〕
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旺文社世界史事典 三訂版の解説
朝政府における政務の最高機関
雍正 (ようせい) 帝の1729年,ジュンガル征討に際し,用兵の迅速と機密保持の目的で内閣の分局として臨時に設けられた。のち常置され,内閣の権限を奪って一般政務をも審議し,国家の最高機関となった。3〜6人の軍機大臣が中心で,皇帝独裁の進展を示す。1911年廃止。
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世界大百科事典内の軍機処の言及
【中国】より

…具体的にいえば,天子の決裁の下書きをひとつひとつの上奏文に貼付して天子に差し出す,天子はそれを自筆で写して書きこめばよいのである。つまり中央政府は内閣・六部というのが根幹の体制であるが,しかし朝になると軍機密保持の便宜上,天子の側近にさらに軍機処(参謀本部)が設けられ,これがいつしか恒常的な政務機構となって,内閣の取り扱うべき政務を軍機処が扱うようになり,内閣は有名無実のごとくなったが,旧中国の特徴として,いったん存在しはじめた内閣を廃止してしまうことはしない。このような,誰が考えても任務や権限が重複し,実質的に無用に帰した官庁を廃止しようとせず,いつまでも存しておくのは,例えば2000年前,の九寺という行政最高官庁(法務庁たる大理寺,対属国外務庁たる鴻臚(こうろ)寺など)が六部その他と重複するにもかかわらず,重複したままで,ごく一部分でも職務を分け与えて,歴綿々として存続せしめられたごとき,今日の常識からは到底理解できない。…

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